哀歓編8話 暫しの別れ



野薔薇の姫と帝国使節団を乗せたソードフィッシュは、護衛艦隊に守られながら荒野を航行する。艦橋には通安基から派遣された監視員もいるのだが、隅っこの席で立体クロスワードパズルに興じ、お世辞にも職務熱心とは言えない。


監視員曰く、"私は公正さをアピールする為の案山子です。有能な者は本当に監視が必要な部隊に派遣されていますから"との事だった。


艦内を散策していたローゼと案内役のナツメがとんでもない会話をしながら艦橋に戻って来た。


「見るだけ!見るだけだから!」


拝み倒すナツメに、ローゼは不審の目を向ける。


「……ナッちゃんは昨晩もそう言ったけど、思いっきり触ろうとしたよね?」


「ロゼちんと肌感覚でわかり合いたい。スキンシップは大事なの!」


「だからって胸に触る必要ないよね!」


毎晩バスルームで攻防を繰り広げていたのか。ローゼのガードの固さにナツメは苦労しているようだ。


「……ローゼ姫、昼の日中の艦橋でそのようなお話は慎んで下さい。ナツメも皇女様を相手に度を過ぎた親密さを求めちゃダメよ。」


副長席を立ったシオンがナツメを捕獲してローゼから引き離した。チャッカリ娘は豊満おっぱいに顔を埋めて感触を楽しんでいる。無い乳最高党の幹部の癖に、巨乳にも目がないとはけしからん。


魔の手から解放されたローゼは、艦長席の隣に置かれた肘掛け椅子に腰掛けて安堵の溜息をついた。


「……ふう。まさか友達から身を守る事になるなんて……」


「お疲れ様。日没までには合流ポイントに到着する筈だ。」


「……うん。また暫くお別れだね……」


「ちょっとの辛抱だ。講和条約が締結されたらまた会える。いつでも、いくらでもな。」


酸供連のパーチ会長は中立を装っているが、実際はローゼ寄りの要人だ。冷凍睡眠中の事故を装った謀殺はあり得ない。目覚めた時には講和条約が締結済みで、ローゼは薔薇十字と共にシュガーポットに赴任する。皇帝に出来るのは帝国内での権限を削ぐ事までで、直接害する事は出来ない。


問題は兵団だ。郊外戦でバルバネスの姿が見えなかった事が気になっていたが、監視員の話によると戦いの直前に負傷離脱という名目で一足先に本国へ帰投していたらしい。煉獄はオレに本気で挑んできた。つまり、郊外戦に勝つ前提で戦略を組み立てていた訳だ。だったらバルバネスとブラックジャッカルを先に帰すなんて選択をする訳がない。


「難しい顔してるけど、どうしたの?」


「ローゼ、薔薇十字は兵団と共闘していた時期があったよな?」


「……他に方法がなかったから……」


「責めてるんじゃない。兵団の内状を教えてくれ。兵団に"煉獄の意に背いても赦される可能性がある知恵者"はいるか?」


候補は二人。魔術師か、あるいは……


「いないと思う。朧月セツナは己が意に背いた者は誰であろうと赦さないから。だけど参謀らしき存在は二人いる。アルハンブラさんと…」


「アマラだな?」


「うん。饗応役だったアマラさんとは交流があったけど、冷静沈着で思慮深い人だよ。妹のナユタさんは軽挙を何度も注意されてたけど、彼もアマラさんには一目置いていたように思う。朧月家に代々仕えてきた家系でもあるし、マネジメント能力も極めて高い。兵団のナンバー2は彼女じゃないかなぁ。」


「煉獄と違って自信満々ってタイプではない?」


双月姉妹と実際に戦ったシグレさんは、"ナユタは身体能力は抜群だが、短気で短慮。アマラは用心深く、リターンより先にリスクを考えるタイプに思えた"と言っていた。つまりは慎重屋だ。


「マネジメント能力の高さっていうのは、リスクマネジメントも含んでの話。自信満々の主を一歩下がって支えながら、自身は意図的に引き気味の考え方をしてる人だと思う。……そっか。アマラさんなら…」


師匠とローゼの見解が一致か。


「双月アマラなら主の意に背いてでも最悪の事態を避けるべく、何らかの手立てを講じる可能性がある。負傷していたが、頭脳は健在だからな。電波遮ウェーブキ断装置ャンセラーを使ったオリガは、兵団と通信が出来なかった。」


「だから朧月セツナは使節団暗殺作戦の成功報告は受けていない。オリガはウェーブキャンセラーを使う前に"使節団を山中に追い詰め包囲した。もう逃れる術はない"と進捗状況は報告はしたはずだけどね。」


停戦協定が結ばれた時の煉獄の驚愕は演技じゃなかった。奴はローゼ暗殺に成功したと思い込んでいたんだ。だが、饗応役としてローゼに接してきたアマラは、器の大きさも知っていて不測の事態に備えていた。姉さんがヒンクリー少将を救援に送った事まで読めてはいなかっただろうが、オリガがしくじる可能性はあると考えたんだ。


「まだ情報が入っていないが、アマラも負傷離脱で先に帰投しているだろう。ブラックジャッカルを使って、悪事の証拠隠滅を図っているに違いない。」


「だったら父上に……いえ、少佐と辺境伯に連絡しないと!」


「もう手遅れだと思うが、やってみてくれ。」


オレもソードフィッシュの監視員を介して、レギオン監視団に双月アマラの所在を確認してもらったが、やはり負傷を理由に船を離れていた。有能な腹心のお陰で物証の消却には成功しそうだな。必要な物は持ち出して隠蔽し、施設は爆破。問題はオスカリウスを戦わせる為に兵団が人質にしたペルガメント公女の安否だ。


……ペルガ公国の末裔、セシリア・ペルガメントか。オスカリウスの話によると、公王には愛妾がいて公国滅亡の際に幼い息子と共に行方不明になっていたんだそうだ。妾腹の息子の存在が公表されなかった理由は、既に正妻との間に公子がいた為、後継争いを避けたかったのだろう。ローランド・オスカリウスは公王と運命を共にしたオスカリウス卿の孫で、公国復活を目指す同志を集めて自由騎士団を結成し、世界を旅しながら母子を探していたらしい。


御用学者でありながらクーデターに加担し、公国領と元帥杖を手にしたのがアムレアン家だ。現当主のラーシュ・エーリク・アムレアンにしてみれば、公王の血を引く者が生き残っているとなれば穏やかではいられない。名ばかり元帥であっても、懸賞金を掛けて協力を要請するぐらいなら出来る。だからオスカリウスと自由騎士団は傭兵として各地を転戦し、公国復興の旗を掲げてこなかった。愛妾と公子の身柄を確保してから同盟軍に保護を求めるつもりだったのだ。


愛妾と息子は既に亡くなっていたが、彼は一般女性と結婚していて娘がいた。それがセシリアさんだ。そして不幸な事に彼女を見つけたのは忠臣ではなく兵団だった。オスカリウスには気の毒だが、彼が投降した時点で人質は用済み。他の利用価値がない限りは既に……


まだ消されたと決まった訳じゃない。生かしておいて交渉材料にする可能性に賭けよう。


チャティスマガオ戦域での戦闘終了直後に"ローランド・オスカリウスはにセシリア・ペルガメント公女を人質に取られ、やむなく同盟軍と戦った。ゆえに彼と自由騎士団を罪には問わない。自由都市同盟は、公女が無事解放されれば、拉致した者の罪科も不問にする"と公式声明を出しておいた。これが効いてくれればいいんだが……


イスカからは、"理由はどうあれ、同盟軍に刃を向けた者を無罪放免にするのは感心しないな"と苦言をもらったが、人質解放への協力は取り付けた。オスカリウスに投降を呼びかけた錦城大佐の顔を立てておこうと考えたんだろう。皇帝を通じて働きかけは行っている筈だ。解放と引き換えに面倒な条件を出してきそうだが……


オペレーターシートに座ったノゾミが椅子を回して報告してきた。


「団長、パラスアテナから通信が入っています。」


「繋げ。」


メインスクリーンにフー元帥の姿が映った。女元帥の後ろには剣聖と守護神が立っている。


「はじめまして、龍弟公。私は機構軍元帥、フー・リンミンです。」


「ご尊名は存じ上げています。ローゼ皇女は席を外していますが、すぐに戻って来られる筈です。しばらくお待ち下さい。」


艦長室の青鳩で暗号電文を送り終えたローゼが艦橋に戻り、元気な姿を確認したフー元帥は笑みをこぼした。


「フー元帥、ご心配をおかけしましたが、無事に大役を果たせました。」


「私は信じていました。皇女なら必ずやり遂げると。ふふっ、パラスアテナに戻られたら、後ろの二人がたっぷりお説教をする事でしょう。」


「クエスター、アシェス、合流したら半旗を掲げて。私を守る為に落命した衛士に弔慰を捧げたいの。」


オレもローゼも多くの屍を乗り越えてここまで来た。半旗を掲げるのはこれで最後にしたい。


────────────────


「半旗掲揚!ささげ~つつ!」


右側を案山子軍団、左側で薔薇十字が隊列を組み、帝国旗で包まれた柩を抱えた騎士の行進を見送る。陸の海賊が使節団護衛隊の亡骸を全て回収してくれていたので、彼らは故郷に帰る事が出来る。女神の間に、勇士の名と功績を刻んだ慰霊プレートを設えよう。


「また会いましょう、龍弟公。」


遺体の引き渡しを終え、お辞儀したローゼに敬礼する。


「楽しみにしています、ローゼ皇女。」


黄金、真銀、赤銅の騎士に守られたローゼは、パラスアテナへ乗り込んだ。ハッチの閉まり際に鉄拳バクスウがオレを意味ありげな目で睨め付けたが、そっぽを向いて口笛を吹いておく。



さて、オレ達もリグリットに帰投するか。戦争は終わったがやる事は山積み、しかもあまり時間がない。慰霊式典と戦勝パレードの前に道筋をつけておかなきゃな。

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