哀歓編7話 垣根を越えて行く為に
「ゴメンな、ローゼ。憎しみの篭もった目で見られるのは辛かっただろ。」
姉さんは"後は私の仕事です"と言って、竜騎兵を兵舎に連れて行った。側近中の側近だった竜胆左内をよく知っているだけに、敬愛する主を失った竜騎兵の怒りと悲しみを誰よりも理解している。情理を尽くして、彼らを慰撫してくれるだろう。昇り竜が育てた竜騎兵は道理のわからん連中じゃない。すぐには無理でも、いずれは折り合いをつけるはずだ。
問題は、道理のわからんツバキと新竜騎だな。サナイ殺しの真犯人はオリガかバルバネスだ。何とかそれを立証しねえと、薔薇十字に報復しかねん。まあ、危険な兆候が現れたら先んじて処分する。行き過ぎだろうが冤罪だろうが知った事か、あんなはねっ返りどもにやっと訪れた平和をかき乱されちゃたまらない。
「大丈夫、ボクは全てを覚悟してここに来たから。それにサモンジさんも"仇を討ちたいなんて思ってない"って言ってたでしょ。それで十分だよ。見て見て、カナタ!微笑ましい光景だね。」
ローゼの視線の先には官舎の外のベンチに腰掛けて、チェスに興じる二人の少女の姿があった。魔女の森で道案内をしてくれた漆黒の黒狼犬が、ベンチの前に寝そべっている。そこにガーデンのアイドル、雪風パイセンが尻尾をフリフリやってきた。尖った耳をピンと立てた黒狼犬が立ち上がって、白い忍犬と向かい合う。
「バウバウ!バウ!(はじめまして。私は火隠衆の忍犬、名を雪風と申します。どうぞお見知りおきを。)」
あれ!? なんか雪風がめちゃくちゃ大人びてる!
「ガウガウ!ガウ!(雪風殿の御高名はかねがね。拙者は太刀風、未だ修行中の未熟者にござる。)」
「バウ!バウバウ!(まあ、未熟者だなんて。土雷忍犬衆筆頭ともあろうお方が。)」
「ガウ!ガウガウ!(雪風殿こそ、成犬前から筆頭に任じられた才媛と聞き及んでおり申す。)」
白と黒の狼犬がはにかんでる姿が微笑ましいったらありゃしない。青春してやがるなぁ。
「えへへ♪ 太刀風はね~。雪風ちゃんの写真を何度も見て…」
焦った顔?の太刀風はキカちゃんの袖を噛んで引き摺っていく。
「あら? 雪ちゃんも太刀風の写真を…」
雪風は無言でリリスのスカートを噛み、反対方向に引き摺った。
「雪風もお年頃かぁ。こないだ成犬になったばっかなんだけどな。」
「ふふっ。あの二人、とってもお似合いだよね。」
雪風に匹敵する軍用犬って同盟じゃ茶虎ぐらいだからなぁ。茶虎は既婚犬でもう子犬もいるし…
機構軍最強の忍犬なら、お相手として相応しいかもしれん。
「ボク達みたいにね、とでも言いたいのかい?」
いきなり現れたマリカさんが背後から割って入り、右腕をオレ、左腕をローゼの首に回して釘を刺してくる。
「マリカさん、オレはともかく、ローゼは皇女様ですよ。首に腕を巻き付けちゃダメでしょ。」
「関係あるか。さてお姫様、カナタとはどういった御関係なンだい?」
「カ、カナタは命の恩人で…」
腕を振り解いて逃げ出そうとする気配を察知されて、首をマジ絞めされる。
「逃げンな!」
「ぐえっ!」
「マリカ隊長、国際問題を起こさないで下さい。それに隊長の折檻は私の仕事です。」
「姉さん、ロゼちんをイジメちゃダメなの!」
兵舎から出て来たシオンがオレの耳を引っ張り、ナツメはマブダチを救出する。
「フン!追求は後にしといてやるか。……カナタ、体の具合はどうだ?」
同じ領域に立つ兵士にだけ、わかる事がある。気休めでもマリカさんを安心させておきたい。
「まだ痛む箇所はありますが、問題ありませんよ。」
「嘘つくな。ちょっと医療ポッドに浸かったぐらいで、癒えるような軽傷じゃない。それに、
リックほどではないが、超再生持ちのオレにとって、負傷はさほど問題じゃない。癒しの白炎を使えば早期治癒も可能だろう。問題は、その白炎を使おうにも、念真強度が大幅に低下している事だ。これは間違いなく、深淵奥義の反動だな。念真強度が下がれば狼眼やパイロキネシス、あらゆる念真能力が弱体化してしまう。強度の回復には、かなりの時間を食いそうだ。
「夕食会が始まるまで、少尉は惰眠を貪ってなさいな。どうせ食事の支度には役に立たないんだし。」
リリスから毒を含んだねぎらいのお言葉を頂戴する。戦友達との気取らない夕食会があるから、女神の間の会合前には軽くサンドイッチを食べただけだ。
「そうさせてもらうよ。ローゼ、また後でな。」
「うん。ボクもシャワーを浴びて一休みしよっと。」
シャワーと聞いて、おっぱいソムリエ・ナツメさんの目が捕食獣の輝きを放つ。ローゼは親友の隠された一面をまだ知らない……
───────────────
古びたパイプベッドの上で目を覚ますと、窓の外には星空が煌めいていた。仮眠を取るつもりだったが、しっかり寝入ってしまったらしい。網膜に時刻を表示すると21:04だった。こりゃ夕食会は始まっちまってるし、ヘタすりゃ終わっちまってる。ま、食堂に行けば食い物にはありつけるだろう。
空きっ腹を抱えて兵舎食堂に入ると、クラッカーの音と紙吹雪に出迎えられた。
「皆様、寝坊助狼の登場です!盛大な拍手でお迎え下さい!」
軍服の上に蝶ネクタイを貼り付けたチッチ少尉のマイクパフォーマンスに、戦友達が拍手で応じる。
「カナタの席はここだよ!みんなお腹を空かしながら待ってたんだから、早く座って!」
食堂の中央に設えられた大きな丸テーブルには嫁候補達と姉さんが座っている。
「今回だけは少尉の隣を譲ってあげるわ。だけど、これが最後だからね!」
リリスがローゼと姉さんに毒づき、オレは二人の姫君の間の席に腰掛ける。ローゼの肩からオレの肩に飛び移ったタッシェが、ちっちゃな頬をすり寄せて歓迎してくれた。
「全員起立!宴の前に黙祷しよう。」
災害閣下、サンピンさん、散っていった戦友に想いを馳せながら、英霊と成りし魂の安寧を祈る。この場にいる数百人の兵士にも、それぞれに想う戦友がいる事だろう……
……おかしいな。いの一番に瞼に浮かぶはずの
「失った者への想いは尽きないが、オレ達は未来に目を向けなければならない。兵士諸君、鎮魂と門出の盃を手に取れ。」
マリカさん、姉さん、シオンの成人組は小瓶のビールを、ナツメ、ローゼ、リリスの未成年組は子供ビールを掲げる。二十歳の誕生日を迎えた直後にこの星に転移したオレは、三度目の誕生日を迎える前に終戦を迎えた。二年と九ヶ月、休む事なく戦い続けた計算になる。なんせ、たまの休暇にもトラブルに巻き込まれて、結局戦ってたからなぁ……
「
擦れっ枯らしの兵士どもはともかく、王族のお二人は瓶酒を直接口にする事に躊躇いがあるようだ。
「ミコト様、お目付役もいない事ですし、今夜は無頼の作法を学びましょう!」
いやいや、ローゼ。隣の席のクリフォード卿がジト目で見てるぞ。
「はい。ちょっとワクワクしますね。」
雲水代表がいたら、青筋を立ててただろうな。二人の姫君は瓶酒を勢いよく呷ったのはいいが、案の定噎せ返ってしまった。
「侘助、グラスを持ってこい。寂助は景気のいい曲を頼む。」
戦場では陣太鼓を叩いてる寂助だが、ドラムも叩けるらしい。打楽器全般に通じてるのかもしれんな。寂助率いる軍楽隊が奏でる賑やかな楽曲が場を盛り上げ、兵士達は卓上に並んだ豪華な料理に手をつける。
「籠城中の要塞に、よくこれだけの食材があったな。」
保存食ならたっぷり備蓄してあるだろうけど、生鮮食品は乏しかった筈だ。手近にあった手羽先を取って囓ると刻みニンニクに引き立てられた肉の旨味が口中に広がり、香草の風味が鼻腔をくすぐる。こ、これは……
「手羽先のガーリック&ローズマリー焼き。少尉の好物ね。私だったらもっとパンチを効かせるけど、姫君の口にも合うように、お上品に仕上げたんでしょ。」
「磯吉さんが来てるのか。」
「郊外戦が始まるのを知った料理長は、ガーデン食堂のスタッフと一緒に、かき集めてた食材を抱えて大型ヘリで飛んで来たらしいわ。」
この展開を読んでた……訳ないよな。磯吉さんはオレが勝つと信じていたんだ。
「そういう事だよ。ガルムのお姫様のお口に合うかわからないけど、亭主自慢の"キャベツとツナのザワークラウト"をご賞味あれ。」
ウィンクしながら大皿を卓上に置いたおマチさんにリリスがツッコむ。
「私も一応、ガルム人で、元が付くけど伯爵令嬢なんだけど!」
「リリスちゃんは"名誉イズルハ人"だからねえ。特に鯖の味噌煮と
リリスの鯖の味噌煮と鰆の西京焼きは飯も進むし酒も進むんだよなぁ。オレの好みに合わせてくれてるんだろうけど、肉ジャガとか出汁巻き玉子(紅生姜入り)も絶品だ。干物と漬物に関しては右に出る者がないヒムノンママと、夏は風鈴の音色を楽しみ、冬は炬燵で丸くなるリリスは、"名誉イズルハ人の双璧"とガーデンで称えられている。
「私の料理はどれも芸術的なだけよ。小市民的味覚の誰かさんの影響で、レパートリーが家庭料理に偏重気味だけどね。」
「それが正解。オバチャンの持論は"男は結局、家庭料理に帰って来る"なのさね。だけど感慨深いねえ。ちょっと前まで新兵だと思ってたカナタちゃんが、今や戦争を終わらせた英雄だもんねえ。オバチャン、カナタちゃんはやれるコだと思ってたけど、ここまでとは思わなかったよ。」
「おマチさん、戦争を終わらせたのはオレじゃありません。皆の意志と力が合わさった結晶なんです。」
歴史に名が残るのは、主導的な役割を果たした者だ。だけど彼らを後押しする人々がいなければ、歴史は動かない。
「相変わらずご謙遜だねえ。だけどオバチャンにはわかるのさね。……カナタちゃんがいなければ、始まらなかった物語なんだってね。」
おマチさんまで過大評価するのかよ。一翼を担った自負はあるけど、オレが始めた物語とまでは思えないな。
「殿下!殿下は何処に!」
殿下と呼ばれてギクリとしたが、食堂にはもう一人の殿下がいた。
「ブランドンじゃないか。よく来たね。座って相伴に預かるといい。馬乳酒もいいが、この枡酒というのもなかなかイケるよ。」
サイラスはしたり顔で異文化を楽しんでいるが、ヘインズ男爵にしてみりゃ堪ったもんじゃないだろう。
「我らがどれだけ気を揉んでいたか、殿下はおわかりか!単身でフォート・ミラーに乗り込むだけでも正気の沙汰ではないのに、あろう事か人質としてバリアントに同乗し、しれっと停戦協定の場に居合わせている!頭がおかしくなりそうでしたぞ!」
股肱の臣を自任する男はボヤき……いや、ブチ切れたくもなるよなぁ。サイラスは一言も相談してなかっただろうし。
「文句は後で聞く。ミコト姫への挨拶が先だ。」
サイラスは儀礼を盾にして身を守った。もちろんヘインズ男爵が背を向けた瞬間に、枡酒を持ってこっそり逃げ出している。
男爵がこっちのテーブルにやって来て挨拶と祝辞を述べると、姉さんが質問した。
「ヘインズ男爵、家臣の方々をお連れではないのですか?」
「主の帰路を警護する為、一個大隊を率いて参りました。要らぬ衝突を招かぬよう、ヘリにて待機させております。」
「戦争は終わりました。もう私達が争う理由はありません。随員の方も、ぜひ宴に参加して下さい。」
「ヘインズ男爵、オレがヘリポートに出向こう。」
そう申し出ると男爵はとんでもないと頭を振った。
「龍弟公がお出迎えなど畏れ多い。お気遣いは無用にございます。」
「私も参ります。クリフォード、ギン、供をお願い。」
オレとローゼが席を立って歩き出したので、やむなく男爵も後に続く。ヘリポートに向かう途中でサモンジと竜騎兵がオレ達を見つけ、歩み寄ってきた。先程の経緯を知っているクリフォード卿とギンが、ローゼを背後に庇う。
軍事パレードのように規則正しい隊列と歩調で行進してきた竜騎兵は、ローゼに向かって敬礼してから片膝をついた。
「我ら一同、先程の無礼を謝罪させて頂きたく馳せ参じました。」
竜騎兵を代表してサモンジが言上すると、ローゼは深く頷きながら答えた。
「赦すには条件があります。」
「何なりとお申し付け下され。」
「今宵は共に宴を楽しみ、胸襟を開いて語り合いましょう。理解を深めれば、和解への道が拓けます……私は貴方達の悲しみを知りたい。手を取り合い、共に喜べる日を迎える為に……」
外交と機微に長けたクリフォード卿が、オレをダシにして場を取り持った。
「ヘインズ男爵、貴公と吾輩は龍弟公に殺されかけた者同士、たっぷり恨み言でもぶつけましょう。」
「うむ。九死に一生でしたからな。異名兵士"
殺されかけた者同士で手を組みやがったか。それでこそフェアってもんだろう。
「ダムダラス平原で派手にやり合ったアリングハム家臣団にも言いたい事があるだろう。彼らも交えて車座で呑もう。ギン、要領のいい公爵様を探してきてくれ。」
竜騎兵と共にアリングハム家臣団を出迎えて、中庭に移動。芝生の上に陣取って酒を酌み交わす。
「カナタ君の糾弾会なら参加しない訳にはいかないね。僭越ながら、この私が"剣狼被害者の会"の会長を務めさせて頂こう。三度も負けて築き上げた名声をズタボロにされたのだから、権利ありだ。」
しれっとやって来たサイラスは、ふてぶてしい顔で軽口を叩きながら、図々しく車座の真ん中に胡座をかいた。間違いない、コイツはラセンさんの精神的兄弟、チャッカリマン2号だ。
英明な主君を持ったクラウス・クリフォード子爵とブランドン・ヘインズ男爵は、飯酒盛サモンジの悲嘆に共感し、穏やかならざる心情に理解を示した。よく似た立場にある二人の言葉は、サモンジの心に響いた事だろう。
年も近く、帝国、王国、連邦と違った立場に身を置く三人に友情が芽生えるといいのだが。クドクドと長いサイラスの恨み言を聞き流しながら、オレはそんな事を考えていた。
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