終焉編54話 逃避行
※ローゼ・サイド(前話から12時間後・バルミット地方山岳部を飛行中)
停戦に向けた旅は、想定よりも時間がかかってしまっている。主要戦域のみならず、大陸全土で両軍は戦闘していて、刻々と変化する戦況に合わせて空路の変更を余儀なくされた事が主な要因だ。なにせ、味方を信用出来ないのだから、嘆息するしかない。
蛇行と迂回を繰り返しながら秘密裏にタムール平原に立ち寄った私は、父から詔書と玉璽を受け取り、やっと同盟領に入る事が出来た。
薔薇十字はそろそろカーン師団と激突するはずだが、戦況を知る術はない。青鳩を使えば通信内容を知られる事はないけれど、電波そのものが探知されない訳ではない。同盟空域に入ったからには、長距離通信は危険過ぎる。ミコト様は私に同盟機の識別信号を教え、"カプラン元帥に頼んで、当該空域で絶対にヘリを撃墜しないように手配します"と約束してくださったけれど、発見されないに越した事はないのだ。
民間機に偽装した3機のヘリは、山岳地帯の合間を縫うように低空飛行している。ベテランパイロットのティリー・ケストナーは、遮蔽の多い地形を低空で飛ぶ事で発見されるリスクを減らし、目的地に向かっているのだ。
「………」
窓の外に広がるのは、山の稜線と切り立った岩肌。たとえ平野部を飛んでいても、バルミット要塞は見えないだろう。だけど、ここからそう遠くない巨大要塞を舞台に激戦が繰り広げられているはず。カナタは無事に来援したのだろうか……
「フフッ、心配なのは薔薇十字の仲間だけではないようですな。」
向かい合わせに座っているクリフォードが意味ありげに笑った。
「……いくらカナタでも、完全適合者の貴公子と氷狼を連破し、無傷で済むとは思えません。」
「それでもあの御仁は戦うでしょうな。かつて殺されかけた吾輩が言うのも何ですが、剣狼カナタを死なせてはいけません。」
もし、カナタがクリフォードを殺していたら、私とカナタはどんな関係になっていたのだろう。偶然なのか必然なのか、クリフォードは一命を取り留め、魔女の森で私達は出逢った。まるで運命に導かれたかのように……
「カナタだけに限りません。私はこれ以上、誰にも死んで欲しくないのです。」
夥しい流血が生んだものは、兵の憎悪と民の怨嗟だけだ。綺麗事では戦争は終わらないと考えた私も、薔薇十字を結成し、多くの命を奪った。返り血を浴びながら、やっとここまで来たのだ。
「キカねー、せんそーが終わったらリリスちゃんにお手紙かくんだー。」
キカちゃんは無邪気に微笑んだ。性格がまるで違う天才少女二人は、いい友達になれるかもしれない。
「ふふ、もうじき戦争は終わります。仲良くなれるといいね。」
「もう仲良しだよー…あっ!!…」
兵士の目に変わったキカちゃんは恐ろしい速さでコクピットに駆け込み、いきなり操縦桿を倒した。機体が大きく傾き、シートベルトに胸を締め付けられる。
「キカちゃん、何するんだ!」
副操縦席に座っていたライが叫んだが、通信機を手に取ったキカちゃんはもっと大きな声で叫び返す。
「コードレッド!全機、回避運動!狙撃手がいる!」
「マジかよ!ティリー、わかってんな!」
「兄さんは敵を探して!揺れるわよ!」
一発必中を狙った初弾の発射音を、世界最強の聴覚を持つキカちゃんは捉えたらしい。九死に一生を得たのだろうけど、おそらく本当の窮地はこれからだ!
「一人じゃない、狙撃班だよ!」
キカちゃんが警告すると同時にヘリに衝撃が走る。防弾ガラスを破って飛び込んできた弾丸がヘリの中で跳ね回り、私に当たりそうになったけれど、ギンが覆い被さって庇ってくれた。
「ギン!大丈夫!」
「ご心配なく、跳弾ごときでどうにかなる俺じゃない!しかし警告ナシでいきなり発砲してくるなんて、同盟軍は何を考えてる!」
「同盟軍ではありません!情報が漏れていたのです!」
青鳩での通信は解読不可能。おそらく、青鳩を持っていない父との会話を傍受された。だとすれば、これは同盟軍ではなく、機構軍の襲撃。戦争を終わらせたくない勢力の妨害工作に違いない。バルミット地方に展開していて、戦争の終結を望まない者。脳裏に浮かんだのは、朧月セツナの顔だった。
「この威力、得物は対ヘリ用のライフルだな!着弾と発射音のズレから考えて、とんでもなく腕がいいのが一人、後の連中もなかなかの腕だ!姫、敵はスネグーラチカだぜ!」
狙撃手が本業のライが襲撃部隊の正体を教えてくれた。戦争を終わらせたくない兵団が送り込んで来た刺客は、"純白の"オリガが率いる狙撃部隊!このままではマズい!
「相手がスネグーラチカでは、いずれ落とされます!ティリー、緊急着陸を!」
パラシュートは使えない。高度も低いし、パラシュートでの降下はいい的にされる。純白のオリガは私達を皆殺しにして、同盟軍の仕業に見せかけようとするに決まっているのだから。
「了解!3番機が被弾!ローターをやられたみたいだわ!」
「7時方向へ飛んで!オリガは"射線の通らない渓谷に逃げ込まれると厄介だ"って言ってる!」
「キカちゃんの言う通りに!渓谷に不時着しましょう!」
誘導の可能性は捨てよう。彼女もこの距離で声を拾われるとは思ってないはず。
「みんな、渓谷まで機体が保つ事を祈ってて!ローゼ様、限りなく墜落に近い不時着になります!覚悟はいいですね!」
「大丈夫!墜落するのは
一度目はサビーナが身を挺して守ってくれた。今度は違う。私はもう、無力な小娘じゃない!自分の力で生き延びて、この戦争を終わらせる!
───────────────────
「皆、無事ですね?」
黒煙が立ちこめる機内から脱出した私は、仲間の無事を確認する。
「全員無事です。2番機は途中で撃墜されてしまいましたが……」
スナイパーライフルを背負ったライの顔には青痣が出来ている。ティリーの言った通り、限りなく墜落に近い不時着だったから、無傷なのは体術に長けたキカちゃんと太刀風だけだ。
「クソッ、こんな事ならぺぺとアンドレも連れて来るんだった!」
ギンが口惜しそうに吐き捨てたが、
「ティリー、2番機と3番機に通信を。内容は"敵はスネグーラチカ。目的は私達の殲滅、投降しても殺されます。私に構わず、あらゆる手段を使って逃げ延びて下さい。御武運を"です。」
「了解、まだ生きていればいいのですが……」
「生きている前提で考えるのが、指揮官の義務です。」
ティリーが通信している間に私達が生き延びる方策を考える。カナタならこんな時はどうするだろう?
まず、手札を確認する事から始めるはず。この場にいるのは私、キカちゃん、太刀風、ギン、クリフォード、ライ、ティリーの7人に加えて精鋭騎士4人の計11名。手札は十分だ。
「キカちゃんの耳と太刀風の鼻が私達の命綱です。」
「うん!」 「ガウ!(お任せあれ!)」
敵は1個大隊、手練れの異名兵士を擁していようと半個中隊では勝ち目がない。スネグーラチカは山岳戦にも慣れているはずだ。だけど向こうにも泣き所がある。殺し屋部隊はまとまって行動する事は出来ない。大きな輪を徐々に狭めながら追い詰めなければ、獲物に逃げられてしまうのだから。
「敵は軍用犬を連れているでしょう。太刀風、危険な任務ですが…」
「ガウ!ガウガウ!(承知!拙者が始末致す!)」
太刀風は最強の忍犬だ。多対一でも遅れを取る事はない。まず、相手の鼻を潰す!
「ライは撤退する太刀風を狙撃で援護して下さい。時間がありません、出立しましょう。」
渓谷を流れる川に身を潜めた太刀風にこの場を任せて、私達は先に進む。水中に潜めば軍用犬は匂いで察知する事は出来ない。忍犬の太刀風は、犬の殺し方を熟知している。
渓谷を見下ろせる岩壁の上で、ライは三脚を組み上げる。
「支援狙撃に絶好のポイントだ。姫、ヘリに爆薬をセットしておきました。キカちゃんの耳なら余裕で拾えるでしょう。」
落ち葉と枝葉を外套に纏わせたライは地面に寝そべりながら、起爆スイッチを利き手に握る。
「ライ、くれぐれも無理はしないでね。」
「了解。俺も太刀風も必ず合流しますよ。ですが、いざとなったら迷わないで下さい。野薔薇の姫は絶対に龍姫に会わなきゃいけないんだ。」
「はい。私は必ずミコト様とお会いし、この戦争を終わらせます!」
何としてでも、ミコト様との合流地点まで辿り着かなければ。……いえ、ミコト様がこちらに向かっている事をオリガに悟らせるのは危険だ。
少佐が"セツナはミコトを欲しがっている。照京動乱を仕掛けた要因もそれだ"と言っていた。私を抹殺し、ミコト様を手に入れる。それが朧月セツナにとってのベストシナリオだ。最悪な事に、それが可能な状況になってしまっている。
ミコト様の連れている護衛がスネグーラチカ以上であれば問題ない。だけど、それを知る術がない。兵団はまだ、"野薔薇の姫は首都の迎賓館に向かっていた"と思っているはず……
この逃避行には星の未来が懸かっている。最悪の場合、青鳩を使ってミコト様に危険を知らせるしかない。そうなれば私は死に、戦争は同盟軍の勝利で幕を下ろす事になるだろう。そんな結末は望まない、だけど確信めいた予感がする。
"煉獄が龍姫を手に入れたら、最悪の未来が待っている"と。
……朧月セツナ、たとえこの身がどうなろうとも、あなたの思い通りにだけはさせません!
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