終焉編39話 闘将と智将



※ヒンクリー・サイド(フォート・ミラー要塞に駐屯中)


「……ザラゾフ元帥の命と引き換えに王国軍に勝利した、か。素直に喜べん結果だな。」


駐屯師団司令、クライド・ヒンクリー少将は感慨深げな顔でショットグラスを手に取り、安物のウィスキーを一気に飲み干す。歴戦の古強者はまた一人、同じ時代を戦った男を失ったのだ。ヒンクリーとザラゾフはさほど親しい訳ではなかったが、アスラ元帥直属部隊から軍歴をスタートさせた"不屈の闘将"にとって災害ザラゾフの存在は別格であり、その暴勇に一目も二目も置いていた。


「功罪は人によって様々でしょうが、当代一の猛将であった事に疑いの余地はありますまい。手負いの体で旗艦に殴り込み、ネヴィル元帥とオルグレン伯を討ち取るとは流石ですな。」


空になった上官のグラスにウィスキーを注いだ副官は、自分もグラスを持ち出した。


「ああ。災害の異名に偽りなしだ。不世出の兵に乾杯しよう。」


ヒンクリーとエマーソンはグラスを合わせてから黙祷し、北へ向かって敬礼した。


「同盟軍総司令官が没したとなれば、繰り上がりでカプラン元帥が総司令官ですかな?」


「そうだ。カプラン元帥から"在任期間は短いかもしれないが、宜しく頼む"と打電があった。」


空位となった総司令官の席に副司令官のカプランが座り、副司令官には参謀長のイスカが繰り上がる。そして参謀長には准将に昇進したアレックスが就任。下からの玉突き人事が生じたのである。本来ならば参謀長には階級の高いヘプタール戦域司令官・カーン中将が就任すべきなのだが、カプランはカーンを評価していなかった。指揮官としてはともかく、参謀には不向きと考えていたのである。


「戦死を視野に入れるとは縁起でもない。やはりバルミット方面は苦戦しているのですか……」


「尻に火が点いた煉獄が猛攻撃を開始したからな。緋眼や雷霆が奮戦しているようだが、兵質の差は如何ともし難いだろう。剣狼の来援が間に合えばいいが……クソッ!見ているだけなのが歯痒くてならん!」


ヒンクリーはテーブルを叩いてもどかしがったが、マウタウにサイラス師団が駐屯している以上、身動きが取れない。


「お気持ちは察しますが、智将サイラスも油断ならぬ敵。少将、焦る必要などありません。追い込まれているのは機構軍です。」


エマーソンの言う通り、バーバチカグラード、チャティスマガオで敗北した機構軍がここから逆転するには、帝国軍が展開するタムール平原と最後の兵団が展開するバルミット戦域で勝利するのが絶対条件である。


同盟軍が3倍近い数的優位を保持しているヘプタール戦域には待機命令が出ており、こちらから動かねば薔薇十字は仕掛けて来ない。薔薇の徽章を付けた軍団がいかに精強であろうと、死神と辺境伯を欠き、数にも劣る状態では籠城する以外にない筈である。


「わかっている。カーン中将は俺と違った意味でもどかしかろうな。動くなと命令された上に、新参謀長には烈震が任命された。」


「フフッ、アレックス准将も参謀タイプには見えませんがね。まあ、カプラン元帥は戦後を見据えて政敵でもあるカーン中将を要職に就けたくなかったのでしょう。ザラゾフ元帥の息子が参謀長に就任となれば、ルシア閥の庇護を受けてきたカーン中将も異を唱えにくいですしな。」


バラト地方を根幹地とするカプラン元帥はカーン中将とは不仲で知られる。故郷を統治するよそ者、フラム閥に反感を持ったバラト兵のリーダーがカーン中将なのだから、不仲で当然なのだが……


「ところがアレックス准将はああ見えて結構な深慮遠謀の持ち主らしい。准将曰く"マッキンタイアはわざと逃がしてやった"との事だ。」


「わざと逃がした? 一体何の為に?」


ヒンクリーはアレックスから受け売りされた策略を、そのままエマーソンに横流しした。


「ネヴィル・ロッキンダム、ロドニー・ロードリック、リチャード・オルグレン、王国のナンバー1からナンバー3まで軒並み戦死した。マデリン王女の後見人でもあるマーカス・マッキンタイアの序列は急上昇、立ち回り次第では王国の実権を握れるだろう。」


「王を後ろから撃った男が、ですか?」


「権力さえ握れば不都合な情報は、握り潰すか改竄出来る。烈震の言葉を引用すれば"権力欲旺盛で保身術にはそこそこ長けるが、根っこはビビりのマッキンタイアを生かしておけば、一目散に国へ逃げ帰って実権を握ろうとする。つまり、敗軍を立て直して反攻に転じる恐れもなくなる。戦後を考えれば腰砕けの凡夫に権力を握らせた方が与し易い"だとさ。」


"戦争に負けたらせっかく手にした権力も水の泡だろうに"とヒンクリーは訝しんだが、アレックスは腐った門閥家の習性をよく知っていた。マッキンタイアは帰国して実権を掌握し、様子見を決め込む。機構軍が勝ちそうなら勝ち馬に乗り、同盟軍が勝ちそうであれば反旗を翻す。反旗を翻す場合は、これまでの事は全てネヴィルに被せてしまえばいい。


戦争に勝った同盟軍から主権制限ぐらいは喰らうかもしれないが、独立国のナンバー4より、従属国の宰相トップとして独立を目指す方がマッキンタイア家の利益は大きい。首尾良く独立すれば"マデリン王女から禅譲された"として、マーカス・マッキンタイアが王になる事も出来る。


マッキンタイアはそんな算盤を弾いていて、アレックスはそれを読んでいた。軍事も政治も二流のマッキンタイアが新国王になれば、王国はさほど脅威ではなくなる。そこまで考えてマッキンタイアを見逃したのだ。


「なるほど、親子とはいえ別人格。アレックス准将はなかなかの策略家ですな。」


合点のいったエマーソンは唸った。無能な敵は生かしておいて利用する、そういう発想がなかったからだ。


「俺ならマッキンタイアも討ち取って完全勝利を目指しただろう。」


「私もですよ。取れる首は取りに行っていたでしょうな。」


「つまり、俺もおまえも生粋の軍人って事だ。戦場の外には目が向かない。戦争は政治の延長だと剣狼が言っていたが、アレックス准将の策略を見るに、その通りなんだろう。ザラゾフ元帥は後継者に恵まれたようだな。それに引き換え、ウチのバカ息子ときたら…」


「お言葉ですが、リック君は少将の若い頃にソックリですよ。似た者親子と言いますか、血は争えないと言いますか……」


苦笑する副官にヒンクリーは不機嫌顔で反論する。


「さっきは親子とはいえ別人格と言ったじゃないか。どっちなんだ?」


「ケースバイケースですな。」


副官のポケットでハンディコムが鳴り出し、通話に応じたエマーソンの顔が引き締まる。


「……わかった、警戒を怠るな。すぐに発令所に行く。少将、飛行禁止区域にヘリが侵入したようです。」


「何機だ?」


「1機だけです。空からシュガーポットを攻略しようという訳ではなさそうですな。」


「マウタウ方面から飛んで来たのか?」


ヒンクリーは軍用コートを羽織りながら問い、エマーソンはドアを開けながら頷いた。


「はい。マウタウ方面から飛来したようです。識別信号は友軍のものではありません。」


「普通に考えれば亡命者だな。エマーソン、撃墜させるなよ。話ぐらいは聞いてやろうじゃないか。」


発令所に向かった二人は、ヘリに乗っている人物を知って驚愕する事になる。


─────────────────


「ヒンクリー少将、もてなしてもらって何だけど、珈琲ではなく紅茶はないのかな?」


パイプ椅子に腰掛けた貴人は優雅な仕草で長い髪をかき上げた。錆びた鉄机に置かれた飾り気のないスチールカップからコーヒーが湯気を立てている。ゲストは貴賓室ではなく取調室に案内されたのだった。


「粉末タイプで良ければな。言っておくがそれもインスタントコーヒーだ。陸の海賊ランドパイレーツは庶民の軍隊でね。お貴族様の口に合うようなモノはない。」


「質実剛健、軍隊としては正しい姿だね。しかしヒンクリー少将、美食は人生の彩りだよ?」


ヒンクリーもエマーソンも、まさか牽制対象の敵将、サイラス・アリングハムがたった一人で要塞に乗り込んで来るとは思いもしなかった。当然、その意図も計りかねる。


「合成肉のハンバーガーを食いに来た訳じゃあるまい。一体何を企んでいる!」


「なに、そんなに大した事じゃないよ。この要塞を譲ってもらおうかと思っただけさ。」


身構えていたエマーソンは荒唐無稽な申し出に脱力する。


「何を言い出すかと思えば……公爵、寝言は寝てからのたまうべきですな。自分が囚われの身になった事がお分かりですか?」


「総司令官に就任された"論客"カプランは、大将だった頃に寸鉄帯びずに機構軍が立て籠もる要塞に乗り込み、敵将を説き伏せて退去させるどころか、部隊ごと同盟軍に取り込んでしまった。私に同じ事は無理でも、半分ぐらいは真似してみたくてね。」


カプラン派の師団長、ダン・ヴァン・ゴッグ少将が元は機構軍の指揮官であった事は誰もが知っている。カプラン元帥はトゥナム人の降将を重く用い、彼もまたカプランの信頼に応えてきた。


「寝言ではなく妄言だな。俺が敵に下る男だと思うのか?」


ヒンクリーは腕組みしたままサイラスを睨み付けたが、優男は怯む事なく、落ち着き払って返答した。


「思わないね。だから半分と言ったんだ。ヒンクリー少将、貴官はここで戦況を見守っている事に歯痒さを感じているのだろう?」


「ああ。だが敵将を捕らえたとなれば話は別だ。」


「師団を分割し、エマーソン中佐にここを任せて貴官はバルミットに向かう。そんな半端な真似は止したまえよ。サイラス師団の指揮権はヘインズに委ねて来た。"大盾"ヘインズは指揮官としても有能だよ?」


「こちらには…」


サイラスは微笑しながら台詞を遮った。


「八岐大蛇がある、だね。巨大列車砲とはいえ、地下にまで砲撃は届かない。例えばの話だけれど、マウタウから長いトンネルが掘られているとすればどうだろうか? シュガーポットが陥落してからずいぶん時間があったからね。私がマウタウに赴任したのは一ヶ月前だけれど、それまであの街には死神がいたのだよ?」


「少将、すぐに調査を開始します!」


退室しようとするエマーソンをヒンクリーは止めた。


「待て。興味が湧いてきた。智将の話を最後まで聞こう。」


同盟軍の闘将は、機構軍の智将の目を真っ直ぐに見つめる。


「ヒンクリー師団はシュガーポットを放棄し、バルミットに向かう。サイラス師団は無血で手に入れた要塞都市をこれまで通りに統治する。市民にとっては駐屯する軍人の制服が変わっただけ、という事だね。」


「シュガーポットを放棄したヒンクリー師団を背後からサイラス師団が襲撃する、ではないのか?」


「そう考えるのは当然だけれど、それはない。その為の保険も準備してきたからね。」


「保険とは?」


サイラスは自分を指差した。


「私だ。無血開城と引き換えにサイラス・アリングハムがヒンクリー少将の船"バリアント"に同乗する。ヘインズが約束を違えれば、私を殺せばいい。」


「公爵自らが人質になると言うのか!」


「そうだよ。そのぐらいの質草を出さなければ、貴官達の信用は買えない。私が自らを生贄に勝利をもぎ取るような男ではない事はわかって頂けると思うが、どうかな?」


「確かに、公爵がそんな男には見えないな。」


サイラスは頷きながら話を続けた。


「内情をぶちまけるとだね、皇帝から"マウタウを放棄してバルミットに向かえ"と命令が下っているのだよ。帝国から離反した煉獄に援護射撃などしたくないが、バルミットでも負けたら機構軍は万事休すだ。皇帝としても背に腹はかえられない、といったところかな。だが私としてはいけ好かない男の援護など御免被る。幸いにしてサイラス師団の指揮権を持っているのはフー元帥だ。彼女と私の顔が立つだけの戦果さえあれば、戦う必要はない。」


「その戦果がシュガーポットという訳か。」


「そういう事だね。シュガーポットの帰属権は戦後交渉のカードにもなる。手札は増やしておきたいのだ。」


闘将は苦手分野の戦略に思考を巡らせた。そして一点だけある問題を問い質す。


「しかしバルミットに向かうヒンクリー師団を指を咥えて見ていたとなれば、利敵行為の誹りを受けるだろう。」


「かもしれないが、機構軍に私を咎めるだけの力が残るかな? 私の読みでは機構軍の勝利で戦争が終わる事はない。同盟軍が勝つか、停戦条約が結ばれるかの二択だ。であるならば、戦力を維持したままの私は機構軍内で有利に立ち回れるし、場合によっては同盟軍に寝返ってもいい。だからこそ、ヒンクリー師団と交戦したくないのだよ。どんなカタチでも血が流れれば遺恨が生じるからね。」


この男は戦後を見据えて動き始めている。そう考えたエマーソンは念を押した。


「機構軍が存続した場合、利敵行為を咎められれば同盟軍に寝返る。それを阻止する力は機構軍には残らない、そういうシナリオですか。」


「私はね、ノルド人の自主独立を認めてくれるのであれば、機構軍でも同盟軍でも構わないんだよ。地理的条件と政治的条件から服属を強いられてきただけで、機構軍に正統性があるなんて思っちゃいない。マッキンタイアの実権掌握をアシストする見返りに、ノルド地方の内政自治権を認めさせる方向で動いてはいるけれど、平和的に独立する為の手段に過ぎない。」


知力では智将に敵わない、闘将は肝力で勝負する事にした。


「智将サイラス、俺は見ての通りの脳筋で小難しい事はわからん。だが……男の事ならわかる。だから本音を言え。剣狼と煉獄、どちらに勝って欲しいんだ?」


サイラス・アリングハムは肉体は脆弱であったが、知力と胆力には優れていた。理屈ではなく本音で勝負するべきと考えれば、迷わずそうする。


「剣狼だ。私を三度も負かした男には最強でいて欲しい。なんとも不思議な男だよ。私のような男でも、彼なら自分より上だと素直に認められる。」


智将は微笑を浮かべながら異端児を称え、闘将は苦笑しながら答えた。


「まあ剣狼は天才でも英雄でもないな。本音はそれだけか?」


「まだある。虚弱な策士サイラスは、知勇に恵まれていい気になってる天才セツナの泣きっ面を見て笑ってやりたいんだよ。こちらの方が理由としては大きいね。だからバルミットに同行するのさ。」


「つまりは嫉妬か?」


「いかにも嫉妬だよ。頭が滅法良くて超美形でクソ強いが、高慢ちきでいけ好かない。小利口で並の美形な私としては、三拍子揃った男に嫉妬を禁じ得ないね。私だって叶うものなら、強い兵士として武勇伝を語りたかったさ!」


"小と並を付けて謙遜しちゃいるが、自分でなんて言うかね"とヒンクリーは思ったが、サイラスの偽らざる本音に触れた気がした。敵地に単身で乗り込み交渉する胆力、腕は細いが心が太い男が己の命を賭けているのだ。信用するしかない。


「オーケー、利口でも美形でもない叩き上げは、小利口で並の美形と手を組む事にしよう。」


闘将は鍛え上げられた武骨な手を差し出し、智将のマメ一つない手と握手を交わした。


「少将、天掛公爵に相談された方がよろしいのでは?」


「傷を癒しながら北上している剣狼の手を煩わせたくない。この一件は俺が被る。エマーソン、おまえは反対した事にしておけよ?」


「拒否します。一蓮托生ですよ、少将。」


「おやおや、初めて俺の命令を拒否したな。エマーソン、智将と一緒に街へ買い出しに行け。遠足の前におやつを仕入れておかないとな。」


副官は上官に敬礼し、虜囚から賓客に昇格した智将を促した。


「それでは公爵、街をご案内致します。要塞都市にも舌の肥えた連中がいますから、高級品を扱う酒屋がございます。及第点の品は見つかるでしょう。」


「手間を掛けるね。しかし私がバリアントに同乗すると知ったら、ブランドンはさぞ怒るだろうな。」


「ヘインズ男爵はご存知ないのですか!?」


「あの堅物が虚弱な主の単独行動など認めるものか。今頃、置き手紙を見て地団駄を踏んでいるさ。」


苦笑したサイラスはエマーソンと共に退室した。


半日後、シュガーポットを放棄したヒンクリー師団はバルミットに向かって進軍を開始し、空になった要塞都市にサイラス師団が入港した。



新たな要塞司令となったブランドン・ヘインズ男爵は終始、苦虫を噛み潰したような渋面だったが、過不足なく都市の治安を守り、混乱を生じさせなかった。

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