結束編15話 元帥会議・前編


※機構軍・サイド(俯瞰視点)


機構軍首都リリージェン、首都で最も高いビルである統合作戦本部最上階に設えられた元帥専用会議室に集まったのは高官六人。円卓を囲む一際豪華な椅子はまだ二つしか埋まっていない。背もたれに豹皮をあしらった椅子は、来るはずのない主を待っているかのようだった。


「ナバスクエス元帥もそうだったが、ネヴィル元帥とゴッドハルト元帥も相変わらず時間にルーズだね。時間通りに現れるのがフー元帥だけとは嘆かわしい限りだ。」


先祖代々、学者の家系の割りにはあまり知性を感じさせない顔立ちのラーシュ・エーリク・アムレアン元帥が大袈裟な身振りで嘆いたが、誰も同調しなかった。アムレアン元帥の後ろに座っている二人の秘書官も、フー元帥と腹心のピァオマオも、何かにつけて張り合うネヴィルとゴッドハルトが"格上は最後に現れる"と考えていて、わざと遅れて来ている事を知っている。故人となったナバスクエスは本当に時間にルーズだったのだが……


不像あなたほど你那么闲ヒマではないのよ。」


言語学に自信を持っているアムレアンが翻訳アプリを搭載していない事を知っているフーがそう言うと、腹心だけではなく彼の秘書官も笑った。翻訳アプリを使わないなら、礼儀としてフーの母国語も習得しておくべきなのだが、悪い意味でのみ学者肌のアムレアンは機微に疎い。


「フー元帥、公用語かガルム語で話してもらえるかな?」


「これは失礼。博識なアムレアン元帥なら四仙語ぐらいマスターされている筈だと思っていましたわ。」


機微に疎いのにも良い点がある。遠慮なく嫌味が言えるのだ。


「東方の言語には疎くてね。」


"疎いのは東方の言語や文化だけではなく、コミュニケーション能力もよ"、フーは師父バクスウから教わった哲学を思い出していた。


師曰く、"空気の読めない高慢ちきは、破滅するまで幸せに生きる"


「あら、アムレアン元帥にも疎いものがお有りなのね。」


フーは嫌味を重ねたが、本人にだけは通じない。


「私とて完璧ではないよ。ところでナバスクエス元帥の後任なのだが、私に幾人か心当たりがある。」


アムレアンの言葉を聞いたフーは、苦笑を抑えるのに苦労した。


"大してアテにはしていないでしょうけど、名ばかり元帥を相手に猟官活動をする者がいたようね。利権のりの字も有していないアムレアン元帥には、いい小遣い稼ぎになったでしょうけど"


「それはそれは。ですが、推薦するのはネヴィル元帥やゴッドハルト元帥の意向を聞いてからの方がよろしいでしょう。」


言外に"あなたには何も決める権利がないのよ"と匂わせたフーだが、アムレアンに腹芸が通じるとは思っていない。後ろの秘書官二人に通じれば良いのである。決定に従い、実務を行うのは彼らなのだから。


「ふむ。確かにお二方の意見も聞いてみねばなるまい。」


フーは"認証印を押すだけが仕事"の男にはそれ以上構わず、懐中にある切り札をどう活かすかを考え始めた。


─────────────────


示し合わせたかのように、いや、本当に示し合わせての事だろう。ネヴィルとゴッドハルトは10分遅れで同時に現れた。おそらく、ネヴィル元帥の懐刀、オルグレン伯リチャードと、ゴッドハルト元帥の懐刀、スタークス・ヴァンガード伯爵が不毛な神経戦を終わらせたのだ。


「フー元帥、久しぶりだな!なんだ、青びょうたんもまだ生きていたのか!」


主君に先んじて入室してきた男は、大声で挨拶した。本人は大声を出しているつもりはないのだろうが、地声が大きいのだ。アムレアンは"空気が読めない男"だが、ロードリック公ロドニーは"空気を読まない男"である。なので、声と態度はひたすら大きい。


「ロードリック公、噂には聞いていましたが、ずいぶん野性的になられました事。」


「そうだろうそうだろう!夏僑の女傑の目から見ても、男振りが上がったと思わないか?」


根が単純なロドニーは、剥き出しの歯茎を見せびらかすように笑った。以前ならネヴィルの随員はリチャードとサイラスで決まりだったのだが、現在、"智将"サイラスはロンダル閥とは距離を置いている。


「ロードリック少将、私は元帥なのだがね?」


アムレアンは無礼を咎めたが、ロドニーはまるで意に介さない。熱風公は強者か胆力のある者にしか敬意を払わない男だった。


「だからなんだ? 相変わらずモヤシよりも生っ白いツラをしおって。」


虚弱タイプを生理的に嫌っているロドニーは、唾と言葉を吐き捨てながら随員用の椅子に腰掛け足を組んだ。右耳を欠き、右頬の肉も削げて歯茎が剥き出しになった熱風公の顔は以前よりも恐ろしい。アムレアンのように外面しか見えない男をビビらせるには十分な貫禄である。


「ロドニー、そこまでにしておけ。、元帥だぞ。」


ネヴィルは無言のまま入室してきたゴッドハルトを目で牽制しながら着座した。


ゴッドハルトと随員のスタークスとアシュレイ、ネヴィルと随員のリチャードとロドニーが着座したのを見たフーが会議の開催を告げた。


「お集まりのようですから、元帥会議を始めましょう。ネヴィル元帥が召集をかけられた本会議ですが、議題がまだ提起されていません。」


元帥会議を召集する権利は、機構軍元帥だけが有する。しかし、実際に召集を行えるのはネヴィルとゴッドハルトだけと言えた。フーも戦死したナバスクエスも、もちろんアムレアンにも召集権はないのだ。二大派閥とその他大勢、それが機構軍の実態であった。


「事前に議題を通達するのが元帥会議の慣例であったはずだが、国王は慣例をお忘れかな?」


ゴッドハルトが慇懃な口調で慣例破りを咎めたが、ネヴィルはせせら笑った。


「慣例は規則ではあるまい。杓子定規な帝国と違って、我が王国は自由な気風でな。」


"また嫌味の応酬からか"、フーは心中で嘆息しながら会議を前に進めようとする。


「もう一つの慣例を遵守するかの確認から始めましょうか。これまで元帥会議は全会一致を慣例としてきましたが、どうなさいますか?」


ゴッドハルトとネヴィルは険しい視線をフーに向けた。フーが"場合によっては反対しますよ?"と言っている事に気付いたからだ。


力の突出したガルム閥とロンダル閥の間で話がつけば、中小派閥連合の代表者であるフーとナバスクエスは賛成するしかなかった。賛同した上で、少しでも自派閥に有利な条件を引き出す以外に手がなかったのである。


しかし、現在のフーはまとめている中小派閥だけではなく、薔薇十字とサイラス派の支持も取り付けている。帝国と王国を母体とする強力な新興派閥の支持を得た今、発言力もこれまで通りではない。


「慣例は規則ではないが、軽んずるのもいけない。全会一致を計るべく努力する、でよろしいでしょう。」


リチャードは無難な提案でその場を凌いだが、内心では"サイラスを切り捨てるタイミングが早かったようだ"、と臍を噛んでいた。


「オルグレン伯、慣例を軽んずるのはよろしくないとお分かりなのに、今回に限って事前通達を怠ったのはどういう訳ですかな?」


スタークスが発言の矛盾を指摘する。リチャードのカウンターパートを務める事が多いスタークスだが、決して仲が良い訳ではない。主君に天下を取らせる為には邪魔な男と思っていて、それはリチャードも同じであった。


「事の重要性を鑑みたからだ。万が一の漏洩も許されないので通信による事前通達も行わず、資料も紙で用意した。この資料は会議が終了した後、ロードリック公が灰に変える。」


席を立ったリチャードは厳重に防護されたアタッシュケースから紙束を取り出し、出席者に配布した。


「……同盟軍における軍事・経済体制の一元化……これがそんなに大層な事なのかね?」


機密資料に軽く目を通したアムレアンが疑問を口にしたが、不機嫌顔のネヴィルに一刀両断される。


「学者上がりでありながら事態の深刻さがわからんのならもう黙っておれ!……皇帝はどう思う?」


「……由々しき事態だな。」


同盟経済の活性化には気付いていたゴッドハルトだったが、配布された資料ほどの確証はまだ得ていなかった。


「そう、由々しき事態だ!王立経済研究所の試算では、二年以内に同盟軍の生産力は機構軍を上回る!このままでは我々は"物量の優位"を失うのだ!」


テーブルを叩きながら力説するネヴィルにフーが冷静に応じた。


「開戦当初は5:1だった人口比率は現在5:3……いえ、骸骨戦役で同盟軍は南エイジアにおける領土をかなり回復し、新たに同盟に加盟した中立都市も含めれば5:4に迫りつつある。それ以上に問題なのは…」


「それでも曾祖父が提唱した世界統一機構の人口と国力は賊軍を凌駕している!恐れる事など…」


空気を読めないアムレアンがまくし立てようとしたが、フーが発言を遮った。温厚なフーでも馬鹿の囀りにうんざりしていたのだ。


「もう本当に黙ってらしたら?……派閥の垣根を解消して経済と軍事の一元化に成功した同盟軍は、一枚岩になって挑んで来るでしょう。人口比や国力よりも、こちらの方が問題です。」


一枚岩になった同盟軍に対抗する為には、機構軍も一枚岩になるしかない。しかし、世界統一機構における軍事と経済の一元化とは、軍に幅を利かせるロッキンダム王国と、経済の中枢を牛耳るリングヴォルト帝国に、"既得権益を手放せ"と言うに等しい。


「フー元帥の仰る通り。今こそ決断の時です。」


いつの間にか開かれていた扉の向こうから現れた美丈夫は、悠々と歩いて空席だった元帥席に着座した。背後に従えていた二人の美女も当然のように随員席に腰掛ける。


「朧月少将、余はおまえに出席を許した覚えはない。すぐに出て行け。」


皇帝は厳かに退出を命じたが、大王を自負する元帥が反駁した。


「余が許可した。朧月少将、思うところを述べるがいい。」


「ネヴィル閣下、いかに閣下と言えども、いささか勝手が過ぎるのでは?」


越権行為を嫌うアシュレイが非を唱えたが、ネヴィルは一蹴した。


「朧月少将はメクス、ルトガウル、スパーニアの主流派から信任状を得ておる。事実上、ナバスクエス派を引き継いだ将帥を排斥するのは一枚岩に反するだろう。龍ノ島で戦いもせずに撤退した卿に文句を言われる筋合いはない。」


非難の眼差しを向けたままの"剣神"アシュレイに対し、"熱風公"ロドニーが腰を浮かしかける。会議嫌いの猛将は早くも退屈していたのだ。出席を熱望していたマッキンタイア候マーカスがこの様子を見れば、"それ見た事か"と言うに違いない。


「ネヴィル陛下、不利な状況ならば戦わないのが良き指揮官です。ゴッドハルト元帥、ご不満なら私は退出しますが如何?」


「……いいだろう。持論を述べてみよ。」


試算を行ったのは王立経済研究所かもしれないが、データを提供したのは此奴だ。ゴッドハルトはかつて手駒にしていただけに、朧月セツナの優秀さを知っていた。物量の優位を失う公算が高くなった今、常勝の男が立てた策を聞く価値はあると考えたのである。



結束した同盟軍に対して機構軍はどう対処するのか。長きに渡った戦争は最終局面に向かおうとしていた……

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