第15話 ピタゴラスのエジプト留学
「……実の話、ヘルメス・トリスメギストスの三つの<叡智>の一つ一つを三人の弟子が継承し、オリエントの各地に散っていったのです。つまり『ヘルメス』とは、個人名ではなく、継承者に与えられる称号なのですよ」
このようにエジプト人の若者は語りながら、首を完全に覆っていた高襟を下げ、布で隠していた首筋をプラトンに見せた。
そこには、十個の点、<テトラクテュス>が彫り込まれていた。
「尊師ピタゴラスについて、少し詳しく語り聞かせましょうか……」
ピタゴラスは、約二百年ほど前に、イオニア海最大の島サモス島で生を得た。
サモス島は、ギリシア神話の主神ゼウスの正妻で、最高位の女神ヘラが誕生したとされる島である。ヘラは、結婚・育児・主婦の女神なのだが、一夫一妻制を重視していた古きギリシアでは、その嫉妬深い性格ゆえに、夫ゼウスの浮気相手や、その子供に厳罰を下し、数多の悲劇を引き起こしていた。
ゼウスとヘラの間には、炎と鍛冶の神ヘファイストス、軍神アレス、出産と産婦の女神エイレイテュイア、青春の女神ヘベが生まれた。ヘルメスはというと、ゼウスと、プレイアデスの一人マイアの子である。本来ならば、浮気相手の子であるヘルメスは、ヘラの憎悪の対象になって然るべきなのだが、ヘルメスは、アレスと入れ替わってヘラの母乳を飲んで育ったため、ヘラは、妾腹の子であるにもかかわらずヘルメスに情が移ってしまい、その結果、ヘラはヘルメスを我が子同然に可愛がったという。そのため、ヘラを信仰するサモス人にも、叡智と魔術の神であるヘルメスを信仰することが許されていたのだった。
十八歳になったピタゴラスは、サモス島を出て、島から然程遠くない、小アジア南西部に位置しているギリシアの都市国家ミレトスに渡った。
ミレトスは、その地理的条件から、エジプト、ギリシア、そしてオリエントが交差する交通の要衝として交易で栄えた都市であった。そして、この都市に集まるのは東西の品物だけではなく、西はエジプト、東はバビロニアから、数学や自然科学という学問、そして様々な思想もまた輸入され、こうした文化的土壌が<自然哲学>と学者タレスを生んだのだった。タレスは、万物の始原(アルケー)は一つだという一元論を唱え、彼はアルケーを<水>だと考えていた。
イオニア地域随一の学者で、のちに<ギリシア七賢人>の一人にも数え上げられることになるタレスは、サモス島から渡ってきた若者、ピタゴラスの才能に惚れ込み、こう指導したそうである。
「エジプトにお渡りなさい。そして特にメンフィスとテーベの神官に師事なさい。実を言うと、私もかの方々から知識を授かったのです」
タレスは、エジプトで学んだ比率を用いてピラミッドの影からギザのピラミッドの高さを測定したそうである。
さらに言うと、タレスはバビロニアにも留学しており、そこで学んだ天文学によって日食を予言したとも伝えられている。
その賢人タレスから、ピタゴラスは数学や自然科学、さらに自然哲学をも学んだのであった。
ミレトスにて学問を修得したピタゴラスは、フェニキアの名家の出であるタレスの紹介でフェニキアの都市シドンに向かった。そもそも、フェニキアの西には海を挟んでエジプトが位置しており、シドンからならば、タレスの提案したエジプト渡航も容易だと考えたからである。
フェニキアは海上交易で繁栄し、その商業的影響力は地中海全域に及び、学問もエジプトやバビロニアの影響の下に発達していた。ピタゴラスは、そのフェニキアで算術、代数、比率、そしてさらに航海術を学んだのだった。
フェニキアで学問を修めた後、師タレスの指示に従って、ピタゴラスはエジプトに渡らんと欲した。
ピタゴラスは、彼の出身地であるサモス島で当時権勢を揮っていたポリュクラテスが、時のエジプトのファラオであるアマシス二世と同盟していたことを縁故に、ファラオへの紹介状を書いてもらうと、フェニキアから海路にてエジプトに向かったのだった。
エジプトの港に降り立ったピタゴラスは、ファラオの紹介状を片手に、先ずナイル川の下流域に位置している<イウヌ>の太陽神殿に向かった。
イウヌは、ギリシアでは<ヘリオポリス>と呼ばれている町で、ピタゴラスが上陸した港町から徒歩でおよそ一週間の距離、いわゆるいわゆる<下エジプト>に位置し、太陽神殿は、ナイル川を挟んでギザのピラミッドとは反対側の北東方面にあった。
まず、ピタゴラスは、イウヌの太陽神殿で学術指南を受けようとしたのだ。
しかし――
「せっかくギリシアからエジプトまでいらしたのです。我々よりも優れたメンフィスの神官に教えを願う方がよろしいかと思われます……」
こういった理由で、イウヌでの留学はすげなく断られてしまった。実を言えば、これは完全な言い訳で、イウヌの太陽神殿は、これまでエジプト人以外の人間を受け入れたことがなく、その排他性がピタゴラスの受け入れ拒否の最たる理由であった。
紹介されたメンフィスの神殿は、イウヌから徒歩で一日の距離に位置しているのだが、ピタゴラスは、メンフィスの神官にも、イウヌと同じ口実で断られてしまった。
そこでピタゴラスは、メンフィスから徒歩で四日の距離にあるテーベに向かった。テーベの神官も、イウヌやメンフィス同様に外国人の受け入れには消極的だったのだが、ピタゴラスがファラオからの紹介状を持っていたために無下に断ることは躊躇われた。
「神官長、私に良い考えがあります。試練です。大きな試練を課すのです。ここで学ぶためにはそれを乗り越える必要があるということにするのです。どうせ、あいつは微温湯で育ったギリシア人です。ちょっと厳しくすれば直ぐに音を上げて逃げ出しますよ」
しかしピタゴラスは、エジプト人の誰一人として成し遂げられないであろう、大試練をやり遂げた。その結果、エジプト人神官達のピタゴラスを見る目が変わった。かくして、テーベ神殿での信頼を勝ち得たピタゴラスは、一度はあしらわれたメンフィスでもイウヌの神殿においても研究が許可された。
ピタゴラスが最初に着手した研究は、実用面に特化した<エジプト数学>である。
ナイル川流域で興ったエジプトの王朝では、灌漑や開拓、あるいは土地の境界を決定するために<測量術>が発達していた。
また、ナイル川は毎年同じ時期に氾濫するため、その正確な時期を知るために暦を作成する必要があり、<暦算天文学>が発達していた。
エジプト数学の<記数法>では、桁は十進法が用いられ、十の累乗数は七乗、すなわち一千万までは記数できたという。
エジプト数学における<算術>は、エジプトの経済活動、たとえば食料の分配、土地の分割、報酬の現物支給をする必要性から計算を多用するために発達していた。
エジプト数学における<幾何学>は、円の面積、半球の表面積、角錐台の体積を求める際に用いられ、特に角錐に関する公式はピラミッド建造に用いられた。
かくしてピタゴラスは、エジプト全土の神殿という神殿を渡り歩き、そしてさらに、専門家の一人一人からエジプト数学の精髄全てを教授され、それらを次々に己が知識としていった。
そして神殿遍歴の際にピタゴラスは、数学だけではなく、<神働術>すなわち<魔術>も伝授されたのだった。
魔術とは<言葉>によって事象に干渉する術のことである。それ故に、エジプト魔術の行使のためには、<聖刻文字(ヒエログリフ)>の習得が必要不可欠であった。
聖刻文字を学習できるのは限られた神官だけなのだが、ピタゴラスには特別に聖刻文字の学習が許された。しかし、たとえ許可されたとしても、聖刻文字を完璧に習得できる者はごく稀であった。
さらに、その中から選ばれた者にのみ、<神働・聖刻文字>が伝授されることになっていた。とは言えども、許されたからと言って必ずしも完璧に理解できるわけではない。不十分にしか身に付けることができない者がほとんどなのだ。しかし、エジプトでの十年間の研鑽の結果、ピタゴラスは<神働・聖刻文字>の全てを修得した。
かくして、ピタゴラスこそが<ヘルメス(魔術)>の称号を継承するに至ったのである。
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