哀歓編3話 人間兵器指定条項
「龍弟公、お久しぶり…と言って良いものやら。奇縁ですな。」
女神の間には大きな円卓が設えてあり、高官が着座していた。席を立ってオレに会釈したのはクラウス・クリフォード卿。薔薇十字の幹部で赤銅の騎士団団長、帝国の外交官も兼務している。野薔薇の姫の側近中の側近と言える存在だ。
「クリフォード卿、バルミット要塞へようこそ。未熟を悔いる事が多かったですが、未熟でよかったと思える事もあります。」
会釈を返して握手する。戦場で会った時のように、口髭と顎髭は綺麗に整えられていた。
「仰る通りですな。殿下が今少しの経験を積まれていたら、吾輩はこの場にいなかったでしょう。」
新兵だったオレはクリフォード卿と戦い、勝利した。しかし、粗さの残る未熟な剣は命を奪うに至らなかった。もしクリフォード卿を殺していれば、オレとローゼの関係はまるで違ったものになっていただろう。
本当に幸運だった。権力に愛情を注ぐ実父や実兄に代わって、ローゼに愛情を注いできたのは三人の騎士。クリフォード卿が生きてこの場にいる事には、公的にも私的にも計り知れない価値がある。
「役者は揃ったようだね。では停戦協定の成立を祝して乾杯しよう。音頭はアリングハム公にお願いしようか。」
カプラン元帥に指名されたサイラスは、芝居がかった笑顔で頷いた。
「では僭越ながら私が乾杯の音頭を取らせて頂こう。自由都市同盟と世界統一機構の停戦を祝し、講和条約の樹立を祈念して……乾杯!」
皆でワイングラスを掲げて停戦を祝う。未成年のローゼだけは赤ワインではなく葡萄ジュースみたいだけど。
ドラグラント連邦総帥=御門命龍、薔薇十字総帥=スティンローゼ・リングヴォルト、自由都市同盟軍総司令官=ジョルジュ・カプラン、王国公爵=サイラス・アリングハム、同盟軍少将=クライド・ヒンクリー、帝国子爵=クラウス・クリフォード。そして連邦軍軍監のオレがこの会合の参席者だ。
ザラゾフ夫人と兎我元帥も要塞に来ている筈だが、あえて顔を出さずにいるのだろう。兎我元帥は事実上、引退の身で、ザラゾフ夫人もこれからの事は息子に任せて身を引く意向だからだ。英傑に戻ったカプラン元帥なら、皆の立場を考えて交渉してくれると信頼しているって事でもあるな。
「カナタ君、すまなかったね。だがキミは知らない方が良いと思ったのだ。」
「一人でも多くの命を救いたい。私とローゼさんの想いを元帥は汲み取ってくださったのです。」
姉さんとカプラン元帥の考えは理解出来る。姉さんは一人でも多くの兵士を救おうとし、カプラン元帥はオレと司令の関係が拗れないように慮ってくれた。郊外戦を了承したのは、停戦協定が成立するか不分明だったからだ。事実、使節団はオリガに襲撃されて危機一髪だったんだからな。
「同盟軍総司令官は閣下です。どのタイミングで停戦するかも閣下がお決めになる事だ。ですが……本音を言えば、煉獄は仕留めておきたかった。」
最後の攻防がどうなっていたかはわからない。勝てていたとは思うが、確信はないのが正直なところだ。だが、煉獄を生かしておけば禍根を残す。それについては確信している。
「私も朧月セツナの戦死を望んでいたから、キミを郊外戦に送り出したのだ。しかし、タムール戦域も逼迫していてね。軍神イスカと死神トーマが一騎討ちを演じ、どちらが斃れてもおかしくない状態だった。薔薇十字指南役・桐馬刀屍郎が戦死すれば薔薇十字が、同盟軍副司令官・御堂イスカが戦死すればアスラ派が停戦を良しとするまい。……だから決断せざるを得なかったのだ。」
医療ポッドに入る前に"イスカも部隊長達も無事だ"と聞かされていたが、そういう状況だったのか。だったらやむを得ないな。イスカが聞いたら怒るに違いないが、死神に勝てていたとは限らない。イスカは天才だが、死神は超人。勝敗はオレにも読めない。
「納得しました。イスカを死なせる訳にはいかない。もちろん、桐馬刀屍郎もです。」
偽名を名乗っちゃいるが、死神トーマは叢雲討魔なんだ。彼が死んだらローゼと姉さんは深く傷付く。死なせてはならない二人のどちらかが斃れるとなれば、あのタイミングで停戦するしかない。
「朧月セツナが生き残ったのは私としても残念だよ。これは本国からの情報なのだが、皇帝とマッキンタイア侯は早くも裏取引をしたようだね。」
煉獄の死を望んでいたのはサイラスも同じだったらしいが、裏取引とは聞き捨てならないな。
「ゾンビソルジャーを筆頭に、戦争犯罪は戦死したネヴィル元帥とオルグレン伯におっ被せようって話か?」
同盟軍と機構軍が双方の戦争犯罪を糾弾し合ったら講和どころじゃなくなる。機構軍ほどじゃあないが、同盟軍にも追求を避けたい案件はあるのだ。
フラム閥領袖のカプラン元帥とルシア閥を引き継いだアレックス准将からすれば皇帝の付けた条件、"戦争犯罪は当事国で裁く"は渡りに船。
イスカが強気でいられるのは、アスラ派には突かれて痛い腹がないからだ。吸収した兎我派の残党を含めても、あくどい事はやってるが、戦争犯罪に手を染めちゃいない。悪事を働いてた連中は吸収前にイスカが粛清&投獄済みだ。
「そういう事だね。母国が不名誉を肩代わりする見返りに、皇帝はマッキンタイア侯の宰相就任を後押しする。マデリン王女はまだ幼いから宰相は必要だとしても、よりによってマッキンタイア侯マーカスとは。いやはや、王国の人材は払底しているね。」
「アリングハム公が宰相になられるべきでは?」
ローゼはそう言ったが、サイラスは首を振った。
「遠慮しておくよ。皇帝はいい顔をしないだろうし、宰相就任は私にとっては不都合なのでね。」
王国からの分離独立を目指すサイラスは、国をまとめるべき立場の宰相に就く訳にはいかない。国を切り盛りする身で分離独立を主導すれば、猛反発されてたちまち失脚し、計画が頓挫しかねないからだ。だったら暗愚な宰相を相手に独立運動をやる方が余程いい。サイラスにはサイラスの思惑があり、咎める事は出来ない。
「……なあ、空気を読まずに発言させてもらうが……この"人間兵器指定"ってのはなんなんだ?……」
オフィスワークが苦手なヒンクリー少将は渋々合意文書に目を通していたが、問題条項に気付いて怪訝そうな顔になった。オレも眼旗魚で治療しながら、リリスからレクされただけで全文に目を通しちゃいないのだが、これが皇帝の突き付けてきた刃なのはわかっている。
「講和条約が締結されるまで、人間兵器指定を受けた兵士は冷凍睡眠に入るって事です。要は"兵器凍結条項"ですよ。」
機構軍が劣勢に立たされてからの停戦協定だったから、ほとんどの条項は同盟軍に有利なものになっている。だが皇帝は最もらしい理由をつけて講和交渉を有利に運べる条項を盛り込んできた。
「……人間兵器の最たる存在、完全適合者は例外なく兵器指定を受けるものとする。おいおい、この条件だと剣狼も指定されちまうぞ!」
ヒンクリー少将は目を剥いたが、皇帝の狙いはそれだ。まず自軍で定めた指定リストを交換し、その後に機構軍に対してはカプラン元帥が、同盟軍に対してはゴッドハルト元帥が、定められた枠数で追加の"兵器指定"を行うルール。異名兵士はもちろん、アスラコマンドは全員が兵器指定される事になるだろう。
「オレが人間兵器指定の第壱号でしょうね。」
オレやイスカ、テムル総督のような強力な兵士かつ母都市や派閥に強い影響力を持つ人物を講和条約締結まで封印し、その間に巻き返しを図りたいってところだろう。もちろん、兵器指定された機構軍の兵士も冷凍睡眠に入る事になるが、講和交渉の責任者である皇帝は当然ながら除外対象だ。
だが名うての論客、カプラン元帥が健在である以上、大幅な譲歩は期待出来ない。皇帝の真の狙いは…
「私はもちろん、薔薇十字の幹部と団員は全員指定されるでしょうね。これは父による"薔薇十字弱体化"の策でもあるのですから。」
薔薇十字を率いるカリスマ、ローゼはもちろん、皇帝としては小煩い辺境伯も講和交渉には関わらせたくない。提出されるリストには薔薇十字の要人と黄金、真銀、赤銅の騎士達の名が列挙される事になるだろう。この条項は内向きの策、皇帝は一大勢力に成長した薔薇十字の力を削ぎたいのだ。
同盟側に干渉するとすれば、イスカと交渉する為の切り札として使う、かな。特例としてイスカの除外を認める代わりに、何らかの条件を飲ませるってとこか。交渉の権限がカプラン元帥に一元化される事を嫌うイスカに付け込もうとするに違いない。
「待て待て!それじゃあ万単位になるぞ!そんな大量のコールドスリープポッドが何処にある!今から作ろうってのか!だいたい、冷凍睡眠に入る兵士の安全を誰が保障するんだ!」
ヒンクリー少将はテーブルを叩きながら、至極真っ当に熱弁した。確かに万単位のコールドスリープポッドが完成するまで講和交渉が始まらないなら、早くて半年、遅ければ一年以上かかってしまう。
「あるんですよ、既に。世界各地に大量のコールドスリープポッドを保有している団体がね。安全を担保するのも彼らです。」
皇帝は"※方舟計画"の存在を知っていたらしいな。じゃなきゃあ、こんな条項を思い付かないだろう。コンコンと女神の間の大扉をノックしてから、赤毛の兵士が入室してきた。
「失礼するであります!酸素供給連盟のバルトロメオ・パーチ会長と通貨安定基金のラムザ・ランキネン理事長がお見えになられましたのであります!」
「すぐに案内してくれたまえ。彼らは講和交渉の立会人だ。」
ビーチャムに案内されたパーチ会長とランキネン理事長が女神の間に現れて祝辞を述べる。
「皆様の尽力で長きに渡った戦争も無事終結致しました。酸素供給連盟を代表してお祝い申し上げます。これで平和で緑豊かな世界が到来するでしょう。」
「おめでとうございます。戦争の終結こそ通貨安定の第一歩。通貨安定基金も講和条約樹立に協力させて下さい。」
「パーチ会長、ゴッドハルト元帥から人間兵器指定条項への協力を要請されたんですね?」
オレが問うとパーチ会長は重々しく頷いた。
「はい。陛下は方舟計画の概要をご存知でした。かの計画には帝国からも資金を援助したのだとか。」
なるほど。帝国がスポンサードしてたから、極秘計画を知り得ていたのか。まあ、巨額の資金が必要な話だからな。バイオハザードで荒廃しつつある世界を目の当たりにした当時の皇帝は、"選ばれた人間が冷凍睡眠に入って環境の回復を待つ計画"に一枚噛んでおく事にしたのだろう。
ランキネン理事長と並んで着座したパーチ会長に念を押しておく。
「第三者の酸供連が兵器指定された兵士の安全を担保する、でいいんですね?」
「はい。酸素供給連盟と通貨安定基金はあくまで中立組織、どちらにも与しません。龍弟公もローゼ皇女もよくおわかりでしょうが、我々としても講和条約の樹立は悲願なのです。平和が一番ですからね。」
パーチ会長は戦争なんぞサッサと終わらせて、戦費削減で浮いた資金を緑化事業に投資して欲しいと考えていて、ランキネン理事長(というより通安基の司令塔である
思惑は違えど、平和を望んでいるのは間違いないし、皇帝に肩入れする理由もない。信用するしかなさそうだな。
※方舟計画
方舟計画(元は舟板計画)の概要は、今作第八章「侵攻編」の11話後半と12話前半でパーチ会長が述べています。
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