終焉編34話 ブラッドブリンガー
※ザラゾフ・サイド(バーバチカグラード戦域)
「閣下!鯉沼少将より緊急入電!剣狼カナタが…」
駆け付けた伝令兵が報告を終える前にザラゾフは頷いた。
「氷狼を撃破したか。大義である!」
「どうやらそのようだが、親父は剣狼の勝利を信じていたのだな?」
短気で剛直な父を補佐してきた息子は、必然的に思慮深くなっていた。喜びを隠せない伝令兵の顔を見た時点で吉報を予測出来ていたのである。
傍らに立つ息子の発言を元帥は訂正した。
「信じておったのではない。知っておったのだ。知りたかったのはどのタイミングで勝つかだ。」
「親父はいつから預言者になったんだ?」
「アレックス、剣狼は同盟…いや、世界最強の兵なのだ。誰にも負けぬからこそ最強。色白も氷狼も
長身のアレックスは自分より上背のある父親の顔を見上げた。我こそが地上最強と自負する人間災害が"剣狼カナタが世界最強"と断言したのだ、驚かない訳がない。偉大な父は厳めしい顔付きのまま、微笑を浮かべていた。
「世界最強とは、ずいぶん高く評価したもんだな。」
「剣狼はケリコフ・クルーガー、ボーグナイン・ダイスカーク、ホレイショ・ナバスクエス、牙門アギト……一応、色白もカウントしておくか。実に6名もの完全適合者に勝利しておる。そんな兵士は二度と現れるまい。」
「親父、数が合ってないぞ。」
「……おまえの目には引き分けに見えただろうが、剣狼は二度目の勝負で同盟元帥ルスラーノヴィチ・ザラゾフにも勝ったのだ。彼奴が最強だと、このワシが認める。人外でも天才でもないあの男が、世界最強の兵なのだ。」
"戦場の伝説"と謳われた豪の者は、己の時代が幕を下ろそうとしている事を感じていた。そして、新たな伝説が始まる事を予感していた。
「剣狼が怪物なのは認めるが、なんとも親父らしくない物言いだ。いかなる時でも、我こそが最強と我が道を征くのが災害ザラゾフだろう。」
部下としては"補佐に苦労する上官"であったが、息子としては"誇りの父"であった。
「アレックス、ワシは力で道を切り拓く。おまえも知っての通り、ワシは不器用でな。今さら生き方は変えんし、変えられん。」
賢母から与えられた知恵の輪を解こうと悪戦苦闘する幼い息子に、"貸してみろ。こうすれば良い"と引き千切ってみせた父である。万事に不器用で、何事も力尽くで解決する男である事をアレックスは知っていた。
「親父の気性がサンドラに遺伝しない事を願うばかりだ。」
「フフッ、アレもザラゾフの血が濃そうだがな。アレックス、最近ワシは我が道を征く意味を考えるようになった。道を切り拓いたとて、後に続く誰かがいなくては、また元の荒野に戻るだけだ。」
「俺が続くさ。皆もサンドラもだ。」
アレックスは武勇においては父に及ばず、思慮においては母には及ばない。しかし両親の長所をバランス良く受け継ぎ、父の気概と母の人望はそのまま継承した。次世代を担う一翼として、申し分のない男に成長したのである。
「うむ。ワシの戦いは全て、次の世代……おまえ達の為にあったのだ。アレクサンドルヴィチ・ザラゾフ、我が家の誇る若き獅子よ。おまえはワシと共に道を切り拓き、後に続く者の為に舗装してやれ。」
「親父は切り拓くだけかよ。俺だけ仕事が多いぞ、舗装も手伝え。」
「ワシにそんな器用な真似が出来るか。よし、フィオドラが敵将を討ち取ったようだな。」
ザラゾフは戦死した腹心の孫娘が槍を天に掲げ、"ウラー!ザラゾフ!"と勝ち名乗りを上げたのを遠目で確認した。
「グラサンに手助けしてもらいながら、京司郎も童貞を卒業したようだ。だが親父、決戦が初陣とはいささか酷ではなかったか?」
ザラゾフ家の少年執事・昆布坂京司郎は、斃したとおぼしき敵兵の死体に手を合わせている。守り役を買って出た護衛隊長、サンクトヴァシム・グラゾフスキーが黙って少年の肩に手を置いた。
「戦争はもうじき終わる。京司郎は人を殺める重さを知っておかねばならん。ワシのように命を塵芥のように扱う男には、新たな時代は創れんのだ。」
少年ながらも大戦役に参戦し、見事な働きを見せた。この武功は昆布坂京司郎がザラゾフ家の執事として生きてゆく為の財産になるだろう。力を尊ぶのがルシア閥、その気風を醸成したザラゾフなりの配慮である。
「悟ったような事を言うのは、引退してからにしてくれ。まだ戦いは終わっていない。」
「フフッ、そうだな。ワシらの手で戦争を終わらせるぞ。」
並び立つ巨漢と偉丈夫の元に、氷槍を掲げたフィオドラが意気揚々と引き揚げてきた。
「叔父様!若様!見てくださいましたか!私が敵将"烈風"セオを討ち取りました!」
王国軍大佐、セオドリック・スナイダーは"小娘ではなく烈震を出せ!"と風を巻きながら息巻いたが、ルシア閥の
「見ておった。流石はクプリヤンの孫娘、豹の子に猫の子はおらんな。」
ザラゾフの大きく逞しい手で頭を撫でられた雪豹は頬を赤らめ、はにかんだ。彼女は崇拝する元帥閣下に褒められるのが大好きなのだ。クプリヤン・ナザロフ伯爵の趣味であったヘラジカ狩りに同行した時も、大物を仕留めたらまずザラゾフに記念写真を送り、兵学校を首席で卒業した時も祖父よりも先にザラゾフに報告した。
ザラゾフもそんな彼女を姪っ子のように可愛がり、元帥や閣下ではなく"叔父様"と呼ぶ事を許している。
「※仕立屋は左翼の指揮を任されるだけあって、いい腕をしていた。リクエストに応えて、俺が出た方が良かったかもしれんな。」
「ヤツ如き、若様が相手されるまでもありません!私で十分ですわ!」
負けん気が人一倍強く、向上心の塊でもあるフィオドラは強がった。
「わかったわかった。フィオドラ、医療ポッドで休め。」
「私はまだまだ戦えます!叔父様や若様だけではなく、奥方様や大奥様の期待にも応えなければなりません!」
アレックスが一般女性と結婚すると知った時、フィオドラは大層憤慨した。次期当主に恋慕していた訳ではない。彼女にとってザラゾフ家は命を賭して仕える主家、獅子の一族に弱者の血が混じる事が不満だったのだ。フィオドラがアレックスの妻ニーナと良好な関係を築けたのは、天然ながらも裏表がない新妻の人柄と、賢夫人アレクシスが自分を引き合いに説諭に努めた結果である。
「フィオドラ、アレックスは若様ではない。もうザラゾフ家の当主だぞ。」
「そうでした!」
「おまえは当主の命に背くつもりか?」
ザラゾフに念を押されると、フィオドラに反駁する余地はない。
「まさか!わかりました。一時間だけ傷を癒します。叔父様、当主様、私はまだ戦えますから必ず起こしてください!」
新旧の当主に敬礼したフィオドラは、駆け足で医療船に向かった。
「フッ、可愛い奴だが困った奴だな。」
「言っておくが、フィオをあんな風に育てたのは親父だからな。……無理はさせたくないが、お役御免とは行きそうにないな。ロドニーが左翼に出張って来たようだ。」
戦術タブレットを取り出したアレックスの顔色が曇る。
「ワシらが王国軍の左翼を崩している間に、我が軍の左翼が崩されたか。……やむを得んな。強兵を選抜はしてみたが、混成師団では荷が重い相手だったようだ。」
至る所に敵兵の死体が転がる平原、左翼では逆の状況が生じているはずである。
「親父、ロドニーは…」
「ワシが相手する。奴もワシへの雪辱を望んでおるはずだ。それにアレックス、おまえには大事な役目がある。」
「なんだ?」
「中央で戦況を見守っているペンドラゴンを引っ張り出せ。直衛部隊を投入すれば勝てると思えば、ネヴィルは前進するはずだ。」
元帥の作戦を聞いたアレックスは難しい顔をした。
「それは危険な賭けだぞ、親父。多少の演技では、ネヴィルを欺くのは難しい。」
劣勢を演出したのはいいが、挽回する前に総崩れ、そんな危険を孕んでいる。戦場で"負けたフリ"ほど難しいモノはない。
「おまえなら出来る。ネヴィルを討ち取らねば、戦争が終わらん。」
「わかった、やってみよう。ただでさえ広いバーバチカグラード全域で、横長に両軍が展開しているもんだから、敵も味方も被害も大きい。そろそろ終わらせるべきだろう。」
頷いたザラゾフは師団に方向転換を命じた。左翼に向かえば、必ず熱風騎士団が迎撃に来る。ザラゾフとの直接対決を渇望するロドニー・ロードリックは、戦術で優位を築こうとするネヴィルの命令に渋々従っているが、そろそろ我慢も限界のはずである。
戦術で勝利しようとするネヴィルの思惑通りに戦況は動かなかったが、それはザラゾフも同じであった。ロドニーより先に敵軍左翼を食い破り、王国旗艦"ペンドラゴン"を強襲するつもりだったのだが、果たせなかった。予定通りに王国軍左翼を崩したが、自軍の左翼が計算よりも早く瓦解させられてしまったからだ。
ロドニー・ロードリックは以前よりも強く、兵の指揮も巧みになっている。麾下の熱風騎士団も然り。このままペンドラゴンに向かって進軍しても、風の如く後背に回り込んだ熱風騎士団と王国軍本隊に挟撃される。ならば、ザラゾフ師団の精鋭を以て、真正面から彼らを討つしかない。
こうして、広大な平原のド真ん中でルシアンマフィアと熱風騎士団は相見えた。少し離れた位置にネヴィルの率いる王国軍本隊、その真後ろにマッキンタイア師団が後詰めとして控えている。ザラゾフもまた手近な部隊を召集し、背後に展開させて陣立てに厚みを持たせた。
熱風騎士団の先頭に立つ赤毛の公爵は、見間違えようのない宿敵の姿を眼に捉え、歓喜の雄叫びを上げた。
「災害ザラゾフ!!この時を!この時をどれほど待ちわびたか!さあ、尋常に俺と戦え!!」
颶風を巻いて飛ぶように走るロドニー。受けて立つザラゾフは悠然と歩を進める。
「久しぶりだな、若僧。いい面構えになったではないか。」
「そうだろうとも!ジェダ・クリシュナーダに感謝せねばな!」
片耳の公爵は削げた頬肉から涎を垂らしながら、玄武鉄で出来た愛剣"
「勝負だ、災害ザラゾフ!!」
「かかって来い、熱風公ロドニー!!」
長剣と斧槍がぶつかり合い、両雄の一騎打ちが始まった。アレックスが指揮するルシアンマフィアと、ロドニーの忠実な腹心ダドリー・サージャントの指揮する熱風騎士団も交戦を開始する。
両軍の最大兵力が激突したバーバチカグラードの大会戦も、終局に向かっていた。果たして勝利するのは災害ザラゾフか、それとも界雷ネヴィルか……
※仕立屋
スナイダーには仕立屋という意味もあります。
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