終焉編16話 虚構と現実の狭間で揺蕩う者



※カイル・サイド


「剣狼め!なぜ僕を執拗に狙うんだ!から潰すのがセオリーだろう!」


まさにカイル自身が言った通りの理由で狙われているのだが、世界最強を自負する貴公子は"自分がアギトより与し易いと見做されている"とは思わない。


高貴さは強さ、ならば世界で最も高貴な男である自分が最強でなければならない。アギトより格下だと認める事は自らが掲げた定義に反する。それは場末の犯罪者だったケルビン・トボンが求めてやまなかった理想の自分、バルボン王朝の末裔にして真に高貴なる者"カイルベール・ル・ソレイユ"の存在を否定する事になる。記憶を歪めてでも守りたい虚構を失う訳にはいかない。


骸骨戦役スケルトン・ウォーにおいて煌月龍から"カイルは敗北を糊塗した"と報告を受けた朧月セツナはこう論評した。"虚構という水槽の中で泳ぐひ弱な熱帯魚ピラニア"と。


ひ弱と酷評されはしたが、牙はあるとも認めてもらえた男が鎮座する艦橋に悲鳴に似たオペレーターの声が交錯する。


「第4防衛ライン、突破されました!」 「第2督戦隊から報告!逃亡兵の数が急増し、対処が困難!至急増援を乞う!」 「異名兵士"氷鼬鼠アイスヴィーゼル"……デズモンド・ヒューズ卿が戦死!」


このままでは師団は崩壊する。指揮能力は非凡なカイルにもそれは重々理解出来た。特に連隊指揮官だったヒューズの戦死はマズい。


「ヒューズは手負いのオプケクルも仕留められないのか!どいつもこいつも役立たずめ!」


平時においては完璧に記憶を歪められるカイルも、窮地になれば覆い隠した真実が顔をもたげ始める。心の奥底を塞いでいた蓋から幽鬼が漏れ出て、焦る貴公子に囁いた。


"ヒヒッ、おまえの母親は場末の娼婦で、親父は誰だかわからないんだよなぁ?"


"違う!僕のママは名門貴族の落胤で、パパはバルボン王朝の血を引く公子だ!ママがそう言っていたんだ!"


魂の絶叫で幽鬼をかき消しても、同じ顔をした幽鬼が現れ、また囁く。


"キヒヒ、整形する前は醜男で、ガキの頃には淫売宿の連中に笑われてたよなぁ?"


"整形なんかしていない!生まれた時からこの顔だ!"


醜い顔などなかった。元の顔を思い出せないのだから、なかったに決まっている。僕は高貴な生まれに相応しい美しさを持って生まれたはずだ。カイルは懸命に忘却に努めたが、見覚えのある顔をした幽鬼はさらに囁いてくる。


"ヒャハハ、ヒデえな。もう自分の顔を忘れちまったのかよ。ところでおまえ、こないだ狂犬に負けたよな? 実は……最強でも最高でもないんじゃないか?"


"僕は負けていない!狂犬が卑劣極まりない手を使っただけだ!耳障りだ、消えろ!"


"そう邪険にするなよ。おまえ、本当に俺の顔に…"


"黙れ黙れ!もう消えろ!!"


醜い顔の幽鬼は霞のように消え去りながら予言した。


"わかったわかった、お望み通りに消えてやるよ。だがおまえはいずれ俺達と再会するぜ。……生まれにも育ちにも、見た目にも恵まれなかったが、内には才能を秘めていた。そいつを真っ当に使えば"真に美しき者"になれていたのにな……"


悲しげな顔をした幽鬼は消え、カイルは我に返った。不安げなブリッジクルーの視線が自分に集まっている。


"僕とした事が幻覚を相手に取り乱すとは……"


珍しく自省したカイルは冷静に戦況を分析し、また冷静さを失った。


「ノロマな餓狼め!この僕が時間を稼いでやっているんだぞ。麒麟児ぐらい何とかしてみせろ!」


剣狼といい氷狼といい、狼の名を冠する輩は碌なもんじゃない。僕が至尊の座に就いた日には、狼を害獣に指定して世界から根絶してやる。八つ当たりじみた妄想を膨らませながら、カイルは防衛ラインの再構築を試みたが、上手くいかない。戦う兵士の士気と質だけではなく、戦術能力においても剣狼は貴公子を上回っていた。もちろん、カイルは後者の事実は認めない。


「カイル様、このままではマズいですわ!何か手を打たなければ!」


戦に疎い副官、メリアドネが見ても戦況は芳しくない。剣狼が陣頭指揮を執る中央はやむを得ないにしても、右翼のオプケクル師団にまで自陣を深く浸食されている。


「おい色白!アギトから報告を受けたが、おまえは戦いもせずに引き籠もっているそうだな!」


突然メインスクリーンに映った男は、炎のような瞳で烈風のような言葉を投げつけてきた。アギトの奴、告げ口したのかとカイルは心中で舌打ちしたが、相手はロンダル王国のナンバー2だ。顔に出そうになった不満を押し殺し、余裕ありげに対応する。


「ロードリック公、僕の事は名前で呼んでもらいたいね。ネヴィル陛下から聞き及んでいると思うけれど、僕はやんごとない…」


正真正銘の大貴族で、ロッキンダム王家の外戚でもある公爵ロドニーは、血筋に全く拘らない。彼が拘るのは強さだけである。


「黙れ!しかもブリスボアを見殺しにしたらしいな!」


「あの猪武者が命令を無視したんだ!戦域指揮官はこの僕だぞ!」


ロドニーは剥き出しの歯茎を歪めて歯軋りした。カイルと戦った事のあるロドニーは、"強さはともかく性根が信用ならん!"と唾棄し、戦域指揮官への就任に猛反対していたのだ。ロドニーの性格を熟知するリチャードが、"陛下だけではなく皇帝も同じ意向だ。国家間の合意を反故には出来ん"と虚偽を交えて説得し、渋々認めさせた経緯がある。


「やはりおまえ如きを指揮官に据えたのは間違いだった。今からでもアギトに総指揮を執らせた方がいいだろう。とはいえ陛下の顔を立てて、最後のチャンスを与えるべきか。……色白、1時間やる。その間に俺を納得させる戦果を挙げ、戦況を好転させろ。出来なければ貴様を解任する。」


アギトに指揮権を移譲するにしても、カイルを戦わせてからが良い。政治家としては落第点でも、戦術家としてはすこぶる有能なロドニーは、無理矢理カイルを戦わせる事にした。勝てばよし、負けても連邦に消耗を強いる事が出来る。"貴公子"カイルは、最弱とはいえ完全適合者なのだから。


「キミにそんな権限はない!あるのはネヴィル陛下だけだ!」


「勝敗は兵家の常だ、咎めはせん。だが腑抜けに指揮権を委ね続けるのであれば、もう俺の王ではない!首の皮が繋がる事を祈っていろ!」


ロドニーはカイルの"性根の醜さ"を知っていたが、カイルもロドニーの"気性の荒さ"を知っていた。この野蛮人は何を仕出かすかわからない。完全適合者にして王国最強の"熱風騎士団"を率いる公爵に進退を賭けて直談判されればいくら陛下とて……


「待ってくれ!……1時間以内に結果を出せばいいんだろう!」


ザラゾフ師団と交戦するロッキンダム王国軍は、主戦力の熱風騎士団に離反されればお仕舞いだ。この野蛮人に政治的な駆け引きなんて出来ないが、総力戦の最中においてはその発言力は絶大。カイル師団の指揮官はほぼ全員がロンダル王国の軍人で、いくら僕が"高貴なる天才"だと認めていても陛下から勅命が下れば従うしかないだろう。まだ彼らは、僕の秘められた出自を知らないのだから……


「それ以上は待たんぞ。せいぜい頑張る事だな。」


一度は戦場で渡り合い、引き分けに終わった二人。しかし、完全適合者に成長したロドニーにとって、もはやカイルは"格下"であった。かつて自分を負かした"災害"ザラゾフ、死の間際まで追い詰められた"成就者"ジェダ、彼らに比べれば取るに足らない。もしカイルがロドニーの本音を知れば、屈辱に震えただろう。


「野蛮人め!僕を誰だと思っているんだ!」


ロドニーが姿を消すと同時に、カイルは手にしていたワイングラスをスクリーンに投げ付けた。


……右翼から浸食して来る人喰い熊を先に始末するべきだ。そうすれば突出気味に前進している中軍を左右から挟撃出来る。アギト師団が麒麟児を撃破するまで持ち堪えられる態勢を整えれば、野蛮人も氷狼も納得するだろう……


「剣狼に悟られずに人喰い熊を始末するには、策を講じる必要があるね。幸い、僕には捨て駒がある。彼にも働いてもらおうか……」


暫し考えを巡らせたカイルは妙手を思い付き、慌ただしく動き始めた。戦域指揮官解任のタイムリミットが迫っている、悠長にしてはいられない。



「ノーブルスワン、回頭!鯉沼登竜率いるカープストリーマズに向かって全速前進!」

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