第28話 元素の四大性質説

 アリスは激怒していた。

 未だかつてこれ程までの怒りを感じたことは一度もなかった。ディオニュシオス二世を許すことなどできはしない。

 とは言えども、師や友を救うためには、自分がモンジベッロまで行く以外に方法はない。護衛に守り固められた僭主の胸元から鍵を奪うというのは余りにも現実味に欠ける。

 モンジベッロはシケリア島で最高峰の山である。その特徴とは、この山が活火山として頻繁に噴火を起こしている点で、プラトンの二度目のシュラクサイ訪問の約三十年前にも大噴火を起こしていたのであった。

 神話によれば、モンジベッロには、ゼウスに敗れた巨人テュポンが、ゼウスとヘラの第一子で鍛冶の神であるヘファイストスによって封印されているという。その封印が弱まり、テュポンが逃れようとするたびに<地震>と<噴火>が起こるのだそうだ。そしてさらに、ティポンは<大風>を操る能力を有していたのだが、モンジベッロの洞窟には、ティポンのその風の能力が封じ込められているという。そして、アリストテレスが向かうモンジベッロの麓の祠とはティポンの風の祠であった。

 アリストテレスは、ヘロドトスが『歴史』の中で語っていた<マラトンの丘>の話を思い起こしながら、シュラクサイからモンジベッロまでの地図を頭の中で描き出し、往復に要するであろう時間を計算していた。

 約百二十年ほど前、ペルシア戦争の時のことである。ギリシアのアテナイ・プラタイア連合軍は、アッテイカ半島の北東部のマラトンでアケメネス朝ペルシア帝国を迎え撃つことになった。この時、ペルシア軍のマラトン上陸の報告と援軍を求めてスパルタに急使を派遣した。その使者は、マラトンからスパルタまでのおよそ千三百六十五スタディオンの距離を一昼夜で走破した後、力尽きて息絶えたという。

 シュラクサイからモンジベッロまでは、およそ五百五十五スタディオン、往復では千百十スタディオンの距離である。スタディオンは当時の古代ギリシアにおける距離の単位で、現代のメートル法で言うと、一スタディオンは百八十メートル位、千百十スタディオンは約二百キロメートルに相当し、普通に徒歩で異動するのならば往復で一週間の旅程である。シュラクサイからモンジベッロまでの往復距離はマラトンからスパルタまでの片道よりも短い。故事にあるように命尽きるまでは走らないとしても、シュラクサイからモンジベッロまでは、理論的には一日で走破可能な距離である。ただしこれは、休まず眠らずに丸一日走り続けた場合の話なので、実際に体力的な問題を考慮すると、一日半というのが妥当な必要時間であろう。問題は所要時間をどこまで削れるかだ。

 小アジアで暮らしていた時、義兄は書斎に引き籠りがちのアリストテレスに体育の家庭教師をつけ、半強制的に運動させていた。その結果、アリストテレスには常人よりも多少は速いペースで走れる運動能力が培われていた。

 シュラクサイを出発したばかりの時は、僭主に対する怒りのせいで走るペースが多少速まってしまっていた。しかし、それではモンジベッロまで体力がもたない。師や友を救わなければならないという信義や、モンジベッロまでの残りの距離を考え始めると、脳が長距離走の辛さを認識してしまう。そういった消極的な思考こそが走者の体力を奪ってしまうものなのだ。つまり、長く走り続けるコツとは、<長時間走>という事実から意識を逸らすことができるような何かについて考えることなのだ。少なくとも、アリストテレスは小アジアでの肉体鍛錬の時にはそうしていた。

 脳に辛さを感じさせないために今回アリストテレスが思考遊戯として選んだテーマは、ミレトス学派が提示した<万物の根源(アルケー)>についてであった。

 父母の死後、アリストテレスは小アジアに住む義兄の保護下にあったため、小アジアの都市国家ミレトス発祥の自然哲学に、自然と興味関心を抱いていた。

 ミレトス学派は、世界の起源に関して、神話的な理由ではなく、合理的な説明を試みた哲学一派で、存在する全てのものは、何らかの<根源>から生成し、そして<根源>へと消滅してゆくと考えた。

 タレスはその<万物の根源(アルケー)>を<水>と考え、世界は水から成り、水に帰るという説を唱えた。

 アナクシメネスは、アルケーを<空気(息)>とした。死人は呼吸しないわけだから、息は生命だと考えたのだ。すなわち、息が生命を作るように、空気が世界を作るものと考えたのだ。そしてさらに、空気は薄くなると熱くなり、それが最も薄くなると<火>になる。そして、空気は濃くなると冷たくなって<水>になある。さらに濃くなると<土>あるいは<石>になる。そして大地とは、空気に乗って安定を保っている大きな石の円盤だと考えたのだった。

 クセノパネスはアルケーを<土>とした。

 ヘラクレイトスは自然界は絶えず変化し、<変化>こそを万物の根源とした。その変化の象徴を<火>とみなし、水や他物質は火から生じると考えたのだ。これが「万物流転」で、アルケーは<火>と考えた。

 こうした、水、空気、土、火といった自然物をアルケーとみなした自然哲学者に対して、アルケーを<数>、すなわち「万物は数である」と提唱した点にピタゴラスの特徴がある。

 これら単一元素説に対して、エンペドクレスは、アルケーは<土・水・火・空気>の四つの元素(リゾマータ(根源))から成ると考えた。これらの四つの要素が、結合すなわち<ピリア(愛)>と、分離すなわち<ネイコス(憎)>することによって様々な自然現象が起こるとしたのだ。

 この四元素説について、シュラクサイへの船の中でプラトンと問答したところ、師プラトンは、エンペドクレスと同じようにアルケーを四元素と考えているらしい。しかし、エンペドクレスとの違いは、四つの元素は分解可能で、相互転化すると考えた点である。

 プラトンの四大元素説の独自性は、その土・水・火・空気を多面体で表した点で、幾何学重視のプラトンらしい発想だった。つまり、土は正方形から成る正六面体、水は三角形から成る正二十面体、空気は三角形から成る正八面体、火は三角形から成る四面体で、正多面体の基本となる三角形を分解して、別の正多面体を作ることで、ある元素から別の元素への転嫁が起こるのだと言う。つまり、元素の基準は<三角錐>なのだ。実を言えば、プラトンは、エジプトのピラミッドとベンベン石からこの発想を得たという。

 こうした小アジアやギリシアの自然哲学者が提唱している万物の根源(アルケー)は、自然物をアルケーと考えている点では共有しているものの、実に多様で、どのアルケー論も一理あるし、また問題点も見いだせるように思える。

 とまれ、勉強によって先人達の考えは知った。それでは、これを出発点にして、万物の根源について如何に考えるか、それこそがアリストテレスの問題なのだ。

 未だはっきりと考えがまとまっているわけではないが、自分のアルケー論は、<火・空気(風)・水・土>の<四大元素>というエンペドクレスや師プラトンの理論を基盤にしている。しかし、これらの四大元素を成立させている四つの<性質>こそを重視したい。その性質とは<熱・冷・湿・乾>の四つであり、火・風・水・土とは、この四つの構成要素の組み合わせによって生じるものなのではなかろうか。

 たとえば、火は<熱と乾>、風は<熱と湿>、水は<冷と湿>、土は<冷と乾>という構成要素から成っており、その構成要素を置き換えることによって、元素は転嫁するのではなかろうか。つまり、火は為す<熱と乾>の「乾」を「湿」に代え、<熱と湿>にすると火は風に代わり、「熱」を「冷」に代え、<冷と乾>にすると火は土になる。このように考えるのならば、自分のアルケー論は、四大<元素>論というよりも、四大<性質>論と呼ぶのが適切であろう。

 

 ――そのようなことを考えながら軽快にテンポ良く歩を進めているうちに、アリストテレスはモンジベッロ裾野にある洞窟の入口に到着していたのだった。

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