終焉編24話 前哨戦は神経戦



※帝国軍・サイド


辺境伯ことバーンズ・バーンスタイン侯爵の船、"サラマンドル"のブリッジ。規律の行き届いたクルーの中に一際目立つ男がいる。だらしなくシャツのボタンを外して副官シートの上で胡座をかき、頬杖までついていた。無作法なゲストを指揮シートに座した老雄は咎める事なく、視線で指揮を促す。


「追撃するな。辺境伯、アシュレイとスタークスにも伝達だ。」


頬杖をついていた男は、引いてゆく同盟軍の様子を見ながら腕組みし、背もたれに背を預けた。


「うむ。バル、右翼と左翼に追撃禁止と電文を送れ。」


サラマンドルに同乗していた辺境伯の孫、バルツネッド・バーンスタインは両翼の指揮官に命令を伝達する。


「はい、お祖父様。もとい、総司令官殿。」


「司令官ではなく伝書鳩じゃろう。実際に指揮を執るのはこのぐうたらで、勝てば手柄は陛下が横取り。こんな馬鹿げた司令職は歴史上類がないじゃろうな。」


帝国軍の宿将と誰もが認める老雄であれば、祖国の存亡を賭けた一戦の指揮を委ねられても不自然ではない。しかしこの頑固な老雄は、即位前から皇帝とは距離を取っていた。ゴッドハルトと帝位を争ったベルギウス公が論外だった為、消極的に支持しただけである。"高貴な俗物"と"尊大な政治屋"であれば、まだしも後者の方がマシだからだ。


バーンスタイン家は帝国開闢から続く名家だったが、現当主は血筋ではなく資質を重んじる。資質あり、と認めた皇女に頭を下げて頼まれれば、伝書鳩もやむなしであった。


「……しかし解せんな。不利でもないのに何故引いた。」


バーンズは同盟軍の意図を図りかねていたが、素顔の死神が答えを教える。


「俺がいる事がバレたのさ。」


仮面を外した桐馬刀屍郎が乗艦してきた時は、"戦傷で見るに耐えない顔をしている"などと大ボラを吹きおってと思ったバーンズだったが、どうやら顔を隠さねばならない事情があったようだと理解も出来た。この男はやはり、なのだ。


「まさかじゃろう。一当たりしただけではないか。」


「辺境伯、相手が天才だって事を忘れちゃいけない。陣立てに違和感を感じた軍神は、誰が絵を描いているか確かめたかったのだろうよ。」


兵の命が懸かっている以上、手抜きは出来ない。死神は現代流にアレンジした"叢雲の兵法"を見せた。軍神は一目で戦術のベースが叢雲家のものだと見抜いたのである。だが、初手で露見するであろう事は死神の想定内でもあった。


「死神よ、おヌシは何者じゃ?」


万夫不当の豪の者にして、10万を越える兵を淀みなく指揮出来る将帥。バーンズの経験から言えば、間違いなく武家で育った男のはずである。辺境伯の40年来の友、"鉄拳"バクスウは死神の正体を知っていたが、いくら親友でも話す事は憚られたらしい。


「詮索は後だ。生き残った後に姫にでも聞いてくれ。」


亡霊戦団は薔薇十字に入るまでは、軍に戦闘記録の提出義務のない新兵器テスト部隊として行動してきた。その理由の一つは、戦術で出自を特定されない為でもあった。今まで隠してきた顔を見せたのは、偽装を完璧にする為だけではなく、"ここで戦争を終わらせる"という彼なりの決意表明だったのかもしれない。


「姫まで儂に隠し事か。まあよかろう。それでどうする?」


「虚仮威しでもやってみるか。アスラの連中には通じないが、兵隊全員が鋼の心を持ってはいまい。」


死神は足元に置いてあったトランクケースを開けようとしたが、戦いが始まる前まで食べていたフライドチキンの油が指に付いていたらしく、指紋認証が上手くいかない。


「給仕兵!ナプキンを…」


バルが言い終える前にトランクケースは力尽くで引き千切られていた。舌舐めずりする猛虎のような顔で指を舐めた死神は、破壊されたケースの中から重装甲コートと髑髏のマスクを取り出して装着する。


「そこそこ造形の整った顔をしておるのだから、もう隠さんでもよかろう。」


バーンズはそう言ったが、髑髏のマスクは首を振った。


「自分を偽り続けると、その偽りが真になってしまうものだ。」


ブリッジを出て格納庫に移動した死神は、彼の専用バイク"ナイトメア"にかけられていたシートを捲った。


俺が龍ノ島の兵に手をかければ、ミコトは嘆き悲しむのだろうな、と叢雲討魔は思ったが、野薔薇の姫にとって帝国兵は愛すべき同胞。同胞が蹂躙されるのを防ぐ策はこれしかないと思い定め、指南役に指揮を依頼した時のローゼ姫の悲痛な顔を虎は思い出していた。戦乱の世に生きるには、彼女は優し過ぎる。


"あの顔を見て動かぬようでは男ではない。だが……帝を擁し、龍ノ島に安寧をもたらすべし。御三家だった俺が島の敵として立ちはだかる事になるとは、とんだ喜劇だな"


同盟兵から"皆殺しの死神"と恐れられる彼だが、殺戮どころか闘争そのものを望んでいない。制御の利かない力を持って生まれた男は、一度ひとたび戦えば死体の山を築いてしまう。余人を圧倒する力を行使し続ければ"力の快楽"に溺れ、いつしか自分を見失ってしまうだろう。


磨き抜かれた炎素タンクには、獣の双眸が映っている。眠っていた戦人の血が滾り始めているのだ。


「……我が瞳に宿る神虎よ。我が敵を討ち、我が敵となるな。」


叢雲討魔が恐れる敵とは"自分自身"であった。神虎の力を目に宿した超人は人の枠から逸脱していても、心は"人間"でいたかったのだ。


─────────────────


「…………」


叢雲トーマは無言で夕焼け空を舞う白い鷹を見上げた。あの鷹の目を通して御堂イスカは俺を見ているのだろう。軍神の名に恥じぬ女は幾度か攻勢をかけてきたが、死神と呼ばれるに相応しい男は全て退けた。もちろん隙あらば逆襲に転じるつもりであったが、軍神は付け入る隙を見せず、初日の結果は痛み分け。


日暮れと共に、両軍は申し合わせたかのように軍を引いたのだった。


「日没が近い。夜戦の準備を始めた方がよかろう。」


背後から"戦鬼"リットクに声をかけられたトーマは首を振った。


「続きは明日だ。夜襲はないと思うが警戒は怠るな。」


「どうしてこちらから攻めない!日がな一日、防戦一方だったではないか!」


「吠えるな。ボクシングに例えれば、まだ第一ラウンドだ。」


詰め寄る戦鬼を振り払うように野戦テントに向かう死神。仏頂面のリットクは黙って後に続いた。兵士から見れば不仲な二人に見えるが、テレパス通信では全く別な話をしている。


(トーマ様、軍神らしからぬ消極さでしたな。あの女は何を考えておるのでしょう?)


(こちらの指揮系統を確認していたのさ。帝国兵がどの程度、俺の差配で動くかを試した。)


(だから指揮通りに動く事を見せてやった訳ですか。次はどんな手を打ってくるのか……)


(こちらの弱点を突こうと考えるだろう。)


相手が俺だとわかった時点で軍神イスカは腰を据えた。一気呵成に勝負に出ず、確実に勝つ方法を選ぶだろう。面倒この上ない長丁場になるな、と死神は嘆息した。


(我らの弱点とは?)


(皇帝だ。戦下手の皇帝陛下が痺れを切らすのを待つのが上策。ゴッドハルトは俺を信頼して指揮を委ねた訳ではない。)


皇帝がジリジリした展開に業を煮やし、自ら命令を下せば帝国兵は従うしかない。


(わかりやすい隙でも見せて皇帝の功名心を刺激してくるやも……トーマ様にそんな隙を見せれば致命傷ですな。)


(フフッ、救いは皇帝に戦下手の自覚がある事だ。リットク、明日はこちらから仕掛けるぞ。)


(攻守交代ですな。心得申した。)


明日も厳しい戦いになる、叢雲トーマは今日の戦いを踏まえて攻勢戦術を再構築し始めた。バーバチカグラードに展開する王国軍が辛勝でもいい、勝ってくれれば帝国軍は引き分けでもいいのだが、どうなるかはわからない。


"御堂イスカは麾下の部隊を全て掌握しているが、俺はあくまで代理だ。辺境伯が"違約があれば薔薇十字の兵は全て引き揚げる"と脅しはかけているが、それが何時まで通じるか……"


不安要素を抱えながらも、叢雲トーマは短期決着を目指してはいなかった。皇帝は同盟を討ち果たす事を目標にしているが、トーマは同盟との停戦を目標にしている。矛を収める為には御堂イスカを討ち取ってはマズい。


"討ち取りたくとも、それが出来るかも問題なんだがな。正直なところ、惜敗だったら御の字ってところだ"


他の戦域の結果を見てから、勝つか引き分けるかを決めなければならない。しかもあの御堂イスカを相手に、である。



血で血を洗う総力戦の最中、様々な思惑が世界各地で交錯する。そしてザラゾフとネヴィル、因縁の二人が雌雄を決する主戦場では、両軍の主力が激突しようとしていた。

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