終焉編7話 隻眼の捨て石



※パスト・サイド(過去視点・総力戦開始前、戦地に向かって進軍中)


「旦那、無理を言ってすいやせんねえ。」


陸上戦艦"大毒蛇ヨルムンガンド"の艦長室を訪れたサンピンは、薄汚れた畳の上に寝そべったトゼンに礼を言った。旧式の陸上戦艦でも艦長室はそれなりに豪華なものだが、大毒蛇は新鋭艦。しかし、艦長室だけはあばら家風に改装されている。言うまでもなくトゼンの好みだ。執務する気のないトゼンは、机も椅子もキャビネットも置いていない。おのずと殺風景な部屋になる。部屋にあるのは酒瓶と茶碗、それに乾き物の袋ぐらいだ。着替えの類は全て、副長の蛇鱗くちなわりんが管理しているのである。


「礼ならウロコに言え、オメエの隊を預かんだからよ。ま、座んな。」


体を起こしたトゼンは、欠けた茶碗に安酒を注いだ。繕いを施した茶器の如く、欠けた茶碗に風情を感じるのもトゼンぐらいだろう。


「遠慮なく頂きやす。」


刀を置いて差し向かいに胡座をかいたサンピンは、蛇柄の湯呑みに酒を注ぎ返す。スルメを咥えたトゼンはサンピンに訊いた。


「で、どういう了見なんだ?」


「了見ってのは?」


「三槌一ほどの札付きが、気まぐれだけで"バルミットに行きてえ"なんて言い出すとは思えねえ。腹に何ぞ抱えてるって勘繰りたくなるじゃねえか、ええおい?」


「旦那、野暮はいけやせんぜ。ただの気まぐれでさぁ。」


湯呑みの安酒を飲み干したトゼンは、蛇の目で隻眼を睨んだ。


「……オメエ、死ぬ気だな?」


「………」


サンピンは答えず、黙って湯呑みに酒を注ぐ。


「そこまでしてカナタを"こっち側"に来させたくねえってか。言っとくがな、カナタはそんな野暮を望んじゃいねえぞ!」


「わかってやすよ。けどねぇ、煉獄が好きに動けば、マリカさんやシグレさんが危ねえ。アッシの読み通りなら、お二人のどっちか、ヘタすりゃどっちも命を落とすでやしょう。そうなりゃカナタさんは"こっち側"に来ちまうかもしれねえ。シュリさんがああなっちまった時に邪狼化してたっておかしかなかったんでさぁ。」


「だったら俺が…」


「旦那がいなきゃ狂犬を抑えられねえ。それにバーバチカグラードにゃ修羅に目覚めた熱風公もいるんでやす。主戦場で負けたら元も子もねえ。災害閣下を勝たせる為にゃあ、旦那の力が必要なんでさぁ。」


機動力があり、攪乱戦術を得意とするマリカをバルミットへ差し向け、真っ正面から戦う事が得意、というかそれしか出来ない羅候はバーバチカグラードへ向かわせる。マリカ、トゼン、カナタ…アスラ部隊の中核を擁さずにタムール平原に向かったイスカも、楽な戦いにはならないだろう。


平原に展開する帝国軍には剣神、神盾、辺境伯がいる。他戦域に応援に向かわせた部隊長は他にもおり、イスカは不完全なアスラ部隊を率いて帝国軍主力と戦わねばならないのだ。


「どうしても行くってのか? マリカやシグレが何とかするかもしれねえだろうが。」


「そうかもしれやせんが、お二人に分の悪い博打を打たせる訳にゃいきやせんね。そういうのはアッシらのやる事でやしょう。」


「オメエにやれんのか? 捨て石ってのはよ、布石になれなきゃ無駄死なんだぜ。」


旧四番隊では副隊長だったサンピン、その実力はトゼンも旧隊長アギト以上にわかっている。だが、相手は兵士の頂点、完全適合者。ましてや朧月セツナは刻龍眼を持つ常勝軍人、一矢報いるのも容易くはないのだ。


「任せてもらいやしょう。アッシにはがありやすから。」


サンピンは見えない左目の古疵を撫でながら、自信ありげに頷いた。トゼンは価値ある死を選んだ男に翻意を迫るのは無粋と考え、死出の旅へと送り出す。


「そうかい。サンピン、地獄の下調べを頼まあ。」


「お安い御用で。旦那の死に様は冥府から見物させてもらいやす。」


「クックックッ、俺が先にくたばるかもしれねえがな。」


「キッヒッヒッ、ちげぇねえ。アッシや旦那が長く世に憚るのは、無粋ってモンで。」


隻腕の大蛇と隻眼の螭は湯呑みと茶碗で乾杯した。別れの盃なのに悲愴感はない。死は人蛇にとって近しい友、"生まれた以上は死なねばならぬ"、ただそれだけの事である。生き方よりも死に方に重きを置く、それがトゼンとサンピンの共有する価値観だった。


「そろそろアッシはお暇しやしょう。」


刀を取ったサンピンは席を立ち、トゼンは去り行く背中に声をかけた。


「サンピン、オメエは俺のダチ公で……男の中の男、だったぜ。」


「何より嬉しい手向けでやすな。旦那、オサラバでさぁ。」


実の親より慕った渡世の親からは"極道の鑑"、心服する兄貴分からは"男の中の男"と評された。侠客としてこれ以上の誉れなし、三槌一は満足だった。後は笑って死ぬだけである。


────────────────


サンピン・サイド(バルミット方面・現在)


「まあまあの腕と褒めてやろう。だが、私の敵ではない。」


「気の早い御仁でやすな。勝ち誇るのはアッシを殺してからにしなせえよ。」


攻防を重ねる度に、サンピンの手傷が増えてゆく。死を覚悟した侠客が放つ剣技は凄絶な切れを見せたが、それでも朧月セツナの天賦に届かない。パワー、スピード、テクニック、全ての要素で朧月セツナは三槌一の上を行く男であった。


「もらった!死ねぃ!」


叩き込まれようとした致命の一撃を、ありったけの脚力とサイコキネシスによる加速で何とか躱す。躱した先に置いてあるのは火炎の奔流。間一髪で逃れたサンピンの袖口を、かすめた炎が黒く焦がした。


「やれやれ、いけ好かねえ天才ってのはアギト一人で十分だってのに、お天道様の気まぐれにも困ったもんでやすねえ……」


「天の配剤、貴様のような凡俗にはそう見えるのだろうな。真実を教えてやろう。私こそが天を戴く龍であり、天そのものなのだ。」


「思い上がりもそこまで行くと、国宝級でさぁね。とやらを教えてもらった礼に、アッシがを教えてあげやしょう。おまえさんは"偽物の龍"で、到底"天を戴く器"じゃねえ。」


「まだ減らず口を叩くか!身の程を知るがいい!」


怒りを込めた連撃に身を刻まれながら、なおも隻眼の侠客は嘯く。


「……天空には既に、陽光を背負いし心龍が輝く……龍を守護する天狼も甦った……お呼びじゃねえんだ、竜蜥蜴!!」


意地の一撃がセツナの頬をかすめたが、薄皮一枚を斬るに留まる。


「黙れ!私こそが唯一絶対の龍!天を戴くに相応しい男なのだ!」


剣腕では圧倒出来ても、侠客の心を折る事は出来ない。むしろ、心の勝負では押されている。


「ご老体、白髪首をくれてやるにゃあ早うござんすよ!」


サンピンは脇腹に深手を負いながらも、恐るべき暗殺者と剣を交える老剣客をサイコキネシスで突き飛ばし、その窮地を救った。


「……かたじけない、サンピン殿。」


九死に一生を得た老剣客は、刀を構え直した。肩で息をする老人の左手には小指と薬指がない。ムクロの得意技"指切りの太刀"で斬り落とされてしまったのだ。本来は要の親指を狙う技なのだが、ムクロといえどそれは難しかったらしい。


「他人の心配などしている余裕はあるまい。薄皮一枚斬って満足か?」


「まさかでやしょう。アッシはこれから乾坤一擲の大勝負に出やす。予告しときやすぜ、賭けに勝つのはアッシだ。」


ハッタリかと思ったセツナだったが、サンピンの放つ気迫と念真力を見て本気だと悟った。共に戦う岩坐一心は老いからくる衰えでスタミナ切れ、ムクロを相手に長くは保つまい。全身に傷を負った三槌一も、満足に動ける時間は長くない。いや、まだ動けているのが奇跡なぐらいだ。勝負を賭けるのは今しかない。


「この私を相手に予告とは笑わせる。……私には全てが視えているのだ。」


セツナの両眼に力が宿り、邪眼が発動する。瞳孔を軸にした火時計が針を伸ばし、時を刻み始めた。朧月宗家にのみ顕現する"刻龍眼"は、対象の未来を視る事が出来る。


「なまじ見えちまってるから見えないものもあるんでさぁ!」


ジグザグに走って距離を詰めたサンピンは、渾身のサイコキネシスでセツナの左足を固定し、最速の兜割りから下段の斬り上げを狙う。しかし、刻龍眼によって動きが予知されていれば、どんな技も通じない。兜割りを滅一文字で受けたセツナは、外れる事のない予知に従い、上半身を仰け反らせて斬り上げも躱す。そして躱し様に放った突きがサンピンの心臓を捉えた。


「ぐふっ!!」


「足を封じてから上下の高速コンビネーション。私でなければ通じたかもしれんな。不発に終わった瞬間に首をガードした判断の早さも含めて、褒めてやろう。」


首を守ると視えていれば、心臓を狙うまで。仰け反りながら放った突きは、心臓を貫いても体を貫通するには至らない。


「やや浅いとはいえ、致命傷だ。愚鈍な観客にもわかるように、勝敗をハッキリさせてやろう。」


残忍な笑みを浮かべたセツナは、抉るように刀を鍔まで埋めた。サンピンの背中から血塗れた刀身が生え、勝負を見守る同盟兵に絶望を与える。刺客の手から愛刀がこぼれ落ちたのを確認したセツナは、刻龍眼を解除した。もう、この男には刀を握る力も残っていないのだ。


「…お見事…と言いたいところでやすが……やっぱり賭けは……アッシの……勝ちでさぁ……」


瞼を開けているのも億劫なはずの刺客は、負け惜しみを言った。少なくとも、セツナにはそう見えた。


「迷わず地獄に堕ちろ。すぐに緋眼も雷霆も送ってやる。」


「……無理だと思いやすが、頑張りなせえ!!」


サンピンの見えない左目、その傷痕の中から飛び出した針がセツナを襲った。三槌一はアギトに左目を潰された時、隠し武器を仕込んでおいたのだ。古疵を破って針が飛び出すとは、誰も思わない。


「き、貴様ァ!」


思わぬ反撃を受けた朧月セツナは、サンピンを蹴り飛ばして右目を覆う。


「……読み通りでさぁ……アッシごときが相手なら……油断すると……思ったんでやすよ……」


いかに至近距離から放たれたといっても、ただの仕込み針であれば、朧月セツナなら躱すなり弾くなりしていただろう。だが、隻眼の毒蛇のとっておきはただの仕込み針ではない。火薬の爆発力を使い、超高速で射出される必殺の暗器なのだ。度を過ぎた火薬の爆発は眼窩に大穴を開け、脳にも致命傷を受ける。一度使えば自身も死ぬ"無粋の極み"であった。アギト以外に使うつもりのなかった禁忌の暗器を使ってでも、三槌一は天掛カナタの心を守りたかったのだ。


「セツナ様!目は!刻龍眼は無事でしょうな!」


慌ててムクロは主に駆け寄る。セツナの先祖、朧月刹舟の野望は叢雲豪魔に目を潰された事で潰えた。同じ轍を踏む事などあってはならない。


「……案ずるな、刺傷は大した事はない。だが…」


不意を突かれながらも、咄嗟に念真障壁を張って直撃を免れた朧月セツナは、やはり兵士の頂点と言える。


「クッ!やはり毒を塗ってあるのか!」


浅く刺さった針のダメージは大したものではない。だが、眼球に直接毒を入れられれば、いかに完全適合者でもタダでは済まない。


「……してやったり、でさぁ……」


蹴り飛ばされたサンピンは仰向けに倒れたが、鎌首をもたげる蛇のように身を起こして胡座をかいた。立ち上がるだけの力は残っていない。まだ生きている事が奇跡なのだ。


「……汚いとは…言いますまいね?……協定破りは兵団が……散々やってきた事でやしょ?」


「おのれ、下郎!」


動けない刺客目がけて投げ付けられた釵を、老剣客が弾く。


「勝手な事をほざくな。毒針を使つこうたのはオヌシが先じゃろう。」


「……退くぞ。セツナ様の手当てが最優先だ。」


老剣客との戦いの最中、バルバネスと組ませて緋眼の牽制にあたっていたオリガから、"緋眼と交戦したバルバネスは負傷、狙撃で援護し離脱させた。壊し屋アビーが出現したので、戦線を下げる"と報告があった。蛮人をあしらった緋眼は、おそらくこちらに向かっている。いくらセツナ様でも、片目が使えない状態で緋眼と戦うのは危険、ここは退くしかない。


「ムクロ、岩坐一心だけでもここで仕留めておくべきだ。」


主の言葉にムクロは首を振った。


「治療が先です。毒を甘く見てはいけません。あんな爺はいつでも始末出来ます。」


毒術に精通したムクロは、主の喰らった毒が特殊な物である事を見抜いていた。普通の毒なら戦術アプリ"アンチポイズン"によって無効化出来ている。急がなくてはマズい。


「……わかった。バルバネスはしくじったようだな。」


「蛮人には荷が重い相手です。致し方ありません。」


主従は踵を返し、機構軍も後に続く。追う力は同盟軍にはない。彼らがその気であれば、全滅を免れない力の差があるのだ。


「サンピン殿、すぐに手当てを!」


納刀した一心は止血パッチを貼ろうとしたが、サンピンは弱々しく首を振った。一心にも手遅れなのはわかっていたが、命を賭して窮地を救ってくれた恩人に何もしてやれないのは歯痒すぎる。


「……緋眼の姐さんに……言伝を…お願いしやす……煉獄の右目は……暫く使えねえ……よ、よござんすね?」


邪眼潰しに調合させた毒は、粘膜に早く染み渡る。解毒の達人が傍にいようが、回復には時間を要するのだ。


「心得た。必ず伝える、ご安心なされい。」


大博打に勝った男は勝利の余韻に浸りながら、ゆっくりと隻眼を閉じた。



「……カナタさん……後は上手く……おやりなせえよ……」

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