哀歓編4話 未来への出航
パーチ会長とランキネン理事長を交えて、講和条約締結までのロードマップとスケジューリングを話し合う。会長は最初に方舟計画誕生の経緯と概要を皆に説明し、現在状況を報告した。
彼の言によると、世界各地に点在する極秘施設に設置してある冷凍睡眠ポッドの整備は既に開始されていて、約二週間で数万の兵士が収容可能になるとの事だった。
「第一次バイオハザードが発生した直後に作られた、ずいぶん古い機械なんだろう? 壊れたりしないんだろうな。」
ヒンクリー少将が懸念を口にしたが、パーチ会長は涼しい顔で答えた。
「環境が回復するまで眠る前提で設計されたポッドですから、耐用年数は500年以上あります。自動修復装置を備え、仮に不具合が生じても複数のサブシステムが起動してポッド内の兵士の安全を守る設計になっています。既に2000を超えるポッドの点検を行いましたが、不具合は0です。講和条約が締結されるまで長くて半年でしょう。安全は保障致しますから、ご安心ください。」
御堂財閥も系列の鉱山会社が偶然発見した秘密施設の冷凍睡眠ポッドを解析して、金持ち相手に冷凍睡眠サービスを行う会社を経営している。既にコールドスリープ技術は確立されていて、運用には何の問題もない。
「ポッドの安全は信用するとして、施設の安全は大丈夫なのかね? これまで存在を知られずにきた秘密施設だ。街中にある訳じゃないのだろう? 荒野には無法者がいる、決して安全ではない。」
カプラン元帥の質問にも、パーチ会長は淀みなく答える。
「中立組織への不可侵権を利用し、街中にある大規模施設もございます。ですが、秘匿性の高い施設は荒野の地下にあります。異名兵士を始めとする強力な兵士はそちらに収容される予定です。場所を知っているのは私と前会長のみ。前会長は鬼籍に入られましたので、知っているのは私だけですね。」
「現在、点検を行っている技術者は場所を知っているでしょう?」
オレも質問してみたが、元は選ばれし者を自称するお偉いさん方を保護する為の計画だっただけに、機密保持体制も盤石だったらしい。予想以上の答えが返ってきた。
「各施設に対応した特殊な専用作業車がございまして、自動で当該施設に到着します。窓のない貨物室で冷凍睡眠された技術者は施設内で目を覚まし、作業を終えたらまた眠る。そして私が帰投してきた作業車からナビゲーションシステムを外して破壊します。ハッキングされる心配もございません。位置データは、ここにしかありませんから。」
パーチ会長は自分の頭を指先で叩いた。メモの類を一切持たない彼は、教授やリリスと遜色ない記憶力を持っている。
「偶然の侵入者に対する備えは?」
我ながら疑り深いが、オレ達の安全に関わる事だ。疎かには出来ない。
「施設内には赤外線、重量感知、二酸化炭素探知、音響探知、あらゆるセンサーを配備しており、私以外が入ろうとすれば、冷凍睡眠が解除されます。名うての兵士ならば、荒野の無法者ごときは敵ではないでしょう。そして此度の戦は総力戦でしたから同盟軍も機構軍も、隠匿していた秘密部隊を戦線に投入されました。……例えば公爵のお父君とか、ね。」
ランキネン理事長が説明を引き継いだ。
「あらゆる部隊に通貨安定基金が監視員を派遣します。大隊単位で動けなければ、施設を力尽くで襲撃する事など不可能です。問題は逃亡兵、特に"純白の"オリガとスネグーラチカ残党ですが、秘密施設の場所を知る事など叶わない。パーチ会長しか手掛かりはないのですから。もちろん、ゴッドハルト元帥の許諾を得て、朧月少将の船には既に監視員が常駐しています。」
ヘリで逃亡したオリガは単独行動、徒歩で逃げてる残党は散り散りになってる上に陸の海賊に追われてる。上手く逃げ果せても、40人いるかいないかだ。煉獄が監視下にあるなら、脅威にはなるまい。
荒野を徘徊する無法者が偶然発見する可能性があるだけなら、何の問題もない。冷凍睡眠が解除されるなら、どうとでも出来る。それに荒野の秘密施設群は半世紀前から存在していたにも関わらず、ヒャッハーどもは発見出来なかった。金にはならなくても、ねぐら代わりには使える筈だが、スキルのない無法者にどうにか出来る代物じゃないって事だ。
「そういう事なら残る問題はパーチ会長の警護だけだね。」
サイラスがそう言うと、パーチ会長はニッコリ笑った。
「ここでは敢えて兵器という言葉を使わせて頂きますが、兵器凍結を終えた私は講和条約の調印式まで、某所に身を隠します。絶対に安全な場所ですから、ご安心を。」
そう言ってから、パーチ会長はオレにテレパス通信で在所を明かした。
(公爵、私は火隠れの里に身を隠そうと思います。ローゼ姫には申し訳ないが機構領は信用なりませんし、中立都市も中立とは限らない。忍者屋敷に潜入するのは至難で、人を匿う隠し部屋もあるはずです。緋眼殿に口利きをお願いしたい。)
(わかりました。上手い手を考えましたね。ついでに凍結作業を行う間の身辺警護も頼んでおきます。)
(それはありがたい。兵器凍結の最後は緋眼殿とそのお仲間、という訳ですね。)
世界最高の気配感知能力を持つマリカと、千里眼のホタルが警護していれば、パーチ会長を害する事など出来ない。会長を疑う訳じゃないが、同盟側のコア軍人が傍にいるならオレも安心だしな。
「パーチ会長、ランキネン理事長、皇帝は人間兵器凍結の第壱号に私を指定するはずです。」
能力を考えれば最優先はイスカだが、皇帝は能力よりもローゼとの関係性を重視するだろう。タムール平原にいる皇帝は、イスカとは直取引を模索するはず。戦後を考えれば、アスラ派と帝派を分断するのが得策だからな。どうせ取られる利権なら、イスカを特例除外にするか遅らせるかして、アスラ派に取らせる。
皇帝はアスラ派の首魁イスカと、帝派の大番頭(雲水代表)とそのシンパ、尾長鶏、薔薇姫、小判鮫の間に溝がある事を知っている。帝派が反発すれば儲けものってところだろう。
「残念ながら、そうなるでしょうね。」 「公爵は最終戦役で最大の戦果を上げたお方ですから。」
「機構軍の指定第壱号は朧月セツナ少将だ。彼と同時でなければ、私は指定を拒否します。皇帝にその事を念押ししてください。」
奴さえ封印しておけば、講和条約は締結される。同盟側が切り崩されない限り、な。皇帝は同盟側、特にドラグラント連邦の不和を望んでいて、躍起になって分断工作を仕掛けて来るはずだが、ゴッドハルトだって講和条約の締結阻止は狙っちゃいないんだ。ネヴィルが戦死した事によって、王国を取り込める好機が到来した。最終戦役では敗北寸前まで追い詰められたし、世界統一機構を掌握して軍を再建するまでは戦いたくない筈だ。
「同盟軍最強と機構軍最強の同時封印。当然の要求ですね。」 「必ずお伝えし、実行して頂きます。」
煉獄が拒否ってくれりゃあ、もっけの幸いだ。講和条約の締結が遅れるとしても、両軍の協同作戦で奴と兵団を葬る。ついでに皇帝の陰謀も未然に阻止しておこう。
「伝言はもう一つあります。講和条約が締結されて、双方の国情が安定してからのお話になりますが、"大龍君が王国を表敬訪問される際は、皇帝陛下もご一緒に"と強く希望されています。もちろん、私も同行致しますので。」
会長と理事長は龍姫の顔を窺ったが、姉さんは穏やかに微笑みながら頷いた。
「王号を有する陛下と私が、新国王マデリン陛下の即位を祝う。龍弟公の言葉は私の言葉です。」
仁君に裏の意図はわかっていないと思うが、オレを信じて了承してくれた。だが、赤ワインで喉を湿らせた智将が口を挟んでくる。
「……なるほど。皇帝に"王国を表敬訪問した帝を略取しようとしても無駄だ"と警告しておくのか。カナタは手厳しいね。」
「サイラス!憶測で…」
「憶測ではないよ。皇帝と戦死した国王、それに煉獄が"帝にご執心"だという話は私も聞き及んでいる。王国を表敬訪問された帝を、ネヴィル派を装った帝国の手先が誘拐して、責任は王国になすりつける。皇帝は王国の背信行為を烈火の如く糾弾し、率先して懲罰軍を送り込んで王国を占領。念願の龍姫と新たな版図を手にして、めでたしめでたしだ。」
その通りだ。おまえが知恵者なのは知っているが、黙っておくのも知恵なんだぞ。
「まさかそんな!」 「いくら父でもそこまで卑劣な手は……」
腐った発想に縁がない姉さんとローゼは驚愕し、したり顔のサイラスは解説を続ける。
「だけど皇帝が帝と一緒に表敬訪問するなら、変事があれば即座に剣狼に斬り殺される。まあ、狙いを見抜かれてる時点で諦めるしかないのだけれどね。」
「サイラス、言っていい事と悪い事があるだろう。」
「もちろんだ。言うべき事だから言ったまでだよ。人間の醜悪な部分から龍姫と野薔薇の姫を遠ざけたい、カナタの気持ちはよくわかるよ。だけどね、どんなに大事な人でも過保護は良くない。キミはすぐに自分を犠牲にして誰かを守ろうとするけれど、それがいい事だとは思えないね。」
自己犠牲に酔ってる訳じゃない。人間には向き不向きがある、それだけの話だ。
「手を汚す人間は少ない程いい。オレやサイラスのような性悪が向いているんだ。」
「悪党のサイラス・アリングハムは、打算の産物で剣狼カナタと手を結んだ。だけどね、打算抜きで動く事だってある。私は天掛カナタの友人として、キミが一人で苦労を背負い込もうとする姿は見ていられない。だから不粋を承知で、二人の姫君にも闇を分かち合ってもらおうと思ったまでさ。」
「………」
「ローゼ姫とミコト姫が指導者でなければ、私も黙っていただろう。だが、自力で戦えない者は指導者になるべきではない。権力には正負を問わず、責任が伴うものだからだ。講和条約が締結された後も、私と野薔薇の姫にはそれぞれの戦いが待っている。共に戦う盟友として、ローゼ姫には暗闘の何たるかを知っておいて欲しい。それは今まで、死神が肩代わりしてきた事だからだ。」
サイラスは死神の正体に勘付いていて、すぐには無理でも、いずれは照京へ帰したいと思っている。それが姉さんの悲願であり、連邦の国益にもなると考えて、手助けするつもりだろう。連邦の後ろ盾を得ながら隣国の薔薇十字と共闘し、ノルド王国の復活を目指す。それがアリングハム公サイラスの描く戦後の姿だ。
「前途多難ではあるけれど、戦争は終わった。この場にいる者だけは団結して、未来に向かって出航しよう。Bon voyage!」
カプラン元帥に敬意を払ったのか、サイラスはワイングラスを掲げながら、フラム語で新たな旅路を祝した。失脚しようが智将の元を離れなかった兵が多かったのも頷ける。敵からすれば、計算高く油断のならない男だが、ノルド人にとっては賢明で情理を兼ね備えた指導者なのだ。
脆弱な肉体に強靭な意志、そして情実をも内包する先見性。……智将サイラス、大した男だぜ。
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