終焉編2話 断罪よりも贖罪を



※ローゼ・サイド


兄に肉筆を見るのは数年ぶりだろう。アデルハルトからの手紙を読み終えたスティンローゼは思案顔になった。赴任先のマウタウから出撃した薔薇十字軍は帝都バウムガルデンに駐留している。昨夜の内に補給と帝国市民に向けたスピーチを済ませた薔薇十字総帥、スティンローゼ・リングヴォルト大佐が出立しようとする直前に、手紙を携えた騎士が彼女の旗艦を訪れたのだ。


「…………」


「姫、アデルは…いえ、アデル皇子は何と書いて寄越したのですか?」


無言で瞑目した主に護衛隊長のクロガネギンが声をかけた。既に先遣部隊は進発している、あまり時間がない。


「……愚かな兄だった。今までの僕を許して欲しい。可愛い妹が戦地に赴くならせめて見送りたい、だそうです。」


ローゼは家庭教師だったサビーナの運命を狂わせたのがアデルだと知っている。


"罪には罰を、そして断罪よりも贖罪を"


それが野薔薇の信念である。改心したアデルが己の罪の深さを噛み締め、贖罪に生きる事をローゼは望んでいる。彼女の理性は"この手紙は罠だ"と告げ、感情は"機会を与えるべきだ"と囁いていた。


「マウタウに赴任したローゼ様に暗殺者を差し向けておいて、何を今更!!」


帝国騎士ヘルゲン・シュテーリッヒは、温厚な苦労人で知られているが、卑怯な振る舞いには怒りを隠さない。暗殺などもってのほかだ。彼はアデルハルトが野薔薇の姫を亡き者にせんと企んだ事を忘れていなかった。


「ヘルゲン、落ち着けよ。姫、アデルは場所を指定してんのかい?」


同じく護衛隊に所属していても、騎士ではなく兵士のペペインは落ち着いている。この化外出身の工作員はカメレオンのような擬態能力を持ち、暗殺も手掛けてきたからだ。


「出立を少し遅らせてもらえれば、軍港まで足を運ぶそうです。」


「どこかに呼び出そうってんなら100%罠なんだが……」


ペペインは顎の下に手をあてて考えて込んだ。


「ぺぺ、それでは見送りになりませんよ。……兄上が前非を悔い、赦しを乞うなら無碍にするつもりはありません。ギン、使いの騎士に"喜んでお待ちしております"と返答なさい。」


「俺は反対です!きっと罠だ!姫、クエスターもアシェスもいないんですよ!」


黄金の騎士団を率いる"剣聖"クエスター、真銀の騎士団を率いる"守護神"アシェス、野薔薇の姫は自らの両腕を先遣部隊として送り出していた。


「少佐、亡霊戦団を帝都に呼び寄せてください。少し寄り道するだけで済む。」


ヘルゲンはソファーに寝そべったまま話を聞いていた指南役に協力を仰いだ。指揮官の"死神"トーマは武芸も工作もド素人だが、配下の土雷衆は手練れの乱破素破。不測の事態に備えるのに、彼ら以上の適任はいない。


「………」


半開きの眼のまま、死神は首を振った。亡霊戦団はスペック社から派遣された補給艦隊の護衛任務を遂行中である。


「ヘルゲン、足の遅い補給艦を置き去りには出来ません。それに事ある毎に少佐や亡霊戦団に頼るのもよくありませんね。少佐はお昼寝でもしていてください。大した事ではありませんから。」


お墨付きをもらった死神は、髑髏マスクの眼窩の中で半開きだった眼を完全に閉じた。


「ぺぺ、アンドレとラッセルを呼んでください。巨漢で強面の二人が背後にいれば、兄上も余計な事は考えないでしょう。」


死神が警告しないのであれば、危険はないのだろう。そう考えたギンは行動に移った。野薔薇の姫に自立を促されたばかりなのだが、やはり薔薇十字の幹部達は、神算鬼謀の策士を頼りにしているのだった。


「アデル皇子の名ばかり騎士が、俺達に勝てる訳がない。警戒すべきは狙撃ぐらいだが、パラスアテナの真向かいに護衛艦を置いておけば射線を殺せる。ぺぺは万が一に備え、鏡面迷彩ミラーステルスで身を潜めておいてくれ。目に見える護衛は俺とヘルゲン、アンドレ、ラッセルでやるぞ。」


野薔薇の姫と幹部達が退室した後、ソファーで昼寝をしているかに見えた死神は半身を起こして、軍用コートのポケットからハンディコムを取り出した。


─────────────────


人数を揃えたかのように四人の騎士を伴って軍港を訪れたアデルの手には、薔薇の花束が握られている。


「帝都の花屋は野薔薇を扱っていないらしい。だけど青い薔薇の花言葉は…」


ぎこちない手で渡された花束を受け取った野薔薇の姫は微笑みながら言葉を返す。


「神の祝福、夢はかなう、それに……奇跡。」


「スティンローゼ・リングヴォルトに神の祝福を。今まですまなかった。……僕はここで妹の無事を祈っているよ。」


「ありがとう……アデル兄様。」


奇跡の和解が為されたとその場にいた誰もが思った。


「……私は信じたかった……血を分けた兄を……信じたかったのに……」


野薔薇の姫の眉間を貫くはずだった魔弾は、肌に触れる寸前で念真力の盾に阻まれた。瞬時に展開された多重障壁の最後の一枚を貫けなかったのだ。勝利を確信していたアデルは狼狽え、いらぬ事を口にする。


「アシェスか!!ど、どこにいる!?」


叫ぶアデルの右腕はギンに、左腕はヘルゲンに絡め取られている。皇子の背後にいる四人の近衛騎士は動かない。アデルは和解を真実と思わせる為に、それまでの側近を遠ざけ、薔薇十字との融和を勧める騎士を随員に選んだからだ。


「アシェスはここにはいません。……アイアスの盾、これは私の力です。」


アイアス・バリアシステムは、守護神の搭載するガーディアンGBSをベースに開発された。量産化を目指して開発されたがゆえ、特異な才能がなくとも搭載可能だが扱いは難しく、強度も範囲も本家に遠く及ばない。しかし、瞬間出力を上げれば、強力な念真力を付与されたライフル弾でも防ぐ事が出来る。


決して死なないというローゼの信念と努力は、この試作型戦術アプリの運用を可能にしていた。


「バ、バカな!いくら配下が有能でも、おまえ自身は無力な小娘だ!」


「配下ではありません、仲間です。」


妾腹めかけばららしい戯れ言だな。王に仲間など不要!無知蒙昧な民衆の上に立ち、支配するからこそ皇帝なのだ!下民混じりの雑種が、まぐれで調子に…」


妾腹、下民、雑種、ローゼが嫌う言葉を並べ立てたアデルだったが、その口をつぐませたのは、細腕を掴んでいるギンやヘルゲンの握力ではなく、野薔薇の姫の眼光だった。


「狙撃が来るとわかっていなければ、防げなかったでしょう。兄上、褒めて差し上げます。警戒を解く為にしばらく前から佞臣を遠ざけ、忠臣を招いて改心を装った。そしてよりによって、私の船に毒を仕込むとは……」


パラスアテナと護衛艦の間であれば、射線が通らず狙撃は不可能である。しかし、艦内に狙撃手が潜む事が出来れば盲点となる。アデルの立てた策は確かに彼の最高傑作だった。仲間を信じ、今は敵でもいつか分かり合えると信じたい野薔薇の姫の弱点を突いている。


少しだけ冷静さを取り戻したアデルは、決定的な言質は与えていない事に気付いて、この場を逃れようとする。状況から見れば自白したに等しいのだが、玉座に座りたければ、何とか取り繕うしかない。


「言い掛かりはやめろ。おまえは方々で恨みを買っている。下賎な刃傷沙汰に巻き込まれた僕が文句を言いたいぐらいだ。」


口に猿轡、手足に拘束具を嵌められた狙撃手を担いだ兄と、後ろ手に手錠をかけられたデッキクルーに銃を突き付けた妹が艦内から出て来た。


「姫様、御怪我はありませんか!兄さん、どうして撃たせたのよ!引き金を引く前に取り抑えられたでしょう!」


ティリーはライモントを責めたが、兄には兄の言い分がある。


「しゃーないだろうが!姫様に"撃たせろ"って厳命されたんだからよ!ったく、無茶をするにも程がある。姫様、もうこんな命令は勘弁してくださいよ。心臓に悪いったらない。」


狙撃手の※ライモント・ケストナーと観測手のティリー・ケストナーは兄妹であり、戦友であり、相棒でもある。暗殺者も優れた狙撃手であったが、ケストナー兄妹には及ばない。狙撃が失敗に終わった驚愕と放心をライモントに突かれ、気絶させられてしまったようだ。


「ライモン、ティリー、ご苦労様でした。モリッツ、どうして暗殺者を手引きしたのですか?」


モリッツと呼ばれたデッキクルーは手錠を嵌められたまま跪き、額を地面に擦りつけた。


「申し訳ありません!!自分のやった事は万死に値します!!」


「理由が知りたいの。薔薇十字が不満だった?」


膝を落として優しく語り掛ける野薔薇の姫に、涙を流しながらモリッツは答えた。


「とんでもない!!」


「あなたと同じように母子家庭で育ったクラインベック艦長が"モリッツはとても親孝行だ"と褒めていました。……お母様を人質に取られたのですね?」


「は、はい。ですが賊は"ターゲットは恨み骨髄のアデル皇子だ"と……」


短気な眼帯男、ラッセルが襟首を掴んでモリッツを立たせる。


「見苦しい言い訳はそこまでにせい!!理由はどうあれ貴様はローゼ姫を裏切ったのだ!!姫様、此奴の首をへし曲げてよろしいですな?」


「ラッセル、へし曲げるのは別の首です。」


「別の首、と仰いますと……」


「自分が買ってきた恨みまで利用するとは、兄上らしからぬ深慮遠謀。なるほど、パラスアテナのクルーでも、"アデル皇子なら殺されても構わない"と思いますものね。」


ローゼの指先は真っ直ぐアデルに向いていた。


「ひ、姫様、ワシにアデル皇子の首をへし折れと仰るのですか!!それはいけません!皇子を裁けるのは陛下だけで…」


「状況証拠だけで私刑を下せば父上が黙っていないぞ!!ぼ、僕を殺せばおまえも銃殺刑だ!!脅迫された下民も、気絶している曲者も、僕とは会った事もない!」


アデルはまくし立てたが、ローゼは微動だにしなかった。


「仲介人を挟んでいるから自分の身は安全、と思っているのなら大間違いです。」


「仲介人? 何の事だかわからないな。貴様ら、いい加減手を離せ!僕を誰だと思っている!」


アデルは腕を抑える手を振り解こうと暴れたが、ギンとヘルゲンの拘束を逃れる事など叶うはずもない。


「兄上、サビーナの兄を謀殺した事を詫びなさい。ヘルガとパウラをはじめとする騎士達は、兄上の凶行が原因で死んだのです。サビーナにも非はありますが、彼女は命を以て罪を償おうとしました。最後の最後で良心に目覚め、私を守って死んだのです。彼女が赦しを得られるかは、ヴァルハラにいる騎士達が決めるでしょう。ですが、兄上を赦すか否かは、私が決めます。」


「妾腹の雑種が純血王族の僕を裁くだと!? ふざけるな!!父上を、父上を呼んで来い!!」


「皇女、我々も極めて疑わしいと思いますが、証拠もなく皇子を断罪するのは認められません!」


勇気を振り絞った随員の騎士が、皇女に自制を促したが、ローゼは平然と答えた。


「証拠は今から見せます。兄上、仲介人とやらに連絡を取り、モリッツのお母様を解放させなさい。」


皇帝である父を超える眼光に足が震えたアデルだったが、あらん限りの虚勢をかき集めて声を張り上げる。


「仲介人など知らないと言っているだろう!」


「ラッセル、私の為に死ねますか?」


仕えてから半年も経っていない主君、しかし隻眼の騎士の目には鳳凰の羽根が見える。野薔薇の姫が心の翼を広げ、茨の道を歩もうとするならば、殉ずる覚悟は出来ている。


「もちろんですとも。姫様こそワシの求めていた真の主。そして真の騎士道とは"己が信じる主君に殉じる道"だと心得ておりまする。」


「ありがとう。では私が合図したら兄上の細首をへし折りなさい。ぺぺ、アンドレ、随行騎士に邪魔をさせないで。」


「やっと出番か。」 「了解。」


風景と同化し潜んでいた化外人は不意打ちで、未だ成長を続ける超巨人症の化外人は有無を言わさぬ腕力で、四人の騎士をガッチリ押さえ込んだ。


「ロ、ローゼ…まさか本気で僕を殺すつもりじゃないだろうな!!」


「兄上、青い薔薇にはもう一つ花言葉があるのをご存知かしら? 近代に入るまで青い薔薇は生み出せなかった。神の祝福、夢はかなう、奇跡、花言葉の意味は奇跡の薔薇の誕生に尽力した者への賛辞。ですが兄上には、失われた花言葉が相応しい。慈悲を乞うのも、この場から逃れるのも"不可能"です。」


断罪よりも贖罪が理想。しかし、現実には断罪するしかない悪も存在する。目の前の男がそれだ。野薔薇の姫は決断すれば迷わない。


「選びなさい、人質を解放するか、死ぬか。どちらです?」


人質を解放したら暗殺の首謀者は自分だと立証され、断ればこの場で殺される。選択不可能な二択を迫られたアデルは、政治的取引を持ち掛ける。


「ぼ、僕は預かり知らぬ事だが、人質は無事に解放される。それで手を打たないか?」


こんな妥協案を思い付くあたり、皇子も成長はしているらしい。決して好ましき成長ではないにしてもだ。


「人質を殺したら楽には死なせない。ぺぺ、貴方の知る最も残酷な殺し方を教えてください。」


「止血帯を巻いてから、まず指を、それから四肢をゆっくり切断する。切り落とした指を鼻に押し込み、刻んだ肉片を口に詰めて窒息させます。」


「まあ酷い。ですが兄上を恨みながら死んだサビーナも溜飲を下げるでしょう。ラッセル、私が三つ数えたら鳩尾を殴って気絶させなさい。兄上、目覚めたら地獄が待っていますよ。1…2…」


嘘をつく時は、その嘘を本気で信じ込め。ローゼは魔女の森で"ハッタリの極意"を伝授されていた。


「待て!……れ、連絡する!すればいいんだろう!」


「ギン、ヘルゲン、腕を離してあげなさい。」


アデルは革靴の踵に隠していたデバイスをハンディコムに差し込み、指紋、網膜、声帯認証を行ってセキュリティを解除する。


「私達ほどではありませんが、なかなか用心深い。仲介人とその組織はプロですね。ならば人質は生きているでしょう。兄上、せいぜい頑張る事です。解放に失敗したら対価は命で払ってもらいますから。」


プロなら顔を見られずに略取し、人質にした後も手掛かりを与えない。利用価値がある間は、無駄な殺しをしないのが一流のプロフェッショナルだ。


「……僕だ。薔薇は散った。繰り返す、薔薇は散った。その女は"暗殺者は皇子を狙っていた"と証言してくれる貴重な証人だ。すぐに解放しろ。」


皇子を狙った凶弾が外れ、皇女の命を奪った。そういうシナリオだったらしい。モリッツと母親は、その証人という訳だ。通話を終えたアデルはハンディコムの電源を切ろうとしたが、切る前にギンに取り上げられる。


セキュリティが解除され、証拠が露わになったハンディコムを受け取ったローゼは、随行騎士に命令する。


「貴方達は兄上を公館に軟禁し、側近を拘束しなさい。排されたように見えたのは演技、彼らはこの件にも関わっているでしょう。陛下には私から事情を説明しておきます。」


「「「「ハッ!!」」」」


己の騎士に身柄を拘束されたアデルと距離を詰めたローゼは吐かれた唾を躱して、愛剣"ヒンメルヴォルフ"の切っ先をアデルの爪先に突き立てた。


「あがっ!!」


「これはサビーナの分です。足の小指などなくても生活に支障はありません。余罪が判明し次第、残った指も頂きに参りますから、楽しみになさい。」


剣先で革靴を抉って小指を弾き飛ばしたローゼは、振り返る事なくパラスアテナに乗艦した。艦長室のドアの傍には、壁に背中を預けた髑髏マスクの男が立っている。


「……終わったようですね。」


「はい。また少佐に助けられました。間に合わないかもしれませんが、これが手掛かりになるでしょう。」


ハンディコムを受け取った髑髏のマスクが答える。


「ご安心を。既にキカと太刀風が動いています。」


世界最強の聴覚を持つ忍者と、世界最強の嗅覚を持つ忍犬は、帝都に忍んでいたらしい。


「流石です、我が参謀。」


艦長室の中で、分厚いドアに背中を預けながら俯くローゼの頬を涙が伝う。人間の善性を信じる、彼女の思いは兄には届かなかった。ローゼの帰りを待っていた白い小猿が肩に飛び乗り、頬を擦り寄せて涙を共有する。



「……ありがとう、タッシェ。ボクには血よりも濃い絆で結ばれた家族が、大切な仲間がいるから……戦える。必ずこの戦争を終わらせてみせる!」


※ライモント・ケストナー、ティリー・ケストナー


第二部侵攻編26話に登場。兄妹でカナタの暗殺を試みたものの失敗し、捕らえられています。腕を惜しんだカナタから、ローゼを頼る事を条件に許され、帰国しました。

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