哀歓編12話 栄転に似せた左遷
実りのある会談を終えた後は不毛な会談だ。飯がマズくなるのはイヤなので、兎我元帥との会談は夕食会を兼ねていた。
「王弟殿下、夜分遅くに失礼します。」
竜胆ツバキが似鯉の小僧を伴って客間を訪ねて来たので、リリスに席を外してもらう。兎我元帥と一心先生には毒を吐かずにいい子にしていたが、ツバキとアラトにゃ容赦するまい。
「よく来たな。まあ座れ。似鯉の小僧も掛けていい。」
「殿下、お言葉ですが、自ら"似鯉"を名乗った訳ではありません。異名兵士名鑑に載るのは名誉な事ですが、戦史編纂室に改訂を申し出ています。私を異名で呼ぶのであれば、"錦鯉"とお呼び下さい。」
「臆病風に吹かれて魔獣から逃げた兵士には、似鯉でも勿体ないように思うがな。」
オレはお行儀悪くテーブルに腰掛け、ソファーに座った二人を冷ややかに見下ろした。
「逃げ出した訳ではありません。自分は幾人もの雄敵と渡り合い、深刻な手傷を負っていました。足手纏いになるぐらいなら、勇気を持って引く事も将たる者の務めでしょう。」
半個大隊の指揮を預かったぐらいで将を気取るな。お目出度いにも程があるぞ。
「雄敵と戦ったねえ。そういう事は、名のある兵士の首でも取ってから言え。」
新竜騎が受けた損害に倍する戦果を挙げた事は認めてやるが、雑魚狩りを得意満面に語ったらアスラじゃ物笑いだ。
「異名兵士ばかりが強者とは限りません!名だたる兵士でも最初は無名…」
本当に口賢しい小僧だ。オレは机の上のファイルを似鯉に向かって放り投げた。
「
「…ス、スタミナ切れを起こし…」
「アラト!もう黙っていなさい!王弟殿下、アラトがサモンジの命令に難色を示したのは事実ですが、撤退も許可されています。……明確に命令を無視したのは、ガラク殿ではありませんか?」
やはりオレがローゼと手を携えたのが気に入らないようだな。その目、かつて見た憎しみの炎が甦っている。で、案の定、アラトを庇う為にガラクを引き合いに出しやがったか。
「天羽ガラクは本日付で軍を不名誉除隊になった。八熾一族からも追放されて、八熾の庄どころか連邦領に足を踏み入れる事は許されない。」
「え!?」
「一族だからなあなあで済ませるとでも思っていたのか?」
オレが卓上の呼び鈴を鳴らすと鯉沼登竜と錦城一威が奥の間から現れた。この主従に多忙な要人二人が足を運ぶ価値があるとは思えんが、錦城大佐は竜胆を心配し、トウリュウはアラトに灸を据えたいらしい。
「殿下にお願いして、会話を聞かせてもらっていた。アラト、貴様は事もあろうに王弟殿下に向かって、見苦しい言い訳をいけしゃあしゃあと並べ立ておって!鯉沼一門の恥晒しめが!」
「…と、登竜様、私は事実を申し上げただけで…」
「黙れ!貴様も龍ノ島から追放してやろうか!」
激怒するトウリュウにツバキが反論する。
「鯉沼少将、鯉門家は竜胆家が預かっています。兄上との約束をお忘れではないでしょう?」
麒麟児に目で訴えながら、昇り竜の妹はさらに庇い立てを続けた。
「それに三足鴉は同盟軍の正規兵ですが、新竜騎は竜胆家の私兵。そうお定めになられたのは、他ならぬ王弟殿下です。なれば、いかに同盟少将といっても罰を与える事は出来ない筈です。そして三足鴉の長は飯酒盛サモンジ。直属の上官だけが、鯉門アラトを罰する事が出来る。」
新竜騎を私兵に留め置いたのは、正規軍に介入させない為だ。で、おまえはサモンジに懇願して、新竜騎を譴責及び謹慎処分で済ませようとしている。主君と軍律の板挟みになったサモンジも気の毒な事だな。
「……ツバキ、帝に選任された連邦軍軍監は連邦に所属するあらゆる兵士に賞罰を与える事が出来る。あらゆる兵士には当然、貴族の私兵も含まれるのだよ?」
錦城大佐が嘆息しながら理を説いたが、別に軍監に与えられた特権を使わずとも罰を与える事は出来る。
「王弟殿下の手を煩わせるまでもない。召集された貴族の私兵も連邦兵として扱われる。すなわち、連邦軍総司令官の私と副司令官の麒麟児殿は、連隊指揮官の下した処分が軽いと思えば再考を命じる事が出来る。再考に応じぬならば、サモンジを解任すれば済む話だ。改めて私が処分する。」
連邦軍総司令官に鯉沼登竜、副司令官に錦城一威、参謀長に士羽伊織、幕僚長に犬飼群太夫。そういう布陣で決戦に臨んだ。連邦軍首脳部は一枚岩だ。
「サモンジを解任するなんて!竜騎兵は最終戦役を最後まで戦い抜いたのです!連邦兵は皆、竜胆家臣団の戦功を知っている事でしょう!」
竜胆はサモンジも庇ったが、彼を苦しい立場に追いやっているのはおまえだろう。それに竜胆家臣団、ときたか。チャティスマガオ会戦終了後に新竜騎は首都に送還したが、竜騎兵と竜胆大隊はバルミット郊外戦にも従軍している。大隊を預けた麒麟児の指揮が冴えていた事もあって、それなりの戦果も挙げたようだ。
ま、兄には遠く及ばないが、"円剣"ツバキも腕の立つ異名兵士ではあるからな。だがどう考えても竜胆大隊、新竜騎、竜騎兵の三隊で戦果が突出しているのはサモンジ率いる竜騎兵だ。昇り竜が自ら鍛えた精鋭だけあって練度が高く、指揮官も優秀。寄せ集めの竜胆大隊や、照京動乱で戦死した竜騎兵の縁者が召集されただけの新竜騎とは、踏んだ場数も桁違いだからな。
「オレが兎我元帥にお願いして、開発中の出島に所領を頂いた。さほど広くはない街区だが、そこを新竜騎に与えよう。」
「ほ、本当ですか!我らに所領を!……場所は出島……ですか……」
渇望していた私有領をもらえると聞いてアラトは興奮したが、数瞬後に"島流し"でもある事に気付いて損得を天秤にかけ始める。
「出島の開発は始まったばかりだが、近い将来に大陸と龍ノ島を繋ぐ中継港として発展が約束されている。小さいとはいえ要地に所領を有する事は竜胆家の繁栄に寄与するだろう。但し、領地を与えるには二つの条件がある。一つ、新領の開発は当主の竜胆が直接指導する事。二つ、出資者の兎我元帥と出島総督の命令には絶対に逆らわない事だ。」
出島の開発は兎我忠冬が残りの人生を賭けた大プロジェクトだ。邪魔立てするなら容赦なく処す。
「……王弟殿下、新竜騎への処分は譴責と謹慎でよろしいのでしょうか? ガラク殿の処分に比すると公平とは言えませんが……」
そう思うなら、新竜騎も相応に処分すればいいだろう。いつ如何なる場合でも私情を優先してしまうのが、竜胆ツバキの最大の欠点だ。さっきまで"帝国の皇女と手を結ぶとは!"と猛っていた心中が、寵臣に温情を示された途端に揺らいでしまう。愛してやまない偉大な兄と、提灯持ちの佞臣を同列に扱っちまうあたり、やはり人の上に立つ器じゃないな。
兄を亡くした心の隙間に巧言令色のアラトが上手く潜り込んだってところか。八熾家と軋轢を起こした竜胆家からは他の貴族も距離を置き、祖父の謀叛が明るみに出てからは民心も離れつつある。サモンジは忠臣だが、忠臣だけに苦言を呈するし、無条件にツバキに味方するのはアラトと新竜騎だけだ。耳触りの良い事だけ言う者を依怙贔屓していれば、こうなるのも当然だな。
「出島で不始末を起こせば、先の一件も鑑みて連邦から追放する。新竜騎を束ねる竜胆家ごとだ。異存はあるまいな?」
不祥事を起こしそうなのでお受け出来ませんとは言えまい。温情は示した。断るなら厳罰もやむなしだ。浅慮な子爵様にはわかってないだろうが、これは連邦の要人、錦城一威を納得させる為の儀式なんだよ。
「有難く拝命させて頂きます。アラト、おまえは念願の領地を得たのです。私と供に新天地で奮起しましょう。」
「はい!ツバキ様の御為、我ら新竜騎は身を粉にして僻…新天地に大輪の
危うく"僻地"と言いそうになったな。出島総督がデンスケだと知ったら、どんな顔をするものやら。だが新総督を甘く見ない事だ。戦闘ならツバキやアラトが上かもしれんが、処世術と腹芸ならデンスケが格上。婿殿の後ろには才気の甦った義父が控えてるし、やらかしたら最後だぞ。さっきの会談で"生殺与奪を含め、竜胆家と新竜騎に対する処分を一任する"と一筆したためておいたからな。
「ツバキ、新竜騎だけではなく新たに召し抱えた竜胆大隊の事も考えてやれ。最後までおまえの下で戦い抜いた彼らをどう遇するつもりだ?」
見かねた錦城大佐が新参者の処遇を問い質した。戦功を挙げて失地を挽回しようと私財を投じて募兵したのは殊勝な事だが、戦が終わったら頭から抜け落ちるとか救いようがねえぞ。兵士は物じゃないんだからな。
「もちろん出島に連れて行きます。軽輩とはいえ、竜胆家の為に戦ってくれたのですから。」
軽輩ねえ。錦城大佐が引き取った方が彼らの為になりそうだが……新竜騎にアゴで使われる未来しか見えない。
「短い間だったが、彼らと共に戦っておおよその
"指揮した"ではなく、"共に戦った"と気遣える麒麟児と、軽輩と断じてしまう当主様の器の差よ。見込みのある兵はサモンジに、金や地位が目当ての兵はアラトに預けようって腹だな。
オレも人の事は言えんが、竜胆ツバキは領主としての手腕もさほどではない。というか、昔は兄任せで今は家臣任せだ。昇り龍が発展させた伝来の領地は、短期間とはいえ領主に返り咲いた左近がいささか荒廃させちまったが、サモンジと竜騎兵に委任すれば元に戻して復興させるだろう。
「一威様に手伝って頂けるなら有難いです。……殿下、私は連邦特使と尚書令の御役目を返上したいと思うのですが、お許し願えますか?」
「構わないが、理由は?」
「新領の体制作りで多忙を極めます。世界各国を往き来する特使、数多の外交文書に目を通す尚書令の責務を全う出来るとは思えません。新領の発展に賭ける決意と受け取って頂ければ幸いです。」
さほど重要ではない表敬訪問と、各国から送られてくる祝電の確認をさせてるだけだがな。重要な仕事を任せる程、オレも雲水代表もおまえを信用しちゃいない。講和条約が締結されたら薔薇十字との関係は親密化する、今後はお飾りでも外交には関わらせない。
「わかった。姉さんにはオレから伝えておこう。下がっていい。」
「王弟殿下、まさかとは思いますが、帝国との国交樹立など考えて…」
アラトが言い終える前に鯉沼少将が平手打ちを見舞った。
「貴様如きが連邦の外交政策に口を挟むな!目障りだ、失せろ!」
「鯉沼少将、度重なる御無礼をお許し下さい。アラト、帰りましょう。」
没落しつつある子爵家が、照京軍のトップと同盟軍の将官を兼任する伯爵家に逆らうのは自殺行為。それぐらいはわかっているようだな。唇から流れる血を拭いながら、かつての主君を睨み付けたアラトは、顔色が冴えないツバキに制止されて渋々引き下がった。主従が退室した後も、トウリュウの憤慨は収まらない。
「殿下!あの小僧は厄災のタネですぞ!今からでも遅くはありません、国外追放を命じましょう!片や追放、片や新領の授与では、天羽曹長も納得しますまい!」
政治も軍事も先を読み、布石を打っておく事が大事だ。こうしておけば、竜胆も似鯉もガラクの帰参に文句は言えまい。問題は、先を見越した政治的配慮だとガラクが気付くかだが、小天狗のままでは無理だろう。
「不公平は承知の上で竜胆と新竜騎に立つ瀬を残してやった。これもガラクが乗り越えなければならない試練だ。誰かに比べて自分はと、いつも他人と比較する。小天狗の悪癖がそこに起因しているからには、忍耐を学ばせねばならん。」
自己顕示欲を捨てて、腐る事なく不公平に耐えてみせろ。一族と爺様、何よりも自分自身の為にな。
「そこまでお考えならば、これ以上は申し上げますまい。しかし竜胆も、自ら御役目返上を申し出るとはなかなか殊勝ですな。小僧と違って見込みがあるのやもしれませぬ。」
「そう思うか?」
「左内殿の遺恨がありますゆえ、竜胆家は連邦中枢から遠ざけなければならない。自分が置かれた立場を鑑み、新天地での飛躍に注力する。ようやく分別を弁えたのでは?」
「竜胆が自発的にそう考えたのであれば、その通りだな。」
オレが視線を向けると錦城大佐は瞑目し、苦しい胸の内を明かした。
「……カナタ君、わかってくれ。俺は左内の妹を破滅から救いたいだけなんだ。」
「破滅させようなんて思ってませんが、自滅を止める気もありませんよ。」
我ながら冷淡だが、あんな小僧に肩入れする女を救う気にはなれない。左内さんには申し訳ないが、自分で崖っぷちに向かって全力疾走してんだからな。
「なるほど、麒麟児殿がテレパス通信で入れ知恵した訳ですな。左内殿との友誼から義理立てした、と。」
返上しなければ解任される。だったら自発的に申し出て、心証を良くしておこう。そんな知恵が働くようなら、あんな小僧にゃ入れ込まない。
「……俺とて、薔薇十字と手を結ぶ事には抵抗がある。だが、左内との友情がどれだけ大切でも、月花様や神難の繁栄と
麒麟児の肩に手を置きながら、錦鯉も複雑な胸中を吐露した。
「……わかりますぞ。私も照京動乱に与した黄金と真銀の騎士団に思うところは正直ある。鯉沼一門からも犠牲者が出ましたからな。ですが、陛下と殿下がお決めになられた方針に従う事こそ臣下の道。」
オレは二人の苦悩を半分も理解出来ていない。オレにとっては喜ばしい結末でも、苦渋を呑み込んで未来に生きようとする仲間の方が多いんだ。その事を忘れてはいけない。
「すまない。どうしても憎しみの連鎖をここで断ち切りたいんだ。報復すれば報復される。その繰り返しで四半世紀も戦争が続いたんだから。」
「月花様も同じ事を仰っていた。憎悪は憎悪を呼び、流血がさらなる流血を招くのだと。カナタ君、ツバキの事は俺に任せてもらえないか?」
出島における生殺与奪の権利は兎我家が持っているが、あくまで脅しの材料だ。元帥もデンスケも処刑に踏み切ったりはしない。アラトは名門の末席に連なるだけの有象無象だから煮ようが焼こうが御随意にだが、ツバキは英雄の妹だ。新竜騎は投獄、ツバキは追放、これが現実的な落とし所だろう。
兎我家は厄介払いを代行して、恨みを買わずに連邦中枢に貸しを作ろうとする。照京政府としても、功臣の妹を追放したとなれば聞こえが悪いからな。これはギブ&テイクだ。
「わかりました。ですが安心して下さい。何があっても彼女の命を奪うような事はありませんから。但し、姉さんを裏切ったなら…」
麒麟児は情に厚い男だが、鋭い角も持っている。その背に乗せた乙女を守る為なら、
「当然だな。俺も月花様に仇なす者には容赦しない。カナタ君も薄々察しているようだから教えておくが…」
「竜胆と似鯉は恋仲って事でしょ。薄々どころか見え見えです。」
前から思っていたがあの二人、主従って雰囲気じゃなかったからな。まあ、竜胆も少しは賢くなってる。以前に帝国の手先と密会した事がバレた後は、尾行と盗聴には気を付けているようだからな。ここに来る時も公用車を使わず、自分でタクシーを呼んで運転手をホテルで待たせ、似鯉に運転させたらしい。ドレイクヒルホテルの従業員にはオレの息がかかってるから信用しないって訳だ。
用心深いのは結構だが、似鯉との会話を聞かれたくありませんって事だよなぁ?
麒麟児と錦鯉を見送った後、夜食を作ってくれたリリスに竜胆と似鯉の関係を教えると、"ゴキブリの交尾ね。似た者同士で盛ってればいいんじゃない?"と辛辣過ぎる感想が返ってきた。錦城大佐には悪いけど、手遅れな気がするよなぁ……
似鯉がやらかして竜胆も連座、爵位を剥奪する代わりに国外追放は赦免。サモンジに竜胆領と爵位を授与して、旧主の妹を保護させる。そんな結末になりそうだな。
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