終焉編43話 放たれた刺客



シモン・サイド(バルミット戦域に展開中)


「父さん、兵団の圧力は想像以上だ。予定より早いけど仮設砦を放棄して後退しよう。」


妻が戦死した後、誰にも座らせなかった副官シートには長男が座している。戦略眼に欠ける私には参謀が必要で、実母から才能を受け継いだロベールがその任を引き継いだ。


……いや。才能を受け継いだのではないな。名参謀としての力は、ピエールが自ら開花させたのだ。


「わかった。砦を爆破し、前線を下げよう。ピエール、砦の砲弾をありったけ敵陣に撃ち込め!射撃手による手動砲撃を10分行った後に、オート砲撃に切り替えて砦を爆破。ポイントチャーリーまで撤収しろ。」


砦に立て籠もる次男は血糊の付いたままの顔でメインスクリーンに現れた。


「親父、放棄が早かねえか? 俺らはまだ粘れるぜ!」


「ロベールの判断を信じろ。」


長男は次男に意図を説明する。


「ピエール、敵もまだ粘るつもりだと思っている。今なら比較的安全に撤収が可能だ。ポイントチャーリーで会おう。」


「了解だ、兄貴。総員、撤収の準備を始めろ!殿は俺がやる!」


知略に優れた兄と武勇に秀でた弟は、強い絆で結ばれている。一歩間違えば家督継承で争い、どちらかが落命していたかもしれないと思うと、ゾッとする。ロズリーヌ・ド・ビロンが生きていれば、嫡男ロベールを甘やかさずに育て、婚外子だったピエールをすぐに認知して家に迎え入れて、兄弟相剋の危機を回避していただろう。私の至らなさが二人を争わせていたのだ。


……いや、妻が生きていれば、愛人など作れなかっただろうな。浮気した上に隠し子まで生ませた事がバレたら、私はロズリーヌに殺されている。ピエールの誕生は怪我の功名という訳だ。


「ビロン師団、ポイントチャーリーまで前進せよ。ポイントチャーリーに到着後は縦深陣形を構築し、追撃してきた兵団を叩く。」


亡き妻に代わって兄弟相剋の危機を救ってくれた剣狼の来援まで、なんとしてでも持ち堪えなければならない。しかし、我が家の恩人の女性関係ときたら……


「父さん、何が可笑しいんだい? 戦況は芳しくないというのに。」


含み笑いに気付いたロベールが怪訝そうな顔をする。


「フフッ。私達が待ちわびる剣狼殿は、贅沢税をしこたま払って国庫に貢献するのだろうと思ってな。」


「贅沢税を納付する前に刺されなければいいけどね。」


「女の子達は同意しているのだろう? 修羅場は避けられそうじゃないか。」


巻き毛に小指を絡めながら、長男は毒づいた。


「美人ばっかりで嫁小隊なんて編成したら、モテない兵士にやっかまれるに決まってる。僕だって後ろから刺したくなるよ。」


「僻むな僻むな。そのうちおまえにも、いい女性が現れるさ。」


「小太りで冴えない顔の僕にかい? 疑わしいね。」


「いい女は外面ではなく内面を見る。母さんがそうだった。」


合流地点に到着するまで、息子に妻との思い出話を語ってみた。ポイントチャーリーでもう一人の息子を収容し、敵の追撃に備える。


「兵団は追撃態勢に入ったものの、途中で引き揚げたようだな。師団本隊と合流し、構築された縦深陣形を見て、警戒してくれたようだ。」


とにかく時間を稼ぎたい我々にとっては好都合だ。


「左翼に展開しているダン少将から入電! "ナバスクエス師団の攻勢が激化。ポイントブラボーまで後退する"、以上です!」


オペレーターから報告を聞いたロベールが得心したように呟く。


「……そういう事か。地獄はここからだね……」


ガムシロップをガブ飲みしていたピエールが兄に説明を求める。


「兄貴、どういうこったよ?」


「煉獄が医療ポッドから出てきたんだよ。目の傷が癒えたか、癒えてないけど時間がないと判断したんだろう。左翼の追撃を止め、マヌエラに代わって右翼の指揮を執っている。」


「ロベール、復活した煉獄はどう出て来ると思う?」


「マリカさんとシグレさんがいる中央は避け、先に両翼を崩そうとするだろうね。追撃を中止したのは、煉獄が自分の手で布陣し、攻勢をかける為だ。」


右翼のビロン師団と左翼のダン師団を崩して、中央のカプラン師団を挟撃するつもりか。そうはさせるものか!


「ロベールは船に残って全体を指揮しろ。ピエールは私の援護だ。直衛連隊も投入する。」


「親父が俺の援護だろ。師団長が矢面に立ってどうするんだよ。」


「では折衷案だ。親子で肩を並べて戦うとするか。」


ポイントチャーリーを突破されたら、バルミット要塞はすぐそこだ。最後の砦に立て籠もる前に、少しでも時間を稼がなければ……


─────────────────────


※セツナ・サイド


医療ポッドから出た私は閉じていた目を開き、刻龍の力を軽く顕現させてみた。……よし、問題ない。刻を視る力は甦った。


「セツナ様、目の具合はいかがですか?」


待機していたナユタに医療液で濡れた体をタオルで拭かせ、軍服を身に纏う。


「案ずるな。もう万全だ。」


ムクロの調合した薬と私自身の超回復が相まって傷は癒えた。私とした事が雑魚蛇と侮って、時間稼ぎを許してしまうとはな。三槌ハジメは異名通り、"隻眼の螭"だった。


「サイラスは増援要請に応じたのか?」


軍用コートを羽織りながら訊いてみたが、ナユタの顔色で不首尾に終わったとわかる。


「……それが……サイラス師団はフォート・ミラー要塞の無血開城に成功したらしく、"手に入れた要衝を堅守する必要がある。増援要請には応じられない"と返答してきました。」


「無血開城という事は、ヒンクリー師団がこちらに向かっているのだな!」


虚弱めが、やってくれたな!


「はい。サイラス師団はヒンクリー師団を追わずにフォート・ミラーに留まっているとの事。おそらくヒンクリー師団が要塞を放棄したので、これ幸いと占拠し、高みの見物を決め込むつもりでしょう。」


ナユタは忠実だが、思慮には欠ける。剣の腕ならアマラより上だが、やはり参謀には向かないようだ。


「そうではない。サイラスが無血開城を持ち掛けたのだ。背後から襲われる可能性があるのに要塞を放棄する程、ヒンクリーは馬鹿ではない。」


「あの裏切り者め!許せない!」


「それより帝国軍はどうなっている。膠着状態のままか?」


タムールで動きがあれば起こせと命じていたから、膠着状態が続いているはずだが。


「はい。死神と軍神は牽制し合いながら、互いの隙を窺っているようです。」


さしもの軍神イスカも、トーマには手を焼いているようだな。剣と鏡が睨み合っている間にこの戦域で勝利し、返す刀で北上して来る連邦軍とヒンクリー師団を撃破すれば、戦局は逆転する。機構軍の命運を握っているのは、この私だ。


艦橋に戻った私は、戦線を再構築する。攻撃を手控えさせてはいたものの、緋眼と雷霆にかなり兵数を削られたようだな。だが、想定の範囲内だ。私が復活した以上、好きにはさせん。


「シモン師団もダン師団も弱兵なりに奮戦しているようだな。淡い希望を打ち砕いてやるとしよう。ナユタは右翼にいるアマラと合流しろ。ここからは私が指揮を執る。」


「ハッ!」


マヌエラの指揮では手ぬるい。右翼はアマラ、左翼はムクロを介して私が全軍を管轄すべきだ。少しデキる奴がいれば、両翼を崩してから中央を挟撃して来ると察するだろう。だが、察したところでどうにも出来ぬ。読まれたら逆手を取られる奇策など二流のやる事。一流の将帥は、わかっていても対処出来ない状況を作るものだ。


左右が崩される前に正面突破を図ろうとするかもしれんが、刻龍眼が使えれば緋眼など敵ではない。低確率とはいえ、私を相打ちに持っていける可能性があるのは、同じ予知能力者の大蛇トゼンだけ。狂犬と相打ちにならなかったのは残念だが、しばらくは戦えまい。仮に奴が出て来ようが、命を削る覚悟さえあればどうにかなる。


……いや、真に警戒すべきは大蛇トゼンではなく天掛カナタだ。奴は"邪狼転身"を使ったアギトを斃している。トーマの策略に引っ掛かり、兵団に追い詰められたアギトは禁忌の技を使って、単騎で十重二十重の包囲を突破した。バルバネスはともかく、二人で戦えば完全適合者に匹敵するアマラとナユタに重傷を負わせた人外の秘術・邪狼転身。私がいなければ、アギトは逃げ果せ……いや、包囲網を壊滅させていただろう……


念真力の最奥にある禁術を破れるのは、最奥の禁術のみ。邪狼転身を破れるのは、私だけだと思っていたが……もう一人いた。天威無双の至玉を顕現させた剣狼の繰り出す"夢幻刃・終焉"は、神の域に達すると考えなければなるまい。


"神世紀を妨げる最大の障害は天掛カナタです。彼は危険だ"


アルハンブラの忠告は正鵠を射ていた。私と同じく神域に達した男を斃すには、命を削る覚悟が必要かもしれぬ。あの時はやむを得なかったが、"刻龍降臨"は私にとっても危険な技だ。使うのは体の乗り換えの目処が立ってからにしたかったが、剣狼は間もなくやって来る。


体の乗り換え、そして世界浄化計画のキーパーソンは御門ミコトだ。心龍を守る天狼を排除せねば、人類を理想郷に導く事は出来ない。……決めたぞ。奴との決戦には出し惜しみはしない。


初めて人外の獄狼と化したアギトは、兵団と戦った時の記憶がなかった。決闘に敗れて腑抜けたアギトは、剣狼を"血族殺し"にさせない為に自刃したらしいが、記憶になければ喋れない。剣狼は"刻龍降臨"を知らぬまま、私と戦う事になる。


「……フッ、知っていようが、どうにもならぬ技だがな。」


剣狼を斃したら次は軍神だ。トーマが始末してくれれば手間が省けるのだが、相手が相手だけに撃滅には拘るまい。一気に同盟を滅ぼそうなどと欲をかかずに、痛み分けで終わらせるのがいいかもしれんな。時間はかかるがマッキンタイアを傀儡に仕立て、王国の実権を掌握してから再度の決戦を挑む。ネヴィルに代わる機構軍の巨頭は、この私という訳だ。


「ムクロよ、どこにいる?」


腹心に声とテレパス通信で呼びかける。先々の戦略を考えるのは、バルミット要塞を制圧してからだ。まずは左翼にムクロを派遣しなければ。


(作戦室です。セツナ様、マズい事になりました。)


(ムクロ、私に代わって艦橋を仕切れと言っておいたはずだぞ。マズい事とはなんだ?)


(皇帝は野薔薇の姫を特使として派遣し、停戦を画策しています。これまでのような一時停戦ではなく、講和を前提とした停戦です。)


なんだと!? 同盟軍と講和!?


(直ぐに作戦室に行く!情報は確かなのか!)


画策したのは皇帝ではなく、野薔薇の姫だ。あの小娘、余計な真似を!


(帝国旗艦に放った工作員からの報告です。間違いないかと。)


旗艦の筆頭通信士官はアルハンブラが送り込んだスパイだ。長期に渡って訓練を受けた後、登録された指紋と網膜データを改竄し、なりすましに成功した偽者は、海に沈んだ本物と違って皇帝の極秘通信を傍受出来る。情報に間違いはないだろう、何か手を打たねば!


作戦室にはムクロとアルハンブラがいた。


「アルハンブラ、小娘の交渉相手は御門ミコトだな?」


皇女が皇帝を説得し、龍姫がカプランを説得する。そういう筋書きに違いない。


「はい。皇帝は"野薔薇の姫と龍姫が直に会談し、共同声明を出す事"を条件にしました。帝は首都の迎賓館にいるはずです。」


皇帝は停戦と講和を決断したが、あくまで水面下での話だ。今も戦っている兵士がいる以上、公には出来ない。自分の身が危うくなればその限りではないが、まだタムールで負けた訳ではないからな。小娘と気脈を通じるトーマは、決着を引き延ばしにかかるはずだ。死神が"負けない事"を眼目におけば、軍神とて攻めあぐねるだろう。


「飛行経路を予測しろ。おそらくパイロットは新参のティリー・ケストナーだ。」


「直ぐに取りかかります。経路が予測出来たらどうなさいますか?」


途中までは機構領を飛べるが、迎賓館に向かう以上、必ず同盟領を飛ばねばならない。ケストナーなら王国軍が敗北したバーバチカグラード近辺は迂回し、バルミット戦域を外れた地点から同盟領に入ろうとするだろう。それが最短のルートでもあり、カプランが内密に"ヘリの通過を黙認せよ"と命令出来る空域でもあるからだ。


ならばルートは絞れる上に、ここからそう遠くない。運は私に味方したようだな。


「……不幸な事故が起きる。いや、同盟兵にしてみれば、勢力圏を敵性勢力のヘリが飛べば、撃墜するのは当然だな。」


「………」


アルハンブラは黙したまま瞑目した。極めて優秀な工作兵だが、甘さを捨てきれない魔術師は、女子供を手にかけるのは本意ではないのだろう。私は部下の心情に配慮しないが、アルハンブラとテラーサーカスは要塞攻略に不可欠で、暗殺任務なら他に適任がいる。


「ムクロ、オリガを呼べ。」


「ハッ!狙撃ならオリガが適任でしょうな。」


5分も経たずに作戦室に現れたオリガは、ムクロから任務の説明を受けると舌舐めずりした。


「お安い御用さ。小生意気な小娘をぶっ殺して、同盟兵の仕業に見せかけりゃあいいんだね。なあムクロ、殺す前に愉しんでもいいかい?」


「ダメだ!皇女は墜落死させろ。脱出されても遊びはナシだ、即座に眉間を撃ち抜け。」


「雑種とはいえ王族を殺せる機会なんて滅多にないんだ。ロイヤルな悲鳴を聞きたいじゃないのさ。」


オリガの顎を掴んでこちらを向かせ、血のように赤い目を覗き込む。


「この任務に失敗は許されない。純白のオリガ、やれるな?」


白子症アルビノの狙撃手の真っ白な髪を撫でながら念を押す。この女は私の命令には忠実だ。私に命令されたくてたまらないのだから、当然だが。


「フフッ、お任せを。遊びは抜きで期待に応えるわ。」


「それでいい。スネグーラチカ大隊は全員連れて行け。」


隠密行動である以上、人数は多くないだろう。鉄ギンを筆頭に手練れの護衛が随行しているはずだが、一個大隊いれば殲滅可能だ。


「御褒美が楽しみね。」


妖艶な敬礼を見せたオリガは作戦室から退出した。


これで和平は頓挫し、旗手を失った薔薇十字は弱体化する。めでたしめでたしと言いたいところだが、問題もある。皇女の死を偽装しても、トーマは私を疑うだろう。敵対行動に移られる前に、軍神と共倒れさせるのが最良か……



何者であろうと、戦争を止めさせる訳にはいかない。勝利するのは機構軍でも同盟軍でもない。私を頂点に戴く"神世紀軍ジェネシス"が、最後の勝者となるのだ。

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