哀歓編19話 一緒に帰ろう



「少尉、おっそい!みんなもう出来上がってるからね!」


わだつみの暖簾をくぐるや否や、リリスが座敷席の畳をバンバン叩いて着座を急かして来る。煤ぼけた店内では旧式の換気扇が奮闘しているが、押し寄せる煙に抗しきれないでいた。大食いの大酒飲みで満席なんだから、多勢に無勢だよなぁ。


「……あ、あのぉ。剣狼の旦那、帝がお越しになるとは聞いてないんですが……」


吃驚するわな、そりゃ。リグリットに来た時は必ず顔を出してっから、オレは馴染みの客だが、ロイヤルの中のロイヤルが来店したとなれば、店主だって身構えるだろう。


「ちょっとしたサプライズさ。お姉さん、生中二つ。お通しにはうるかを頼む。」


姉さんをエスコートしながら座敷席に着座、腰の刀を壁に立て掛ける。


「カナタ君とこの店で飲んでいたのが、遠い昔に感じられるねえ。」


中佐をアスラ部隊にスカウトしたのも、ここだったな。ドジョウ髭の冴えない中年軍人は、ドジョウ鍋をつついている。鮎の干物で生計を立てていたヒムノン中佐は川魚を好んでいるらしい。ぎこちない笑顔を浮かべた店員さんがお通しとビールを配膳し、祝杯の準備は整った。


「さあ皆様、停戦を祝して乾杯致しましょう。」


店が頑張って探したのだろう。姉さんのビールジョッキだけは小奇麗な陶器だった。乾杯を済ませて心置きなく皆で痛飲する。


「ミコト様、私が焼き海老の皮を剥いて差し上げます。」


「ありがとう。侘助は気が利きますね。」


居酒屋デビューしたばっかの姉さんには介添人が必要だからなぁ。


「カナタ君、聞いたかい?」


カウンター席から座敷席の縁側に引っ越してきたギャバン少尉が主語を省いて話し掛けてきた。


「機構軍の話だろ。確か、"平和記念式典"とか銘打ったらしいね。」


「そうなんだ。てっきり勝った勝ったと強弁するかと思ってたんだけどね。」


「皇帝はそこまで短絡的じゃない。戦勝記念なんて言っても誰も信じないから、虚勢を張っても無意味だと判断しただけさ。デカい方の巻き毛はどうした?」


軍人としては凡庸だが、政治家としては優秀な男なんだよな。臣民を白けさせるぐらいなら、敗北の責任をネヴィルに押し付けた方が得策だと冷静に判断した。死んだ国王に代わって主戦場での敗北を謝する羽目になったマッキンタイアもお気の毒に。下げたくない頭を下げた見返りが名ばかりの宰相じゃあ、割に合わない。まあ、敗北の弁を述べながら自己弁護に努めた侯爵様は、自分が傀儡にされると思っちゃいないだろうがな。


「隣の店で筋肉防御隊と一緒に飲んでるよ。下町育ちのピエールは、わかりやすい味が好きだからね。」


舌バカと言わないあたりが兄弟愛だな。筋肉ムッキムキのマッチョなのに甘い物好きな"強堅"ピエールは、脂の甘味が合ってそうだ。


「アタイが来たぞ!道を空けな!」 「ここも盛り上がっているようだな。」


師匠を伴ったマリカさんは、店内にひしめくゴロツキどもの尻を蹴飛ばしながら、座敷席までやって来る。クリスタルウィドウと凛誠は、他の区画で飲んでた筈なんだがなぁ。


「俺の席も用意してもらおうか。」


はだけた胸元から包帯を覗かせた職人兵士まで現れて、座敷席に陣取る。


「ケリー、入院中じゃなかったのか?」


おおかた脱走して来たんだろうけど。


「答えがわかってるのに訊くのは野暮だぞ。マリアンが教えてくれたんだが、バルバネスとブラックジャッカルは大人しく出頭したらしい。隠滅工作は無事終わったって事だろうな。」


磁力の鞭で酒棚の焼酎を巻き取ったケリーは、徳利を傾けグビグビ飲る。乳製品に合う銘柄をチョイスするあたり、抜け目がないな。ポッケの膨らみは、ヨーグルト飲料だろう。


「そうか。……アマラは?」


「行方をくらました。オリガとアマラが逃亡中ってのは、気に入らんな。」


黙って話を聞いていたシグレさんが会話に加わる。


「アマラはナユタとコンビを組まなければ、さほど怖くはない。ナユタは煉獄と一緒なのだろう?」


「その筈なんだが、オネンネする前に確認はしておかんとな。」


案の定、テーブルの下で隠し持っていたヨーグルトを徳利に注ぐケリー。ヨーグルトリキュールが好物なのを隠す必要もないだろうに。


「パーチの旦那から、アタイらは最後に回すと言われてる。確認は任せときな。」


パーチ会長は講和条約の締結日まで、火隠の里に潜伏する予定だ。警護役のマリカさんやクリスタルウィドウが冷凍睡眠に入るのは当然、最後の最後になる。


「隊長、難しい話は明日にして今夜は楽しく飲みましょう。ささ、ご一献。」


シオンがオレにお猪口を握らせ、お銚子の酒を注ごうとしたが、リリスが念真髪を腕に巻き付けて阻止する。


「それは私の役目でしょ!ドサクサに紛れて抜け駆けしないでよ!」


「待て、ここは師匠の私が注いでやろう。」 「アタイの酒が飲めないとは言わないよねえ?」 「カナタさんは私の家族。姉である私が優先に決まっています。」


目で牽制するだけでは収まらず、お銚子の奪い合いを始める女ども。宴の席で喧嘩しないでもらいたい。とりあえずだ、こっそりビールジョッキに手を伸ばそうとしてるナツメ(19歳)をなんとかしないとな。サイコキネシスでジョッキを奪ってナイスキャッチだ。


「ぶー!カナタのケチ!」


「もう少しで二十歳なんだから我慢しなさい。オレは手酌でやりますから、お構いなく。」


入れ替わり立ち替わり座敷席を訪れる仲間たちと、なんだかんだ、わいのわいの言いながら酒を酌み交わす。


「……思ったよりも小奇麗な店だな。いささか壁紙が煤けているが、炉端焼屋なら致し方あるまい。」


「イスカ、来てくれたのか。」


「おまえが呼んだのだろう。店主、生大を一つ。大急ぎで頼む。」


「ボスの顔を立ててアタイが席を譲ってやンよ。」


オレの隣に座ったイスカは、泡が溢れそうなビールジョッキを手にして微笑んだ。


「フフッ、酒屋が特需に湧いているだろうな。カナタ、いつガーデンに戻る予定だ?」


「三日後だ。部隊は先にガーデンに帰すつもりだが。」


照京に凱旋するのは、冷凍睡眠が終わってからになりそうだな。オレは兵器指定の第一号、そんなに時間は残されていない筈だ。


「そうか。私もおまえと一緒に薔薇園に帰ろう。」


「いいのか? イスカは首都でやる事が山積みだろ。」


「十二神将やゴロツキどもと薔薇園で勝利を祝いたい。おまえを見送ってから、首都へとんぼ返りするさ。」


見送り、か。兵器指定の期日が決まったって事だな。


「オレが眠ってからも、乱痴気騒ぎは続きそうだな。」


「四半世紀にも及んだ戦争がようやく終わったのだ。お祭り好きのガーデンマフィアでなくても羽目を外したくもなるさ。……カナタ、今まで良く戦ってくれた。おまえがいなければ、この戦争は終わらなかっただろう。」


「そんな事はないさ。イスカがいてくれたから、オレは戦えたんだ。」


孤立無援だったオレを研究所から連れ出して、戦争と政争の何たるかを教えてくれたのはイスカだ。


「世辞が上手くなったなと言いたいところだが、本気でそう思っている。だから皆がおまえを慕うのだろう。」


「オレはそんな大層な…っと。もう言わないと決めたんだった。……イスカ、一緒にガーデンへ帰ろう。」


「ああ。一緒に帰るぞ。」


卓下でそっと手を重ねられてドキリとする。ひんやりと心地良いけど、暖かさを感じる手だな……


「いい雰囲気を邪魔して悪いけどね。おいイスカ、カナタにちょっかいかけようなんて考えちゃいないだろうな?」


ちょっかいというか、からかいなら昨晩、かけられましたけどね……


「マリカのモノだと決まった訳でもなかろう。どうだ、カナタ。私ならおまえを一生養ってやれるぞ。面倒な事は全部私に任せて、居間でビールでも飲んでいればいい。悪い話ではないと思うが、考えてみないか?」


このアマ、空気が読めてるクセに面白半分で火種をブチ込んできやがって!逃げようとしたオレは速攻で取り抑えられ、女どもにガン詰めされる。



こうやってブラフをかけて、昨晩の写真に重みを持たせようってんだな。本当に悪い女だぜ、まったく!

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