哀歓編14話 心の溝を越える橋
オレがリグリットに戻ってから3日目の夕方、タムール方面軍とバーバチカグラード方面軍が帰投して来た。主戦場と第二戦場を戦った主力部隊の凱旋、夕焼けに照らされた大艦隊を一目見ようと出征した兵士の家族と熱狂冷めやらぬ市民が軍港に駆け付けている。
港の管制塔で船影を確認し、自然と頬が緩んだが、最後に帰投してくる部隊の事を考えて気が重くなる。
「隊長、司令達が帰って来たのに、どうして浮かない顔なんですか?」
シオンは覗いていた望遠鏡をナツメにパスして、不思議そうな顔をした。
「栄光の影に隠れる者の事を考えるとな。カーン師団とザネッティ師団の兵士達は、肩身の狭い帰還になるだろう。」
全戦域で唯一、惨敗を喫したのが北部方面軍だ。戦に負け、戦友を失い、傷付いた兵士達を見る市民の目は冷ややかだろう。
「カプラン元帥が全メディアに、"敗残兵"と報じないように要請されたらしいですが……」
「論客閣下は事実を糊塗するつもりはない。北部方面軍が敗北した事は公共放送でも民放でも報じられている。今はメディアも勝ち戦に浮かれているようだが、一段落すれば叩きに回るだろう。安全な場所から石を投げる輩はどこにでもいるからな。」
特にマスメディアにはそういうコメンテーターや評論家が多い。命令を無視して攻勢に打って出たカーンとザネッティが糾弾されるのは当然だが、現場の兵士に罪はない。広報のプロ、チッチ少尉に相談して、市民感情を和らげる手を打ってやらなければ。
撤退戦の指揮を執り、敗残兵をまとめて帰投してくる
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報道陣が向ける無数のカメラに向かって営業スマイルを浮かべたイスカが白蓮のタラップから降りて来る。敬礼するオレの首に手を回したイスカに抱き締められて、不覚にも面食らった。顔が赤くなってねえだろうな?
「お得意の奇襲かよ。カメラの前だぜ?」
苦笑しながら囁くと、イスカも小声で答えた。
「だからこそだ。メディアの中にはアスラ派と帝派の不和を喧伝したがっている者もいる。奴らは口を開けば、"政局よりも政策"なんて正論をほざくが、中身が伴っていない。」
「同感だな。メディアは政局が大好物だ。」
権力の監視が報道機関の使命だが、実際は権力闘争の動向に熱を上げる。全部が全部、そうだとは言わないが、良識あるメディアは極少数だ。権力の監視は、"事実を伝える責務"の延長線上にある。とはいえ、原理原則は視聴率や部数の前には弱いものだ。ま、この星のメディアは権力と癒着している。報道合戦は軍閥の代理戦争みたいなもんだ。まずは癒着の解消から始めるべきだろうな。
オレとイスカはカメラに笑顔を振り撒きながら並んで歩き、シャングリラホテルが迎えに寄越した黒塗りのダックスリムに乗り込んだ。後ろからついてきてたクランド大佐とマリーさんは他の車で別行動みたいだな。まあ、忙しいのは皆一緒だ。
「勝利の美酒を味わうとしようか。」
運転席と後部シートがスモーク防音ガラスで遮られると、イスカは備え付けの冷蔵庫からシャンパンを取り出し、グラスに並々と注いだ。
「ああ。同盟軍の勝利に乾杯。」
シャンパングラスを合わせて一気に飲み干す。
「やってくれたな、と言いたいところだが、あのタイミングでの停戦はおまえも想定外だった。そうだろう?」
イスカの問いに正直に答える。
「その通りだ。オレは降伏勧告に近いカタチで打診するつもりだった。」
「郊外戦を選択した事が剣狼の終戦プランを物語っている。崖っぷちの煉獄は短期決戦を狙うしかない。対して停戦派の死神は、決着を引き延ばそうとする。野戦で兵団を撃破した連邦は、野薔薇の姫を介して帝国に停戦を打診、追い詰められた皇帝は受諾するしかない。打算屋がトチ狂って停戦を拒否したとしても、死神は戦線を離脱するだろう。私が死神抜きの帝国軍に負ける訳はない。そういうシナリオだった。」
皇帝が降伏勧告に近い停戦協定を拒否すれば、イスカが望んだ通りの完全勝利に終わっていただろう。世界統一機構がなんとか面目を保てたのはローゼのお陰だ。アギトを撃破した直後に、"ローゼが駐留都市を離れた"との情報がもたらされたが、オレのプランを察して直に皇帝を説得する為だと思っていた。直談判には違いなかったが、まさかあの段階で停戦を容認させるとは恐れ入ったぜ。
「やはり戦争は計算通りにはいかないな。煉獄に唆された皇帝が総攻撃に打って出る事とは思わなかった。」
「皇帝は野薔薇の小娘の停戦案に望みを賭けていたが、煉獄から交渉に向かった使節団の暗殺を仄めかされた。で、もう目の前の戦いに勝つしかないと腹を括らされた訳だ。煉獄にとってはサイラスとヒンクリーが取引した事と、ミコト姫の機転が計算外だったな。」
イスカはオレと話す前から全体像を把握している。流石だな。
「ローゼはもう18だ、小娘呼ばわりはやめておけよ。今は過去の分析ではなく、未来への道筋を語るべき時だ。で、皇帝と何を話した?」
「フフッ、そう怖い顔をするな。呑ませた条件と呑んだ条件がある。」
「呑んだ条件を聞こう。」
「軽微な条件から話しておこうか。講和条約に調印する代表者だが、機構軍側はゴッドハルト・リングヴォルト元帥、同盟軍側はジョルジュ・カプラン元帥、兎我忠冬元帥、ルスラーノヴィチ・ザラゾフ元帥の代理人だ。」
災害閣下に代わって調印するのはアレクシス夫人かアレックス准将のどちらかだな。しかし1対3の調印式かよ。
「機構軍側にはまだ元帥がいるだろう。フー元帥とアムレアン元帥が登壇すれば、3対3でバランスも取れる。自由都市同盟を設立したアスラ元帥の娘がサインしない講和条約もおかしな話だ。」
「戦後の政敵になる私に脚光を浴びて欲しくないのだろう。皇帝得意の勿体付け戦略の一環だ。他の元帥とは格が違う事をアピールし、和平の手柄を独り占めしたいのさ。フーはともかく、アムレアンはお飾り元帥だし、調印どころか調印式への出席も認めないようだ。フーの出席を渋々認めたのは、除外された薔薇十字の不満を抑える為だろう。」
「機構軍の都合はわかったが、イスカは調印に加わるべきだ。」
「私も冷凍睡眠組だからな。時期は最後の最後になるだろうが、自分を除外には出来ない。アスラ部隊はもちろん、御堂師団には精鋭が多い。彼らが兵器指定を受けて眠りにつくのであれば、私も眠る。当然の事だ。」
生まれついての指導者でありながら、現場の目線を忘れない。それはイスカの美点なんだが……
「……講和が破られる可能性を考えているな?」
「……ないとは言えまい?」
「イスカ、自分が署名していない講和条約なら、反故になっても責任は薄いなんて考えるなよ? 講和条約が締結されたら、カプラン元帥と兎我元帥は引退するんだ。新元帥として同盟軍の頂点に立つ御堂イスカには、平和を維持する責任がある!」
冷静に話そうと努めたが、声が自然と荒ぶってしまう。イスカの危うさを垣間見てしまった気がしたからだ。
「こちらから仕掛けるつもりはない。だが機構軍を信用するのは危ういぞ。ゴッドハルトが帝位にいる間は特にだ。」
「ゴッドハルトはイスカの敵じゃない。向こうは張り合えるつもりでいるだろうがな。」
「高評価には礼を言っておこう。私は同盟憲章に基づいた政策を全加盟都市に推進させる。いきなり特権を全廃する事は難しいが、それでも同盟市民は今までにない自由と平等を謳歌するだろう。相も変わらず特権階級だけが幅を利かせる機構領、向こうの市民が同盟領を見て羨み、自由を求めて立ち上がったら、皇帝も他派閥の貴族も武力で弾圧するに違いない。そうなった時に見て見ぬ振りをするのか?」
「それは……」
あり得る可能性だけに、オレは言葉に詰まってしまった。
「同盟領が平和だったらそれでいいのか? 向こうの市民だって同じ人間なんだぞ!父の悲願は、"この星に緑を取り戻し、世界中の善良な市民が等しく平和を享受する事"だった!外交努力で悲劇が避けられるなんて甘えた事をほざくなよ!同盟政府が口先で"事態を憂慮"だの"真に遺憾"だの表明したところで、実際に弾圧される者には気休めにもならないんだ!」
「じゃあ武力介入すれば解決すんのか!また戦争になるぞ!それで泣くのは結局、一般市民だろうが!」
「そうならないように手を打った。おまえは呑んだ条件から聞きたがったが、先に呑ませた条件を話しておく。講和条約の中には"亡命に関する一般協定"が盛り込まれる。犯罪者が亡命を口実に国外逃亡を謀るケースがあるから無条件には出来ないが、制限はさほど多くない。」
「皇帝に"亡命の自由"を認めさせたのか!」
「無論、一方通行ではなく、自由都市同盟から世界統一機構に亡命も出来る。機構領で当局に目を付けられた政治犯を同盟領で保護し、
双方が織り込み済みの情報戦か。言論で戦うだけならまあいいさ。
「善政比べは向こうに分が悪いと思うがな。自由は実感するもので、刷り込まれるもんじゃない。」
「皇帝も自国に不利だとわかっていたようだが、そこは敗北寸前に追い込まれた側の辛いところでゴリ押しされれば拒否出来ない。他の機構領を半植民都市化して帝国だけでも安定させれば良いと考えたのだろう。マッキンタイアを傀儡宰相に据えた王国が最大の搾取対象だな。それなりの軍容を保っているのは帝国軍だけという強味がある。」
帰国したサイラスは、帝国からの搾取から逃れる為にも分離独立を志向し、シュガーポットに赴任したローゼは、祖国の植民化政策に歯止めをかけようとする。そんな図式になりそうだ。連邦は改革派の二人を外交的にアシストしなくてはならない。
「急場は凌げても、先細りするだけだ。搾取される都市の市民が同盟領に雪崩れ込むだろう。」
「もちろん自由を求めて同盟領に逃れて来た市民は、亡命者として手厚く保護する。体制の転覆を謀るよりも、既に自由が確立された都市に移住する方が早いし、ほとんどの市民は家族を危険に晒してまで武力革命に参加したくない筈だ。」
平和を維持しながら、自由を求める市民も見殺しにしない折衷案。イスカらしい現実的な解決策だ。同盟領に流入する市民が急増すれば世界統一機構も問題視するだろうが、特権にあぐらを掻いた門閥貴族が締め付けを強化すれば亡命希望者が増えるだけだ。
「同盟領を活性化させて、国力で圧倒すれば世界統一機構も選択を迫られる。同盟に倣って市民の権利を認めるか、路線を変えずにさらなる弱体化を招くかだ。」
「受け入れる側の我々も準備と覚悟が必要だがな。カナタは嫌がるだろうが、機構軍を刺激しない為にも移民政策は抑制する必要がある。それに移民の受け入れは雇用とワンセットだ。同盟市民の働き口を移民に奪われるようでは、仕事にあぶれた者の不満が鬱積し、市民と移民の間に対立が生まれる。」
「雇用が担保されない状態で無制限に受け入れられる訳がない。失業率が上がれば、犯罪発生率も上がる。最大の治安対策は失業者を出さない事だ。イスカ、亡命協定の見返りに何を与えた?」
亡命協定は世界統一機構にとって、なんとしても避けたい案件だった。渋々ながらも呑んだという事は、それなりの見返りがあったからだ。
「連邦による帝国の体制保障だ。ローゼ姫と親密な帝と龍弟公が体制転覆を謀らないかと心配でしょうがないらしい。」
「皇帝が何を恐れているか読めたから、弱味に付け込んでゴリ押しした、だろ。」
やっぱり皇帝は保身を第一に考えたか。オレも姉さんも体制転覆なんて狙っちゃいないのに、ありもしない幻影に踊らされた訳だ。
「もちろん、体制保障には条件を付けた。ローゼ姫と薔薇十字を帝国中枢から遠ざける事は容認するが、危害が加えられた場合は御門家も八熾家も抑え切れない、とな。」
現体制の存続を保障するのは仕方ないにしても、薔薇十字の排除まで容認しちまったか。だが、亡命協定によって無駄な流血を避けられる。集団亡命の前例を作っておけば、最悪の場合、ローゼと薔薇十字の政治亡命に踏み切ればいいんだしな。それより問題なのは…
「どうやって皇帝を信用させたんだ? イスカが連邦をハンドリング出来る証明を求められた筈だ。」
「怒るなよ?……おまえだけではなく、ミコト姫にも兵器指定を受諾させると約束した。当然ながら早い段階で、だ。」
「……なるほど。講和条約の条件交渉からオレと姉さんを外すには、それが手っ取り早い。」
「戦後の連邦はアスラ派がイニシアチブを取る、そういう素振りを見せてやったから、皇帝はアスラ派と帝国に有利な条件で講和条約がまとまると思っただろう。だが、私はそんな事をする気はない。おまえとミコト姫が冷凍睡眠に入ったら、即座に亡命協定を締結条件に組み入れる事に同意させ、合意書にサインさせる。その後はアスラ派も帝派もない。私は派閥や連邦の枠に囚われずに、同盟全体の利益を考えて交渉を行う。もちろんカプラン元帥と協調しながらな。」
御堂イスカは講和条約の締結後に同盟の最高指導者に就任する。出身派閥や龍ノ島だけの利益を追求する者に、自由都市同盟を導く事は出来ない。イスカは皇帝に"この女は自分の同類だ"と思わせて、亡命協定に同意させた。亡命してきた有力者を起爆剤にして、世界統一機構を同盟化させるか、同盟に帰順させるつもりだ。内心ではローゼと薔薇十字の亡命を最も期待しているだろう。
「ミコト姫が権威として君臨し、私が権力を掌握する。権威と権力の分割統治は、おまえが語った構想だ。……カナタ、私を信じろ。良き指導者として世界を導いてみせる!」
「……わかった。オレは御堂イスカを信じる。姉さんと雲水代表はオレが説得しよう。」
姉さんは、オレや精鋭連邦兵が眠るなら国家元首の私もって考えだから問題ない。だが、雲水代表は猛反対するだろう。
「頼むぞ。話がまとまったら私は御鏡雲水のみならず元祖薔薇姫や尾長鶏といった帝派の要人と会談する。同盟を一つにまとめる為には、まず龍ノ島が一枚岩にならねばならん。帝派、ルシア閥、フラム閥、旧トガ閥の全てに顔が利くのはおまえだけだ。天に掛ける橋として、繋ぎ役を担ってもらうぞ。」
「イスカにゃ散々こき使われてきたが、これが最後のご奉公だぜ。橋渡しを済ませたら、オレは引退するからな。」
領地の事は教授に任せて、のんびり気ままに暮らしたい。何人の尻に敷かれるかはわからんがな。
……そっちの戦後交渉も一筋縄ではいかないだろうなぁ。上官尻と副官尻と天使尻と悪魔尻と皇女尻……師匠尻もなんとかならないかなぁ……
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