愛憎編64話 もう戻れない


※モス・サイド


クィーンに渡す機密情報をタブレットに打ち込むモスの目に、卓上に置かれた新聞が映る。本土を離れる日に出された号外。その見出しは……


"剣狼カナタ、機構軍元帥を討ち取る!カプラン師団がナバスクエス師団を撃滅!"


作業の手を止めて号外を手にしたモスは、記事に目を通して不機嫌さを露わにする。


「……剣狼、おまえは強すぎなんだよ!あっさり戦役を終わらせちまいやがって!」


モスは両手で捻じ曲げた号外を船室の壁に叩きつけた。アスラ部隊にいたモスは、カナタが規格外の怪物である事を重々承知していたが、ナバスクエスもまた怪物の証明である完全適合者。豹が狼を破り、戦役を全土に広げてくれるかもしれないと期待していたのである。


エイジア地方の戦役が、全土に広がる大戦役に発展すれば、御堂師団は最前線に張り付く事になり、イスカは対処に忙殺される。逃亡するモスにとっては、理想的なシナリオだ。そこまで上手くいかずとも、骸骨戦役が終わらなければ、各地で両軍の睨み合いは続く。


ところが現実は、剣狼は奇策を用いてナバスクエス師団を分断、元帥に一騎打ちを挑んで討ち取ってしまった。前後の連携を断たれた上に総司令官を失ったナバスクエス師団は惨敗し、敗走する彼らへの追撃には復讐に燃える第二師団まで加わった。機構軍は防衛ラインの構築に大わらわだが、同盟軍は平静。御堂イスカはモスの捜索にリソースを割ける状況になってしまったのである。


「……このままポートタウンに向かうのは危険かもしれんな。飛行船か高速艦で大量の人員を先回りさせているかもしれん……」


クィーンが"モスは機構軍に下った"という偽装情報を流してくれているはずだが、あの女なら見抜く可能性がある。モスはイスカの謀略巧者ぶりをよく知っていたが、逆に言えば、イスカも工作員としてのモスのやり方を熟知しているという事である。


「……やはり、いかなる場合もプランBは必要だ。」


海図を卓上に広げたモスは、ポートタウン近郊の海と地形を調べ始めた。密輸船に据え付けられた救命ボートで他所へ上陸するプランも必要だと考えたのである。


熟練の兵士でもあり、優れた兵士でもあるモスは、船室の中にいながら甲板の喧騒を聞き取る事が出来た。嫌な予感がしたモスは、船室を出て甲板へと急ぐ。


「何があった!」


化外人の船長は、鱗に覆われた手で水平線の向こうを指差した。


「小っこいヘリが近付いて来る。一体なんだってんだ?」


のヘリだと!?」


密輸船は本土から十分に離れた外洋を航海中である。小型ヘリの航続距離を考えれば、おかから飛んで来た筈はない。ヘリを搭載可能な艦船から飛来したに違いなかった。


「船長!対空砲を準備しろ!急げ!」


「慌てんなよ、客人。二人乗りのヘリで摘発に来る訳がねえ。」


「一騎当千の兵士が乗っていれば可能だ!この船に対空砲はないのか?」


「そんなもん載せてる訳ねえだろう。変種クジラが出た時用の銛ならあるが……」


船首に取り付けられた銛の台座に座ったモスは、大声で回頭を命じる。


「船首を回せ!それから船員を全員デッキへ呼び寄せろ!グズグズしてると皆殺しにされるぞ!」


「おいおい、あのヘリには悪魔でも乗り込んでるってのか?」


「悪魔なんて可愛いもんじゃない!いいから急げ!」


船に乗り込んだ後、モスは自分の腕前を実地で船長に見せておいた。腕が立ちそうな船員を数人、素手喧嘩でノックアウトしたのである。この手の手合いは強い相手には態度を変える事を知っていたからだ。


「野郎ども、デッキに上がって来い!敵襲だ!」


ツワモノのゲストが血相を変えた様子に事態の深刻さを感じた船長が伝声管に向かって怒鳴ると、化外人の船員達が武器を手に甲板に駆け上がって来た。


瞳の望遠機能を最大にしてヘリのコクピットを確認したモスは、予想通りパイロットが鷲羽クランドであると知り、背筋に冷たい汗が流れた。クランドが操縦しているなら、後部座席に乗っているのは、裏切り者のあの女に違いない。


「外せばマズい事になる!頼むから当たってくれよ……」


幸いな事に、ヘリは低高度で密輸船に近付いて来る。クジラ用の大銛で狙えなくはない。モスは冷静に、慎重にヘリに狙いを定める。


「今だっ!喰らえ!」


ロープが結わえられた銛は回避しようと旋回するヘリを捉えたかと思われたが、横向きになった後部座席のドアを蹴り開けて宙に舞った女が尖った鉄塊を一刀両断し、甲板にヒラリと舞い降りる。


「お、おまえは同盟軍の"軍神"イスカ!」


大物の出現に驚いた船長だったが、軍神は財閥の総帥でもある事を思い起こし、生け捕りにすれば巨額の身代金を取れると算盤を弾いた。


「バカが、ちょっと戦場で名を上げたぐらいでいい気になって、たった一人で飛び込んで来るとはな!野郎ども、痛めつけてもいいが殺すなよ!コイツは金のなる木だ!」


船員達は一人で甲板に降り立った女を取り囲んだが、囲まれた女は平然としていた。


「海賊もどきが私を生け捕りにしようとは笑わせる。そんなヌルい考えは捨てて、殺す気でかかってこい。心構えに関係なく全員死ぬのだが、まだしも悔いは少なかろう。」


「能書きはそれだけか!やっちまえ!」


船長の号令を合図に、荒事に慣れた船員達は前後左右から同時攻撃を仕掛けたが、前から仕掛けた船員は近付く事も出来ずに睨み殺された。


「な、なんだ!? 何が起こった!!」


動揺する船長にモスが警告する。


「その女は邪眼使いだ!決して目を合わせるな!」


正面の船員を悶死させた軍神は、三方からの包囲攻撃をものともせず、一振り一殺で殲滅を開始した。


奴らが殺されている間に逃げるべきだとモスは考えたが、ヘリの発射したミサイルで右舷の救命ボートが破壊される。左舷の救命ボートはまだ無事だったが、神兵はクレーンを使う暇など与えないだろう。第一、対空砲のない救命ボートで海に逃れたところで、撃沈されてお仕舞いである。


"畜生!あの女は、船がこの海域に入るのを待っていたんだ!"


モスは自分が泳がされていた事を悟った。真っ当な交易船が行き交う航路からは大きく外れ、周囲に島もなく、遠洋漁業の漁場でもないこの海域なら、どこにも逃げられない。軍艦の砲撃で密輸船を撃沈すれば終わりなのだが、わざわざ乗り込んで来たのは、"自分の手で裏切り者を始末する"つもりだからだ。


"生き残るにはここであの女を殺すしかない!……ダメだ。勝てる訳がないし、そもそも無意味だ"


奇跡が起こってイスカを殺せても、軍艦が近くにいるはずで、砲撃されるに決まっている。イスカを生け捕りにして人質にすれば、という考えはモスにはない。荒事に慣れているとは言っても、所詮は素人。俺が加勢したところで勝つのは不可能で、生け捕りなど論外。


"クソが!どの道生き残るには奇跡が必要だってんなら、まだに賭けるしかねえ!"


甲板で繰り広げられる地獄絵図から目を背け、阿鼻叫喚に耳を塞いだモスは、一目散に格納庫へと走った。


──────────────────────


ダイビングスーツを着込み、酸素ボンベを2本背負って、水と携帯食を入れた防水バッグを抱えたモスは、格納庫の壁にある開閉ボタンを押した。


ギギギ、と耳障りな音を立てながら床のハッチがゆっくりと開いてゆく。水中に隠れて捜索に来た潜水艇を奪い、交易船が行き交う航路にある無人島まで逃亡する。モスの起こせる奇跡はそれしかない。


"戦役の後始末をせねばならん軍神は、短期間しか捜索の指揮を執れないはずだ。あの女さえいなければチャンスはある"


水中に隠れたところで、この海域なら大海原で溺死するしかあるまいと引き揚げられたら一巻の終わり。賭けに勝って捜索隊が出されても、ダイバー1人で武装した潜水艇を奪うのも、追って来る軍艦から逃げ切るのも至難。


さらに奪った潜水艇の航続距離の範囲内に無人島があるかも定かではなく、島があったところで海兵隊の捜索から身を隠さなければならない。上手く潜伏しおおせたところで、交易船が近くを通るかは運次第である。


針の穴をいくつも通すような逃走プランだったが、それでもよりは遥かにマシであった。


「油ぐらい差しとけ、馬鹿野郎が!」


開きの遅いハッチを蹴り上げたモスは水中に飛び込もうとしたが、生存への扉である水面が目の前で凍りついてゆく。表情を凍らせたモスは、格納庫の入り口に視線を向けた。


「惜しかったな、モス。もう少しだったが、ここで終わりだ。」


血に濡れた刀と長脇差を手にした女は、構えも取らずにモスに歩み寄る。


「そのようだ。あの雑魚どもに、時間稼ぎを期待するのは酷だったらしい。最後に一つだけ教えてくれ。なぜ、俺の足取りを掴めたんだ?」


「協力者がおまえを売った。他に答えがあるのか?」


「よせよ。俺を売る気なら、棺桶並みにクソ狭い隠し倉庫に隠れてる時に売ればいい。それなら抵抗されずに済む。」


モスがクィーンを疑わなかったのは信じているからではなく、工作員として培った合理性が理由だった。結局のところ、オズワルトはアマンダを信じ切れてはいなかった。異母弟に裏切られた時に信じる心を失い、取り戻せないままでいたのだ。


「では取引だ。私はおまえの質問に正直に答えてやる。おまえも私の質問に正直に答えろ。」


「わかった。答えを教えてくれ。」


「おまえが機構軍や兵団を信じるとは思えなかった。保護を拒否したならば逃亡するしかなく、行き先は化外に違いない。使うのはだ。そしてシェーファー・モスは、炯眼ベルゼの動向調査を行っていた。ここまで言えば、わかるのではないか?」


「なるほど。アンタは俺の逃走ルートを探るのではなく、炯眼の渡航ルートを探らせたのか。俺が奴のルートを使うに違いないと読み切っていた訳だ。」


死んだテロリストに義理立てする者などいない。奴の密輸ビジネスに関わりがあった囚人から、この船の情報を入手したのだろう。減刑アメ脅迫ムチかはわからないが、この女は両方とも得意としている。


「そういう事だ。では私の質問だ。なぜ、中止命令に従わなかった!!」


「質問ではなく詰問だな。まあいい、正直に答えてやるよ。なぜ中止命令に従わなかったか、それは……東雲刑部が俺の人生を狂わせたからだ!アンタだってそうだろう!奴がアスラ元帥を暗殺しなければ、こんな戦争はとっくに終わっていたんだ!御堂アスラは世界の統治者となり、娘のアンタはその後継者だったんだぞ!」


「…………」


「全部奴のせいだ!東雲刑部がアスラ元帥を暗殺したせいで、俺の家族は悲惨な末路を遂げ、アンタは三元帥に振り回されて、統治の後継者どころか、少将に甘んじてる!」


長脇差を鞘に納めたイスカはポケットから煙草を取り出し、火を点けた。そして紫煙と共に辛辣な台詞をモスに叩き付ける。


「……なんともはや、動機はだったか。オズワルト・オルセンの人生が狂ったのは、叔父上のせいではなかろう。おまえの父親はトガの不興を買って退役を余儀なくされたのかもしれんが、生きていたのだ。軍に未練があったにせよ、家族の為に新たな人生に向き合うべきだった。軍を追われた旧一角兎連隊の隊員には、民間で成功した者も多い。酒に溺れ、列車に跳ねられたのは自分の責任だ。」


「黙れ!財閥に守られてきたアンタに親父の、俺の何がわかる!」


「おまえに私の何がわかるのだ? 常に偉大な父親と比較され、懸命の努力で為し得た事を"アスラ元帥の娘なら出来て当然"と見做される虚しさ!歯を食いしばってハードルを越えても、より高いハードルが用意される無間地獄を味わってみるか!」


御堂イスカは父親に比肩する天才である。だが、天才であろうとあらゆる事を難なくこなせる訳ではない。強くあらねばならなかった英雄の娘は、研鑽も苦悩も他人に見せず、完璧を演じてきた。そんな姿に心酔した支持者達は、彼女にさらなる重荷を背負わせ続けてきたのである。


「その虚しさも地獄も、東雲が原因だろうが!父の仇と話し合う必要などない!」


「そうだとしても叔父上を裁く権利があるのは私で、おまえではない。しかし間の抜けた復讐劇だな。関わりのない叔父上をナバスクエスに売って、おまえの父親を軍から追放したトガは取り逃がすとは。」


軍レベルの通信機器など備えていない密輸船に乗っていたモスは、外洋に出てからは情報から隔絶されていた。


「なんだと!? トガは生きているのか!機構軍の…」


「捕虜にもならず生還した。権力者としては死んだも同然だが、老い先短い命だけは永らえたようだな。」


「おい、奴を監獄に送るんだろうな!」


「そうしてやりたいところだが、カプランがいい顔をせんだろうな。ま、トガの行く末などおまえが気にする必要はない。さて、選択の時間だ。自刃するか、私に殺されるか、どちらにするのだ?」


機構軍に捕まるか殺されるかだと思っていたトガは、無事に帰還した。骸骨戦役で大勝利を収め、発言力が増したカプランが擁護に回れば、高齢とこれまでの功績を鑑みて恩赦が出される可能性がある。権力を失ったとはいえ、兎我忠冬が平穏な引退生活を送るなど、モスには許せない事だった。


何としてでも生き延びて中心領域に戻り、トガに復讐しなければならない。モスが生き延びる為には…


「今だ!撃てっ!」


叫びに反応したイスカが背を向けた瞬間、モスはベルトのナイフを抜いて斬りかかった。


「……そんな手が私に通用すると思ったのか?」


逆手持ちの絶一文字に心臓を貫かれたモスは、血を吐きながらよろめき、仰向けに倒れた。


「……部下が勝手にやった……叔父を殺したのは私ではない……そんな言い訳は通らんぞ……ア、アンタはもう……戻れない……んだ……」


割れた呼吸の合間に、モスは怨嗟の台詞を並べた。言い訳も後退もしない女は、死にゆく男に冷酷な瞳で答える。


「戻る気などない。叔父上を殺したのは私だ。私がお膳立てしなければ、おまえは何も出来なかったのだからな。」


「……じ、地獄で……待って……る……ぜ……………」


誰よりも彼女を愛した東雲刑部ならば、"イスカは泣きたい時ほど強がって見せるのだ"と察したに違いないが、もうこの世にはいない。


イスカは知らなかったが、刑部は知っていた。最後の会話の途中で、愛娘の"責任の一端があるなら言い訳せず、全てを背負って悪ぶって見せる態度"に気付き、"私を許すつもりでいたのに、手違いが起きたのだ"とわかっていたのである。



イスカは言い訳も後退もしないが、後悔しない訳ではない。激情に駆られて謀殺を企んだ事は、彼女の心に暗すぎる影を落としていた。


※「クローン兵士の日常」のフォロワー10000人突破を記念して、リリスのイラストを頂きました!近況ノートにアップしましたので、是非御覧ください。スゴくいい出来です。

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