愛憎編52話 半旗を掲げよ



中将と連絡がつかなくなった事を危惧していたが、危惧は最悪の結果としてもたらされた。眼旗魚のメインスクリーンには、機構軍の官営放送の映像が映し出されている。


原型を留めないほど大破した瑞雲を背景に、亡骸の襟首を掴み、兵達に掲げて見せるナバスクエスの姿……


……ロドニー・ロードリックは"強者への礼節を守る強者"だが、同じ強者でも、ホレイショ・ナバスクエスはそうではないらしいな。喜べ、おまえはオレの"処刑リスト"のトップに名を連ねたぞ。機構軍に寝返ったKより序列は上だ。オレがこの手で始末してやる。


「見よ!"軍神の右腕"東雲刑部は機構軍元帥にして完全適合者、"獣神"ナバスクエスが討ち取った!叛乱軍に告ぐ!余の前にひれ伏せ!さもなくば貴様らも死体を吊される事になるぞ!」


……中将の戦死は現実だ。最悪の結果を受け止めるしかない。内通者がいたのか、それともトガがヘマでも仕出かしたのか……


「……少尉、命令を。悲しみに耽る時間は、私達にはないわ。」


驚愕し、悲嘆に暮れるブリッジクルーの中で、最初に冷静さを取り戻したのはリリスだった。


「ノゾミ、人狼に通信を繋げ。」


「……イエッサー。」


今のオレは3万余の命を預かる指揮官だ。個人的な感情は後回しにしなくてはならない。何故こうなったか、ではなく、これからどうするか、を考えなければならないのだ。勢いに乗るナバスクエス師団の次の標的は、カプラン師団なのだから……


「……カナタ君、機構軍の情報操作の可能性はあるかね?」


スクリーンに映ったカプラン元帥の顔は青ざめていた。海千山千の論客でもこれだ。将兵に与える影響はもっと大きいと考えなくてはならないな。戦意を回復させるところから始めるべきだろう。


「……ありません。あれが遺体ではなかったとしても、中将が囚われの身になったのは間違いないでしょう。ですが……首筋の深い刀傷からの出血が止まっていました。おそらく……」


……流れる血がもうない、と考えるべきだ。


瑞雲との交信が途絶え、オトリになったはずの兎足王は網にもかからず南下中。つまりナバスクエスは疑似餌を見抜き、救出に向かった第二師団分隊に的を絞ったというコトだ。


「……生け捕りにしたのなら、あんな晒し方をする必要はない。まさか"軍神の右腕"が、あんな最後を遂げるとは……」


カプラン元帥も現実を認めざるを得なかった。徹底したリアリストの彼ですら、受け入れ難い悲劇だったのだ。


「……カプラン元帥、半旗を掲揚させてください。」


「うむ。全軍、半旗を掲げよ!カナタ君、すぐに人狼に来てくれたまえ。緊急作戦会議を開くぞ。」


「はい。シオン、シズル、ここは任せた。皆の手を借りて、兵士の動揺を最小限に留めろ。」


ダーはい!」 「ハッ!お任せください。」


事態が事態だけに、"動揺するな"と言っても無理だ。リスクコントロールの基本は"出来ない事をさせない事"だと親父が言っていた。ならば、動揺を最小限に留める努力をする他ない。


───────────────────


人狼の作戦室には険しい顔の幹部が集まっていた。ビロン師団からはシモン・ド・ビロン少将と特別参謀のギャバン少尉。ドラグラント連邦・本島有志軍からは犬飼大佐と錦城大佐。階級が並ぶ二人が送り込まれたのは、オレが指揮を執るように、帝の詔勅が出ているからだ。


カプラン師団からの参加者は、カプラン元帥と副師団長のダン・ヴァン・ゴック准将。ダン准将は元は機構軍の軍人だったが、カプラン元帥(当時は大将)の説得に応じ、部下と一緒に投降した。カプラン元帥は浅黒い肌の降将を重用し、ダン准将も黙々と(本当に無口なのだ)元帥を支えているという話だ。


「皆、よく集まってくれた。まずは生存を祈りつつ、黙祷を捧げよう。」


カプラン元帥は僅かな希望を抱きつつ、悲しげな顔で黙祷する。


「機構軍の官営放送を鵜呑みにした訳ではないが、状況から見て東雲中将は戦死された可能性が高い。トガ師団を破り、軍神の右腕まで討ち取って勢いに乗るナバスクエス師団をどう迎え撃つかが問題だ。我々の選択肢は二つ、このまま野戦を挑むか、ガルガランダまで退いて籠城するかだ。」


黙祷を終えた"麒麟児"が問題を提起し、"帝の番犬"が答えた。


「知れた事だ。野戦で奴らを打ち破ればいい。メクス人どもに照京兵の強さを見せてやる!」


グンタは感情的に物事を考える傾向がある。釘を刺しておこう。


「錦城大佐は勢いに乗る敵軍に真っ向からぶつかる危険性を指摘しているんだ。寄せ集めの連中もいるが、少なくともナバスクエス師団の中核は精強と見ねばならん。」


「ハッ!しかし我らストレイドッグスや竜騎兵を擁する照京軍も奴らに引けは取りません。神難、尾羽刕からも精鋭部隊が派遣され、何より有志軍の指揮を執られるのは、戦術無敗の"龍弟公"なのですから!」


こんな事になるなら"鯉幟軍団カープストリーマーズ"も連れて来るんだったがな。とはいえ、姉さんの身の回りを手薄にする訳にはいかないか。


「カナタ君が指揮を執るのは有志軍ではなく全軍だ。シモン少将、ダン准将、それで構わないね?」


命令ではなく了承を得ようとするのが、実にカプラン元帥らしい。常に合意の元で動こうとするのは、美点と言えるだろう。


「公爵以上の戦巧者はいない。兵士の為にも指揮を委ねるべきでしょう。」 「………」


ビロン少将は言葉で、ダン准将は無言で頷き、元帥の提案に賛同した。


「うむ。では混成師団の指揮は龍弟公が執る。コンセンサスを得られたところで……おっと。主戦論を唱えそうな男が会議に参加したいようだね。」


カプラン元帥が戦術デスクに手をかざすと、充血した目のウタシロ大佐の上半身が卓上に現れる。


「……天掛特務少尉、今……僅かに生き残った分隊兵士から連絡が入った。中将は瑞雲に残り、兵士達に撤退ルートを指示されていたそうだ。前後の状況から見て、中将は……東雲中将は……」


誰よりも東雲刑部の死を認めたくない男は言葉に詰まった。言葉にすれば、本当に戦死が現実のものになりはしないかと思っているのだろうか?


龍ノ島でも日本のように、不吉な事は口にしないという言霊文化がある。いや、雅楽代玄蕃は残酷な世界に生きる軍人、迷信じみた考えなど持たない。そんな彼でも、兄と慕った中将の死だけは、認めたくないのだろう……


「ウタシロ大佐、我々も生存を願っているが、東雲刑部は戦死したと考え、作戦を話し合っている。私は同盟軍元帥として戦時特例措置を発布する。すなわち、雅楽代玄蕃を第二師団師団長に任命し、将官としての権限も付与する。正式な辞令は戦役後になるが、宣誓を行いたまえ。ここにいる者が立会人だ。」


「第二師団の長は東雲刑部以外にあり得ません!小官はあくまで、代行として任務を拝命…」


「ウタシロ大佐!キミも軍人なら、現実と戦いたまえ!悲嘆に暮れるのは戦役が終わってからだ!指揮官がそんな有り様では、兵士達はどうなる!東雲刑部が愛し、育て上げた精鋭を無駄死にさせる気か!」


カプラン元帥に叱責されたウタシロ大佐は涙を堪え、歯を食いしばりながら敬礼する。


「ハッ!……私、雅楽代玄蕃は同盟憲章を遵守し、栄えある同盟軍人の一員として、国家と国民の為…」


ウタシロ大佐が師団長就任の宣誓を終え、会議は再開された。復讐に燃えるウタシロ大佐は当然、主戦論を展開する。


「我々は全速で北上しています。合流して、奴らに野戦を仕掛けましょう!ナバスクエス師団本隊は中将のいた東部に展開していたはず。奴らの南下よりも、我々の合流の方が早い。」


「ロベール、おまえはどう思う?」


父親に意見を求められた息子は、巻き毛を指に絡めながら答えた。巻き毛クルクルはギャバン少尉が考え事をする時の癖だ。


「斥候からの報告を受けてから判断すべきだけど、敵軍本隊が東部に展開しているのなら、僕達が東南に進路を取れば大佐の仰る通り、接敵よりも合流が早い。それはそれとして、誰もトガ元帥の安否は心配しないんだね。」


あ!そういやケチ兎もいたんだっけな。すっかり忘れてた。


「ギャバン少尉、トガ元帥の搭乗するステルス車両は中将との合流を目指していたのだ。つまり敵軍の真っ只中、我々にはどうしようもあるまい。」


カプラン元帥はそう言ったが、ギャバン少尉はさらに意見を述べる。


「だけどまだ、発見されていない。もし同盟元帥を捕らえたなら、派手に喧伝するはずです。ステルス車両のクルーが優秀なのか、トガ元帥が幸運なのかはわからないけれど、上手く隠れているんです。僕達が東南に進路を曲げず、真っ直ぐに東進すれば、獣人から獣神にランクアップした有頂天男でも、安穏とはしていられない。捜索を打ち切るか、規模を大幅に縮小して、こちらに向かって来るはずです。」


獣人改め、獣神ねえ。サンダーラ〇ガーかよ。なんだってまあ、誰も彼も神を名乗りたがるんだか。司令ぐらい才能がありゃ、神を名乗ろうが構わんがね。会議が終わったら、二代目軍神と話しておかないとな。


……今回の件で一番ショックを受けてるのは、娘も同然の司令だ。兵団と対峙しているはずだが、大丈夫だろうか……


「ギャバン少尉、向こうは5万、こちらは3万だ。数的劣勢を補う為にも、第二師団と合流すべきだろう。」


黙って話を聞いていたダン准将が常識的な意見を述べ、別の観点からビロン少将が同調する。


「うむ。ロベール、そこまでしてトガ元帥を助ける必要があるまい。元はと言えば、新兵器を過信した閣下の愚行が原因だ。」


集中しろ、オレは混成師団を第一に考えなきゃいけない立場だぞ。司令の傍にはアスラの先輩達がいる、上手くやるはずだ。隙を見せない限り、兵団だってアスラ部隊には仕掛けて来ない。


「僕も第二師団と合流するのが王道だと思う。だけど、剣狼カナタは王道より邪道を得意とする指揮官だ。今回のようなケースで、何の策もなく戦いに臨むとは思えない。そろそろ考えを聞かせてもらえないかな?」


ギャバン少尉はオレのやり方を良く知っている。トガ師団の侵攻が急だったから、準備の時間は乏しかったが、なかった訳じゃない。勝つ為の手立てを講じてから、ここに来たんだ。


「カナタ君、考えがあるなら聞かせてくれたまえ。総指揮官はキミだ。」


カプラン元帥にも促されたので、自分の考えを述べる事にする。


「野戦を挑みます。いえ……挑まれる、ですかね。決戦場はここだ。」


オレが戦術デスクに表示された地図のとある地点を指差すと、幹部達は首を傾げてから互いの顔を覗き込む。戦術的にも有利とは言えず、不吉な場所でもあったからだ。



……この戦いには必ず勝つ。ホレイショ・ナバスクエスよ、中将が生きていれば助命してやらん事もないが、殺していたならおまえの血で贖ってもらうぞ。

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