第十七章 哀歓編

哀歓編1話 厭世家と現実家



バードビュー・サイド(タムール平原・前話と同刻)


投影された停戦合意書を目にした男は納刀し、女に背を向け去って行く。


「死神!まだ決着は…」


「停戦が成立した。戦争は終わりだ。」


「私が下した決断ではない!!」


軍神と称えられる女は満身創痍の体で叫んだ。彼女の戦歴で、これ程の傷を負った事はない。だが体力に反して気力は漲っている。何事も自分で決断してきたイスカにとって、他者によってもたらされた予期せぬ決着は受け入れ難いものだった。


「おまえに決定権はない。同盟軍総司令官・カプラン元帥が停戦合意書にサインした。それが全てだ。」


他者によって故国を追われた男もまた、満身創痍だった。望まぬ過去を強いられた死神は、停戦に異存はない。彼は軍神との一騎討ちも望んではいなかったのだ。


「カプランめ!完全勝利まであと一歩…あと一歩だったのに!」


最後の一歩が難しいのさ、と死神は思ったが口にはしなかった。挫折と失望に慣れた男は、物事に完璧など求めない。怠惰な厭世家ペシミストは、諦めを知らぬ姫君の為に戦ったに過ぎなかった。彼女には、自分のようになって欲しくなかったからだ。


「フフッ、俺もセツナも命拾いしたな。軍神、野薔薇の姫は龍姫と手を取り合い、戦争を終わらせた。不本意かもしれんが従っておけ。最終的にはおまえが勝つだろう……たぶんな。」


振り返る事なく、死神は自陣へ向かう。賢明な現実家リアリストが停戦合意に背く事はないと確信しているのだ。現実を直視したイスカは、心に点睛を欠いたまま命令を下す。


「全軍戦闘停止!!負傷者の収容を急げ!」


主に駆け寄って来た老僕が不満げに問うた。


「イスカ様、停戦をお認めになられるのですか?」


「やむを得んだろう。背けば叛逆罪に問われる。」


アスラ元帥の死後、三元帥による三頭体制を敷いた同盟軍には総司令官が不在だった。誰かが総司令官への就任を試みても、残る二人が反対するので定めようがなかったのだ。しかし彼らは最終戦役が勃発する前に結束し、ザラゾフ元帥の後を継いだカプラン元帥が総司令官に就任している。停戦から講和、このような重大な事案を相談なしで決定された事に不満はあっても、副司令官ナンバー2のイスカが決定を覆す事は制度上不可能。


対する機構軍といえば、ゴッドハルトもネヴィルも、肩書きが相手の下になる事を断固拒否した為、機構軍には"総司令官が二人いる"という歪な構造が続いていた。実態はともかく、形式的にはゴッドハルト元帥にはフー元帥、ネヴィル元帥にはナバスクエス元帥が副司令官として補佐する事になっており、お飾り元帥のアムレアンは"元帥府特別相談役"という実権皆無の名誉職を与えられている。


軍権を二分していたネヴィル元帥が戦死した以上、機構軍総司令官はゴッドハルト元帥が単独で務める事になる。そのゴッドハルト元帥と同盟軍総司令官のカプラン元帥が停戦合意書にサインしたのだから、文句の付けようがない公文書であり、背けば言い逃れは出来ない。


「イスカ様が御無事だったのは何よりですが……カナタめがまた勝手な事をしたのではありますまいな。」


「どうかな。下地を作ったのはカナタに違いないが、このタイミングでの停戦は望んでいなかったように思うがな。」


イスカはリストバンド型戦術タブレットを操作して、バルミット方面の情報に目を通す。


"カナタも煉獄も無事、こちらと同じで一騎討ちを演じている時に停戦を知らされたようだな。……カナタが郊外戦に持ち込んだのは、煉獄を始末するつもりだったからだ。このタイミングでの停戦を画策していたのであれば、兵団など北上させれば良い。そうすればタムール平原に向かっている間に停戦合意が為され、戦死者も出なかった。つまり、この件には無関係だ。"


バルミット方面の情勢を読み取ったイスカは情報画面をタムール方面軍に切り替え、医療体制の構築を素早く指示する。兵士の命を救う作業を完璧にこなしながら、別な思考を並行出来るのが彼女の天才ぶりを示している。


"カナタが停戦を模索していた事は間違いないが、降伏勧告に近いカタチでの通告を考えていた。ベストシナリオはこちらの戦域が膠着している間に、兵団を撃破する事だった。共謀していたかは不明だが、死神も膠着させての停戦待ちで、皇帝が総攻撃に打って出たのは計算違いだったはず。……このタイミングでの停戦……首謀者は敵地に赴いて来た野薔薇の姫、龍姫とカプランが共犯だな。余計な真似をと言いたいところだが、私は死神に勝てていただろうか?……勝負の行方を考えても詮ない事か、それよりも…"


おおよその背景を読んだイスカは、器の大きさを見せた。


「トッド!おまえの戦術タブレットに医療船のデータを送った。指定された船を率いて、帝国軍に医療支援を申し出ろ。」


トッド・ランサムは、"何でもこなせるスーパーサブ"として重宝されているが、それは戦争に留まらない。兵站整備から医療支援まで、本当に何でもこなせる男なのだ。


「おいおい、お優しい事だが味方が優先だろう。」


「もちろんだ。だが数隻の余剰船がある。が、ボランティアの基本だからな。」


御堂イスカは思考速度だけではなく、頭の切り替えも早かった。停戦合意が為された以上、敵に恩を売り、寛大さを敵味方にアピールする。人道的見地からも正しく、名声も得られる一石二鳥。感動の押し売りには嫌悪感を示す軍神だったが、本物の美談をより鮮やかに演出する手腕には長けている。帝国軍を上回る医療体制を整えて戦いに臨んだからこそ、可能な策でもあった。


「了解だ。辺境伯に話を持ち掛けてみよう。」


外連味たっぷりの善意を遂行するべく、外連味のない仕事師は最適な交渉相手をチョイスした。


「イスカ、治療が必要なのはオメエもだろ。」


バクラは負傷を気遣ったが、命に別状はないと見たカーチスは無事を喜びながらも悪態をついた。


「こんだけボロボロになったイスカを見たのは初めてだな。記念に一枚撮っとこうか。」


本当に記録班を呼びかねないなと思ったイスカは、氷結能力でリーゼントを氷漬けにした。


「冷てっ!おいイスカ、何しやがんだ!」


「フン、少しは頭が冷えただろう。……バクラ、カーチス、無事でよかったな。」


軍神は荒武者とサイボーグの首に腕を回して抱き寄せ、無事を祝った。


「オメエこそだよ。まったく、ヒヤヒヤしたぜ。」


死神との決闘、戦っているイスカ以上に肝を冷やしていたのはバクラだった。


「ああ。私も生まれて初めて冷や汗をかいた。……奴は強かったよ、ザラゾフに並ぶ"人外の双璧"だな。」


"ザラゾフを超える人外"がイスカの正直な感想だったが、壮烈な戦死を遂げた元帥に敬意を払い、同格と評した。人外の力を持ちながら武芸の達人でもあったザラゾフに対し、死神は人外の力だけであの強さなのだから、あながち間違いでもない。


「うっひょ♪ イスカはやっぱ、いいモンもってんなぁ!」


スタイル抜群の体が密着すれば、巨乳にも触れる事になる。カーチスは分厚い胸板で役得を楽しんだ。


「スットコは不逞集団に入っていたんだったな。いずれ営倉モンキーハウスに送ってやるから覚悟しておけ。」


「俺のファーストネームはスコットだよ!そのネタは龍ノ島でやっただろ!」


「ゴタゴタが片付いたら慰安旅行だな。叔父上の故郷にいい温泉がある。」


「「混浴だろうな!!」」


心と台詞が同調シンクロしたバクラとカーチスだったが、イスカは冷笑で応じた。


「男女別に決まっているだろう。覗けるものなら覗いてみろ。私とマリカとシグレとアビーが相手だ。」


「「うっ!!」」


「せっかく生き残ったのに、温泉で土左衛門になるのはつまらんだろう?」


イスカに胸板を小突かれたバクラとカーチスは苦笑した。


「フフッ、そんな死に方で満足すんのはカナタぐらいだ。」 「違えねえ。」


「二人は勇戦した部下をねぎらってやれ。クランド、白蓮に戻るぞ。やる事が山積みだ。」


「残務などワシがやっておきますから、イスカ様はお早く医療ポッドに入ってくだされ。」


死神との戦いに死力を尽くしたイスカは満身創痍の上に疲労困憊。しかし、彼女は誰よりも自分に厳しい人物だった。部下には厳しさと優しさの両面を見せるが、自分に対しては厳しさしかない。


「もう次の戦いが始まっている。船に戻ったら、合意文書の検討を始めるぞ。」


停戦合意書に全てが記されている訳もなく、停戦後の協議事項が相当数含まれている。最後まで前線に立つ事がなかった無傷の皇帝は、条件闘争の準備に取り掛かっているに違いない。交渉戦に出遅れる訳にはいかなかった。


00番隊を率いて白蓮に戻る主従に、他隊を預けて左翼に派遣していたマリー・ロール・デメルが合流してきた。


「イスカ様、御無事で何よりですわ!」


「おまえもな。分隊指揮官として立派に戦ったとトキサダ先生から報告を受けている。先生の具合はどうなのだ?」


左翼軍の指揮を執っていた"達人マスター"トキサダは、"剣神"アシュレイと一騎討ちを演じていた。同盟軍剣術指南役を務めた剣の達人といえど、相手は帝国の雄。無傷な筈がない。


「かなりの手傷を負われましたが、先生なら問題ないと思います。ですが……神盾と交戦したウタシロ少将は重傷です。停戦が遅れていれば、命はなかったかもしれませんわ。」


「そうか。少将には荷が重かったようだな。白蓮にいるヒビキを派遣しろ。彼を死なせる訳にはいかん。」


"軍神の右腕"の右腕だった雅楽代玄蕃は東雲師団を引き継ぎ、アスラ派の一角を占める。東雲刑部には及ばないにしても、知勇に優れた人物であり、今後も力になってもらわねばならない。


「……はい。直ぐに手配します。」


マリーの顔に翳りが見えたのは、東雲刑部が戦死に至った原因を知っていたからである。彼女とクランドだけは、モスが粛清された理由を聞かされていた。


"軍神の右腕"が健在であれば、相手が帝国騎士団の長であろうと互角以上に戦えたに違いない。マリーはそう考え、それはイスカもクランドも同じであった。


「それから私の治療中に、帝国から使者が来るはずだ。誰を使者に立てるかはわからんが、待たせておけ。」


「帝国からの使者……なるほど、そういう事ですのね。」


イスカに抜擢されたマリーは軍人としてだけではなく、参謀としても成長していた。物事の裏が読めるようになってきたのである。


「マリーよ、どういう事じゃ?」


残念ながらクランドには、あまり成長がない。指揮官や兵士としてならマリーより遥かに格上であったが、相変わらず政治には疎かった。


「皇帝は戦後交渉の下交渉をしておきたいのです。イスカ様の発言権が大きいのは明白ですもの。要人中の要人が目の前にいるのに、見過ごす手はないでしょう?」


「さっきまで殺し合いをしておったのじゃぞ!変わり身が早すぎじゃろう!」


「政治とはそういうものですわ。イスカ様、私とクラマさんで合意文書に目を通し、協議すべき事柄をピックアップしておきます。腹黒皇帝との交渉に備えて、医療ポッドでお休みくださいませ。」


マリーの成長を認めたイスカは、重要な仕事を任せてみる事にした。


「うむ。クラマと二人でやってみろ。」


「承りましたわ。責任重大ですわね。」


「気負わなくていい。念の為に交渉前に私がチェックする。クランドは戦死者のデータを洗い出せ。遺族には十分な補償を行わねばならん。気前良く金をばら撒く為にも、機構軍から取れるモノは取っておかねばな。」


強欲にかき集めた金を気前良くばら撒く。御堂イスカは金の効用を熟知していた。


「勝つには勝ったが、機構軍は存続した、か。……"程々に妥協出来る世界"とやらの到来かもしれんな。」


望む結果は得られなかったが、※戦争には勝利した。次の仕事は、"世界の半分を同盟の傘下に収め、実権を掌握する事"である。世界を二分する勢力の頂点に立てば、別なアプローチも可能となるからだ。


"武力による機構軍の殲滅が不可能になったのであれば、内部から崩壊させて同盟に帰順させればいい。機構領の民衆が自由を求めて立ち上がったのであれば、多少の流血が生じようが、カナタも文句は言わんだろう"


ロンダル王国の失墜によって、リングヴォルト帝国が戦後の機構軍を牛耳る事になる。イスカには皇帝の限界とこれから起こる混乱が見えていた。ゴッドハルトのまつりごとの要諦は、収奪と分配。植民都市から収奪した国富を帝国内の有力者に分配し、権力を維持しているだけで、民を富ませる為政者ではない。


"世界統一機構が存続する限り、戦争の火種は燻り続ける。父の築いた自由都市同盟によって世界は統治されるべきなのだ"


版図を大幅に削り取られた帝国は、今までのような植民政策を取る事は出来ない。特権階級を優遇する原資を欠けば、必ず混乱が生じる。その混乱に上手く付け込めばいい。



御堂イスカの思考と志向は変わっていなかったが、停戦が成立した事によって、アプローチを変える必要があった。


※戦争には勝利

一見引き分けに見えますが、自由都市同盟の独立を認めさせる為に始まった戦争なので、実質的に同盟軍の勝利に終わったと言えます。

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