哀歓編9話 射場家の新当代



目と鼻の先に迫ったリグリットの軍港には大勢の観衆が集い、帰投した艦隊に向かって手を振っていた。本来、軍港には一般人の立ち入りは禁止されているが、特別に許可されたのだろう。


「許可を出したのはカプラン元帥ですね?」


大破寸前の損傷を受けた同盟軍旗艦"ル・ガルー"は、バルミット要塞のドッグで修理中だ。なのでカプラン元帥御一行はソードフィッシュに同乗している。


「英雄の凱旋を見たいだろうと思ってね。さあ、一緒にデッキに上がろうか。」


戦勝パレードが予定されてるんだから、凱旋はそっちで良さそうなもんだけど。


「狙撃手がいても知りませんよ?」


「今さら私を暗殺したところで何になるのかね。皇帝にしてみれば、交渉相手は私の方が幾分マシだろう。」


カプラン元帥に万が一があれば、イスカが同盟軍総司令官に繰り上がる。いくら完全適合者は例外なく兵器指定の対象になるルールを定めていようが、当然、適用除外になるだろう。ないとわかり切っていても、用心するに越したことはない。


「シオンと第二中隊は先にデッキに上がって、狙撃手を警戒しろ。」


ダーはい。行くわよ、みんな。」


愛用の狙撃銃・カラリエーヴァ改を持ったシオンと狙撃チームが退出し、暫くして"クリア"とテレパス通信を送ってきた。


「リリスも一緒に来てくれ。デッキに上がったらオレとカプラン元帥を念真障壁でガードだ。」


オレの念真強度が低下している事を悟られたくない。やはり、回復にはかなりの時間が必要なようだ。


「しょうがないわねえ。対価として、お姫様抱っこを要求するわ。」


オレは補助シートに座っているリリスを抱き上げ、カプラン元帥を目で促した。


「帝国皇女と抱擁した後は、元伯爵令嬢を抱っこかね。カナタ君も気が多い事だ。」


「元帥の安全の為に代償を支払っているんですが?」


「フフッ、そういう事にしておこうか。」


津波のような大歓声と舞い散る紙吹雪の中、カプラン元帥はけれん味たっぷりの笑顔で、リリスは完璧な作り笑顔で敬礼し、万雷の拍手を浴びた。大した役者っぷりだぜ、まったく。


「ほら、主役も愛想良く敬礼でもしてあげなさいよ。」


リリスが首に両腕を回して身を寄せてきたので、空いた右手で詰め掛けた市民に敬礼する。二人ほどの名優ではないオレは、ぎこちない笑顔しか浮かべる事が出来なかった。自由都市同盟の首都、リグリット市は戦火に晒された事はない。だけど、家族や友人を戦場に送った市民は多いのだ。遺影を手にして涙ぐむ夫人と、母親が泣いている理由がわからずキョトンとしている幼子の姿が目に留まり、心が痛む。


……最終戦役ではかなりの戦死者が出てしまった。戦争に勝っても死んだ兵士は帰って来ない。生き残った者は、遺族の悲しみに寄り添わなければならない。兄の訃報を聞いた射場雷蔵は、どんな気持ちでいるだろう……


───────────────────


「……ライゾー、天羽の爺様から聞いただろうが…」


「はい!兄者は白狼の一翼を担い、立派に戦ってその身を捧げました!"狼弓"トシゾーは射場家の誇りです!」


迎賓館で再会した狼の子は、澄んだ眼差しで胸を張った。


「射場家の誇りではない、八熾一族の誇りだ。」


「有難きお言葉!泉下の兄者もきっと喜んでいるでしょう!……あの…差し出がましい事を申し上げるのですが…」


「ガラクの処遇はオレと爺様で決める。」


「……兄者が厳罰を望んでいるとは思えません。自らの意志で身を挺し、友を守ったのですから……」


そういう男だったからこそ、誰もが射場寿蔵の死を惜しんでいる。兄の背を見て育った雷蔵も、まだ幼いのに複雑な思いを抑えて、ガラクの立場を慮るとは……


同席していたシズルと爺様も、雷蔵の度量の広さに感服したようだった。


「ライゾー、信賞必罰という言葉は知っているか?」


「はい。兄者に教えてもらいました。」


「ガラクはマガクの制止を顧みず、勝手な判断で不要な賭けに出た。その結果、射場寿蔵の戦死を招いたのだ。これは罰せられねばならん。わかるな?」


「……はい。ですが兄者の死を僕と同じぐらい悲しんでいるのはガラク様です。それがわかるから……許せるんです。それに射場家にとって天羽家は主筋、大好きなおじじ様の孫でも…」


涙を堪えられなくなった爺様が、小さな手を握って己が信念を教え込む。


「幼い身でガラクを慮ってくれる事を本当に嬉しく思う。じゃがの、血の繋がりなど関係ない。八熾の子らは皆、儂の子や孫じゃ。儂は次席家人頭として、可愛い孫を死なせた浅慮な実孫ガラクを罰しなければならぬ。ライゾーよ、おヌシはいずれ、柱石として一族を支える身となろう。八熾の掟を学ぶのじゃ。」


「……おじじ様……」


「お館様、ガラクめの処分は儂に任せてくだされ。軍籍を持たぬ故、軍人としての処分は出来ませぬが、一族としてのケジメはこの天羽雅衛門が付け申す。」


オレに泥を被せまいと汚れ役を買って出たか。爺様らしいな。


「わかった。シズル、三宝と塩を用意しろ。射場雷蔵を射場家の当代に命ずる。ライゾー、爺様から所作を教わってから身を清め、儀式に臨むのだ。」


惣領、当主と名乗るのは八熾宗家のみ、分家や家人は当代を名乗るのが八熾一族のしきたりだ。


「はいっ!」


一族の家人衆は大きく分けて二つに分類される。八熾家と故郷を同じくする譜代家人衆と、舞沢(日本で言えば金沢)から流れて来た外様家人衆だ。天羽家は元々は小大名だったが、"東北の怪僧"と恐れられた阿門入道(イスカの先祖)との戦いに敗れ、八熾家を頼って落ち延びて来た。ライゾーが"射場家にとって天羽家は主筋"と言ったのは、そういう事情があるからだ。


御門家が天下を統一しても旧領の回復を望まず、八熾家の家人として仕え続ける道を選んだのだから、大昔から忠義な家風なのだろう。


「ではライゾーよ。一緒に昼風呂に入ろうかの。」


「お背中を流して差し上げます!」


爺様がライゾーを伴って退室したので、後見役について相談する。


「……シズル、ライゾーが成人するまでは後見を立てねばならん。本来なら天羽の爺様に任せるべきなのだが、トシの件があるからな。場合によってはシズルに…」


「御老体にお任せするべきです。しきたりを厳守すべきと申し上げているのではありません。御老体は利発なライゾーを実の孫のように可愛がっています。筆頭家人頭として本音を言いますと、次の次席家人頭は射場寿蔵が適任だと思っていました。器量なら角馬牛頭丸も引けを取りませんが、角馬家は譜代衆ですから外様衆は良い顔をしないでしょう。」


筆頭家人頭は譜代衆から、次席家人頭は外様衆から輩出するのが八熾の伝統。マジでこういうの面倒くせえ。


「わかった。だがシズル、オレは譜代衆だの外様衆だのといった垣根を取り払いたいと思っている。その事は忘れないでくれ。」


「承知しておりまする。だからこそ御老体に"八熾の子らは皆、爺様の子であり孫だ"と仰ったのでしょう。ライゾーは一族全員を家族と思う御老体の薫陶を受け、兄の志を実現する筈です。」


シズルは小天狗に期待してないようだな。肝心要の場面で盛大にやらかしやがったから当然だが。


「そうだな。ライゾーを当代に任命したら、オレと爺様は軍病院に行く。シオンやリリスと相談しながら、明日からのスケジュール調整を頼む。」


「ハッ。シズルに万事お任せを。お館様、負傷された大殿は何処に?」


「オレも知らされてないんだ。ケリーとマスカレイダーズは首都の照龍大付属病院らしいけど。」


秘匿通信で無事を確かめたが、"心配するな。暫く安静にしておかねばならんが命に別状はない。動けるようになったら、こちらから連絡する"との事だった。隠し施設でプライベートドクターに治療してもらってんのかねえ。もう存在を隠す意味はないんだが……


「八熾の庄に戻ったら、大殿の屋敷を準備せねば……お館様、大殿のお名前を教えて下さい。」


「本人に聞いてくれ。近い内に会う事になるはずだ。」


杉男を名乗るのか、偽名を名乗るのかわからんから答えようがない。流石に苗字だけは八熾に変えなきゃならないだろうけど……



問題は顔だな。あまりにもオレ、というよりアギトに似過ぎていて、親というには若すぎる。事故で顔が焼け爛れている事にして、大谷刑部みたいな頭巾を被り、"仮面の大殿"として過ごしてもらうしかない。

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