終焉編40話 金翅鳥と尾長鶏



※アナザー・サイド(ヘプタール戦域・ドボルスク市)


「クリシュナーダ大佐、娘さんですか?」


駐屯地となったドボルスク市内の視察から戻った士羽イオリは、接収されたホテルの廊下でハンディコムの待受画面を見やる男に声をかけた。写真に気を取られイオリの接近に気付かなかったバラト人は、照れ臭そうな顔で頷く。


「ああ。しかし士羽総督、娘はまだ生まれて半年も経っていないのに、よく女の子だとわかったね。総督はまだ独身だろう?」


同盟軍大佐、ヴェダ・クリシュナーダは若き総督が類い稀な忍耐力の持ち主である事は知っていたが、気さくな人となりまでは知らなかった。士羽イオリも、ヴェダがバラト貴族屈指の名門・クリシュナーダ家の当主である事は知っていたが、あまり面識はない。士羽家も名門だが同盟軍に復帰してから一年少々の間、母都市の再建と連邦の政務に追われ、島外の要人と交遊する機会に恵まれなかった。


「慧眼を誇りたいところですが、毛布の色で判断しただけです。男の子にピンクの毛布はないでしょう。可愛い娘さんのお名前を聞かせて頂けますか?」


「ノエルだ。私の妻はフラム人でね。ジェダス教の聖誕祭に生まれたから、妻がそう名付けた。」


「いいお名前ですが、バラトの令嬢にフラム語で命名。一族から反対されたのでは?」


「もちろん反対されたさ。我が一族は彼女との結婚にも反対だったのだからね。士羽総督、卿にもいずれ分かるはずだが、貴族の結婚はそう簡単なものではない。」


「フフッ、確かに外野が五月蝿そうですね。」


イオリは母都市を奪還してから急増した親戚一同の顔を思い出して苦笑した。


「五月蝿いなんてものではないよ。確かに妻はカプラン元帥から引き合わされた女性だが、私が気に入ったのだから、それでよかろう。自分が娶る訳でもない親戚連中にああだこうだ言われたくない。貴族の結婚は当事者だけの問題ではないと理屈をこね回すのも結構だが、まず当事者の意志が優先されるべきだ。」


「大佐の仰る通りですね。後学の参考にお聞きしますが、どうやって五月蝿い親戚連中を黙らせたのですか?」


「親戚連中が頭の上がらない一族の御意見番、つまり曾々叔父そうそうしゅくふの手を借りたのさ。」


あまり聞かない言葉の指す人物をイオリは確認した。


「曾々叔父、つまり"成就者"ジェダですか。」


「うむ、あの爺様に逆らえる者などいないからな。悟りを開いた風来坊からすれば、一族全員が曾孫か玄孫だ。……カプラン元帥か龍弟公から、曾々叔父の事は聞かされているか?」


イオリは黙って頷いた。ジェダ・クリシュナーダの死は機密事項なのだ。


「そうか。……まったく、これからの事を考えると頭が痛いよ。カーン中将はまだ訝しんでいるだけだが、いずれ知る事になる。」


世界に調和をもたらそうとしていた仙人は、カプラン元帥とカーン中将の均衡バランスも取り持っていたという事か、とイオリは察した。


「娘さんの為にも派閥と一族をまとめなければなりませんね。」


「そうだな。ノエルは人相見と占星術に長けた成就者に、"このコはおヌシと同じ凡百でありながら、星の加護を受け、類い稀な吉相の持ち主。きっと大成するじゃろう。祝福されし娘が望むなら、儂が弟子にしても良い"と言わしめた子だ。将来が楽しみだよ。」


「聖誕祭の日に生まれた娘さんが祝福されない訳がありませんよ。しかし同盟軍大佐の肩書きを持ち、カーン師団最強と謳われる異名兵士"金翅鳥ガルーダ"を凡百扱いとは、さすが完全適合者ですね。」


「あの爺様には勝てず終いだったよ。確か卿の異名は"尾長鶏"だったな。同じ鳥同士、仲良くしようじゃないか。」


ヴェダは微笑みながら手を差し出し、イオリと握手を交わした。そこに金翅鳥の徽章を付けた兵士が駆け寄って来る。


「大佐、士羽総督、カーン中将がお呼びです。」


「わかった。士羽総督、行こうか。」 「ええ。戦局に変化があったのでしょう。」


金翅鳥と尾長鶏は戦域司令部である最上階のスィートルームに向かった。


"……イヤな予感がする。当たらないでくれよ"


イオリはうなじに寒気を感じながら、エレベーターに乗り込んだ。


───────────────


「ヘプタール方面軍は敵性都市・アルムガンドの攻略に向かう!出撃は一時間後だ。」


肘掛け椅子に腰掛けたままカーンは命令を下し、傍らに立つザネッティが追従する。


「両大佐は直ぐに出撃準備を開始せよ。」


イオリでなくとも、"はい、そうですか"と応じる訳にはいかない。ヘプタール方面軍には待機命令が出ているのだ。


「カーン中将、我々には待機命令が出ているはずです。ザラゾフ元帥から命令変更の通達があったのですか?」


当然の質問を返しながら、イオリはカーンではなくザネッティを睨んだ。風見鶏と揶揄されるカプランよりも、ザネッティが風向き次第な男である事を知っている。案の定、ザネッティの目が泳いだので、さらに質問、いや、詰問する。


「やっぱり他戦域で動きがあったのですね!ザネッティ少将、まずそれを説明すべきでしょう!」


「そ、それはだね……カ、カーン中将…いかがすれば……」


言葉に詰まったザネッティにカーンが助け船を出した。


「……ザラゾフ元帥は戦死なされた。つまり、待機命令も無効になったのだ。」


災害ザラゾフの戦死にイオリは驚愕したが、やるべき事は見失わない。


「無効な訳がないでしょう。ザラゾフ元帥が亡くなったのであれば、カプラン元帥が総司令官です。新司令官から新たな命令が下されるまでは、待機任務を続行すべきです。それより、バーバチカグラードで我が軍は敗北したのですか?」


「いや、ザラゾフ閣下がネヴィル、リチャード、ロドニーを討ち取った。バーバチカグラードでの勝利は揺るぐまい。だからこそ、我々も動くのだ。」


「先程も申し上げましたが、新司令官の命令を待つべきです。指揮権に空白が生じたからといって、独断専行が許される訳ではありません。」


「士羽大佐には戦機が見えぬのか!今こそ、一気呵成に機構軍を叩く時なのだ!古来より"兵は神速を尊ぶ"と言うだろう!」


声を荒げたカーンにイオリは臆せず応じる。


「兵書には"軽挙妄動を慎むべし"という言葉もあります。」


「軽挙ではない!壮挙だ!大佐風情が知った風な事をほざくな!母都市を失陥した士羽家に兵事の何がわかる!」


半世紀前にフラム人に奪われた都市群を取り返せずにいる中将に言われてもな、と思ったイオリだったが、口論に勝っても意味はない。士羽イオリは、カーンの短慮を危惧したカナタが送り込んだお目付役なのだ。


本来、上官を諫めるべき立場にあるザネッティは、愛想笑いを浮かべながら場を取り成そうとする。


「まあまあ。カーン中将、どうか落ち着いて下さい。士羽大佐も戦域司令に向かって軽挙妄動は言い過ぎだよ?」


事が事だけに愛想笑いでは場が収まらない。しかし、ザネッティには他の武器がなかった。見かねたヴェダが直属の上官に物申した。


「言葉が過ぎたのは閣下もでしょう。士羽総督は父が奪われた母都市を取り返した男です。」


副師団長にしてエースの金翅鳥に直言にされれば、カーンとて無碍には出来ない。


「わかったわかった。とにかく命令だ。我々も寡兵の薔薇十字を叩き、戦果をあげようぞ!」


寡兵を叩いて戦果を上げたい、本音はそれか。イオリは呆れたが、説得を続けた。


「重ねて申し上げます。我々はカプラン元帥の命令を待つべきです。」


「しつこいぞ!風見鶏に戦のなんたるかなどわかるものか!儂が全ての責任を取る!出撃あるのみだ!」


イオリは心中で何度もついていた溜息を表に出した。もう気分を害されても構わないからだ。


"カーン中将を従わせる事が出来るのはザラゾフ元帥だけだったらしい。外れたタガを嵌め直す方策はなさそうだ"


暴挙を止める為に送り込まれたが、任務を果たせそうにない。ならば巻き添えを避け、最悪の事態に備えるべきだと方針を転換する。


「尾羽刕兵は本国からの命令がなければ動けません。我々はドラグラント連邦に所属していますので、ね。」


本来、指揮権は戦域司令に与えられるべきではあったが、連邦軍軍監・天掛カナタは士羽大佐と尾羽刕兵の指揮権をカーンに移譲しなかった。暴走の危険性を予期していたのだから、当然である。


「士羽大佐、そこはキミが融通を利かせてだね。尾羽刕兵なら都市総督の一存で動かせるだろう?」


本来、好戦的ではないザネッティだが、主戦場での勝利と、この戦域における三倍近い兵力差に射幸心を刺激されたらしい。


「勝手に兵を動かせば、叛意ありと見做されます。勝ったとしても軍法違反で処罰は確実、ザネッティ少将にその御覚悟はありますか?」


「わ、私は同盟軍の事を思ってだね。せ、戦後に処罰されるだなんて…」


ザネッティが揺らぐのを見たカーンが大声を張り上げる。


「戦域司令官には、戦況の変化による独自運用権が認められている!御堂少将も独断専行を数多く行ってきたが、全て不問に付されてきただろう!勝てば官軍、処罰などされん!」


これにはイオリも苦笑するしかなかった。確かに"軍神"イスカは独断で兵を動かし、結果を出してきた。とはいえ軍神は、事後承諾は喫緊の場合のみで、根回しする余裕があった場合は正式な許可を得ている。さらに補足すれば、カーンのようにあからさまな命令無視はした事がない。黒に近かろうが、グレーゾーン内で戦果を上げてきたのだ。


「そ、そうですな!これは運用権の範疇に入るはずです!」


これ以上、腰の据わらない男に揺さぶりをかけられて翻意されてはたまらない。カーンはイオリを追い払いにかかった。


「腰抜けはもう下がれ!この街で亀のように縮こまって、我らの凱旋を待っておればよいわ!」


追い出しを喰らったイオリだが、実はザネッティを翻意させる気はない。仮に翻意させたところで、功に目が眩んだカーンは出撃を強行するに決まっている。止められないなら、兵数の優位を揺るがせるべきではなかった。分からず屋に腹を立ててはいたが、負けて欲しい訳ではないからだ。


「それでは私はこれにて。中将の御武運を祈っておきましょう。最後に一つ忠告しておきます。寡兵と侮るなかれ、薔薇十字には剣聖と守護神がいます。」


「チキンはサッサと消え失せろ!長い尾羽を毟られたいのか!」


癇癪を爆発させたカーンに、イオリは仰々しく敬礼した。退室する尾長鶏に、金翅鳥はテレパス通信で謝罪する。


(すまんな。私は行かねばならん。)


(お気になさらず。派閥の長で直属の上官ですから、やむを得ないでしょう。)


(それもあるが、同胞を見殺しには出来んよ。)


同郷の兵士の為、か。イオリは本気で武運を祈る事にした。


(御武運を。劣勢になれば、撤退を促して下さい。撤退ルートに伏兵を潜ませ、足留め用の罠を敷設しておきますから。)


(恩に着る。備えが無駄に終わればいいのだがな。)


私室に戻ったイオリは、チャティスマガオ戦域がまだ戦闘中である事を確認し、軍監への通信を取り止めた。激戦の最中に雑音を入れたくなかったのだ。


「数時間以内にカプラン元帥から待機続行の命令が下るはずだが、進軍中のカーン中将は無視するだろう。薔薇十字に勝てばリリージェンに向かってさらに進軍しようとするに違いない。カプラン元帥にカーン中将を解任してもらって、俺が戦域司令として収拾にあたるしかなさそうだが、薔薇十字に負けてからでなければ、バラト兵とマリノマリア兵はカーン中将とザネッティ少将の命令に従うだろう。」


我ながら難儀な仕事を請け負ったものだとイオリは思ったが、帝と公爵に信頼されているこそだと自分を慰め、敗戦処理の準備を始めた。



イオリの予想通り、新司令官に就任したカプランは、カーンとザネッティにすぐさまドボルスクへ戻るように命令したが、彼らは従わなかった。功名心から賭けに出たカーンだったが、彼なりの成算もあったのである。

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