結束編2話 希望の藁



※トガ・サイド


「龍足大島最大の都市・覇嘉多で盛大な国葬が執り行われ、献花に訪れた同盟市民は自由都市同盟に多大な貢献をされた東雲刑部上級大将を偲び、暴虐邪知な機構軍との戦いに必ず勝利すると決意を新たにしました。また、国葬の後にドラグラント連邦元首・御門ミコト総督総代の呼びかけで、ルスラーノヴィチ・ザラゾフ元帥、ジョルジュ・カプラン元帥、御堂イスカ少将が会合を開き、関係筋によりますと同盟軍の連携強化と社会資本への合同投資で合意を得た模様です。国葬を取り仕切った御堂少将は、覇嘉多で開催される連邦経済協力会議への出席を踏まえ、今夜にも協力会議の座長を務める御鏡雲水代表と会談する予定です。」


兎我忠冬は熱のない目で、立体テレビに映るキャスターの姿を眺めている。三元帥の中で最も経済通の忠冬だったが、経済協力会議に出席どころか、開催自体を知らされていなかった。失脚した要人に見向きもしなかった老人は、見向きもされない側になってしまったのだ。


「閣下、紅茶でもご用意いたしましょうか?」


老人の背中に声をかけたのは執事ではなく、伊奈波艦長であった。九死に一生を得て屋敷に戻った忠冬が最初に目にしたのは使用人が置いていった辞表の束と、後妻からの捺印済みの離婚届。豪華な邸宅はもぬけの殻だったのだ。


広い屋敷にいるのは忠冬と伊奈波用将いなばもちまさ、そして伊奈波隊の選抜兵が四人。この四人は忠冬を脱出させる為にステルス車両に乗り込んだクルーでもある。


「茶ではなく酒にしてくれんか。伊奈波クン、儂の監視でも命じられたのかね?」


「いえ。閣下の身の回りのお世話をする人間が必要だと思いまして。」


居間を出た船乗りは薬膳酒の載ったトレイを持って戻ってきた。


「今さら薬膳もあるまい。生きたところで、もう儂には何も残っておらん。妻も息子も……孫まで失ったのじゃからな……」


「心中お察しします。ですが閣下を生還させる為に、忠春様が奮戦なさった事をお忘れなく。」


「……忠春……すまん……儂が馬鹿じゃった……」


孫は兎我家を継ぐ器にあらずと考え、新たな子をなして家督を継がせるつもりだった忠冬は、涙ぐみながら深く己を恥じ入った。器量足らずは自分だったと後悔しても、死者は蘇らない。


ドアをノックする音に気付いた忠冬は、ガウンの袖で涙を拭う。旧知のモチマサはともかく、孫と歳が変わらない兵士に涙を見られるのは憚られたらしい。


「失礼します!閣下、カプラン元帥がお見えになりました。」


逃避行を共にした選抜兵は完璧な儀礼で報告を行い、忠冬の返答を待っている。


「……儂に引導を渡しに来おったか。通せ。」


「ハッ!」


敬礼した選抜兵は部屋を出て、"人形使いパペットマスター"と呼ばれ始めた男と一緒に戻ってきた。


「久しぶりだね、トガ元帥。」


軍法会議で忠冬を嵌めた事などもう忘れたかのように、スーツ姿のカプランは朗らかな笑顔で会釈した。


「軍法会議以来じゃな。よく来てくれた、と言えんのが悲しいのう。」


忠冬は、少し前までは同格であったはずの男と天地の差がついた事を自嘲した。かたや骸骨戦役を引き起こし、壊滅的な惨敗を喫した算盤屋。かたやその戦役に完勝し、交渉のみならず武勇にも秀でる事を証明した論客。高騰した株と暴落した株を証券市場に並べたかのような対比だった。


「二人とも、席を外してくれたまえ。トガ元帥と内密の話がある。」


選抜兵はすぐに席を外したが、モチマサは逡巡していた。


「伊奈波クン、席を外せ。キミがいたところで、どうにもならん。」


失脚しても嫌味な性格は変わらないらしく、老人は実に彼らしい物言いでモチマサに席を外させた。老人の座した肘掛け椅子の前にある黒檀のテーブルにカプランは腰掛けたが、忠冬は無作法を咎めなかった。普段は紳士ヅラをしているが、ジョルジュ・カプランの本質は無頼の放蕩者である事を知っているからだ。


「それで? 儂はいつ収監されるのじゃ?」


「監獄に行きたいなら止めないが、残った金融資産の半分を御堂少将に引き渡せば恩赦を得られる。そう話をつけておいた。」


「溺れる者に藁を差し出す、いつもの手口じゃな。しかしカプラン元帥、半分などと言わず、全部取れるじゃろう。儂を獄に送り、没収すればよいだけじゃ。」


「そうする事も出来たが、トガ元帥に一肌脱いでもらいたい案件があってね。」


カプランはポケットから取り出した噛み煙草のケースを取り出したが、中を見て顔をしかめた。入っていたのは噛み煙草ではなく、禁煙ガム。カプランの娘、ジゼルは説得を諦めて実力行使に踏み切ったらしい。


「何を狙っておるのか知らんが、もう儂に利用価値などあるまい。根刮ぎ奪って分け前と手数料をせしめる方が利口じゃよ。」


「自暴自棄になるのも止めないが、この件に関しては私は一銭も受け取るつもりはない。まずつまらん用向きから話しておくが、元帥の元妻と愛人に逮捕状が出た。」


「政治的報復、ではなさそうじゃの。で、やっぱりあれには愛人がおったか。若くて男前なんじゃろうな。」


忠冬は浮気については元妻を咎める気はなかった。戦役前なら憤激していたに違いないが、もう怒る気力も残っていない。"容姿だけで娶った女が、容姿だけの男に靡いた"と達観、もしくは諦観じみた心境に至っただけであった。


「うむ。容疑は麻薬密売だ。元妻の方は愛人から貰った麻薬を知人に流していただけのようだが、愛人の方は長い刑務所暮らしだろうな。麻薬捜査班は以前から情報を掴んでいたらしいが……その顔、検察に手を回していたのではないようだね。」


悪びれる風もなく、忠冬は検察を牛耳っていた事を認めた。


「圧力をかけた事がないとは言わんが、元妻の件に関しては本当に知らん。担当検事が儂に忖度しておったのじゃろう。そういう空気を醸成したのは儂じゃがな。」


忖度する必要がなくなれば、当然こうなる。忠冬はまだ知らなかったが、トガ閥を吸収した御堂イスカは司法制度改革に乗り出し、情報を握り潰していた担当検事は既に罷免されていた。自宅に軟禁された元検事は、訴追を待つ身となっている。


「元妻の方は使用人に対する暴行容疑も浮上しているそうだ。」


「あれも愛人とやらも叩けば埃が出るじゃろう。もう赤の他人じゃ。徹底的にやればよい。」


浮気については大目に見るとしても、余罪の庇い立てまでする気はない。庇うつもりがあったとしても、もうそんな力は忠冬にはないのだが。


「些事が済んだところで、本題に入ろうか。」


「本当につまらん話じゃったな。恩赦は受けん。人形使いに踊らされる道化人形になるのは御免じゃ。」


軍法会議で一杯食わされた事が派閥崩壊の引き金となった。カプランが恩赦と引き換えに何を狙っているのか忠冬にはわからなかったが、協力する謂われはない。老人にとってはこの屋敷も監獄と変わりなく、生への執着を捨てた今、失うものは何もなかった。


「恩赦を受けるか否かは、本題を聞いてからにするといい。」


恩赦が本題ではないのか?と忠冬は訝しく思ったが、カプランは上着のポケットから封筒を取り出し、腰を掛けているテーブルの上に置いた。


「その封筒はなんじゃ? 拘束令状ではなさそうじゃが……」


「DNA鑑定書だ。トガ元帥、キミには曾孫がいる。忠春クンには息子がいたのだよ。」


「なんじゃと!!忠春に隠し子!?」


「そんなに驚く事でもないだろう。金に困らない若者は女遊びぐらいするよ。私だってジゼルを認知したのは最近の事だ。」


悪い遊びは一通りどころか、二回りはやったカプランの言葉に忠冬は苦笑した。


「おヌシが言うと説得力があるのう。……そうか、忠春には息子がおったのか。儂に叱られると思って黙っておったのじゃな。その子は元気に育っておるのかね?」


通信が途切れる間際に言い残そうとしたのは、その事じゃったか。忠冬は孫の最後の姿を鮮明に思い起こし、目尻に浮かぶ涙を見られないように顔を伏せた。


「自分の目で確かめる事をお勧めする。元帥が曾孫と母親に会う気があるのなら、すぐにここへ呼ぶがどうするかね?」


「リグリットに連れて来ておるのか!」


「母子は覇嘉多近郊の衛星都市で暮らしているからね。四者会合の後、立ち寄ってみたのだよ。一目見れば兎我家の子だとわかる。こんな紙切れなど不要なのだが、トガ元帥は疑り深いから一応調べさせておいた。」


「……会わない方がよいじゃろう。カプラン、おヌシと取引がしたい。曾孫の存在を知る関係者全員に箝口令を敷き、母子の安全を保証してくれい。見返りに儂は"案件"とやらに協力する。」


忠冬は本音を押し殺して面会を断り、最後の取引を持ちかけながら考える。


"失脚した今となっては、兎我家の縁者である事はマイナスにはなってもプラスにはならん。人知れず暮らしていた事は不幸中の幸い、こんな老いぼれの命に使い所があってよかったわい"


老いた兎の目に光が戻った。会った事もない曾孫と母親の為に、何としてでも取引を成立させようと鋭い眼光で論客を睨みつける。


「儂はどうなってもよい!曾孫と母親を守ってくれるのであれば何でも協力する!応か否か返答せい!」


「……実はまたキミをたばかった。」


「謀ったじゃと!? 曾孫の話は嘘じゃったのか!!」


カプランは静かに首を振りながら、宝石のあしらわれたタイピンを外して忠冬に見せる。


「パッと見には宝石に見えるだろうが、これは小型カメラでね。謀ったのは決定権の有無だ。会う会わないを決めるのはキミじゃない。」


カプランの鋭敏な耳は、別室で映像を見ていた母親が息子の曾祖父に会う事を決意し、居間に向かう足音を聞き取っていた。もちろん、小さな足音も一緒である。


ノックの音で背後を振り返った忠冬の目に、幼子を連れた母親の姿が映る。


「ママ、このお爺ちゃんは誰?」


一重瞼で団子鼻の幼子に、和服姿の母親は答えた。


「忠雪のお父様のお爺様よ。呼び方がわかる?」


「パパのお爺ちゃん……ママ、曾祖父で合ってるよね!」


ひいお爺ちゃんと答えるだろうと思っていたカプランは驚いたが、息子の利発さを知っている母親は驚かなかった。


「そうよ。あなたの曾祖父は元帥閣下で、とても偉い御方なの。失礼のないようにご挨拶なさい。」


「はいっ!」


近付いて来る曾孫の姿に忠冬は涙を堪え切れなかった。隔世遺伝だろうか、忠雪の姿は祖父である兎我忠秋の幼い頃に瓜二つだったのだ。


「はじめまして!ボクは根住忠雪ねずみただゆきと申します!五歳です!ひいお爺…元帥閣下にお会い出来てうれしいです!」


五歳の子はどこで覚えたのか、軍隊式に敬礼してみせた。利発なだけではなく、かなり早熟なようだ。


「儂は兎我忠冬。知らぬ事とはいえ、会いにも行かずにすまなかったのう。……嬉しいよ。曾孫の顔を見る事が出来て、本当に嬉しい……」


甦った論客が溺れる老兎に差し出した希望の藁。"またしてもカプランにしてやられたわい。どうやら役者が違ったようじゃな"と忠冬は素直に負けを認めた。



椅子から下りて床に膝をつき、目線を幼子に合わせた老人は"こんな喜ばしい敗北はないじゃろうの"と独白しながら小さな手を握った。

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