終焉編23話 鮮血のカンバス
※イスカ・サイド(場所:タムール平原。時系列:アギトと光平の交戦より少し前)
「敵を侮ってはいかんな。思ったよりもいい陣立てだ。」
イスカは指揮シートで頬杖をつきながら煙草を咥えた。白蓮のメインスクリーンには広大な平原に展開する敵軍の布陣が映し出されている。帝国軍を主軸に据えた機構軍は総数12万2千。対する同盟軍はアスラ派を主軸にその数11万8千。全土で展開する総力戦の中でも、タムール平原の会戦は二番目の規模を誇る。この平原を制した側が、勝利に大きく近付く事になるだろう。
「そのようですな。皇帝の差配ではこうはいかんでしょう。」
侍従が火を差し出し、主は紫煙を燻らせる。
「……あの布陣をどう見る?」
「一見すれば大胆に見えますが、よく観察すれば攻防のバランスも取れております。神盾と剣神が知恵を出し合った合作にして力作ではないかと。」
鷲羽クランドは政治には疎いが軍事には強い。初代と二代目、二人の軍神に基礎戦術を教えた師はこの老僕なのだ。師を超える将に育った女は副官の見立てに同意しながら補足する。
「クランド、大胆さを加味した者がいるぞ。攻撃陣をアシュレイ、防御陣をスタークス、全体を統括し、バランスを整えたのがバーンズといったところだろう。問題は誰が指揮権を持っているかだ。」
皇帝が親征したのだから、本来ならば指揮権は皇帝が持っているはずである。しかし陣立てを見たイスカは"ゴッドハルトはこれまで通り、指揮権を誰かに移譲したのだ"と推察した。機構軍機関紙が元帥杖を持つ皇帝ゴッドハルト・リングヴォルトを"不世出の将帥"と持ち上げる理由は"戦で負けた事がない"からであるが、そんな虚構に惑わされるイスカではない。
"ゴッドハルトは画材屋だ。絵具とカンバスは用意出来るが、絵は描けない。奴には画家が必要なのだ"
機構軍には五人の元帥がいるが、ゴッドハルトより出撃回数が少ないのは"一度も出撃した事がない"アムレアンだけである。"パトロン元帥"と揶揄されるフーよりも戦場に出て来ない理由は、単に戦が不得手だからだ。数少ない勝利に高額の値札をつけさせた政治手腕は見事と言えるが、高めた威厳も真贋を見抜く将の前では役に立たない。
「軽く小突いて、画家が誰かを確かめるか。」
これまでの例に倣えば最側近の"神盾"スタークスが画家を務めるはずだが、慎重屋の彼らしからぬ大胆な布陣がイスカを慎重にさせた。皇帝の数少ない親征の記録では、まず神盾の敷いた防御陣で敵の攻勢を受け止め、十分に消耗させてから"剣神"アシュレイが攻撃陣形に切り替えて仕留める。全てがこの"黄金パターン"だ。必勝のワンパターンを崩す策をイスカは練り上げていたが、帝国軍の初手は"防御一辺倒"ではなかった。おのずとイスカの初手も違って来る。
「マリー、ライオンハートに通信を繋げ。」
「はい。」
白蓮に同乗するマリー・ロール・デメルが機器を操作すると、連獅子を演じる歌舞伎役者のような出で立ちの傾き者の姿がスクリーンに現れた。
「おうイスカ。睨めっこはもういいだろ。とっととおっ始めようぜ!」
「そう思っておまえを呼んだ。」
「わかってるじゃねえの。やっぱ一番槍は俺様だよなぁ。獅子髪バクラの千両役者ぶりをとくと拝ませてやっから見とけよ。」
「生憎だが全体を見ねばならんのでな。バクラ、今のおまえは万の兵を率いる身だ。軽挙妄動は慎めよ?」
今回の戦い、イスカはアスラの部隊長達を大隊長ではなく師団長として運用している。バクラ、トッド、カーチスは1個師団、イスカ、クランド、トキサダは2個師団を管轄し、それにウタシロの第二師団が加わる。大隊長をいきなり師団長に抜擢するにあたっては、さしものアスラ派からも異論が出たが、イスカは我意を通した。軍神イスカが最も信頼する指揮官は、苦楽を共にしたアスラコマンドなのだ。
「わーったわーった、心得てんよ。」
「まずは相手の出方を見たい。あの布陣がどうにも気に入らん。」
「確かに帝国らしくねえ陣立てだな。任せとけ、俺が探りを入れてみらぁな。」
「深入りはするな。トッドをサポートに回す。」
右翼のウタシロ、左翼のトキサダも同時に動かしてみるか。バクラとの通信を終えたイスカは、手荒な挨拶をするべく各隊に命令を下した。
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一番槍を命じられた傾き者は勇躍し、部隊を率いて敵陣に向かう。様子見であれば2個連隊もいれば十分なはずである。
「獅子髪バクラの獅子の舞い、その目をおっぴろげてとくと御覧あれってな!」
高速回転させた朱槍で矢弾を弾きながら敵陣に飛び込んだバクラは、長く伸ばした念真髪で絡め取った騎士を振り回した。異名兵士の突入を許した騎士団は、数を頼んで囲みにかかる。
「アスラの獅子髪だ!」 「手強いぞ、皆でかかれ!」 「クソッ!もう後続が追い付いて来た!」
単騎突撃で陣形を乱し、生じた隙を部下に突かせる。鬼道院バクラは荒武者であったが、豪勇一辺倒の猪武者ではない。
「おうおう、まとめてかかって来な!多対一こそ戦の花よ!」
群がる騎士達を槍の横薙ぎで追い払い、傾き者は大見得を切った。
「拙僧の節操のない槍捌きで涅槃へ旅立つとよろしい。……フフッ、傑作。」
バクラの同門の友にして"獅子神楽"副長、秋芳寺如泥の槍が騎士の喉笛を貫く。
「ジョニー!駄洒落を飛ばしてねえでゴロツキを軸に槍衾を作れ!コイツら雑魚助じゃねえぞ!」
「そのようですね。皆さん、穂先と隊列を揃えて下さい。」
「馬蹄の音だ!急げ!敵はランスチャージを仕掛けて来るぞ!」
バクラの警告と同時に帝国軍重装歩兵部隊は左右に分かれ、空いたスペースにバイオメタル軍馬に騎乗した騎士達が突進して来る。
「※
一陣の風となって駆け抜ける騎士団。残されたのはランスに貫かれた兵士の死体と、槍で迎撃されて落馬した騎士の死体。
「被害はほぼ同数か。やってくれるじゃねえの。」
「うちのゴロツキは全員無事ですが、結構な数の味方が涅槃に旅立たれましたね。」
獅子神楽の隊員に比べれば見劣りするが、バクラとジョニーが選抜した槍兵である。熟練兵を倒し得る敵はエリート兵に違いない。槍衾を駆け抜け、後背に回った騎士達の動きを見たバクラは顔を顰めた。
「往復ビンタに来ねえで左右に散開、迂回しながら後列に戻る、か。可愛げのねえ野郎どもだ。」
せっかく後ろに回ったのだ、前後から挟み撃ちにしてやると欲をかきそうな場面なのに無理をしない。数を減らした騎兵で再突撃をかければ、与える被害より被る被害の方が大きいと冷静に判断したのだろう。
「反転しようと足を緩めたら丘陵に布陣しているトッド隊から射撃の的にされます。いい判断ですよ。縦に動く的より横に動く的の方が狙いにくいですからね。」
「そこまで見えてると思うか?」
「見えていると考えて戦うべきだと思いますね。」
「……そうだな。騎兵が時間を稼いでる間に重装歩兵部隊が陣形を立て直してやがる。しかもドッシリ構えて仕掛けて来ねえときたもんだ。ジョニー、コイツは一筋縄ではいかねえぞ。」
愛用の煙管を取り出したバクラは、一服しながら友に覚悟を促した。
「一筋縄ではいかないぐらいが面白いでしょう。泥縄を編むのがお好きな機構軍ですが、目の前の彼らはしっかり準備をしてきたのでしょうね。」
「……久方ぶりに本気で暴れてみるか。ジョニー、指揮は任せたぜ。」
バクラは装甲コートから※
「待ってください。司令から通信が入りました。引け、との事です。」
「フン!イスカがそう言うんなら仕方ねえな。せっかく燃えてきたってのによ。」
「バクラさん、心配なさらずとも全力で……いえ、死力を奮って戦う機会が嫌でも来ますよ。これまでの敵とは覚悟が違うようです。」
「だろうな。挨拶は済んだ!引くぞ!」
当然のように殿に回ったバクラは威風堂々、部隊を率いて去ってゆく。偉丈夫の背中を見つめる騎士達は微動だにしない。
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モニター越しに戦況を見つめていたイスカは、侍従に命令した。
「クランド、兵を引かせろ。」
「もうですか。まだ一当たりしただけですぞ?」
豪胆にして緻密な陣立て、確かに奴なら出来るだろう。イスカは小競り合いのような攻防で敵将の正体を看破していた。
「十分だ、画家が誰だかわかった。あれは……叢雲の兵法だ。」
「叢雲ですと!? 照京御三家のあの叢雲ですか!!」
「諜報部が"桐馬刀屍郎は叢雲討魔の可能性がある"と言っていたが、どうやら事実だったらしい。……野薔薇の小娘も思い切った手を打ってきたものだ。決戦の場で最強の将を手放すとはな。」
ヘプタール平原で3倍の敵と対峙する薔薇十字は、切り札である死神の力を是が非でも借りたいはずである。しかし野薔薇の姫は決断した。最強の将を活かす場はここではない、と。
"皇帝はもちろん、神盾でも剣神でも、辺境伯であろうと軍神には勝てない。だけど"無敗の死神"なら……"
ローゼは"指揮権の完全譲渡"を条件に桐馬刀屍郎の派遣を皇帝に進言した。軍神相手にどう戦うべきかを苦悩していた皇帝は皇女の申し出を(表面上は勿体付けながら、内心では喜んで)受諾。
"
かくして、無敗の死神と常勝の軍神が激突する。どちらが勝つにせよ、夥しい血が流れる事は必定であった。
※石突
槍を地面に突き立てる為の金具。穂先の反対側に取り付けられています。
※佩楯
和鎧で腿や膝を守る為に取り付けられたエプロンのような部位。
※影武者
終焉編2話と3話でローゼの傍にいた死神は変装した猿尻赤衛門でした。
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