結束編3話 血は争えぬ



※デンスケ・サイド


陽当たりのいい中庭で曾祖父は曾孫とキャッチボールではなく、算盤を教えている。おやつとお茶を持ってきた母親を交えて歓談する姿は、今日初めて会ったようには見えなかった。


「いくら早熟でも、五歳の子供に算盤は難しいだろう。まあトガ元帥の運動神経ではスポーツは難しいだろうがね。」


仲睦まじい姿を二階の客間から見ていたカプランは、傍らにいる兎場デンスケに話しかけた。母子を龍ノ島から護衛してきたのは兎場隊なのだ。


「雪枝さんの話じゃあ、あの子は剣玉より先に算盤を欲しがったんだそうです。羊羹を食べ終わったら、本気を出して元帥を驚かせるつもりなんでしょう。ヘリの中で見せてもらったんですが、珠算塾が開けそうな早さでした。きっとそういう家系なんでしょうな。」


武芸はからきしの忠春様も算術だけは得意だったしな、とデンスケは元上官の特技を思い出していた。


「なるほど。軽く基礎を教わっておいて"実はこんなに出来るんです!"と曾祖父に自慢するつもりか。」


「賢くて優しい子です。しかも運動神経までいい。」


「それはそれは。あの子は兎我忠秋の再来だな。しかし兎場准尉、あの忠春クンが母子の様子見を命じたとは思えない。キミの独断だったのではないのかね?」


デンスケは母子と面識があった。示談金を渡した後も時折、二人の様子を見に行っていたからだ。恩師の為に建てた庵が同じ衛星都市にあったから、そのついでに立ち寄っていただけではあったが、純粋な善意と言ってよい。善意に打算が混じり始めたのは、忠雪の利発さを知ってからである。


「閣下、忠春様は母子を気にかけて、俺に様子見させていた。それでいいんじゃありませんか?」


デンスケは"トガ元帥は高齢だ。このまま忠春様が派閥を継承すれば、衰退どころか崩壊するに違いない"と考えていて、利発な忠雪に希望を見出した。


早熟の才児が頭角を現したらトガ元帥に曾孫の存在を耳打ちし、忠春はお飾りのショートリリーフ、本命は忠雪という路線を敷ければ、内紛で衰退はしても崩壊は免れる。次に英明な主が控えているのだから、今は我慢してバカ殿を支えようとする者は多いはずだと考えたのだ。


"他派閥に行って雑巾がけからやり直すよりも、今ある地位を守ろうとするのが凡人"、自らも凡人を自覚するデンスケらしい処世術である。もちろん、トガ元帥が長く現役を続けて、忠冬→忠雪のバトンタッチが理想であり、それが叶えば内紛も避けられる。


そして忠雪を擁立する最大のメリットは、"幼少期から自分を見守ってくれた兎場デンスケ"を、若きリーダーは重く用いるに違いない事である。お人好しだが、小狡い男でもあるデンスケは、さらなる出世を目指していたのだった。


カプランはデンスケの言わんとする事を瞬時に理解し、計算高さを称えた。長年、"風見鶏"と呼ばれた男にとって、変わり身の早さも計算高さも美徳である。


「兎場准尉は処世術に長けているようだね。今となっては、忠春クンは我が子と雪枝さんを気にかけていた事にするのが良いのだろう。それで丸く収まるのだからね。」


「……俺がそう思いたいだけなのかもしれませんが、忠春様が生きて戻れていたら、母子を迎えに行っていた気がします。」


別室で待機している間、兎足王のブリッジクルーだった選抜兵から元上官の最後の様子を聞かされたデンスケは、胸ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。紫煙はいつもよりほろ苦く、目に染みる気がした。


「……きっとそうしていただろう。忠春クンは最後の最後で、自分が同盟を救った英雄"一角兎"の息子である事を思い出したのだから。兎場准尉、煙草を一本くれないか?」


「どうぞと言いたいところなんですが、お嬢様から"お父様から煙草をくれと言われても、断ってくださいね"と釘を刺されています。根回し上手はお血筋ですねえ。」


曲者の娘はやはり曲者、カプラン家の未来は明るそうだとお人好しの悪漢はニヤリと笑った。


─────────────────


※トガ・サイド


おやつを食べ終わった幼子は、得意の算盤で自分の秀才ぶりを曾祖父に披露した。


「忠春はもちろん、忠秋よりも覚えが早いのう。」


手始めに実務で使う事はない算盤を習わせるのはトガ家の家風である。珠算は基礎的な計算能力を高めてくれるからだ。基礎がしっかり出来てから、より便利で高度な演算機を使わせる。それが忠冬が息子と孫に施した教育であった。


「元帥閣下に褒めていただけてうれしいです!」


幼子の赤いほっぺたがより赤くなる。忠冬は才児の頭を撫でながら答えた。


「ひいお爺ちゃんでええ。長ったらしいから、ひいは抜こうかの。」


「はい、お爺様!」


老人と母子が囲む屋外テーブルに、壮年と中年が歩み寄って来た。


「冬坊、デンスケおじちゃんと遊ぼうか。手頃な枝を探しておいで。」


「うん!お爺様、算術の次は剣術を見てください!」


中庭にある大きな広葉樹に向かって走る幼子の背中を見守りながら、忠冬はデンスケに問うた。


「デンスケはあの子と面識があったのじゃな?」


「はい。俺は忠春様から"十分な生活資金を先渡しして、母子の様子を報告しろ"と命じられていました。」


「なぜ儂に報告せなんだ。それに忠春が、密命を命じた男の辞表を受理したのも解せん。」


「閣下に報告しなかったのは、忠春様が"僕が自分で報告する。お爺様に物申せるようになってからだけど"と仰られたからです。派閥を去ったのは見せかけでした。統合作戦本部で失態を演じ、SESの着用を拒否した兎場隊は派内で浮いた、いえ、迫害される身。ですので…」


デンスケの並べ立てた嘘八百をカプランが引き取る。


「忠春クンは私に取引を持ち掛けた訳だ。"理由は訊かずに兎場隊を預かって下さい。僕が派閥を引き継いだら彼らを呼び戻し、カプラン元帥に十分なお礼をします"とね。政治的な貸しを作って、利子込みで回収するのが私の生業なのは、キミも知っての通りだ。スパイかな、と勘繰りはしたのだが、あの忠春クンにそんな芸当が出来るとは思えなかったし、私が隙を見せなければ済む話なので、引き受けたのだよ。」


カプランはデンスケとの即興コンビで、またしても忠冬を謀りにかかったが、この嘘は母子を傷付けない為の嘘なので、罪悪感など微塵もない。


「そうじゃったのか。……デンスケ、おヌシにも悪い事をしたな。降格に冷遇、誠に申し訳なかった。」


元帥に頭を下げられた准尉はかぶりを振った。


「元帥、頭をお上げ下さい。もう終わった事ですよ。それよりも、これからどうするかを大物同士で話し合って下さい。」


デンスケは一礼してから、長い枝を両手に持って彼の名を呼ぶ幼子の元へ歩む。


「……閣下、いえ、お祖父様と呼ばせて頂きますわね。大物同士のお話の前に、私からもお話があるのですが、よろしいでしょうか?」


「うむ。カプラン元帥、構わんじゃろう?」


「無論だ。」


「私は忠春さんから頂いたお金で廃業した民宿を買い取って改装し、小さな土産物屋を営んでいます。小さいと言っても元は民宿だったので、お部屋に余裕はあります。お祖父様は長い間、働き詰めでした。そろそろ軍務から退かれて、私達と一緒にのんびり暮らしませんか?」


思わぬ申し出を受けた忠冬だったが、飛び付きたい気持ちを抑えて首を振った。


「雪枝さん、気を使わんでええ。貴女は分別のあるご婦人のようじゃから、儂の置かれた状況はわかっておるじゃろう。兎我家と関わりがあると知れれば、厄災を招く。気持ちだけで十分じゃよ。」


「そうならないようにカプラン元帥が手配してくださるそうです。お祖父様の評価は、後世の歴史家がなされば良い事ですわ。私は、忠冬にとって"いいお爺ちゃん"であって下されば、それでいいのです。」


「儂はそう遠くない内に孫のところへゆくじゃろう。忠春めには"あんないい女を捕まえておきながら、隠すとは何事じゃ!"と説教してやるわい。」


口が寂しくなったのか、カプランはおやつの羊羹に刺さっていた爪楊枝を咥えながら、説得に加わった。


「トガ元帥、あの子が成長すれば兎我家の人間だとすぐにバレてしまうよ。だったら今の内に備えておくべきではないかね?」


「そうかもしれんが……」


「雪枝さんは覇嘉多の衛星都市、湯富韻ゆふいんに住んでいる。敗戦の責任を取り、謹慎を申し出た"財政の父"は心労で体調を崩し、温泉街で療養する事になった。至極当然の話じゃないか。」


大将だった頃の忠冬は"財政の父"、妻の秋枝は"兵站の母"と呼ばれ、将兵の尊敬を集めていた。嫌味で偏屈な忠冬ではあったが、有能さは誰もが認めていて、人望を補ってくれる賢夫人のフォローがあれば、英雄でいられたのだ。


「……財政の父……懐かしい渾名じゃな。」


「お祖父様、こうしましょう。先の話はひとまず置いておき、しばらくは湯富韻で休養する。ずっと一緒に暮らすかは、湯治しながら考えればいいのです。」


「……お言葉に甘えてそうさせてもらおう。カプラン元帥、恩赦の件をよろしく頼む。」


「さっきは恩赦と言ったが、正確に言えば"訴追されない"のだよ。アスラ派に移ったトガ閥の幹部も、元帥が罪に問われる事など望んでいないし、私の"案件"に協力してもらうには元帥でいてもらわねばならないのでね。罪人ではない以上、恩赦など必要ない。トガ元帥は"休養するだけ"だ。」


「配慮への礼は後で述べるとして、案件とやらの内容を聞かせてもらおうか。」


カプランの視線が別な方向を向いている事に気付いた忠冬は、視線の先を追った。芝生の上に胡座をかいたデンスケに向かって、枝の木刀で打ち掛かる忠雪の姿に論客は見入っているようだった。


「可愛らしい姿に見入るのはわかるが、案件の話を…」


「トガ元帥にはあの子の"筋の良さ"がわからないようだね。」


忠冬は戦死した息子、忠秋も通っていた高校の教諭に"筋が良い"と褒められて槍術を学び始めた事を思い出した。曾孫の才能を誇らしく思うよりも先に、戦慄が走る。


"あの子が容姿と才能だけではなく、気骨まで忠秋と瓜二つに成長すれば……戦乱の世を黙って見ておる訳がない。いかん!いかに才能があっても戦場では何が起こるかわからんのじゃ!"


妻も子も、孫まで戦争で失った忠冬は、最後に残された希望まで失う訳にはいかなかった。



あの子を戦わせない為には、戦争を終わらせるしかない。忠冬は権力を失った事が口惜しくて堪らなかった。栄耀栄華の為ではなく、和平を実現させる為に、失った力が必要だからだ。


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