哀歓編6話 戦争の傷痕
薔薇十字を守る方策を話し合うつもりが、世界昇華計画なんて碌でもないプロジェクトが存在し、さらにアスラ元帥まで計画に加わっていた事を知らされたカプラン元帥はさぞ疲れただろう。"今後の事を考えるのは一休みしてからにしたい"と仰ったので、二人の姫君と共に退室する。
尖塔の回り階段を下りながら、姉さんがとんでもない事を言い出した。
「ローゼさんがよろしければ、私から陛下に"カナタさんとの婚約"を申し出てみましょうか?」
「ちょ!ちょっと待ってください!」 「ボ、ボクとカナタが婚約!?」
い、いきなり何を言い出すんだ。
「龍ノ島の公爵と帝国の皇女の婚約に、異論を挟む者などいませんわ。世界統一機構と自由都市同盟の友好の掛け橋ともなり得る良縁ですもの。」
「だからって政略結婚は感心しませんよ。それに唐突すぎます。」
「前にも言ったけど、そんなにボクが相手じゃご不満なのかな!!」
お胸も人格も成長してんのに、子供みたいにムクれるなよ。
「そうは言ってない!物事には順序があってだな…」
「龍弟公の婚約者、となれば誰もローゼさんに危害は加えられません。世界最強の軍人、剣狼カナタとドラグラント連邦を敵に回す事になるのですから。うふふ、良いアイデアでしょう?」
姉さんは愉快げに笑ったが、オレにしてみれば笑い事じゃない。
「婚約発表の日がオレの命日になりかねないんですが……」
「あれ? アシェスから緊急メッセージが届いてる!辺境伯や老師からも!なんだろ、急に。」
おいおい、戦争が終わったばっかりだってのに、いきなり緊急事態は勘弁してくれ。オレはハンディコムを操作するローゼの手元を覗き込んでみた。
"ローゼ様!この画像について至急ご説明ください!!" byアシェス
"姫様、剣狼に儂と勝負せいと伝えてくだされ" byバクスウ
"姫、儂は認めておりませんからな!" byバーンズ
……な、なんだ。この怒りに満ちたメッセージは。ハンディコムからヤバいオーラが漂ってやがる……
ローゼが守護神のメッセージに添付された画像ファイルを開くと、傷だらけのオレとローゼが抱き合ってる写真が映し出された。停戦合意を受けて機構領で配られた号外の一面みたいだけど、なんでこんな写真が出回って……"一番いい
「あの腐れ広報担当め!またやりやがったな!タバスコを口ン中に突っ込んでやる!」
「待ってよ、カナタ!」
ローゼの手を握って階段を駆け下りる。尖塔と渡り廊下の間には中庭があり、芝生でくつろぐサモンジと竜騎兵の姿があった。ローゼの姿を見た兵士が立ち上がり、仲間と共に行く手を遮る。オレはローゼを背後に庇い、兵士を掻き分けて前に歩み出た竜騎兵の長を睨み付けた。
「……どういうつもりだ、サモンジ?」
「………」
「なぜ道を塞ぐのかと訊いている!答えろ!」
詰問されたサモンジは、苦しげな表情で口を開いた。
「……公爵は我らの気持ちをお分かりのはずです。サナイ様を殺したのは…」
「竜胆少将を殺めてしまったのは、私の騎士クエスター・ナイトレイドです。主の私がお詫び…」
竜騎兵の前に出ようとするローゼを手で制しながら忠告する。
「謝るな!」
「で、でも…」
親父から教わった事がある。たぶん、こういう場面での心得だ。
「謝罪すべきではない事で謝罪すれば、却って禍根を招く。」
「殿下はサナイ様の死が当然だと仰るのですか!」
サモンジは憤り、怒りは竜騎兵にも伝播する。竜胆左内が愛されていたが故に起こるハレーション。連邦の軍監として、オレはこの憎しみと戦わなければならない。
「おまえらは知らないだろうが、オレは新兵だった頃に薔薇十字の大幹部、クリフォード卿を殺しかけた事がある。彼が一命を取り留めたのはたまたまだ。先程、クリフォード卿と再会したが、オレは謝罪などしていない。なぜなら、詫びる事などないからだ。」
「殿下は正々堂々と戦われたからです!照京動乱とは事情が違いまする!あれはクーデターに乗じた卑劣千万な不意討ちでしょう!」
「まず第一に、クーデターが起きるような治世を行う側が問題だとは思わないのか?」
痛いところを突かれたサモンジは怯んだが、引き下がろうとはしない。
「我龍総帥の治世に問題がなかったとは申しません。ですがサナイ様は懸命に悪政に歯止めをかけようと日夜奔走されていたのです!」
「その通りだ。竜胆左内が都を救った功臣である事は誰もが認めている。だがサモンジ、機構軍にクーデターが起きそうな巨大都市があったとしよう。騒乱に乗じる事が可能あれば、おまえはどうする?」
「そ、それは…し、士道に…」
「士道に反するが故に乗じないか? おまえと竜騎兵ならそうかもしれんな。だが、同盟指導部は間違いなく隙を突こうとするだろう。嘘だと思うなら、カプラン元帥に訊いてみるといい。」
サモンジは認めないかもしれんが、サナイさんだってそうしていただろう。竜騎兵は彼の策士としての顔を正確に理解していない。昇り竜は先帝を口先八丁で丸め込んで、本社機能を移転させておく狡猾さも持ち合わせた男だった。先見性と指導力に秀でた憂国の士、だけど清廉潔白一辺倒だった訳じゃない。
「……そうかもしれません。ですが…」
言い繕うサモンジを無視して、オレは居並ぶ兵を一喝した。
「いつまで突っ立ったまま、不躾な目で賓客を睨み付けるつもりだ!!照京兵が皆、おまえらのような無礼者だと思われては姉さんの名誉に疵が付く。膝をつきたくないのであれば、叩き伏せて地を舐めさせてやろう!」
オレが一歩踏み出すと、焦ったサモンジは片膝をついて頭を垂れた。竜騎兵達も慌てて長の後ろに整列して片膝をつき、臣下の礼を取る。
「……これは何の騒ぎですか?」
静かに歩み寄って来た姉さんが、竜騎兵に厳しい目を向ける。龍の怒りは視線だけではなく声音にも現れ、竜騎兵はもちろん、サモンジも面を上げる事が出来ない。
「野薔薇の姫に憎悪の目を向ける無礼者がいたので、道理を教えているところです。」
「和平の為に命を賭して私の元を訪れた客人に対して、なんと無礼な!……サモンジ、顔を上げなさい。カナタさんの言った事は本当ですか?」
鉛の重石を載せられているかのように、小刻みに震えながらサモンジは顔を上げた。
「……お恐れながら大龍君、我らは竜胆家の家臣として、一言申さずにはいられないのです。我らの切なる想いを御理解くだされ……」
「照京動乱の際、ローゼさんは守護神殿と剣聖殿の指揮権をお持ちではありませんでした。野薔薇の姫の与り知らぬところで、二人の騎士は命令を受けたのです。その責をローゼさんに問おうと言うのですか?」
「剣聖殿と守護神殿は、照京での戦功を以て薔薇十字への参加を許可されました!実際に動いたのは兵団ですが、命令を下したのは皇帝であり帝国です!そしてローゼ姫は帝国の皇女にあらせられ、今も昔も彼らの主!仇を討ちたいなどとは申しませぬ!ですが……ですが……」
「手を取り合うにもケジメが必要、とでも言いたいのですか。でなければサナイに顔向け出来ぬと。統合作戦本部の決定と連邦の意向に口を挟むとは、ずいぶん出世したようですね。」
姉さんはサモンジの目を龍眼で睨んだ。忠臣の表層意識から悲しみを感じ取った龍姫は、ローゼに向き直る。
「ローゼ姫、陪臣の無礼をお詫びします。無理からぬ事情があったのはお互い様。ですが、この者達は遺恨を忘れられぬようです。すぐさま要塞から退去させ、二度とお目に触れないように取り計らいますので、平に御容赦を。」
「ミコト様、それには及びません。敬愛する主君を奪われた彼らの悲しみは、筆舌に尽くし難い事でしょう。」
ローゼはサモンジの前で両膝をついて、両手で武人の手を握った。
「貴方も竜騎兵も、私と私の騎士クエスター・ナイトレイドとアシェス・ヴァンガードを生涯許す事は出来ないでしょう。ですが、わかって欲しいのです。私も二人の騎士も竜胆左内少将の死を惜しみ、悼む気持ちを持ち続けている事を……」
ローゼは竜騎兵一人一人に両膝をつき、同じ高さで目を合わせ、しっかりと手を握ってから弔慰を示した。50人近くいる兵士に同じ言葉を同じ熱量で、同じ想いと誠意を込めて手向けられる事がローゼの器の大きさを物語る。
「帝国を代表し、謹んで哀悼の意を表します。英霊の魂に安らぎあれ。」
主を失った悲しみと無念さ、やり切れない想いを噛み締めながら、竜騎兵は涙する。謝罪は出来ないが、哀悼なら示せる。こうするしかないんだ。
オレだってこの手でメルゲンドルファーを討ち取り、アードラーを自決に追いやった。エプシュタインの戦死やグリーズバッハの悶死にも関与している。帝国の高官を四人も破滅させ、帝国所属の異名兵士を何人も討ち取り、斃した帝国兵は数知れず。戦いの旗頭に立ったオレは、帝国市民にさぞかし恨まれている事だろう。
だが、オレが詫びようもんなら、皇帝はここぞとばかりに付け込んでくるだろう。そしてローゼが謝罪すれば、ツバキと新竜騎が"帝国が非を認めたぞ、それ見た事か!"と騒ぎ立てて、事を荒立てる。
"謝罪すべきではない事で謝罪すれば、却って禍根を招く。外交では特にな"
天掛光平は優れた知見を持った有能官僚だよ、まったく。サモンジだけにはサナイ殺しの真犯人が別にいるかもしれない事を教えておこうか。
サモンジと竜騎兵はツバキや新竜騎と違って、能力と忠誠心の双方で信頼の置ける連中だ。感情の縺れで失脚させたら、それこそサナイさんに申し訳ない。
視野狭窄のツバキは提灯持ちの新竜騎に肩入れしてるが、竜胆家を守れるのは飯酒盛サモンジと竜騎兵なんだぜ。サナイさんの薫陶を受けた帝の忠臣がアンタの命綱なんだって……わかってねえんだろうなぁ。
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