哀歓編5話 論客閣下の面目躍如
女神の間での会合を終えたオレとローゼはカプラン元帥に目配せされて、城の尖塔にある私室に招かれた。器用貧乏を自任する男は手際良く紅茶を淹れてテーブルに置き、柔らかいソファーに身を沈める。
ティーカップは全部で4つ、つまりもう一人客が来るのだ。
「会長と理事長はタムール平原に向かわれました。カプラン元帥、ローゼさん、少しお時間を下さいませ。」
遅れて入室してきた姉さんが着座すると、カプラン元帥は席を立って窓の雨戸を閉め、部屋の四隅で耳を澄ます。安全を確認したカプラン元帥と姉さんが並んで座り、対面にはオレとローゼ。ここからは四人の密談って訳だ。
「私もローゼ姫と内々に話しておきたかったのだが、先にミコト姫のお話を伺おう。」
「ありがとうございます。カプラン元帥も疑問に思われた事でしょう。」
「うむ。皇帝と煉獄が貴方を欲している事はわかった。だが、なぜ欲しがるかがわからない。」
「理由があるのです。カナタさん、話してよろしいですね?」
皇帝と交渉するのはカプラン元帥だ。論客を手札が不足した状態で言葉の戦場に送る訳にはいかない。不老の誘惑に惑わされる男ではないと信じよう。
「カプラン元帥とローゼ姫は知っておくべきだと思います。」
姉さんは頷いて、御門家の血統秘伝"心転移の術"について説明した。秘術の概要を聞かされた二人は、しばらく言葉を失っていたようだが、カプラン元帥が唸りながら口を開く。
「……う~む。他者の肉体に憑依するどころか、魂を結合させる秘術とはね。にわかには信じ難い話だが、私とローゼ姫を謀る理由がない。」
「……父の狙いがわかりました。真摯に後継問題に向き合っているとは思えなかったのですが、それも当然。ゴッドハルト・リングヴォルトの真の目的はミコト様を略取し、秘術を用いて"永劫の支配者"になる事だった。」
「なるほど。クローン体を用意して次々と体を乗り換えれば、不死は無理でも不老は実現可能だ。皇帝と煉獄は同じ夢を見ているようだね。実にくだらない!ローゼ姫には酷な話だが、それは"自分以上に大切な人がいない者"の発想だよ。」
カプラン元帥にはジゼルさんが、災害閣下にはアレックス准将やサンドラちゃんが、兎我元帥にも曾孫の忠雪クンがいる。だから皇帝や煉獄の身勝手を許せない。未来へのバトンは託すべきモノで、独占してはならないんだ。
「……はい。老いる事なき永劫の支配者なんて、病的な自己中心主義者でなければ考えないでしょう。皇帝がごく稀に見せてくれる"父親の顔"を嬉しく思いながらも、小さな違和感を拭いきれませんでした。……違和感の正体は"薄っぺらさ"だったのでしょう。釣り人が良竿を手に入れた時に見せる笑み……私も兄上も、父にとっては"血を分けた道具"に過ぎなかった……」
膝の上で手を震わせるローゼ。高校受験に失敗した時に親父が見せた能面のような顔を思い出して、心が痛む。オレとローゼはよく似ている。将来を嘱望されるエリート官僚と、広大な領土を持つ現役の皇帝。スケールは違うが、父親は子ではなく、己が野心を愛している。
かつて感じた痛みを和らげてあげたい。ローゼの震える手にそっと自分の手を重ねた。
「……カナタ……」
「オレ達はあんな風にはならない。そうだろ?」
「うん!」
潤んだ瞳の奥で輝く光。野薔薇の姫は鳳凰の魂を持つ女。不退転の決意と覚悟で艱難辛苦を乗り越え、停戦を実現した。何度打ちのめされても立ち上がり、強く気高く生きてゆく事をオレは知っている。
「ゴッドハルト元帥には叶わぬ夢を抱えたまま、老い朽ちて頂こう。私は停戦交渉前の公式会見で"ローゼ姫と薔薇十字は停戦の立役者。公正公平を旨とする帝国は、功績に対して厚く遇する事だろう。もし彼女らが不当な扱いを受けるようであれば、到底看過出来ない"と声明を出す。内政干渉は出来ないが、歯止めはかけられるだろう。」
思ってもいない事を胸を張って言えるのがタフネゴシエーターだ。皇帝に先制パンチを喰らわそうってんだな。
「カプラン元帥、講和交渉の場でシュガーポットの帰属権が議題に上るはずです。サイラスが無血開城で手に入れたカタチですが、帰属権を放棄する代わりにローゼと薔薇十字を駐屯させるように持ち掛けて下さい。奪取に成功したサイラスの賛同があれば、皇帝も無碍には出来ないでしょう。」
「上手い手だね。皇帝からすれば、目障りな薔薇十字を帝国外に追放したとも言えるが、砂糖壺には迂闊に手出し出来ない。迫害の度が過ぎれば、要塞ごと同盟に亡命される恐れもある。我々としても、同盟領に隣接する巨大要塞に駐屯しているのが薔薇十字ならば安心だ。」
「そういう事です。まずは薔薇十字の安全を重視しましょう。講和条約締結後に、友好親善都市としてシュガーポットの都市化を図ります。御門グループと御堂財閥がガンガン出資して、大いに発展させる。シュガーポットを自由都市同盟と世界統一機構の窓口、薔薇十字の基盤都市にするんです。」
利権が生じるなら、黙って見ている論客閣下ではない。即座に一丁噛みしてきた。
「フフッ、もちろん我々も出資する。連邦だけに美味しい所は渡さないよ。」
「薔薇十字を守る為にそこまでしてくださる事に感謝します。話を戻すのですが、父がミコト様を手に入れたい理由は永劫の支配者になる為だけですが、朧月少将にはもう一つ狙いがあります。カナタ、話してもいい?」
「もう一つの狙いとやらはオレも知らない話だ。話してくれ、奴は何を狙っていたんだ?」
「最終戦役が始まる前に、少佐から教えてもらったの。世界昇華計画の鍵を握っているのはミコト様だって。」
叢雲討魔は世界昇華計画の中心人物、鷺宮
「世界昇華計画!? まさかアスラが関わってはいないだろうね? 字面からして嫌な予感しかしないのだが……」
「関係大ありです。計画の推進者……いえ、メインエンジンだったと言っても過言ではありません。」
カプラン元帥は身を仰け反らせて天を仰いだ。
「あのバカは本当に!ザラゾフが※"何かをやらかす時の気配を感じた"と言っていたが、本当にやらかしていたのか!」
「残念ながら。まず、世界昇華計画を発案したのは御門儀龍氏でした。彼の理想に協力したのが叡智の双璧と謳われた鷺宮永遠と白鷺深怜。深怜博士がアスラ元帥と結婚したのはカプラン元帥もよくご存知の筈です。」
「もうお気付きだと思いますが私の指南役、桐馬刀屍郎の正体は叢雲宗家の嫡男、叢雲討魔です。少佐の話では、永遠博士は計画には懐疑的で、別な目的があって協力していたのだそうです。その目的とは"過剰過ぎる念真力に蝕まれる息子を超人化し、延命させる事"だったのですが……」
昇華計画の生き証人、九曜公丈も"永遠博士は計画に懐疑的だった"と言っていたな。人外の念真力で死に至る息子を助ける為に計画に協力していたのか……
オレの愛する小悪魔少女も、バイオメタル化してなかったら危なかったかもしれないよなぁ。永遠博士に感謝しよう。
「人外中の人外の誕生秘話か。続きを聞かせてくれたまえ。」
オレとローゼは互いの話を補完しながら、カプラン元帥に世界昇華計画の概要を話した。話を聞き終えたカプラン元帥は、細巻きの葉巻を吹かし始める。
「……なんて事を……アスラが事故死したのは幸いだったかもしれないな。」
カプラン元帥はアスラ元帥が暗殺された事を知らない。……真実を話しておくべきだろうか?
「とにかく、我々の体には殺人衝動抑制プログラムとやらが組み込まれていて、昇華計画が発動されたら、
「我ながらビックリですよ。姉さんにお祓いしてもらっても、まるで効果なしです。」
……話すのはよそう。話せばカプラン元帥はイスカに疑いの目を向ける。東雲刑部の戦死にイスカは関わってない。……ない筈なんだ。
「煉獄が一発逆転を狙うには、昇華計画の発動がうってつけだね。とはいえ、彼は人工島…というより超巨大水中要塞と言うべきかな。鍵となる"竜宮"を発見出来ていまい。戦争犯罪者として裁かれる可能性があるのに、深海に逃げ込んでいないのだからね。」
戦争は終わった。煉獄はまな板に載った鯉も同然、皇帝が決断すれば処刑を免れない。可能であれば、誰も手出し出来ない深海に潜んで冷凍睡眠に入り、時節の到来を待つ道を選ぶに決まっている。そうしないのは出来ないからだ。
「カプラン元帥、竜宮は金庫室で、鍵はミコト様です。少佐は"竜宮にある※封印解除パルスの発信装置は、天心通を増幅させるものだろう"と仰っていました。」
ローゼの言葉で皆が核心に気付いた。そうか!姉さんが停戦を呼びかける時に使った天心通は、テレパス通信と違って受信者の許諾は必要ない。拒絶不可能な天心通を使って、殺人衝動抑制プログラムの封印を解除する仕組みなんだ。発案者の儀龍も龍眼を持っていた。龍石と発信装置で天心通をブーストすれば、世界全域に届くだろう。なにせ、龍石の力を借りた姉さんは、時空を超えて爺ちゃんと話せていたんだからな。
「……砂漠で針を探すような話だが深海に潜む竜宮を発見し、破壊しよう。世界昇華計画は闇に葬るべきだ。僅かであっても発動の可能性があるなら、未然に摘んでおかなければならない。水中用のインセクターを大量生産し、人海戦術で……それも危険だな。」
「AI搭載の自動操縦機を投入すべきですね。そのAIを少数の人間で管理すればいい。モノが巨大ですから、時間をかければ発見出来るでしょう。」
「鍵となるミコト姫の警護体制に万全を期す事が第一だ。刑部クンの轍は踏めない。」
カプラン元帥が聞き捨てならない事を言ったので、オレは即座に問い糾した。
「東雲中将!? 中将の轍は踏めないってどういう意味ですか!」
「内通者に要注意という事だよ。カナタ君も疑問だったはずだ。刑部クンは極秘裏に兎我元帥の救出に向かったのに、機構軍は彼の来援を予期していた。実際に救出艦隊を捕捉したのはナバスクエスだが、彼にそんな情報収集能力があるとは思えない、とね。」
その通りだ。そこがどうしても引っ掛かっていた。
「瑞雲のクルーに内通者がいたって事ですか?」
「刑部クンの人を見る目は確かだよ。内通者が潜んでいたのは救出を要請した兎足王だ。ローゼ姫と同じパターンさ。パラスアテナに工作員を送り込むのは不可能でも、脇の甘い帝国旗艦になら可能だっただろう?」
そういう事だったのか。伊奈波艦長は優秀で忠実な軍人だが、部下までそうとは限らない。艦長のような硬骨漢を冷遇し、五本指みたいな胡散臭い連中を重用してきたのがトガ派なんだ。裏切り者が潜んでいてもおかしくない。五本指のリーダー、ツユリだってカイルの息のかかった裏切り予備軍だったじゃないか!
クソッ!……オレとした事が、何たるしくじりを。兎足王から情報が漏れる可能性に気付いていれば、東雲中将を行かせたりしなかったのに!
「……中将を売った裏切り者は突き止めたんですよね?」
怒気を抑えきれない質問に、カプラン元帥は冷笑しながら答えた。
「既に処分した。トガ元帥の立場をこれ以上悪くしたくないので、事故死に見せかけたがね。この事は御堂少将には伏せておいてくれたまえ。報復を考えられても困るからね。もちろん、伊奈波艦長にもだ。」
事故を装って処刑済みか。そうするしかないだろうな。公にすればトガ元帥はもちろん、伊奈波艦長も監督責任を問われる事になる。カプラン元帥にとって同盟旗艦ル・ガルーを任せた艦長は身内も同然。名誉を守ってやりたいに決まっている。
「わかりました。姉さん、帰国したらツバキさんと新竜騎は遠ざけます。鯉門アラトには罪科もありますしね。」
帝派から裏切り者が出るとすれば、竜胆ツバキと新竜騎だ。中将の二の舞は演じない。
「カナタさんが必要と思う処分を行って下さい。私は支持します。」
命令を無視したのは
天羽の爺様には悪いが、功名心に駆られてトシを死なせてお咎めなしでは、一族に対して示しがつかない。
……上官として命じるのは不名誉除隊、惣領として命じるのは一族からの追放。信頼出来る人に身柄を預けて小天狗の反省を促そう。親友を死なせてしまった自責の念から立ち直り、私心を捨てて一族に尽くせる男になったら帰参させればいい。怒りと苛立ちがやや収まると、安堵している自分に気が付いた。
……よかった。イスカは中将の死とは無関係だったんだ。信じたつもりでいたのに、心のどこかで疑っていたんだろう。まったく、自分の器の小ささが嫌になるぜ。
※ザラゾフの証言
本作第十三章13話「パブリックエネミー」でのザラゾフ元帥とカプラン元帥の会話に記述されています。
※封印解除パルス
本作第八章9話「統治の血族と選ばれし兵」に世界昇華計画の概要が記されています。
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