愛憎編51話 紅に染まる空、たなびく雲


※シノノメ・サイド


瑞雲から見える朱色の空とたなびく雲は、東雲刑部に悲しい記憶を思い起こさせた。心の底から慕い、この身の全てを捧げると誓った男を殺めた日も、朱に染まったかのような夕空だったからだ。


"……刑部、気にするな……おまえは何も悪くない……後は頼んだぞ……"


アスラ元帥の最後の言葉、その意味を刑部はずっと考えてきたが、未だに答えは出ない。本心だったのか、それとも幼い娘の身を案じ、心を偽ったのか……


「兎足王から通信はないか?」


心の迷宮から任務に立ち戻った刑部は、通信手に質問した。そろそろイナバ艦長率いる残存部隊が、ナバスクエス師団に捕捉されるはずである。トガ元帥は五人の精鋭兵と共にステルス車両に乗り換えて東進、イナバ艦長は最大戦速で南下。それが刑部の授けた策であった。


ナバスクエス元帥は胆力に欠けるトガ元帥が旗艦を捨てて、オトリにするとは思わないだろう。残存部隊もそんな危険な役回りを引き受ける程の忠誠心はない。ゆえに、兎足王を守る護衛艦のクルーにも、元帥の脱出は知らせていないのだ。


「ありません。隘路を抜けたら、こちらから通信を入れてみますか?」


瑞雲と数隻の護衛艦は切り立った峡谷の間を通って合流地点に向かっている。少数艦隊といえど、見晴らしのいい平原を進めば、発見されるリスクが跳ね上がるからだ。


「うむ。拿捕されるのはまだ先にしても、イナバ艦長が捕捉された事に気付かないとは思えん。」


捕捉もされていないのであれば、追撃がヌルいという事だ。ナバスクエスの性格と力量を考えれば、まずあり得ない事である。通信は最低限に留めなくてはならないが、刑部はイヤな予感がした。歴戦の兵士でもある東雲刑部は、直感を軽んじない。巧遅と拙速を使い分けてこそ、真の軍人である。


刑部は沈思黙考型の指揮官だが、決断すれば行動は早い。峡谷を抜ける前に状況を確認すべきだと考え、即座に命令を改めた。


「※リレーカイトを射出。今すぐ兎足王に通信を入れてくれ。舞姫にもだ。」


陸上戦艦"舞姫"は刑部の腹心、雅楽代玄蕃の船である。ウタシロ大佐は第二師団本隊を率いて北上の最中にあった。


「イエッサー、リレーカイト射出。兎足王、舞姫と通信を開始します。……通信、繋がりません。リレーカイトの高度を上げて再度…」


通信手が報告を終える前に、技術士官席に座っていた樽戸たると大尉が色をなして叫んだ。


「電波障害じゃない!電波欺瞞だ!閣下、我々は通信妨害を受けています!」


「総員、第一級戦闘態勢!瑞雲及び各艦、索敵範囲を大幅に拡大せよ!」


索敵は入念に行ってきたが、タルト大尉の言葉が事実であれば、敵は索敵範囲の外から電波妨害を行っている事になる。


"広範囲をカバー出来る電波欺瞞装置を使用するには相応の部隊が必要、つまり……"


最悪の事態を予測した刑部は迷わず、次の命令を下した。


「信号弾を放て!白鮫に危機を知らせなければならん!」


白鮫とはトガ元帥を乗せたステルス車両のコードネームである。


「信号弾を使えば、艦隊の位置を知らせるようなものです!」


タルト大尉は危険性を指摘したが、もうそういう段階ではない。東雲刑部は危険性云々ではなく、既に危機的状況にある事を理解していた。


「もうこちらの位置は知られている!信号弾、放て!」


どこから情報が漏れたのか、刑部の頭に当然の疑問がよぎったが、詮索している暇はない。


「はい!信号弾、発射!……閣下!後方4キロの地点から爆発音を探知!」


オペレーターの報告で刑部は確信した。自分達は罠のド真ん中にいるのだと。


「前方からも爆発音がするはずだが構うな!分析班、峡谷の地図を出せ!小型車両が通れる脇道を全て、割り出すのだ!」


自分が待ち伏せするなら、設置した爆弾で崖を崩して進路と退路を断ち、ヘリで強襲部隊を送り込む。いや、近くに敵影がなかったという事は……


「艦橋の防護シャッターを下ろせ!曲射砲の砲撃が来るぞ!」


準備する時間があり、正確な位置を割り出せているのなら、移動式曲射砲タランチュラを使わない理由がない。強化ガラスを覆うシャッターが下り切る前に、巨大榴弾が着弾する。


「二番艦被弾!損害は不明!」 「左右から大量の落石が!このままでは前進も後退も難しくなります!」


切り立つ崖に挟まれた隘路だけに、十分な回避行動も取れない。合間を狙い撃つ側も難しいはずだが、敵は射撃精度をカバーする為に、数の力を借りていた。トガ師団に奪還された都市を攻略する為に、ナバスクエス師団は大量のタランチュラを準備していたのだ。


「総員、ありったけの車両に分乗し、艦から脱出せよ!退避ルートは追って指示する。だが、どのルートにも敵が待ち伏せしているはずだ!」


「閣下も早く脱出を!」


艦長は刑部に脱出を勧めたが、"軍神の右腕"は首を左右に振った。


「退避ルートの割り出しが先だ。それに……敵の狙いは私だろう。」


地形を変えてしまうような猛爆が容赦なく降り注ぎ、運の悪い事に数発の徹甲榴弾が瑞雲を直撃する。


「主電源ダウン!」 「予備電源への切り替え急げ!」 「衛生兵、こっちに来てくれ!オペレーターが負傷した!」


アレス重工の建造した名艦は榴弾の雨にも耐えたが、無傷とはいかない。榴弾は艦橋にも命中していたからだ。


「左舷のキャタピラが破損!閣下、瑞雲は航行不能です!」


負傷したオペレーターに代わって席に着いたタルト大尉が、艦の状況を刑部に報告する。刑部は報告を受けながら、床に倒れた分析班に代わって退避ルートを選定、脱出した兵士達に向かって指示を開始した。


「よし、ブリッジクルーも退避せよ!無傷のクルーは負傷兵を担げ!」


足の止まった瑞雲を、さらなる砲撃の雨が襲う。着弾の衝撃で激しく揺れる船内、剣術と体術に長けた刑部以外は誰も立ってはいられなかった。そしてブリッジクルーの全員が、倒れたまま立ち上がれない。天井に空いた大穴から、追尾機能付きの多弾頭対人ミサイルが撃ち込まれてきたからだ。刑部を除けば念真強度の低いブリッジクルーは、対人兵器の奇襲に為す術がなかった。


大穴からは、大型輸送ヘリから降下を行う機構兵の姿が、目視で確認出来る。友軍の砲撃で撃破される可能性もあるのに急行してきた命知らずの敵部隊に違いない。


「……閣下……崖の上に……敵影あり………決死隊と思われ……ます……」


オペレーターシートに座ったままのタルト大尉が最後の報告を行い、静かに目を閉じた。ミサイルの破片が大尉の首筋に刺さり、流れる血がシートを汚してゆく。気を失ったのか息絶えたのかは定かではないが、もう助からない事は刑部にもわかった。


自刃するか戦うかを迷った刑部だったが、一人でも多くの兵士を逃がす為に最後まで戦うべきだと決意し、死臭の立ちこめるブリッジから出ようとする。そんな彼を呼び止めたのは、亀裂の入ったメインスクリーンだった。


"電波欺瞞が解除されたという事は、ナバスクエス元帥からの降伏勧告だろう"


降伏する気などないが、口上ぐらいは聞いてやろうと振り返った刑部の目に、持ちうる全ての愛情を注ぎ、育てた女の姿が映る。


「……叔父上……愛する者に裏切られた気分はどうですか?」


刑部は倒れ伏したブリッジクルーの死体を見回してから答えた。


「……イスカ、こんな事をする必要はなかった。おまえに"死ね"と命じられたら、私は喜んで命を捧げていたのだ。」


この会話が漏れたら大変な事になると刑部は危惧したが、そんな事はあり得ないと思い直した。万が一もないからこそ、イスカは通信を入れてきたのだ。ナバスクエスを操って電波欺瞞を差配したのは、二代目軍神に違いない。瑞雲の記録装置を含め、全てを闇に葬る手筈がついたからこそ、最後に話しておこうと思ったのだろう。


「私は!愛する者に裏切られた気分を聞いているのだ!答えろ!」


東雲刑部は、長年探し求めてきた答えを見つけた。彼は穏やかな笑みを浮かべて、最愛の娘に答える。かつて御堂アスラが、東雲刑部にそうしてくれたように……


「私の事など気にするな。おまえは何も悪くない。……この星の未来を、御堂イスカに託す。」


アスラ元帥の最後の言葉、あれは本心だったのだ。今の私がそうであるように、一片の曇りもなく、愛する者に未来を託す。元帥は私に、私はイスカに……


「………」


この世の誰より御堂イスカを理解している男は、言葉を聞かずともその顔色で、事の顛末を悟った。冷徹な仮面の裏に、泣き出しそうな素顔があると知っていたのである。言い訳するぐらいなら悪女ぶって開き直る性分も、昔からであった。


……やっと重荷を下ろせる時が来た……アスラ元帥、段蔵さん、私は自分の役割を全う出来ましたよね?……


刑部は晴れ晴れとした表情で愛刀を抜き、己が首筋にあてた。


「……さらばだ、イスカ。最愛の娘よ……」


復讐を遂げようとする女の顔が強張り、自刃する男の顔は晴れやか。復讐劇の終幕には似つかわしくない光景であった。


「叔父上!私は…」


氷の仮面を脱ぎ捨てたイスカは、刑部の最後を見届ける事は出来なかった。刑部よりも先に、奇跡的に動いていた通信装置が息絶えたからだ。


穏やかに死を待つ刑部の目に、二人の男の姿が映る。それは死を目前にした男が見た幻覚なのか、それとも苦悩に満ちた人生を歩んだ男への光明なのか、誰にもわからない。


"……刑部……苦労をかけたな……" "……さあ……一緒に行こう……"


「……アスラ元帥……段蔵さん……私を……迎えに来てくれたのですか?」


刑部の目の前には、光の回廊が広がっていた。淡い光に包まれた二人の英雄は、優しく声をかけてくる。


"……当たり前だろ?……俺にはおまえが必要なんだ……" "……アスラのお守りは刑部の仕事だからな……"


苦労人は震える手を伸ばしながら微笑んだ。


「……はい。どこまでも一緒に……でも……あまり困らせないで……くださいね…………」


東雲刑部は少年に戻ったかのような屈託のない笑顔を浮かべ、静かに息を引き取った。



"軍神の右腕、死す"、凶報は生者の世界を駆け巡る。それは長きに渡って続いた戦争の、終わりの始まりでもあった。


※リレーカイト

飛行する通信補助装置。障害物が多く、電波状況の悪い場所で使用します。

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