第25話 アカデメイア設立

 エジプトの太陽神殿での<研究奴隷>としての隷属的状況から脱したものの、ナイル川の氾濫のために遭難してしまったプラトンが目覚めたのは、地中海を航行する船の底であった。覚醒したプラトンは自分の右足、そこに取り付けられていた鎖に視線をやった。

「やれやれ、また奴隷の立場に逆戻りか……」

 プラトンは独り言ちた。


 プラトンを乗せた船は、サロニコス湾に侵入し、アイギナ島に寄港した。この島は湾のほぼ中央に位置しており、現代のメートル法で言うと、島は東西十五キロメートル、南北十キロメートルの逆三角形状の小さな島であった。それでも、アイギナ島はサロニコス湾に散在する諸島最大の島であった。そしてアイギナ島は、アテナイから南西に約三十七キロメートル、コリントスから南東に約四十八キロメートル、そしてトロイゼンから北に約二十八キロメートルの位置にあり、これらギリシアの主要ポリスに近接しているという立地上の好条件も手伝って、アイギナ島はサロニコス湾における商業的要衝となっていたのである。

 こういった地理的な理由から、プラトンの時代から遡ること約一世紀前には、アイギナは近隣のポリスであるアテナイと海上交易の覇権争いをしていた。しかし、ペルシア戦争の戦勝国として軍事力が強化され、ギリシアの覇者となったアテナイに対抗すべくもなくアテナイに屈することになってしまったのである。

 とはいえども、アイギナ島が商業上の要地であることに変わりはなく、<商品>を乗せた船の到着を待って、島では奴隷市場が開催される予定になっていた。皮肉なことに、アテナイの名門の出であるプラトンは、故郷に近接したアイギナ島で奴隷として売りに出されることになってしまったのだった。


 奴隷市場に並び置かれたプラトンの前を一人の男が通りかかった。

 キュレネ人の男であった。

 キュレネは、北アフリカの地中海沿岸のギリシア人の植民都市の一つで、カルタゴとエジプトの間に位置していた。この植民都市を建設したのは、ティラ島のギリシア人で、デルフォイの神託に従ってこの地に移り住んだという。

 キュレネは「アフリカのアテナイ」と呼ばれる程の、地中海世界における学術都市の一つであり、ソクラテスの弟子だったアリスティッポスとその娘アレテが創設した<キュレネ学派>の中心地となっていた。

 プラトンは、ソクラテスの死後の遍歴期間に、師の下で共に学んでいた同門のアリスティッポスの許を訪れており、そこでアンニケリスと知り合った。

 アンニケリスもまた<キュレネ学派>に属していた。キュレネ学派の特徴は快楽主義で、その主張は、快楽を善とし、快楽の追求こそを人生の目的にしている点である。この学派に属する学者達が唱える<快楽>とは学者ごとに違っており、始祖であるアリスティッポスにとってそれは肉体的快楽だったのだが、弟子であるアンニケリスにとっては、快楽とは友愛や祖国愛に見出す歓びであった。ピタゴラスはキュレネ滞在の時期に、アンニケリスの<友愛的快楽>という考えに共感を抱き、彼との間に友情を築いたのだった。


 プラトンは、自分の前を通り過ぎだキュレネ人が自分の方にチラっと視線を送ってきたような気がした。

 そのキュレネ人は、そのまま数歩歩き続けたのだが、何かに気が付いたかのように突如振り返ると、素早い動きでプラトンの方に近寄ってきて、その幅広の肩を強く掴んだ。

「汝、プラトン殿ではあるまいか? 何故、このような場所に居るので御座る?」

 アンニケリスは、硬いギリシア語で問い詰めてきた。

「汝、もしかして、アンニケリス殿? そ、その一身上の都合で御座る」

 釣られてプラトンも硬いギリシア語で応じてしまった。

 そして――

 アンニケリスはプラトンを二十ムナで贖ったのだった。

 ちなみに、一ムナは百ドラクマ、一ドラクマは六オボロスで、現代日本の貨幣価値に換算すると、一オボロスが千円くらいで一ドラクマは六千円、すなわち二千ドラクマに相当する二十ムナとは一千二百万円くらいに相当する。

 いずれにせよ、キュロス人・アンニケリスが信奉する<友愛>の観念が、奴隷という隷属的状況に再び落ちかかったプラトンを救い出し、かくしてプラトンは故国アテナイに送り届けられることになった。

 

 シュラクサイの僭主ディオニュシオスの義弟ディオンは、シケリア島を出航した後にキュテーラ島でプラトンが奴隷として売られたという事実までは掴んでいた。その後、ディオンは四方に手を尽くしてプラトンの売却先を知ろうとした。しかしながら、プラトンが消息を絶ってから八ヶ月あまり、プラトンの行方に関する情報を得られないままであった。そのディオンの下にアテナイに放っていた間諜から、プラトンに関する報がようやく届いたのだ。

 十二年ぶりにプラトンがアテナイに姿を見せたという。プラトンはアイギナ島で奴隷として売られた所を、二十ムナでアンニケリスというキュレネ人に買われ、解放奴隷となりアテナイに送り届けられた、と。

 ディオンは、シュラクサイから無事にアテナイにプラトンを送ることができなかったことに深い自責の念を抱いていた。それ故に、ディオンは、プラトンを救ったアンニケリスに謝礼として二十ムネを送り届けた。アンニケリスはその金でアテナイ郊外のアカデメイアに土地を買い、それをプラトンに与えた。

「プラトン殿、礼には及ばないで御座る。我が快楽を充たしただけのこと。<友愛>は我の快楽源泉であるが故に」

 かくの如く、キュレネ人は硬いギリシア語でプラトンに語ったのであった。


 ギリシアの英雄アカデモスは、神の代に、テセウスに奪われたヘレネの居所をディオスクロイに教えたと伝えられているアッティカの英雄である。アテナイ郊外北西部には、アカデモスの墓が存在し、その墓所は聖なる森に囲まれていた。この神域は、そのアカデモスの名に因んで<アカデメイア>と呼ばれていた。その神域アカデメイアは、アテナイの代表的なギュムナシオン(体育場)の所在地でもあった。

 プラトンは、ソクラテスの存命中、師と共に足繁くこの神域を散策し、アカデメイアに赴いた折には必ず、ソクラテスとプラトンは、そこで身体を鍛え上げている少年・青年達に熱い眼差しを送り、時折、ソクラテスは見所のある若者に声を掛けていたものだった。

「師ソクラテスが自分に興味関心を抱いた切っ掛けは、レスラーとしてのこの『広い(プラテュス)』肩幅と胸板だったのですよ。そして師は私に<プラトン>という名を与えてくれたのです」

 苦笑しながらプラトンは、キュレネ滞在中にアンニケリスに何度も語っていたものである。そしてプラトンは決まってこう続けたのだ。いつの日かアカデメイアに自分の学園を設立したい、と。

 アンニケリスはその時の会話を覚えていたのだ。

 かくして、エジプトからアテナイに戻ったプラトンは、師ソクラテスとの思い出の地に学園を創設し、ここを<アカデメイア>と命名したのであった。

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