哀歓編15話 同じ未来を……



ダックスリムから降りたオレとイスカをホテルの従業員が総出でお出迎え、コックスーツのシェフまで軍隊式に敬礼する。


専用エレベーターで屋上のペントハウスに向かうと、リビングのテーブルには年代物のワインと豪勢な料理が並んでいた。


「シェフも給仕係もいないぞ。重要会談だから、二人だけで話したい。」


イスカが壁掛け時計を外すと、隠し巣箱の中から数十機の蜂型インセクターが飛び出し、ペントハウス内の盗聴器をチェックし始めた。


「シャングリラホテルの従業員は、全員子飼いの部下だろ。用心深い事だな。」


スライスサラミの上にチーズを載っけて味見してみる。味は文句なしだが、お値段もスゴそうだな。


「工作員には変装の名人がいる。身内だとて安心は出来ん。思想調査も完璧ではないし、家族を人質に取られているかもしれん。私の半生は裏切りで彩られているからな。」


アスラ元帥が亡くなった途端に手の平を返した者もいれば、去って行った者もいた。今は牢獄にいる前神楼総督がいい例だな。御堂イスカの出発点は、"人間不信"なのだろう……


「朝市が活況を呈するのは、人々が求める品があるからだ。日が落ち、品薄になった市場を後にする者を責めてはならない。人々は市場に対して好悪があるのではなく、求める品物があるかないかを気にしているだけだ。」


春秋戦国時代の食客、馮驩ふうかんの言葉を借りて、権力者は寛容であるべしと説いてみた。眩い陽光の下で人は働き、日没が迫って陰りを見せれば家路につく。権力も同じだ。


「察するに、それも地球の賢人の言葉だな。二つの世界を知る長広舌の忠告に従って、能力本位で登用しよう。……よし、オールクリアだ。」


ハンディコムに送られてきた情報を見て、ようやくイスカは警戒を解いた。


「私はワインを飲るが、おまえはビールか?」


イスカは卓上型ワインセラーから赤ワインを取り出し、オレはアイスバケツの中でキンキンに冷やされてる小瓶のビールを手に取った。


「無頼に小洒落たワインなんぞ似合わないからな。」


重厚なチーク材のラウンドテーブルに差し向かいで置かれた豪華な革張りの肘掛け椅子に座り、祝杯を挙げる。


「仮にも王族の言う台詞ではないぞ、公爵様。同盟軍副司令官として私を支える気はないか?」


「引退するって言っただろ。なあイスカ、連邦出身者がナンバー1、2を占めれば波風が立つ。副司令官はアレックス准将を昇格させるべきだ。災害閣下の後継者で、主戦場で勝利した烈震アレックスを同盟軍大将に昇進させても強引人事の誹りは受けない。」


日本の政権与党の総裁が、出身派閥から幹事長を選ばなかった理由が身に染みてわかったぜ。選ばなかったんじゃない、選べなかったんだ。外野は"派閥均衡人事"なんて批判するが、最高権力者がシンパで新体制を構築すれば、必ず齟齬が生じる。


「フフッ、確かにな。南部方面軍を尉官が率いた前例に比べれば可愛いものだ。アレックス大将が副司令官となれば、参謀長はツレのテムルあたりか。」


「いい人選だ。テムル総督はアレックス准将の親友だが、軍閥的には連邦派と目されている。しかもカプラン元帥の娘と婚約してるから、フラム閥も納得するだろう。」


トップが連邦派、ナンバー2がルシア閥、ナンバー3がフラム閥でバランスがいい。


「連邦派ではなく、帝派だ。そんな垣根を取り払うのが私の仕事だがな。自由都市同盟軍総司令官・御堂イスカ元帥、副司令官・アレクサンドルヴィチ・ザラゾフ大将、参謀長テムル・カン・ジャダラン中将、若返りを図る為にも、この体制でいこう。」


「いや、幕僚長を新設して…」


「クライド・ヒンクリーを任命する。叩き上げで非貴族の古参兵がお目付役か。オフィスワークには向かない男だがな。」


「実務はお察しだが、いるだけで意味がある。新進気鋭の若手で固めりゃ改革出来るってもんじゃないだろ。カプラン元帥と兎我元帥が引退すれば、アスラ元帥と共に戦った将官は彼だけになる。」


継承の正統性を担保し、爵位を持たない兵士達の支持も得られる。本人は嫌がるだろうけど、受けてもらうしかない。


「そうだな。軍政を数年やった後、民政に移行するのが私のプランだ。直接選挙にするか間接選挙にするかは思案中だが……」


「世襲総督の問題があるからな。総督とは別に評議員を選挙で選出し、都市総督と評議員の投票で同盟政府のトップを選ぶ方式にすべきだろう。同盟政府は都市総督の上院と評議員の下院の二院制だ。上院は非公選の終身任期制にすれば、専制君主的な統治を行っている都市総督達も妥協してくれるだろう。照京や神難みたいに先進的な都市国家は、既に議会に統治を委ねているから賛成に回る。」


中世イングランドの貴族院と庶民院に近いかな。今は世襲制と公選制を軟着陸させる道筋をつける時期だ。


「なるほど。それも地球から持ち込んだ知恵だな。機が熟すれば、世襲制の上院を公選制の下院に劣後するように法改正しろと。」


「そういう事だ、初代大統領。困難な道のりだが、イスカならやれる。」


「自由都市同盟大統領、御堂イスカか。フフッ、悪くないな。おっと、そろそろ夜のニュースの時間か。」


悪い顔で初代大統領最有力候補は煙草を咥え、火を点けながら立体テレビのリモコンを手にした。


「世界最強の男、天掛カナタ特務少尉の輝かしい軌跡は、数々の奇跡によって彩られています!連邦軍軍監として南部方面軍を率いて出撃した我らが龍弟公は、チャティスマガオ近郊で同盟を裏切った"自称貴公子"カイルと"氷狼"アギト、二人の完全適合者と激突!カイルを遁走させ、アギトを討ち取る大活躍を…」


立体化したアナウンサーは背後の映像を指差しながら興奮し、熱狂的にまくし立ててる。そういや戦闘映像の解禁は今夜からだったな。サッカー中継じゃないんだから、落ち着いて話せよ。


……本当に人が死んでる映像を公開しちまうなんて、やっぱこの世界は狂ってる。オレはサイコキネシスでリモコンを手元に引き寄せ、テレビを消した。


「ったく、連邦系の企業が番組のスポンサーなんだろうな。」


「今のは公営放送だ。実際、大活躍だろう。私は最後の最後で引き立て役にされてしまったな。」


「文句言うな、これから主役なんだから。精鋭兵はわかってる。イスカが南部戦線に赴いていても、同じ結果だった事ぐらいはな。」


最終戦役でイスカは勝利する事が出来なかった。だけど相手は万夫不当の死神だ。誰が対峙したって勝つのは難しい。ましてや、エースのマリカさんや安定感抜群のシグレさん、重火力で重タンクのアビー姐さんまでバルミット方面に応援に出してたんだから。それでも引き分けに持ち込めたのは、イスカの手腕があってこそだろう。


「……おまえなら死神に勝てていたか?」


「自信はないな。人外レベルなら災害閣下を超える怪物だ。虎は虎というだけで強い。ましてや叢雲トーマは神虎なんだ。」


「オレの前に立ち塞がる者は、神であろうが噛み砕く。おまえの得意台詞だろう?」


「ああ。だが彼は、オレの行く手を遮らない。」


それどころか、オレを手助けしてくれた。ローゼが無事だったのは、神虎が守ってくれたからだ。


「講和条約が提携されたら、奴には連邦に戻ってもらうとしよう。その気があれば、だが。」


実際に戦ったイスカは本気になった神虎の強さを誰よりも知っている。彼が機構軍に所属したままでは、軍事的野心を刺激される者が出て来ると警戒するのは当然だな。


「そうしてくれ。叢雲一族の名誉を回復し、姉さんと再会させたい。」


……短命と引き替えの絶大な力……彼にはどのくらいの時間が残されているのだろう?


都に戻ってくれればいいが、叢雲トーマはローゼの師のようなものだ。家人衆は御門家への恨みを忘れていないだろうし、ローゼが補佐を願えばシュガーポットに留まるかもしれない。でもそれじゃあ、姉さんが報われないんだ……


「ミコト姫と死神には何やら事情があるようだな。」


「睡眠明けに話すよ。それより増え過ぎた軍人をどう処遇するかは考えてるのか?」


命懸けで戦った兵士を失業させる訳にはいかないが、戦争が終わった以上、今の規模を維持する事も難しい。


「失業軍人が大量発生すれば内乱の火種になる。当面はヒャッハー狩りに従事してもらえばいい。狩り尽くした後が問題だな。」


「昨晩、バクスター伯爵と話したんだが、トレーダーズギルドの縮小に着手したとの事だ。」


「流石はギルドの元締めだ、目端が利く。戦争が終わったら、護衛産業は斜陽化を避けられん。軍人多過ぎ問題には腹案がある。退役を希望する者には新たな道を行く元手を、スリルを味わいたい者には新たな戦場を用意してやればいい。」


「退役希望者に金を弾むのはいいが、新たな戦場ってのは?」


イスカは壁に掛かった世界地図に向かってアイスピックを次々と投げ付けた。


「アトラス大陸とセムリカ大陸、それにオストリア大陸か!」


「そうだ。化外に大規模な調査団を出す。手付かずの鉱脈、未知の生物、中心領域から逃亡した犯罪者、平穏な生活に飽き足らない兵士達の冒険心を満足させてくれるだろう。」


内の戦争が終わったら外征、確かにそれなら食いっぱぐれる兵士は出ない。秀吉の唐入りも戦国時代に増えすぎた兵士をどうにか食わせる為だったって学説もあったっけな。


「アトラス大陸にはポートタウンを起点にそこそこ入植者がいるが、セムリカ大陸とオストリア大陸は未開のフロンティアだ。モスに探させてる"化外の聖域"を発見する為にも、人手は多い方がいい。調査隊から連絡はあったのか?」


「足手纏いになるから一人がいいと言い張るので調査隊は編制していない。"磁気嵐を越えて奥地に踏み込む"と伝言を寄越した後、連絡が途絶えた。化外にはペルペトアが手懐けていた地獄の番犬のような危険極まりない変異生物もいるだろう。無事ならいいのだが……」


いくらモスでも一人じゃ危険だ。功名心に逸るタイプには見えなかったが、無茶してねえだろうな……


「じゃあモスは戦争が終わった事をまだ知らないのか。」


「生きて情報を持ち帰る事を優先させる筈だ、吉報を待とう。追跡調査に出せる手練れは全員、兵器指定対象者だから、今だけは自力で切り抜けてもらうしかない。」


「まったく、単独で磁気嵐を突っ切るなんて、らしくねえ事しやがって……」


切り替えの早さには定評のあるイスカは、次の問題を提起してきた。


「私達も解決しなければならん問題が山積みだ。中立都市に課していた保護料は廃止されるが、新たな財源として包括貿易法を制定し、関税によって賄うつもりだ。もちろん、関税だけで損失を補填するのは不可能だが、これは同盟領の企業を保護しながら…」


「中立都市を自由都市同盟に加盟させる外圧でもある、と。貿易で損したくなきゃ同盟に加盟しろってか。」


「都市国家連合体としてのスケールメリットを活かすべきだろう? 自由都市同盟と世界統一機構、どちらとも商売出来ますって強味は失われた。講和条約締結後は、我々も機構領と直接貿易するからな。」


中立都市の中には、間接貿易で利ザヤを稼いでたトコも多いんだよね。こんな感じで諸問題を話し合ったが、話し合ったというよりイスカの戦後構想を聞いてただけな気がするな。


「……もうこんな時間か。イスカ、続きは明日…明日は戦没者慰霊式と戦勝記念パレードか。明後日にしよう。部屋は取ってくれてんだろ?」


そろそろ北部方面軍が軍港に到着した筈だ。行軍を速めてタムール方面軍と合流する事も出来たのに、わざわざ深夜に入港するのは、部下に惨めな思いをさせたくないと金翅鳥が配慮したのだろう。部屋に戻ったら彼と話しておこう。この分じゃ戦没者慰霊式と戦勝記念パレードまで辞退しかねない。


「私と同衾したいなら、考えてやらんでもない。」


魅力的な提案だが、女関係をこれ以上ややこしくするのはなぁ。


「御冗談を。バクラさんに殺される。」


格好つけながら立ち上がり、戸惑いを悟られないように背を向ける。


「フフッ、おまえに勝てる兵など私ぐらいだ。」


自信家からパスされたカードキーを背面キャッチして、ペントハウスの出口に向かう。


「おいカナタ、忘れ物だぞ。」


振り返ったオレの唇に柔らかい感触。おいおい、マジかよ!蕩けそうになった頭をシャッキリさせたのはシャッター音だった。


「……ふう。いい画が撮れたな。チッチあたりが喜びそうだ。」


このアマ、キスしながらハンディコムで自撮りしてやがった!


「ハンディコムを寄越せ!何考えてんだよ!」


掴みかかるオレを華麗なステップで躱すイスカ。やっぱ身のこなしがハンパねえ。


「これまでの労苦に感謝を込めて、ささやかな報酬を払っただけだろう。もちろん、私のちょっとしたお願いを断ったらマリカ達に見せる事になるがな。」


「お、ま、え、なぁ!!」


悪戯っぽく笑っていたイスカは真剣な顔になった。


「……カナタ、車の中で"私を信じろ"と言ったが……私もおまえを信じている。」


「……イスカ……」


「おまえだけだ。英雄の娘ではなく、強い兵士でもなく、一人の人間として私に向き合ってくれたのは。マリカやシグレ……それに叔父上ですら、私に遠慮があった。」


「イスカは皆の期待を一身に背負っていたからな。だけど気負わなくていいんだ。何もかも一人でやろうなんて思わなくていい。オレがいつでも力になる。」


イスカとオレはピタリと呼吸を合わせ、差し出した拳を突き合わせた。眼差しと心を合わせ、共に歩んで行く為の儀式。三年前、研究所で初めて会った時には、こんな未来が訪れるなんて想像もしなかった。



ここに来るまでには色々あった。意見を違え、何度も衝突した。……だけど今は、同じ未来を見ている。

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