結束編4話 後世の歴史家への嫌がらせ



※カプラン・サイド


兎我忠冬は耄碌した、剣狼カナタは老人をそう評価したが、カプランの見解は異なっている。財政の父は耄碌したのではなく、堕落したのだ。……私と同じように。


「トガ元帥、案件について話しておこう。」


堕落し、同盟軍を腐敗させた罪は後世の歴史家だけではなく、生ある内に断罪されるかもしれない。だが、腐敗したままでは終われない。見失っていた自分を取り戻した以上は、為すべき事を完遂するまでさ。


くすぶっていた青年貴族、ジョルジュ・カプランは御堂アスラと共に自由を求めて立ち上がり、輝いた。しかし、偉大なカリスマの死を契機に輝きは消え失せ、堕落した。英雄が奸雄に変貌するなど、歴史上には掃いて捨てるほどある話だが、再度の逆転パターンがあってもいいだろう。


願わくば、かつての同志にも逆転劇場の舞台に上がってもらいたい。三元帥の歴史的評価ってヤツを思い切り難しくしてやろうじゃないか!


カプランには愉快犯的な気質があったが、澱んだ心の中で眠っていた。しかし、情熱の奔流と共に目覚めていたのである。


「私は席を外しますわね。」


雪枝は席を立とうとしたが、逆転劇場の舞台俳優は首を振った。


「いや、雪枝さんにも聞いてもらいたい。トガ元帥、私が頼みたいのはただ一つ。然るべき時が来たら、"停戦に賛同して欲しい"、それだけだよ。」


「停戦じゃと!? おヌシは本気で言っておるのか!!」


「本気も本気だ。停戦協定が結ばれたら、和平交渉を行う。講和条約にサインするのが、私の最後の仕事だ。」


「戦争が終わったら退役するとは、なんともおヌシらしくない話じゃな。黒幕でも目指すつもりかね?」


本気か否かを読み取ろうとする忠冬に、カプランは明快に答えた。


「まさか!退役したら、政界からも身を引くつもりだ。私も湯富韻に別荘でも買おうかな。リゾート地で引退生活も送るのも悪くなさそうだ。」


「本当に……本当にそれでよいのか? 平和になればこそ、おヌシの交渉術が活きるはずじゃ。まだ老け込む歳でもあるまいが?」


「助言や調停を求められれば骨惜しみはしないが、しゃしゃり出るような真似はしない。トガ元帥、時代は変わった……いや、これから変えるんだよ。我々が長く持ち過ぎたせいで手垢まみれになったバトンを、綺麗に洗って次の走者に託す。遅きに逸したが、やらないよりはいいだろう。」


「……わかった。そういう事であれば喜んで協力させてもらう。じゃが、機構軍が応じるかな? ネヴィルがいる限り、講和どころか停戦も難しいぞ。」


最大の障害となるのはネヴィル・ロッキンダム元帥。忠冬の意見にカプランは頷き、補足した。


「ザラゾフ元帥も同じ意見だ。だがネヴィル元帥は生きて終戦を迎える事はない。」


「なぜわかる。おヌシの武器は弁舌で、予言ではなかろう?」


「簡単だよ。災害ザラゾフが"ネヴィルはワシが始末する"と断言した。」


「クックックッ、あの災害男から抹殺予告されるとは災難の極み。敵ながら気の毒な事よ。」


ひとしきり笑った忠冬は、素朴な疑問を口にした。


「ところでおヌシは、いつから講和の絵図を描いていたのじゃ?」


「私は絵筆だよ。画家は別にいる。」


「ほう!おヌシを動かした画家とは一体……御堂イスカ……ではなさそうじゃの。まさか!……絵図を描いたのは…」


「そう、画家は剣狼カナタだ。私もザラゾフも、彼のビジョンを実現させる為に動いている。」


忠冬は驚きもしたが、同時に納得もしていた。軍法会議が結審した時、人の輪の中心にいたのはザラゾフでもカプランでもなく、あの青年だった。あの時に感じた恐怖の原因、それは既視感だったのだ。


「……アスラ元帥のような男は、二度と現れないと思うておった……あの時に……あの時に気付いておれば……」


かつてそうしたように、陽光を囲む輪に加わっていれば、数多くの将兵も、たった一人の孫も死なせずに済んでいた。忠冬は、二年前に一兵卒として現れた青年カナタが、なぜ二人の元帥(しかもとびきりの強者と曲者)を動かせるのか不思議で仕方なかったのだが、一介の陸軍士官だった青年アスラを支え、自由都市同盟軍の設立に貢献したのは忠冬自身である。


……権力に驕り、欲に溺れて己を見失うとは、愚か極まれり……


忠冬は権威主義を嫌っていたはずの自分が、権威主義の権化に成り下がっていた事を悔いたが、時間は巻き戻らない。


「キミを抜き差しならない状況に追い込んだのは私だ。手を差し伸べる事も出来たのに、謀る道を選んだ。」


「いや、おヌシに責任はない。誰に何を言われようと、儂は身の丈に合わぬ野心を捨てなかったじゃろう。悔いておるのは儂だけではない。もう伊奈波クンから聞き及んでおるじゃろうが…」


「忠春クンから伝言を頼まれたのはキミだ。自分の口で伝えるべきだよ。」


「剣狼はこんな老害に会おうとは思わんだろうし、儂も会わせる顔がない。」


黙って話を聞いていた曾孫の母が、忠冬の皺だらけの手をそっと握りながら意見した。


「お祖父様、言伝の内容は存じ上げませんが、カプラン元帥の仰るように、御自分の口で伝えるべきだと思います。」


「雪枝さん、儂は…」


「忠雪はお父様の伝記を読んで育ちました。異名兵士、一角兎は"会わせる顔がないといえども、会わない理由にはならない"と仰って、戦死なさった部下の御遺族に必ずお会いになられたそうです。感謝される事もあれば、面罵される事もあったでしょう。ですが、決して責任からお逃げになられませんでした。」


「…………」


「伝記によればお父様は、お祖父様から"全てを受け入れる覚悟なくして、至誠を貫く事能わず"と教わったと述べられています。そのお覚悟が、今こそ必要なのではありませんか?」


忠冬は懐かしそうな顔をしながら、伝記の改竄を白状した。


「……実はな、それは儂ではなく、秋枝の教えた事なのじゃよ。」


「まあ!お祖父様はいけない人ですわね!」


「至誠のしの字でも持ち合わせておったら、こうはなっておらんよ。じゃが、雪枝さんの言いたい事はよくわかった。カプラン元帥、口添えを頼めるかの?」


論客は老人の頼み事は二つあるはずだと読み、頼まれる前に返答した。


「任せてくれたまえ。湯富韻に向かう前に薔薇園に立ち寄るといい。それから伊奈波艦長と選抜兵には然るべきポジションを用意しよう。」


「話が早くて助かる。」


「湯富韻での警護役は、御隠居が門人を呼んでくださるそうだ。」


「御隠居? どこの誰じゃ?」


忠冬の質問には雪枝が答えた。


「デンスケさんの恩師が、湯富韻に住んでおられるのです。お弟子さん以外から"先生"と呼ばれるのを遠慮される謙虚なお人柄なので、私達は"御隠居"と呼んでいますの。忠雪がもう少し大きくなったら、心貫流の手解きをして下さるそうです。」


雪枝は好意的に表現したが、"弟子でもない他人様から先生なんて呼ばれたら、尻の穴がむず痒くなるわい"と毒を吐いているだけである。隠棲した頑固爺に剣の手解きを約束させるのだから、忠雪の素質と愛嬌は、かなりのものなのかもしれない。


頑固爺と偏屈爺が邂逅した時に起こるであろう悶着を想像した雪枝は、着物の袖で口を隠して微笑んだ。しかし、悶着は雪枝の予想よりも早く起こったのである。


「なんだ、こんなところにおったのか!まったく、ガタイに反比例したデカい屋敷に住みおって。チビ兎には兎小屋がお似合いだぞ。」


こめかみに手をあてた忠冬は無頼の巨漢を皮肉った。


「フン!小男で悪かったのう。じゃが、"大男、総身に知恵が回りかね"と言う言葉を知っておるか?」


「聞いた事はないが、虚仮にされておるのはわかった!」


「皮肉だとわかるようになっただけ、成長したと褒めてやるわい。ザラゾフ元帥、何しに来おった?」


「カプランが"しょぼくれた爺ィの不景気ヅラを見るのも一興だよ"などとぬかしおったから、笑いに来ただけだ。文句があるならそこの二枚舌に言え。」


一重瞼の目でギロリと睨まれたカプランは、目を逸らしながら弁明した。


「虚偽とは言わないが、甚だしい事実誤認があると言っておこう。ザラゾフ元帥、立ち話もなんだから、こちらに来て掛けたまえよ。」


サイコキネシスで椅子を二つ並べたザラゾフは、どっかりと腰を落とした。


「本物の災害閣下だ!こんにちわ!」


枝の木剣を持ったまま駆け寄ってきた忠雪は挨拶してから片膝をつき、戦場の伝説をキラキラした眼差しで見上げた。要領のいいデンスケは、ザラゾフの姿を見た途端に稽古を切り上げ、中庭から姿を消している。


いくら大雑把な元帥閣下でも、統合作戦本部でのやらかしは覚えているはずで、顔を合わせれば碌な事にならないと実に賢明な判断を下したのだった。


「なんじゃ、このガキは。む?…この不細工だが味のある顔立ちは……」


サイコキネシスで幼子を顔の高さまで持ち上げたザラゾフは、小さなアゴの裏を覗き込んだ。


「やっぱり忠秋の孫か。小便漏ら…忠春には隠し子がおったのだな。」


「閣下、ボクはもうおねしょは卒業しました!本当です!」


母親らしき女が声を殺して笑うのを見たザラゾフは、幼子の張った見栄に苦笑する。


「フフッ、男の見栄は嫌いではない。ワシを見てもチビっておらんのだから、なかなか肝が据わっておる。どうやら祖父に似たようだな。小僧、名はなんと言う?」


「根住忠雪、五歳です!初雪の降った日に生まれたので雪の字を感心しました!」


「冠した、だ。」


「それです!ぼーぱるらびっとの伝記に閣下のお名前が何度も出てきました!」


見た目からして本など読みそうにないが、実は読まない事もない豪傑は幼子に訊いてみた。


「なんと書かれておった?」


「何度走馬灯を見たかわからない。だけど閣下に一人前と認められた時が一番うれしかった、だそうです!走馬灯とは、どのような軍馬ですか?」


「さてな。ワシは見た事がないのでわからん。」


「ザラゾフ元帥、なぜアゴの裏を見て納得したのかね?」


宙に浮いたままの幼子を指先から伸ばした糸で絡め、母親にパスしたカプランは理由を知りたがった。


「小僧のアゴの裏に大小二つのホクロがあった。忠秋のアゴにも、くっつき過ぎて瓢箪みたいに見えるホクロが並んでおったからな。」


ザラゾフはショートアッパーのモーションを見せながら答えたので、なぜアゴの裏にあるホクロを知っていたのかは誰も訊かなかった。アッパーカットを喰らえばアゴが跳ね上がるに決まっている。


槍の名人、一角兎の穂先をなんとか搔い潜って懐に飛び込めた猛者を仕留める必殺の拳、"ラビットアッパー"はザラゾフ直伝の技だったのだ。


「こうして三人揃うのは久しぶりだ。兵士の規範には反するが、昼酒にしようか。」


カプランが場を和ませようとしたが、忠冬は空気を読まない。


「久しぶりもなにも、軍法会議で顔を合わせたじゃろ。二人がかりで儂をやり込めおってからに!」


「おまえが狡い真似を仕出かすからだろうが!自業自得だ!」


「フン!カプラン元帥には負けたが、おヌシには負けておらん!デカい顔して軍法会議に出てきたのはいいが、何の役にも立っておらんかったろう!」


同盟を設立する前から、忠冬とザラゾフは仲が悪い。顔を合わせて口論にならなかった事はないのだ。こういう時に仲裁するのはカプラン(アスラは笑っているだけで何もしない)の役目なのだが、今回は仲裁人が別にいた。


「同盟軍最高位にあらせられる元帥閣下が、ちっちゃい子みたいな口喧嘩をするのはよくないです!」


五つの子供に子供じみたと口論と指摘された二人の元帥は、フン!と顔を背け合って休戦した。


「お祖父様は曾孫が、ザラゾフ閣下はお孫さんがいるお歳なのですから、年相応に振る舞われた方が声望が高まるかと思います。私がお酒と肴を用意して参りますので、ごゆっくり歓談なさってください。」


息子を抱っこした雪枝は、やんわり釘を刺しながら席を立った。


「雪枝さんの言う通りだ。仲良くしたまえ、。」


娘はいるが孫はいないカプランは大男と小男を揶揄したが、即座に反撃された。


「おまえを女を捕まえるのが遅かっただけだ。」 「左様。しかも娘は婚外子じゃろ。いい加減な男じゃのう。」


いつの時代も、敵の存在は不仲を修復させるものらしい。


「……雪枝さんは秋枝さんに雰囲気が似ているね。」


母子の背中を見やりながら、カプランは禁煙ガムを口に放り込んだ。


「物言いもな。言葉尻こそ柔らかいが、グサリと刺しおって。」


「おヌシの嫁御も似たようなものじゃろうが。秋枝とは歳は離れておったが、似た者同士で仲が良かったのう。」


噂をすれば影。雪枝はアレクシスと京司郎を連れて戻ってきた。トレードマークの日傘を畳んだアレクシスは忠冬に会釈する。


「トガ元帥、お久しぶり。壮健そうで何よりですわ。」


「嫌味かね?」


「本音ですわ。狡兎のお顔に戻られたのは良い事です。」


夫人がやりとりしている間に、京司郎はテーブルクロスを素早く敷き、手際よく料理と酒を卓上に並べてゆく。執事スキルに一段と磨きがかかったらしい。


カプランとアレクシスはワイン、ザラゾフはウォッカ、忠冬と雪枝は※龍酒の杯を手にした。


「……乾杯の前に言うておく。もう、儂には見守る事しか出来ん。カプラン、ザラゾフ、アレクシス、この愚かな戦争を終わらせてくれ。願わくば、次に会うのは講和条約の調印式であらん事を。」


三人の元帥と二人の夫人は杯を合わせた。それは手打ちの盃であり、壮行を祝う祝杯でもあった。



ルスラーノヴィチ・ザラゾフ、ジョルジュ・カプラン、兎我忠冬、一つの時代を築いた三人の男達は、後世の歴史家にどう記されるのだろうか……


※龍酒

龍ノ島の伝統酒。地球で言う日本酒。

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