第22話 太陽の石ベンベンとギザのネクロポリス

 プラトンがエジプトにおいて<研究奴隷>として従事することになったのは、<下エジプト>、ナイル川下流域のデルタ地帯に位置する都市で、この地は古いエジプト語では<イウヌ>あるいは<オン>と呼ばれていた。

 そして、この都市で祀られていた神は太陽神であり、その神殿はエジプトの太陽神信仰の中心地であった。それ故にギリシアでは、この都市を太陽(ヘリオス)の町(ポリス)を意味する<ヘリオポリス>と呼んでいたのである。ヘリオスはギリシア神話の太陽神なのだが、時として、光明神であるアポロンと同一視されることもある神で、いずれにせよ、太陽神が祀られた<ヘリオポリス>はエジプトにおける信仰上、重要な都市だったのである。

 そのヘリオポリスの太陽神殿でプラトンは研究に従事することになったのだ。ちなみに、約百五十年前にピタゴラスがエジプト留学時代に研究した神殿の一つがこのヘリオポリスの太陽神殿だったのである。

 そのヘリオポリスで信仰されている<ヘリオポリス九神>の中で、天地を創造した神こそがアトゥムであった。

 エジプトの創世神話では、宇宙の本源的状態は水と考えられており、これが<原初の水(ヌン)>である。そのヌンから自力で誕生したのがアトゥムであった。アトゥムは住む場所がなかったので先ずは丘を作った。これが<原初の丘(ベンベン)>である。

 ちなみに、アトゥムが創造した世界が破滅を迎えて、アトゥムがヌンの中に帰って眠りにつく時、次の世界を創造する際に創造神アトゥムを目覚めさせる役目を担ったのが<トート>であった。ちなみに、エジプトのトート神はギリシアでは<ヘルメス>と同一されている神である。

 さて、この創造神アトゥムが住処とした原初の丘(ベンベン)が<世界の始まりの地>となった。ベンベンは、昇る朝日が最初に当たる場所に位置し、かつ、このベンベンにあった石の上に立ってアトゥムは世界を照らし出したという。それ故に、アトゥムは<太陽神>の性質を帯びることになった。太陽神アトゥムが立ったこの石は、陽光を浴びると、その石自体が光を発するかのように輝いたという。

 ヌンから出てきた時には、創造神にして太陽神のアトゥムは<蛇>の姿で現れたという。エジプトでは、蛇こそが最も<原初>に近い生物と考えられていた。というのも、蛇は、死を運んでくる強大な力を有する畏怖の対象であると同時に、脱皮によって<死と再生>を無限に繰り返すが故に、<生命>の象徴的存在と考えられていたからである。だからこそ、蛇に化身したアトゥムは<死と再生>の神としての性質までも纏うようになり、アトゥムが立ったベンベン石には<光輝>の性質のみならず、<死と再生>の性質をも帯びることになったのである。

 やがてエジプトでは、原初の丘を模した四角錘の石造建造物が太陽神の信仰の対象として造られるようになり、これが<ベンベン>と呼ばれるようになった。太陽神殿ではベンベンこそが最も神聖なものとされ、ベンベン石を太陽神殿に設置する場合には、四角い石柱の上にベンベン石を載せ、神殿の中央、あるいは神殿の正面という一日の最初の光が照らされる場所が選ばれたという。そしてベンベン石こそが、ピラミッドやオベリスクの原型なのである。

 ヘリオポリスの太陽神殿はナイル川の東側に存在していたのだが、そのナイル川の西側のギザの台地には三つの巨大ピラミッドとスフィンクスを中心とする王墓群が存在していた。

 三つのピラミッドの中でも最大のクフ王のピラミッドは、現在の度量衡を用いると、底辺の各辺は二百三十メートル、高さ百四十六メートル、勾配五十一度五十二分、容積二百三十五万立方メートルの四角錘の建造物である。

 その次に大きいのがカフラー王のピラミッドで、三基あるピラミッドの中央に位置している。その底辺の各辺は二百十五メートル、高さ百四十三・五メートルで、クフ王のピラミッドに匹敵する規模の建造物である。

 そして最後の一つがメンカウラーのピラミッドで、底辺の各辺百八メートル、高さ六十六・五メートル、勾配五十一度二十分で、他の二つのピラミッドよりも規模が小さかった。

 これら三基のピラミッドの頂上には、キャップストーンとして小型のベンベン石が設置されていたのだった。

 カフラー王のピラミッドには参道が伸びているのだが、その道の入り口には、大スフィンクスが存在している。大スフィンクスはカフラー王がピラミッドを守護するために建造させたものだった。ちなみに、スフィンクスは元々そこに存在していた岩山を掘って建造したものである。

 その他、巨大ピラミッドとスフィンクスの周囲には小規模なピラミッドが多数存在しており、かくして、ナイル川左岸であるギザには<死>の都市、いわば<ギザ・ネクロポリス>が形成されていたのである。


 <研究奴隷>プラトンに課された第一の研究は、太陽の石である<ベンベン石>に関する研究だった。

 そして第二が、<ギザ・ネクロポリス>の調査であった。ネクロポリスでの調査は、たとえば、ギザ・ネクロポリスに建っているピラミッド内部への侵入手段に関する調査であった。また、すでに入場方法が明らかになっているピラミッドに関しては、そこに入り込んでピラミッド内部の壁面にびっしりと刻み込まれている聖刻文字(ヒエログリフ)の筆写がその基本的な作業内容であった。

 <ギザ・ネクロポロス>は死の都であるため、たとえ研究・調査目的だとは言えども、そこに足を踏み入れることは一般的なエジプト人には禁忌であった。また、ある程度以上の教養も必要であった。そのため<ギザ・ネクロポロス>での調査には、エジプト人の神官以外では、外国人の雇われ研究者か、プラトンのような<研究奴隷>が従事していたのである。

 プラトンは、上記の神殿や王墓での調査・研究に従事している以外の時間は、ある程度の自由な行動が許されていた。それ故に、プラトンはその自由時間を有効に活用して、貪るように、太陽神殿にて閲覧可能なありとあらゆる書物を読み漁った。

 そして――

 プラトンはそれらを次々に完全に<記憶>していったのだった。

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