第12話 アテナイの奴隷

 ギリシアのポリスには、大きく分けると三つの身分が存在していた。

 まずはポリスの<市民>である。<市民>とは通常、そのポリスに居住する十八歳以上の成人男子のことを指し示し、十七歳以下の男子は未だ<市民>ではなく、そもそも女性には市民権が与えられていなかった。

 そして、その<市民>の中にも身分の違いがあり、たとえばアテナイでは、財産、すなわち所有している土地から上がる穀物の収穫高に応じて四つの階級に分けられていた。

 第一級は、五百メディムノス(現在の度量衡で一メディムノスは約四リットル)を産出する土地持ちで、「五百メディムノス級」と呼ばれていた。

 第二級が、五百から三百メディムノスの土地持ちで、馬を養い戦時には騎馬で参加するので「騎士級」と呼ばれていた。

 第三級が、三百から二百メディムノスの土地持ちで「農民級」と呼ばれていた。

 第四級が、二百メディムノス以下の土地持ちの小農や手工業者で「労働者級」と呼ばれていた。

 ポリスの執政官になれるのは第一級および第二級に分類される<市民>で、これが貴族、対して第三級と第四級は平民とされ、その間には確固たる身分的格差が存在していたのである。

 しかしペルシア戦争で、平民が重装歩兵として活躍し、勝利に貢献すると、貴族と平民の間に横渡っていた身分の溝が多少は埋まり、ある意味では、アテナイでは<平等>な<市民>社会が実現したのであった。ペリクレスの時代には、アテナイの市民権利法が制定され、両親ともにアテナイ人であることが<市民>たることの条件とされたのだった。

 ポリスには、<市民>に対して<在留外国人(メトイコイ)>という身分もあった。

 メトイコイもギリシア人である事に違いはないのだが、他のポリスの出身者であり、自由民ではあるものの市民権はなく、また参政権も認められなかった。アテナイでは一ヶ月以上滞在した外国人はメトイコイとして登録され、所定の税金を払えば、法的保護を受けてポリスに在留可能だった。しかし、メトイコイはポリスでの<土地の所有>は認められなかった。そのポリスの<市民>たるためには土地を持つことが絶対条件だったので、メトイコイは、商業や手工業あるいは日雇労働、場合によっては、芸術や学問に従事する者が必然的に多かった。

 そして<奴隷>である。奴隷は、戦争での捕虜や、商品として外地から輸入された者、あるいは、借金の返却ができずに奴隷になる者もいた。

 アテナイをはじめ、数多くのポリスには<家内奴隷>と<生産奴隷>の二種類の奴隷がいた。

 <生産奴隷>とは生産活動に従事する奴隷で、その中には、働いて得た収益の一定額を主人である<市民>に収める者や、奴隷頭が管理する仕事場(エルガステーリオン)で集団で働いて労働力を提供する者もいた。たとえばアテナイのラウレイオン銀山では、一千人もの奴隷が銀山というエルガステーリオンで採掘労働に従事していた。

 そして、ペルシア戦争での勝利の結果、非ギリシア系の奴隷が大量にアテナイに輸入され、アテナイでの市民の生活に奴隷は不可欠な存在になった。このように<市民>の家庭内での労働などに従事する奴隷が<家内奴隷>であり、平均的なアテナイ市民は、二から三名の<家内奴隷>を所有するのが普通であった。<家内奴隷>は奴隷的身分から解放され<解放奴隷>になれる場合もあった。そうした<解放奴隷>はメトイコイと同じ扱いになり、自由は手に入るもののポリスの市民権は認められなかった。

 こういった状況下、アテナイ人の多くは奴隷について次のように考えるようになっていた。

 ポリス<市民>こそが完全な人間であり、奴隷は支配されるように生まれついている不完全な人間である。それ故に、<市民>が奴隷を所有することは当然の権利であり、奴隷を獲得するために行う戦争は、いわば狩猟と同じ自然な行為なのだ、と。

 アテナイの貴族出身であるプラトンの家は、通常の<市民>よりも数多くの<家内奴隷>を所有していた。奴隷を虐待するような趣味は持ち合わせてはいなかったのだが、哲学者たる知識人のプラトンにおいてさえ、奴隷に対する認識は、通常のアテナイ市民一般と然したる違いはなかったのである。

 そのアテナイの名門の出であるプラトンが、キュテーラ島で奴隷として贖われ、船でエジプトに運ばれているのだ。


 アテナイにおいて、奴隷は支配されて当然の人間と考えられていた。ということは、このプラトンは不完全なのだろうか? そもそも、である。海の民であるアテナイ人の自分が、間抜けなことに、陸の民であるスパルタ人に船上で捕まったのだ。その自分が完全たり得るはずはない……。

 プラトンは自虐的になっていた。対話相手も居らず独り座っているのがいけないのかもしれない。プラトンは立ち上がると部屋の中を少し歩き回ってみることにした。

 壁際には書棚が置かれており、そこにはヘロドトスの『歴史』が置かれていた。


 「歴史の父」と称されているヘロドトスは、百年ほど前に小アジア南西部のカリア地方に位置しているハリカルナッソスで生まれた。二十代の頃、故国での政争に巻き込まれたヘロドトスは、イオニア海のサモス島に亡命し、後にアテナイに移り住んだ。そのアテナイの在留期間中に、当時のアテナイの支配者であったペリクレスが、ギリシア各地から移民を集め、幾つかの植民都市を南イタリアに建築した。こうした南イタリアのギリシア植民地を<マグナ・グラエキア>と言う。イタリアの植民都市トゥリオイもその一つで、アテナイではメトイコイであったヘロドトスは、この植民都市に移り住むことにした。このトゥリオイ在住の時代に、ヘロドトスはエジプトとバビロニアを旅し、この旅行で得た知見をまとめたのが『歴史』で、ヘロドトスは、四十年ほど前、プラトンが誕生した頃にアテナイでその生を終えたのだった。

 幼い頃にプラトンは、ヘロトドスの『歴史』を教科書に、家庭教師から歴史の講義を受けていた。その家庭教師はヘロドトスに会ったことがあると自慢しながら、エジプトについてプラトンに語ったものである。

 エジプトのギザの台地には巨大建造物ピラミッドが聳え立っていて、それは、二千年前に二十年かけて十万人の労働力を駆使して建造されたという。その建造に従事したのが<奴隷>であった。

 幼少期にこの事実を知ったプラトンは、ある種の恐怖を覚えた。家には何人もの<家内奴隷>が働いている。しかも、ギリシアの奴隷は、場合によっては<解放奴隷>になれる。それに対して、建造現場の監督官に鞭で叩かれながら巨石を引きずるエジプトの奴隷は過酷な労働を強いられている。

 幼年時代のプラトンの脳裏には、ピラミッドの前で鞭打たれる奴隷の情景がこびりつき、それを何度も夢で見た。時には大地に倒れ伏した奴隷の顔が自分の顔で、悲鳴をあげて目を覚ましたことさえあった。

 そして今、奴隷として贖われた自分はエジプトに向かっている……。プラトンには、幼き日に見た悪夢が正夢になるように思えてならなかった。

 思考はどんどん沈下してゆく。

 その時、暗き思考の連鎖を断ち切るかのように、部屋の扉を叩く音がプラトンの耳に届いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る