結束編14話 嵐の予感



※ローゼ・サイド


「おひいさん、昆布はこのタイミングで引き上げるんだ。」


ボクの料理の先生は長箸で鍋から昆布をすくい上げた。


「はいっ!でもあんな短時間でちゃんとお出汁が出るんですか?」


「素人はそう思いがちだが、いい昆布を使うなら今のタイミングが最適だ。昆布の良し悪しで時間を調節するのが上級者なんだが、それには目利きが出来なきゃならねえ。お姫さんにはまだ早えな。」


ミザルさんはボクの事を"お姫さん"と呼んでくれる。護衛のぺぺがその呼び方を気に入って真似をしようとしたんだけど、ミザルさんみたいな絶妙なイントネーションが出来ないので諦めてしまった。


「これでボクにも美味しい湯豆腐が作れそう。少佐の晩酌にお付き合いしてるアシェスが、湯豆腐をとっても気に入ってるの。」


「アの字の姐さんは、料理はからきしだからな。」


薔薇十字を結成した当初は少佐にツンケンしてたアシェスに好感を持ってなかったミザルさんだけど、今では好意の裏返しなのに気付いて随分軟化してくれた。


……だけどアの字の姐さんって……確かにアシェスはミザルさんより年上だけど……絶妙に回りくどい呼び方だなぁ……


「あれ。どうして昆布を鍋に戻しちゃうんですか? お出汁は取れたんですよね?」


「料亭で出すなら今のタイミングだが、世の中には"下品な味付けを好む"って御仁もいてね。特に重量級の兵士は濃い目の味を好む傾向がある。」


「なるほど!少佐好みにお出汁を取るんですね。」


「お姫さんも覚えておいて損はねえ。剣狼は中軽量級だが濃い味好みで、好悪も含めて驚くほど食性が少佐に似てる。」


セロリとブロッコリーはこの世から撲滅されるべきだって意気投合してたもんね。同郷の虎と狼だから好みが似通ってるのかな?


「べっ、別にカナタ好みの味付けを覚える必要なんて…」


「おやおや、俺の勘違いだったみてえだな。山荘での様子を見て、こりゃホの字かなって思ったんだが。じゃあ、お姫さんには上品な味付けだけをレクチャーすりゃいいかねえ。」


面識の浅い人からは短気で粗暴と思われているミザルさんだけど、実は薔薇十字で最も細やかな気遣いが出来る人で、勘も鋭い。ボクの内心なんてお見通しだったみたいだ。


「だ、だけど恩人で指南役の少佐の好物は覚えておきたいので、ご教授をよろしく。」


「少佐の飯は俺が作るから必要ねえと思うがねえ。」


狐目を細めてニヤつきながら、ミザルさんは意味ありげにボクを見ている。……絶対に確信犯だ。


───────────────────────


薔薇十字の幹部を招いた夕食会は、畳の部屋で行われた。みんな浴衣を着てるし、夕食会というより宴会だね。


「それでは皆様、薔薇十字の益々の発展を祈願してお手を拝借!」


東洋文化に理解が深い外交担当のクリフォードが音頭を取って食事が始まった。少佐とイワザルさんとアンドレの前に置かれたお膳は他のみんなの倍ほどある。


「??……なるほど、これを使って食えという事だな。」


アンドレは杓文字しゃもじを使っておひつの栗ご飯を食べ始めた。……間違ってるんだけど違和感がなさ過ぎる。


「アホタレ…じゃねえ。アンドレ!それは茶碗に飯をよそうのに使うんだよ。ガンさんはそうしてっだろが。」


「旨い!このマロンライスは絶品だな!」


相棒のぺぺが文句を言ったが、アンドレは栗ご飯に夢中でもうおひつを空っぽにしてる。


「シェフ、鯛のお刺身がとても気に入ったわ。おかわりをもらえるかしら?」


「マリアン……言いにくいんだけど、それは鯛ではなくヒラメだよ。」


夫の言葉に"どうせ私は舌バカです"と拗ねるマリアン。隣に座っていたレナが、微笑みながらフォローする。


「あら、そうなのね。私もてっきり鯛だと思っていたわ。あなたは違いがわかった?」


「いや、全然だ。鯛と鮃の違いは刺身慣れしていない我々には難しいようだね。」


マリアンとバスクアル技官、ヘルゲンとレナの席はくっ付けてある。クリフォードも妻帯者だけど、愛妻のクリスは領地の運営があるのでマウタウには来れず、目下のところは単身赴任だ。


「クラム艦長、儂らのような独り者には眩しい光景だのう。」


「ラッセル大尉は爵位持ちなんだから、俺みたいなド平民と違ってそのうち良縁があるさ。」


「フフン!艦長が女にモテないのは身分とは無関係だと思うがな。」


「……むさ苦しい眼帯髭面が言ってくれるじゃないか。」


クラム艦長とラッセルは浴衣の袖を掴みあったが、金髪美男クエスターが間に割って入った。


「ローゼ様の前でつまらぬ喧嘩はおよしなさい。」


「はいはい。身分のあるイケメン様の仰せの通りに。」 「優男に武勇まで与えるとは、天も不公平だな。儂も少佐に倣って仮面でも付けようか。」


その仮面の軍人は、死んだ鯖みたいな目でしめ鯖をツマミに熱燗を飲んでいる。まひるちゃんが少佐の目付きを真似し始めたので、侍女の鬼女郎さんが"めっ!"してるのが微笑ましい。


「そう言えばトーマ、同盟の連中は戦時下だというのに野球に興じていたようだが、試合を見たか?」


少佐の御猪口にお酒を注ぎながらアシェスが訊くと、髑髏の仮面は頷いた。


「全試合見たよ。まあ、あれは"野球に似た何か"だったがな。」


場外ホームランしか打てない男と揶揄される代打の切り札は口元だけで笑った。少佐は殺人的(比喩表現ではない)豪速球を投げられるのだが、恐ろしくノーコンなのでマウンドには立てないし、送球難が災いして守備にも就けない。DH制度があれば不動の四番なんだけどなー。


「まったく!彼らは真面目に戦争をやる気があるのか!」


「戦争なんて真面目にやる方がどうかしてる。剣狼と白刃でやり合うのは御免だが、野球だったら面白そうだな。」


「実現したら、私は卿がホームランを打つに賭ける。バットを無理矢理へし折って打ち取る魔球など、死神トーマには通じん。」


アシェスは少佐が最強だと信じている。カナタにだって負けてほしくないのだ。


「フフッ。アシェスも試合を見てるんじゃないか。ところで爺さん、自慢の豚唐が食いたいんだが……」


少し離れた席で辺境伯と酒を酌み交わしていた老師は背中越しに答えた。


「自慢した覚えはないのう。レシピは専属シェフに教えてあるから、作らせればよかろう。」


「キカもお爺ちゃんの豚唐が食べたいなー♪」 「まひるも!まひるも食べたい!」


少女と幼子にねだられた老師は立ち上がりながら頭を振り、辮髪を首に巻き付けた。


「そういう事であれば腕を振るおうかの。ついでにものぐさ男の分も作ってやるとしよう。」


「老師、もう下拵えは済んでるぜ。」


隅の席で一人酒を決め込むリットクの膳に酢蛸の小鉢を置いたミザルさんは、バクスウ老師と一緒に厨房へ戻って行った。


サシ飲み相手がいなくなった辺境伯が、ボクの隣にお引っ越して来る。


「バクスウは弟子には厳しい男ですが、子供には甘いですな。」


「お弟子さんにも厳しいだけではありません。厳しさの裏に優しさを秘めておられます。フー元帥もそう仰っていました。」


「そのフー元帥は今頃、元帥会議に出席されておる筈ですが、議題はやはりナバスクエスの後任についてでしょうかな。」


「他に議題があるとは思えませんので、おそらくそうでしょう。」


機構軍は五人の元帥で運営する決まりになっている。実際は父上とネヴィル元帥の権力と勢力が飛び抜けているのだけれど、表向きはあくまで合議制なのだ。


「まさかとは思いますが、朧月セツナが元帥杖を手にしたりしますまいな?」


「彼はまだ少将です。いくら機構軍唯一の常勝軍人でも、それはないでしょう。第一、父上が認めるはずがありません。」


朧月少将が元帥杖を手にする事はないと思っているけれど、彼の声望は日増しに高まっている。ネヴィル元帥はザインジャルガ戦役で、父上は龍ノ島戦役で手痛い敗北を喫した。広報部がどんなに情報を操作しようと兵士達は知っている。"機構軍で常勝の名に値するのは煉獄だけだ"と。


「姫様、負け知らずは我々薔薇十字もですぞ。」


「薔薇十字は発足から一年経ったばかりの"ポッと出"の勢力です。信頼感では最後の兵団に及びません。」


短期間に上げた戦功も、"無敗の死神"に寄って立つ部分が大きい。煽動的演説を頻繁に行う朧月少将と違って、少佐は補佐役に徹しているので、発信力にも差があるのだ。


補佐される私が朧月少将に対抗すべきなのだけれど、講和を模索する身で"同盟討つべし"と主張する訳にもいかない。私と彼は目指すところが違うのだ。


元帥会議で何が話し合われているかを予想する必要はない。会議が終われば、フー元帥から教えてもらえる。


だけど……胸騒ぎがする。会議をリードする為にフー元帥を味方に付けたい父上は、珍しく自分から通信してきて、"召集をかけたのはネヴィルで、議題はナバスクエスの後任についてだろう"と言っていたけれど、違う何かが提起されるのではないか……



……この胸騒ぎが、嵐の予感でなければいいのだけれど……

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