結束編20話 時代の牽引者
正直に言ってしまえばツバキさんとの会談なんて些事も些事だ。ローゼを交えた会談でも口にしなかったが、皇帝は何の証拠もない政略結婚話を連邦に持ち掛け、乗って来たら"余を恐れた連邦が龍姫を差し出して講和を求めてきた"と喧伝するつもりだったのかもしれない。結束した敵への分断工作ってヤツだ。
さほど信用のない小物(ツバキさんには悪いが、客観的に見ればそうなる)に言質を与えても、物証さえ与えなければどうとでもなる。アラトは特使として帝国に赴く気満々だったが、いざ会談となれば都合の良いところだけを切り取られて、政略結婚を持ち掛けたのは連邦側にされてしまう。ゴッドハルトにその気があれば、あの二人など赤子の手を捻るようなもんだ。
首尾良く政略結婚がまとまれば騙し討ち。こちらが儀礼を守って(返答が否であっても)特使を派遣すれば、会話を誘導して事実を捻じ曲げ、同盟軍を分断。当たらずとも遠からずってところだろう。最良の対抗策は、"黙殺する事"だ。
こちらから暴露する手もあるが、証言するのがツバキさんでは訴求力が弱すぎる。都の大功臣である兄、左内さんの打ち立てた輝かしい功績を、クーデターを企んだ祖父、左近がぶち壊しにしちまったからプラマイゼロ。となれば、彼女の評価は彼女の能力と実績に左右される。んで、照京のみならず連邦の要人は八熾家っつーか、オレとの確執を知ってるからなぁ。あまり信用されていないのだ。
「剣狼、また考え事か? おまえは寝る時以外は悪知恵を働かせおるのう。」
おっと。片付いた些事なんか頭から追っ払って、重要会談に集中しないとな。災害閣下とカプラン元帥、それにイスカを交えた戦略会議こそが、納豆菌の働き所だ。
「軽重を問わず会談であれば、必ず相手よりも先に現れるカプラン元帥がまだ来ていないとはな。珍しい事もあるものだ。」
揚羽蝶の紋章が入った真新しい椅子の座り心地に満足したらしい司令が、純銀のシガレットケースから細巻き煙草を取り出して吹かし始める。紫煙に触発された閣下が極太葉巻をポケットから出して乱暴に吸い口を噛み切り、口に咥えると、驚く事にあのイスカが閣下の傍に歩み寄り、純金のオイルライターで火を差し伸べた。
「ザラゾフ元帥はシガーカッターを使わないのか?」
「ワシがそんなまだるっこしい事をするものか。ダイヤの目を持つ蝶が彫刻された金無垢ライターとは、二代目軍神はいい趣味をしておるな。」
まだ開始の時刻には余裕があるが、待たされるのが嫌いな閣下がいきなり上機嫌になったな。オレは喫煙家ではないから実感が湧かないが、いい女に火を点けてもらうのは気分が良いものらしい。
「お気に召したなら進呈しよう。」
「ワシが使えば成金趣味としか思われん。人も物を使う者によって評価は変わるものだ。ところで二代目よ、椅子の背の紋章も蝶だが、ひょっとして蝶が好きなのか?」
言うまでもないが閣下の大椅子の背もたれには有翼獅子が描かれている。気配り閣下の計らいで、統合作戦本部の元帥専用会議室には真四角の大机と四つの肘掛け椅子が設えられた。
「閣下、揚羽蝶は御堂家の家紋です。」
「ほう。てっきり鷹かと思うておったわ。」
どんだけぞんざいなんだよ、このオッサン。アンタは軍神アスラの戦友だろうに。
「鷹を守護鳥にしてるのは御鏡家です。ついでに言えば、その御鏡家だって家紋は葛紋だ。御三家は守護鳥獣を家紋にしてません。」
オレは立ち上がって、椅子の背に描かれている巴紋を見せた。
「うるさい、八熾の家紋ぐらいは知っておる!剣狼よ、おまえは一言多いどころか三言多い!」
「生憎ですが、長広舌の小賢しい男を目指してるんでね。」
喧嘩なら互角でも口喧嘩ならオレに分がある。だが、ここで裏切り者が出た。イスカが閣下に加勢したのだ。
「目指すどころか、そのものだろう。だがカナタ、長いだけならまだしも、二枚も舌があるのはどうかと思うぞ?」
「嘘も方便って言いますからね!世知辛い世間を渡る必須アイテムです。」
災害閣下が呆れたように論評した。
「必携品には予備が必要とでも言いたげだな。……開始時刻まで後10分、もう一人の長広舌の二枚舌はまだ来んのか?」
「たぶん屋上だと思うんで、オレが呼んできますよ。」
「なんで屋上にいるとわかる。カプランの秘書でもやってるのか?」
「
元帥室で煙草を吸えば匂いでジゼルさんにバレて、たっぷりと消臭スプレーを噴霧される。戦国の世では親子で争う事など珍しくもない。策士と策士の娘は禁煙戦争の真っ只中なのだ。
─────────────────
「やっぱりここでしたか。煙草なんて会議室で吸えばいいでしょう。」
カプラン元帥は煙草を片手に、赤みがかった太陽が照らす首都の街並みを眺めていた。セキュリティの関係上、リグリット市に本部ビルより高い建物はない。ゆえに眺望は抜群だ。
「フフッ、会議室だと娘に密告する裏切り者がいないとは限らないからね。」
「ひょっとして、オレを疑ってます?」
「違うのかね?」
背中を向けたままだけど、たぶん顔は笑ってるな。
「大当たりです。」
オレは素直に密告屋だと白状した。食わせ者の中年親父と可憐な娘さん、どっちに付くかなんて言うまでもない。バレてるなら隠す必要ないもんね。
「……裏切り者、か。」
「どうかしたんですか?」
「……………」
「カプラン元帥、裏切りの危険性がある将帥に心当たりでもあるんですか!だったら直ぐに手を打たないと!」
ザラゾフ、カプラン、アスラの三大派閥は結束したが、同盟軍にだって独自路線を歩もうとする中小派閥はいる。機構軍ほど顕著ではないが、軽視出来る勢力ではないのだ。
「カナタ君、この街は一度も戦火に晒された事がない。リグリット市と周囲の衛星都市群は、開戦と同時に同盟軍に味方した。独立戦争最初の会戦は、ここから数十キロ北にある平原で行われたのだよ。」
「知ってます。カプラン元帥がエスパダス市長を説き伏せ、同盟軍に引き入れたんでしたよね。」
エスパダス市長は決して高潔な為政者ではないが、風は読める。東から吹いた突風は、重い霧に閉ざされた世界を変えるかもしれないと考えたのだ。※デパートのテロ事件の時はオロオロしていたが、為政者としては尊大なだけだった我龍前総督より数段上だろう。
「うむ。ここでクイズの時間だ。エスパダス市長は自由都市同盟に参加するにあたって、私に二つの条件を出した。それはどんな条件…」
「市街戦を行わない事と、この街を都市同盟の首都にする事です。」
リグリット市は世界統一機構においては副首都という扱いだった。街の規模と人口においては首都リリージェンに劣らないのに、長きに渡ってナンバー2に甘んじてきた超巨大都市。我が街を首都にしたいエスパダス市長の野心を論客は利用したのだ。
「正解だ。本来ならば誕生の地で、我々を全面的に支援してくれた照京を首都にすべきだったのだが、取引には材料が要るからね。幸いな事に照京総督の御門右龍氏は大変物分かりの良い人物で、是が非でも本土に橋頭堡を得たい我々の事情を理解し、首都の座には拘らなかった。飴は即答出来たが、鞭が何だったかわかるかね?」
カプラン元帥の出身市、フランクシティと周辺都市群を孤立させない為にも、リグリット市の無血開城はどうしても必要だった。最初の会戦に大勝利し、リグリット市一帯を制圧してから、故郷の都市群を蜂起させたのは手順として完璧。慌ててフランクシティ一帯を決起させず、先に兵站路を繋げる戦略を考案したのは、やっぱりアスラ元帥かな?
「とっておきの脅しをかけた。"断るなら軍神アスラと災害ザラゾフに全力で攻めさせるぞ"ってね。アスラ元帥もザラゾフ大将も、まだ軍神だの災害だの呼ばれちゃいなかったはずですが、アスラ元帥はリグリットの高級士官養成校"エバーグレイス学園"の卒業生で、ザラゾフ大将はリグリット市兵学校の出だ。名声か悪評かは知りませんが、市長は二人のヤバ…怖さを知っていたはずです。」
リグリット市の衛星都市に赴任してきてまだ半年のトガ中尉が、"名前を聞いただけで目眩がした"と言うぐらい有名なお二方だ。市軍の長であるエスパダス市長が知らない訳がない。
「……見事だ。流石は私が見込んだ"この星の未来"だよ。」
振り返ったカプラン元帥の表情は晴れ晴れとしているようで、どこか影を感じさせるものだった。
「未来は一人で切り拓くものではありません。皆が一丸となって初めて実現するものです。あっ!カプラン元帥、もう戦略会議の開始時刻になってます!急いで会議室に…」
論客は背を向けようとしたオレの肩を掴んで引き留める。
「キミの言う通り、未来は皆で築くものだ。だが、誰かが先頭に立って歩かねばならん。わかるね?」
オレに先頭に立てと言いたいのだろうか? だけど御堂イスカは時代の牽引車、先頭しか歩けない女だ。風雨に晒され、肩に重みを感じようとも、誰かの後ろを歩く事を良しとしない。ならば、イスカを支えながら共に歩むのがいい。
「は、はい。……カプラン元帥、本当に何があったんですか? 心配事があるなら話してください。」
いつも穏やかで飄々とした雰囲気の元帥が、今日に限って真剣さと翳りが強い。
「心配事、ね。どうやら鳩小屋の主に無断で鳩を持ち出したお姫様がいるらしい。」
「姉さんから報告されたんですね。その件については本当に申し訳…」
話を逸らしておいて、本題を切り出す。論客はオレの肩に手を置いたまま、真剣な眼差しで語り出した。
「……カナタ君、キミは今のままでいろ。頭脳と戦闘能力は天才でも、心は凡人のままで変革を成し遂げるんだ。その
元帥が何を言いたいのか、何を知っているのかわからない。だけど、この人が望んでいる答えはわかっている。偽る必要もなく、簡単な事だ。……いや、難しい事かもしれないが、オレに他の生き方は出来ない。
「カプラン元帥、オレは骨の髄から小市民ですよ。それが普通かどうかはわかりませんが、オレはオレらしく生きるだけです。」
オレの本音、望む答えを聞いた元帥は優しく微笑んだ。
「それでいい。キミは私に"程々に妥協出来る世界"を目指すと言ったね。」
「はい。そんな世界の実現が、オレと
「妥協は悪い意味で捉えられる事が多いが、共存の為には必要な事だ。相手の置かれた立場や心情を理解せず、自分の理念や感情を押し通そうとする者は、決して妥協しない。程々に妥協出来る世界とは、人の過ちを許せる世界だ。」
言葉を武器に戦ってきた男の金言だ。頷きながら、胸に刻んでおこう。
「そんな世界を目指すキミだからこそ、同盟を腐らせてしまった私やザラゾフと良好な関係を築き、過ちに気付かせてくれた。今度は私達老兵が、その信頼に応える番だ。」
「一線を退いたとはいえ、トガ元帥も力を貸してくれるはずです。」
論客はオレの背中を力強く叩いた。
「うむ。さあ行こう!この戦争と老兵の時代はもう終わりだ。私とザラゾフで全てに決着を付け、若人達に新たな時代を託す。」
閣下の懸念が何だったかわからないが、どうやら吹っ切れたらしい。
「平和になったらオレも引退しますよ。年寄りと若年寄で茶会でも開きましょう。」
殿様稼業はやむなしとしても、他の公職は全部ダストシュートにポイするからな。好きなコ全員嫁にして、のんびり気ままに暮らすんだい!
「フフッ、周りが引退させてくれるとは思えんがね。ま、やるだけやってみたまえ。」
「論客閣下の説得に期待してます。」
オレとカプラン元帥は並んで歩き出した。
……長きに渡った戦争は、ここで終わらせてみせる。オレの望むカタチでな!
※デパートのテロ事件
前作の出張編31話~37話参照。首都の老舗百貨店、ラビアンローズデパートをエバーグリーンに雇われた元軍人の職業犯罪者、"強欲"オルセンとその部下が占拠し、市長の愛人と隠し子を人質にして、収監されている幹部の解放を要求しました。
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