第4章 シケリア島のピタゴラス教団

第7話 シケリア島の僭主ディオニュシオス

 ペロポネソス戦争というギリシアの内乱において、イオニア人のアテナイとドーリア人のスパルタの間で戦争が勃発すると、シケリア島においても、イオニア系の植民都市とドーリア系の植民都市間の抗争が激化した。アテナイは、ペロポネソス戦争の初期から、こうしたシケリア島での抗争に介入せんと画策しており、その計画の具現化がアテナイのシケリア遠征だったのである。

 シケリア島遠征の際に、島の南東部に位置するコリントス系の植民都市シュラクサイをアテナイ軍は包囲したのだが、アテナイ海軍は全滅させられてしまったのだった。

 かくしてシケリア島には一時的な平和が訪れたのだが、しかし、アテナイ撃退の四年後には早くも、シュラクサイはカルタゴとの戦争状態に突入してしまった。

 シケリア島の都市国家の中には、ギリシア系の都市国家のみならず、カルタゴ系の都市国家もまた点在しており、島の三分の一はカルタゴの勢力下にあった。

 このシケリア島の覇権を巡るカルタゴとの戦いにおいて勇名を馳せたのが、ギリシア人傭兵ディオニュシオスであった。このギリシア人傭兵は、カルタゴとの開戦の三年後には、対カルタゴ軍の最高司令官に選ばれさえしたのだ。


 ディオニュシオスが軍最高司令官に選出された直後のある日のことである。

 シュラクサイ軍最高司令官ディオニュシオスは、敵対ポリスが送り込んだ暗殺者の襲撃を受けた。敵の撃退には成功したものの、ディオニュシオスの護衛の何人かが重症、ディオニュシオス自身も傷を負ったとの報告がシュラクサイ政府にもたらされた。

 この軍最高司令官闇討ち事件の直後、ディオニュシオスからシュラクサイ政府に、敵の襲撃に備えるという名目で傭兵の増員を求める嘆願書が届いた。シュラクサイ政府は、個人が雇い入れる兵の数を法で制限していたのだが、ディオニュシオスの軍事的才能がカルタゴとの戦いに不可欠という事情もあって、特例措置として、六百人の傭兵を雇い入れることをディオニュシオスに認めた。その後、例外に例外が積み重ねられ、ディオニュシオスの私兵の数は増し続け、それが千名に達した時、ディオニュシオスは、とある計画を実行に移したのである。

 ディオニュシオスがシュラクサイの最高司令官に就任した翌年のある日のことであった。

 最高司令官は、カルタゴがシュラクサイ市内に突入し、議会を急襲した場合に備えた対処訓練を行うという名目で、市内各地の重要拠点に自身の傭兵を配置し、さらに、その私兵で議会を包囲しさえした。

 この日、最高司令官が軍事演習を行うことは、シュラクサイ全市民、当然、全議員にも通達されており、武器を携えたディオニュシオスの私兵が議会に突入してきた時にも、これに疑問を抱いた者は皆無だった。そして、議員全員が議会場の中央に集められ、真に迫った演習という大義名分で両手両足をきつく縛られ、猿轡まで噛まされたとしても、議員達の中には普段の生活では味わうことがない、仮初の危機的状況に楽しみを覚える者さえいた。

 そして議員全員の喉元に槍先が突きつけられた時、そこに軍最高司令官ディオニュシオスが姿を見せたのである。

「さて、シュラクサイの議員諸君、ここで決を取りたい。私ことディオニュシオスが終身統治者になることに反対の者は挙手してくれたまえ」

 両手両足、口までも緊縛状態の議員の中に反対意見を言う者はいなかった。

「民主政治を尊ぶ都市国家シュラクサイにおいて、ディオニュシオスは、民主的に最高権力者に選ばれたのだな、はははははははははははははははははははは」

 かくして高笑いとともに、最高の軍司令官にして、最悪の陰謀家でもある僭主ディオニュシオスのシュラクサイにおける独裁政治が始まったのである。

 後に、次のような噂がシュラクサイ中に広まった。

 ディオニュシオスの私兵増員の契機となった最高軍司令官の襲撃事件そのものがディオニュシオスによる虚偽の報告だったらしい、と。

 真相は分からない、しかしあり得る話だと、全シュラクサイは信じた。 

 さらに、猜疑心の塊である終身統治者は、シュラクサイ市内の隅々に間諜を放った。こういった諜者は「ディオニュシオスの目」と呼ばれ、ディオニュシオスに逆らう者を次々に逮捕し、男は死刑、その家族の女・子供は奴隷として売り飛ばし、僭主に逆らう者を次々と排除していった。

 このように恐怖政治を敷いた僭主ディオニュシオスが次に目指したのは、シケリア島の統一であった。

 ペロポネソス戦争でギリシアの盟主となったスパルタの援助もあり、ギリシア系の植民都市は次々とディオニュシオスの支配下に入っていった。しかしなお、シケリア島におけるカルタゴ勢力の駆逐には至っておらず、シケリア島統一のためのギリシア系の都市国家群とカルタゴとの間に、シケリア戦争が再び勃発したのだった。

 それは、ソクラテスの死から二年後、ディオニュシオスがシュラクサイにて政権を握ってから五年後のことであった。

 ——そして、それからさらに五年

 今や、シケリア島の大部分はシュラクサイの勢力下にあり、ディオニュシオスは、シュラクサイのみならず、シケリア島の僭主と呼んで差し支えない立場にあった。


 このように島が政情不安定な状況にあったため、プラトンはシケリア島に渡航できずにいた。しかし、ソクラテスの死から十年、ようやくシケリア島に渡航する機会が訪れた。

 タレスにいたプラトンの元に僭主ディオニュシオスから一通の書簡が届いたのだ。

 シケリア島の僭主は、確かに残虐な覇者だったのだが、己の周囲に教養ある人間を置きたがる側面があり、その中には、歴史家のピリストスや詩人のピロクセノスがいた。そして今回、ソクラテスの弟子として、幾つかの『対話篇』を書き、エーゲ海・地中海地域にその名を馳せ始めていた哲学者をシケリア島の首都シュラクサイに招聘せんとしたのだ。

 正直に言うと、プラトンは、シケリア島の覇者の知的嗜好を、暴君が自分を知的に見せようとしているだけの薄っぺらな虚飾に過ぎない、と思っていたのだが、ヘルメス・トリスメギストスに関する情報を得るために、僭主ディオニュシオスの誘いに応じることにしたのだった。

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