終焉編26話 巨山鳴動



アトルの愛馬から飛び降りたダミアン・ザザは、親友イッカクと仇敵ゼノンの決闘を厳しい目で見守る。


"……卑劣な相手に正々堂々と挑む必要などない。俺と一緒に始末してしまえばいいものを。それが因果応報だろう"


親友からゼノンとの因縁を聞かされていたダミアンは、手段を問わずに斃す事を提案したが、イッカクは承服しなかった。"白雨スコール"ダミアンはアスラの部隊長達の中では珍しく、徹底的な実利主義者で美学よりも結果を重んじる。実力者でありながら目立つ事を嫌い、黙々と裏方を務めてくれるので、イスカにとっては使い勝手のいい部下であった。


功名心の薄さなら壬生シグレも同様であったが、ダミアンはシグレと違ってダーティーな手段でも許容する。白雨のタブーは"女子供を巻き込む事"のみ。精神面においては秘密裏に粛清された"錆色のラスティ"モスに近い。違いは友と部下への愛着がある事ぐらいだろう。


(大佐、ゼノンは旗色が悪くなったら部下を乱入させるぞ。備えを怠るな。)


卑劣な輩の行動を知り尽くした男は、テレパス通信で馬上の黒狼に注意を促す。


(心得た。イッカク殿はゼノンに勝てるだろうか?)


(必ず勝つ。勝利を盗んだ卑劣漢はここで死ぬのだ。)


唯一の友の勝利を願う気持ちに嘘はない。しかし、ダミアン・ザザは祈りの無力さを知っている。アスラ部隊に入る前、気が触れんばかりの祈りを捧げながら所属基地に駆け戻った彼が目にしたものは、上官の最後と恋人の亡骸だった……


手段を選ばない男は、誰にも見えないように手の中に高圧水流を形成する。ミニドーナツほどの水流の輪を隠し持ったダミアンは、静観を決め込みながら機会を窺っていた。


"イッカクが勝てば問題ない。だが、危ないと思えば俺は躊躇わない。友に軽蔑されようと、死なれるよりはマシだ"


いざとなれば躊躇なく手を出す。愛し愛された恋人、三条ヒナタを失った痛みからダミアンは立ち直れていなかった。心を抉る痛みは怒りの奔流となって、彼の心に渦巻いている。恋人の仇は討ったが、怒りの渦は収まらない。権力者の傲慢で婚約者を失った"魔術師"アルハンブラなら、ダミアンの心情を理解し得るかもしれなかった。ダミアンもアルハンブラも"暴虐を縛る枷"を求めて戦っているのだから。


─────────────────


豪拳イッカクの戦いを見守るアスラの部隊長はもう一人いた。見守る、のではなく、眺める、と言った方が正確ではあったが。


"偉大なる獅子"に搭乗するもう一人の完全適合者、大蛇トゼンはブリッジの隅に敷かれた茣蓙ゴザの上でスルメをしがみながらカップ酒をチビチビ飲っている。


サイコキネシスで茣蓙を引っ張り、指揮シートの傍まで招き寄せたザラゾフは見立てを問うた。


「……豪拳は勝てると思うか?」


聞いた方も無頼だが、聞かれた方も無頼である。返答は素っ気なかった。


「知るか。」


「儂とゼノンは二度戦ったが、仕留め損ねた。奴は生き残る為なら手段は選ばんぞ。」


一度はネヴィルとのタッグで、もう一度はサイコキネシスを有する猛者をかき集めて数で挑んできた。最初の戦いは殊勝にもネヴィルを逃がす為に近衛騎士と共に奮戦したが、二度目の戦いは旗色が悪いと見るや部下を盾にして遁走した。ザラゾフ市場のゼノン株は一度目の戦いで高騰し、二度目の戦いで暴落した、といったところだろうか。


「ヘッ!手段がどうこうなんぞ関係あるかよ。最後に生き残るのは本当につええ奴だけだ。」


「本当に強い奴、か。おまえはどうなのだ?」


「ハッ!俺は只の趣味人よ。己の趣味で殺し合いを楽しみ、いずれ荒野に骸を晒す。そんだけの事さ。」


「骸を晒すのはもう少し先にしろ。この戦い、負ける訳にはいかん。」


同僚の決闘に目をやったトゼンは、咥えていたスルメを茣蓙に吐き捨て毒づいた。


「ケッ!イッカクの奴、どんな因縁があるのか知らねえが、気負い過ぎだ。」


「確かに力んでおるな。競馬で例えれば"入れ込み過ぎ"だ。」


「剛の真髄は柔から生まれる。それが六道流の極意だろうがよ。」


しなる手足で腕力と脚力を増強するトゼンは、剛柔を併せ持つ強者だった。


「ほう、ザラゾフ流とは違うようだな。」


剛を砕くは、より強き剛。力技こそ戦技の極地。それが災害ザラゾフのポリシーである。


「……で、元帥閣下は何を待ってんだ?」


「何の話だ?」


「トボケんじゃねえ。ネヴィルがまどろっこしい戦いをやりたがってんのはわかるが、それにお付き合いする災害ザラゾフじゃねえだろうがよ。ええおい?」


トゼンの問いに答えたのはオペレーターだった。


「閣下!チャティスマガオ戦域からの報告です!剣狼カナタが貴公子カイルを撃破しました!」


吉報を聞いたブリッジクルー達は、軍帽を投げて歓声をあげた。腕組みしたままザラゾフはオペレーターに詳細を聞く。


「錦城師団はどうなっておる。」


「未だ健在!氷狼師団と交戦中との事です!」


総司令官は指揮シートから立ち上がり、大きく頷く。


「大義である!これで氷狼めは剣狼と戦わざるを得まい。」


総力戦の趨勢が定まらない状態で撤退すれば、戦犯の誹りは免れない。災害は猛る戦意を抑え、動かない事で氷狼を動かしたのだ。新たな伝説になると見込んだ男が宿痾に立ち向かう時、巨山も動いた。


「トゼン!部下の元へ戻れ!」


「待ちくたびれたぜえ。やろうってんだな?」


「うむ!豪拳が勝てば即座に仕掛ける!負けた場合は…」


「阿含一角は負けねえよ。伊達と酔狂に命を張るのがアスラコマンドだ。金だの地位だのに恋々とする野郎なんざ敵じゃねえ!」


空の片袖を翻しながらトゼンはブリッジを後にした。同類と期待する男との血闘を予感し、蛇の血が滾る。


─────────────────


「六道流、連環撃!」


ゼノンの低空タックルを軽打の連打で押し返すイッカク。パンクラチオンはボクシングとレスリングを融合させたような総合格闘術だが、ゼノンは特に組み技を得意としている。


「小癪な!」


チェーンパンチで上体を浮かされたゼノンはタックルを諦め、連打を捌きながら開いた拳で掴み技を狙う。手首を摑まれないように回転を上げたイッカクだったが、ゼノンは突然背中を向けた。


「なにっ!?」


格闘王は鍛え上げた広背筋で連打を受けながら、下段回し蹴りを放って打撃を支える足を崩した。


「チェーンパンチの弱点などわかっておるわ!」


矢継ぎ早に連打を繰り出し、一方的に殴り続ける事を眼目とするチェーンパンチは即応性に欠ける。ゼノンは即座に体を屈めて空振りを誘い、腕を取っての巻き投げ。仰向けに倒れたイッカクの腹にストンピングの雨を見舞った。


「ぐふっ!」


踏み付けられたイッカクの腹部に血が滲む。ゼノンは靴底から無数の刺を生やしていた。凶器を内蔵した仕込みブーツだったのだ。なんとか足を払って立ち上がったイッカクだったが、浅いとはいえ滅多刺しにされたダメージは大きい。


「……暗器に頼るとは格闘家の風上にも置けんな。」


「バクスウとて鉄爪や縄鏢を使うだろう。おまえも双角もカビの生えた古武術に拘るあまり、創意工夫を怠ったのだ。」


嘲りながら腰を屈め、タックルを仕掛けるゼノン。倒されまいと打撃で応戦するイッカク。同じような攻防が何度も繰り返される。打撃ではイッカク、投げ技ではゼノン、両雄は得意なところでダメージを積み上げ合った。だが、タックルだけは成功しない。


「儂のタックルがそんなに怖いか。フフッ、怖かろうな。双角の格闘生命を絶った技だ。」


「鼻が折れ、瞼は腫れ、前歯もない。そんな顔で勝ち誇るとは滑稽だな。」


直撃こそ避けていたが、豪拳イッカクの重撃はガードの上からでも効く。投げられるのを覚悟でとにかく当てにいった武道家の執念は、格闘王を自負する男から余裕を奪っていた。


(……殴り合いは分が悪いと認めざるをえんな。パワーは同等でも精度が違う。双角の打撃も重かったが、師より体格に優れた此奴の打撃はもっと重い。直撃を喰らえばいくら儂でも……)


巻き投げ、首投げ、反り投げ、大地を凶器に使った多彩な投げ技はかなりのダメージを与えている。ダメージレースで優っている間に勝負を決めるべきだと判断したゼノンは、またしても姿勢を低くし、タックルを狙う構えを見せた。


「また馬鹿の一つ覚えの低空タックルか。それのどこが創意工夫なのだ?」


「カビの生えた頭では理解出来まい。行くぞっ!」


両手を広げてダッシュするゼノン。イッカクは打ち下ろしの重撃を狙う。何度も繰り返された攻防、だからこそタイミングを覚えた筈である。


「もらった!」


ゼノンの巨体が急加速し、イッカクの懐に飛び込んだ。軍靴に施したもう一つの仕掛け、超小型ジェットパックを使ったのだ。踵に仕込めるサイズだけに噴射時間はほんの一瞬だが、数メートルの加速には十分。


「取ったぞ!儂の勝ちだ!」


タックルからのベアハッグ、これこそゼノンの必勝パターン。この技で阿含双角も脊髄を損傷し、再起不能にされたのだ。重量級屈指の怪力を持つゼノンだが、締める力を特に磨いている。巨木でさえ容易く砕くベアハッグが決まったのを見た格闘親衛隊は拳を握って雄叫びを上げた。あの技から逃れた者などいないからだ。


ミシリと骨にヒビが入る音を聞いたゼノンは満身の力で締め上げながらほくそ笑んだ。もう一息で背骨が折れる。


「……俺にはベアハッグという技の長所がわからん。両腕ごと締め上げなければ、危険極まりないぞ?」


素朴な疑問を呈したイッカク、ゼノンは眼球だけ動かして左右を見た。念真重力破を纏った拳が迫って来る!


「ぬおっ!」


拘束を解いて逃れようとしたゼノンだったが、吊り上げられたイッカクの両脚が胴に巻き付き動けない。左右のこめかみに重撃を喰らったゼノンの意識は飛んでいた。飛んだ意識を戻したのは激しい頭痛。


(……ハッ!わ、儂は気を失っていたのか!側頭骨をやられた、何度殴られたのだ?)


首を振って意識をハッキリさせようとするゼノン。部下の叫び声が聞こえる……"立って!早く!"だと?


(土の匂い、ダウンしているのか!)


跳ね起きたゼノンの顔面に拳がめり込む。踏ん張る事も出来ずに吹っ飛ばされ、尻餅をついた格闘王に武道家がゆっくりと歩み寄って来た。


「意識が飛んでいる間に倒すのは簡単だった。だが、それでは敗北を噛み締められまい。」


「か、かかれかかれ!此奴の背骨は折れる寸前だ!」


ゼノンは部下に突撃を命じたが、待ち構えていたダミアンが高圧水壁を張って阻止する。


「下衆の考える事などお見通しだ。イッカク、決着をつけろ。アトル大佐、騎兵突撃だ。」


「うむ。総員、水壁に向かって突撃せよ!」


騎馬が水壁に迫った瞬間にダミアンは能力を解除した。瞬く間に乱戦が始まったが、上官を倒された格闘親衛隊の士気はガタ落ちし、精彩を欠いている。ダミアンはフランベルジュを振るい、容赦なく失意の精鋭を討ち取ってゆく。


「降伏しろ、それともまだ戦うか?」


イッカクは尻餅をついた敗者に投降を促した。友の甘さに眉を顰めるダミアン、それでも手は休めない。


「……もう勝ち目はあるまい。わかった、投降…」


ゆっくりと息を整えながら立ち上がったゼノンは不意打ちでタックルを仕掛ける。イッカクの背骨は折れる寸前、もう一度掴まえれば打撃をもらう前にへし折れると考えたのだ。


「ごべっ!!」


待っていたのは無情の豪拳。アッパーで顎を跳ね上げられ、膝をガクガク震わせながら棒立ちになったゼノンに対し、イッカクは痛めた背骨を顧みず体を捻る。


「死ぬ前に教えておこう。刺付きブーツのストンピングが余計だった。最も刺を仕込みたい踵に仕掛けがなかったのを見て、"別の仕掛けがあるな"と察したのだ。」


背骨を砕かれる師の姿を目に焼き付けたイッカクは、上半身だけの錬気で繰り出せる必殺技、"豪破双撃"を編み出していた。タックルに重撃を合わせられるようになった頃に、踵の仕掛けを使うだろうと読み切っていたのだ。イッカクは腕ごと摑まれないように注意しながら錬気し、ゼノンを絡め取った。知恵比べでも優っていたのである。


「この勝利を我が師、阿含双角に捧げる。六道流・旋渾撃!!」


新旧交代を告げる豪拳は、格闘王の頭を粉々に打ち砕いた。ゼノンの死体が膝をつき、大地に崩れ落ちる。



イッカクの勝利を見届けたザラゾフは斧槍を携え、戦場に姿を現した。主役の登場は主力の激突を意味する。後世の歴史家がこぞって研究する"バーバチカグラードの大会戦"は、いよいよ佳境に入ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る