愛憎編50話 貴公子と魔術師



※K・サイド


トガ師団が崩壊する前に戦域を離脱していたノーブルホワイト連隊は、北東に船首を向けて逃走していた。防御とは受けと避けの技術で、防御戦術を得意とするKは避け、悪い言い方をすればの戦術にも精通していた。


Kは敗走するトガ師団は来た道を引き返すに違いないと考え、ジャガーは兎を追うはずだと読めてもいた。ならば一見、危険に見える敵中突破こそが、実は最も安全であると考えたのである。要はトガ師団残党をオトリにして自分達は難を逃れる、ただそれだけだ。


……しかし、そんなKの思惑を読み切っていた者がいた。


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ノーブルホワイト連隊の旗艦、"永遠の王エタニティ・ロワ"の艦内では騒ぎが起こっていた。敵の斥候と思われる男を捕らえ、ブリッジに連行したのはいいが、男は手錠を外して左右に立っていた屈強な隊員二人を一瞬で無力化させたのだ。


「総員、銃を抜け!発砲を許可…」


医療ポッドで治療中のKに代わって指揮を執っていたメリアドネが命令を下す前に、彼女の喉元に遊戯札が突き付けられていた。


「動かないでください。これは掛け値無しの切り札トランプですよ?」


男は人差し指と親指で挟み持った遊戯札を喉元に突き付けたまま、中指と薬指に挟んでいた遊戯札を投擲した。端部がカミソリになっている札は舵輪の周りに取り付けられている取っ手を一つ、綺麗に切断し、艦橋の床に木片が転がる。


「…あ、あなたは兵団の…」


変わった武器を使う兵士はそれなりにいる。だが、遊戯札を武器にしている男は一人しかいない。


「bingo!普通に挨拶したかったのですが、手荒い挨拶が先になってしまいましたね。」


空いた左手で下顎に手をかけた男は、人工皮膚のマスクを剥ぎ取った。


「魔術師アルハンブラ!いくら手練れでもたった一人で戦艦に乗り込んで来るとはいい度胸ね。私を殺したら、生きては出られないわよ?」


ハッカーとしては一流でも、兵士としては二流のメリアドネは精一杯の虚勢を張った。


「さて、それはどうでしょうね。フフッ、安心してください。私は交渉しに来たのです。殺し合う前に話を聞くと約束してもらえれば、解放しますよ。武器を突き付けながら話し合いなんて、ナンセンスでしょう?」


「約束するわ。サッサと解放してもらえるかしら?」


「ミス・メリアドネ、残念ながら貴女に決定権はない。治療中の彼を呼んでもらえますか?」


戦傷の癒えていないK様を殺すつもりではないか、とメリアドネは訝しんだが、アルハンブラはそんな彼女の思惑はお見通しだった。


「Kを殺すつもりだったら、ノコノコ艦橋まで連行されたりしませんよ。艦内に入った時点で見張り役を殺して、医務室に向かっていたでしょう。」


最初に倒された二人が生きているのを確認したメリアドネは、アルハンブラの言葉を信じる事にした。ブリッジにいる衛生兵に、"K様を起こして艦橋に来てもらいなさい"と命令を下す。


メリアドネにとっては長い10分だったが、アルハンブラにとってはそうでもない。魔術師は成功を確信していたからだ。


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「キミが"魔術師"アルハンブラか。スラムで生まれたとは思えないほど気品があるね。もしかしたら貴族の落胤だったのかもしれないな。」


Kは褒めたつもりなのだが、まったく褒め言葉にはなっていない。アルハンブラ・ガルシアパーラは上品な顔立ちをしており、トレードマークの綺麗に整えられた口髭と片眼鏡モノクルも相俟って、そこらの貴族よりよっぽど貴族らしい風貌をしているのは事実だったが。


「お褒めに預かり、恐悦至極です。」


スラムで生まれたのはお互い様でしょう、アルハンブラは心に秘めた毒を一切、表には出さずに片膝を着いてKを出迎えた。人質を手放した魔術師を無数の銃口が取り囲んだが、慌てる風もない。


「銃を下ろせ。話を聞こう。」


最上級の礼を以て出迎えられたKの心には、寛大さが生じていた。もちろん、アルハンブラはそれを計算の上で臣下の礼を取ったのである。


「まず、ノーブルホワイト連隊は危機的状況にある、という事をお知らせしておきたい。」


アルハンブラは恭しくそう告げたが、Kは額面通りには受け取らなかった。


「ナバスクエスに僕達の現在位置を教えたという事かい? だったらわざわざ乗り込んで来る必要はない。つまり、包囲網は完成していないんだ。」


「仰る通りです。私が申し上げたいのは、危機です。同盟軍は貴方を切り捨てるつもりですよ?」


「世界最強の貴公子である僕を切り捨てる? 同盟軍がそこまで馬鹿だとは思えないな。」


狂犬に負けた事をもう忘れたのか、とアルハンブラは思ったが、顔を上げてKの様子を鋭く観察する。


"……都合良く物事を考える男なのはわかっていましたが、記憶まで都合良く改竄するのかもしれませんね。いえ、ロドニーと戦った時より防御剣術は冴えていました。苦戦した経験を忘却したのなら、成長もしないはず。記憶していて活かしはするが、決して苦戦や敗北を認めない男、と考えるべきですね……"


戦闘力ではKに劣る魔術師だが、洞察力なら遥かに凌駕する。初めて会ったばかりのKの本質を一目で見抜き、心中でほくそ笑んだ。これなら話術を駆使する必要もない。おだててやれば、勝手に転ぶはずである。


「馬鹿ではないからこそ、カプラン元帥は貴方を処断する必要があるのです。"日和見"カプランは何かと理由をつけて、貴方を社交界に出そうとしなかったでしょう?」


「ああ。僕の高貴さを回復させると約束したから手を貸してやったのに、有耶無耶にされたんだ!」


誰だって、貴方を社交界に出したくありませんよ。自称貴族に紳士は眉を顰め、淑女は危険に晒されるのですから。アルハンブラは心の内とは真逆の台詞を、芝居がかった口調で告げた。


「そうせざるを得なかったのですよ。貴方が"バルボン朝の系譜に連なる公子"だと気付いた以上はね。」


魔術師の言葉は鎮痛剤よりも劇的な効果を発揮した。Kは背中の痛みも忘れて、歓喜に震えたのだ。


「ぼ、僕がバルボン朝の公子……魔術師!いや、アルハンブラ殿、それは本当なのか!?」


人生最大の吉報をもたらしてくれた男に対し、Kは最大限の敬意を払う事にしたらしかった。


「もちろんです。貴方の真の名は、カイルベール・ル・ソレイユ。ノワール朝に滅ぼされたバルボン朝で王位継承権を有していたソレイユ公国の末裔なのです。これでカプラン元帥が貴方を処断せねばならない理由はお分かりですね?」


Kの正体が父親不明の娼婦の子、ケルビン・トボンである事を知っている魔術師は嘲りを押し殺しながら、調略を進める。


「口先三寸が取り柄の交易商人だった癖に、バルボン朝を滅ぼした功績で侯爵位を得たのがカプラン家だ!」


数百年前にノワール朝はバルボン朝を滅ぼしたが、王朝交代の立役者は、包囲網を形成する為に暗躍したカプラン家である。歴史的に見れば、大貴族であるノワール家と懇意にしていた商人が、人脈を武器に暴君を打倒するべく決起しただけなのだが……


「ノワール朝の門閥貴族出身のカプランは、フラム人の正統な王を生かしてはおけません。戻れば確実に消されますよ?」


戻れば処刑されるのは事実であったが、それは王家の末裔だからではなく、敵前逃亡を図った元犯罪者だからである。条件付きの恩赦を得ていた者が、恩赦を取り消されれば、同盟憲章に基づき処罰されるのは当然であった。


「アルハンブラ殿、僕はどうすればいい?」


「窮地をお救いするべく、私が特使として参上したのです。二人きりで話したいのですが、よろしいですか?」


「もちろんだ。艦長室で話そう。メリアドネ、僕と特使殿にお茶を準備してくれ。サイロン産の最高級品だぞ。」


艦長室で二人きりになったアルハンブラは、"今なら私でも殺せそうですね"と思いはしたが、誘惑を振り払った。独断でKを始末してもセツナはさほど怒りもしないだろうが、この下衆は捨て駒として利用し尽くし、最高に無様な最後を迎えさせる方が面白いと思ったからだ。


「これを御覧下さい。」


アルハンブラは靴底の隠しポケットから、玉璽型に作られたホログラム投影装置を取り出し、Kの前で起動させた。


「これは電子書簡……"カイルベール・ル・ソレイユをフラム地方の正式な王として認め、地位と領土の回復に協力する。ロッキンダム王国国王、ネヴィル・ロッキンダム"……ネ、ネヴィル陛下が僕の王国を取り戻す為に協力してくださるのだね!」


電子詔書には、日付の隣にネヴィルのサインが記されており、国王印も押されている。


「はい。ですがこの電子詔書に記された内容は、公子一人の胸に留めてください。聡明な公子なら、意味はお分かりですね?」


「……なるほど。フラム地方は現在、帝国の版図に組み込まれている。フラム人の正統王朝であるバルボン朝が復活するとなれば、ゴッドハルトがいい顔をしない。同盟軍と敵対している以上、ネヴィル陛下も表立っては動けないという訳か……」


「その通りです。貴方がカイルベール・ル・ソレイユである事を聞いたブリッジクルーには、厳重な箝口令を敷いてください。詔書の存在が明らかになるのは、バルボン朝が復興した後です。それまでは……そうですね。カイルと名乗り、王国の客将として戦って頂きましょう。」


朧月セツナは狂犬と貴公子を戦わせ、勝った方を手元に置き、負けた方をネヴィルに売り渡すつもりでいた。完全適合者を二人、ネヴィル陣営に差し出せば、朧月セツナの要求に応じると密約が交わされていたのである。


「正統王朝に刃向かったカプラン家を根絶やしにし、奴の保有都市を奪い取る。そして切り取った都市群とフラム地方を交換すればいい。僕が高貴な戦果を上げれば、ネヴィル陛下が仲介の労を担ってくださる、という筋書きだね?」


戦果に高貴も下賎もないが、それを指摘するほどアルハンブラは野暮ではない。どうせ、叶わぬ夢なのだから。同盟軍が滅びれば妄想男も用済み、始末するのが機構軍になるだけである。


「流石は正統王朝の血を引く御方、察しが良くて助かります。」


人質に取った時に襟元に取り付けたセンサーが、メリアドネの接近をアルハンブラに教えてくれる。タイミングを計った魔術師は、ドアがノックされる寸前に、電子詔書が納められた玉璽型記録装置を捧げた。


「K様、特使にお茶をお持ちしました。」


ノックと副官の声にKが気を取られた瞬間、アルハンブラは熟練の手業で玉璽を袖の中に入れておいた偽物とすり替える。靴底には、全く同じ作りの玉璽が二つ、隠されていたのだ。電子書簡とはいえ、言質を与える訳にはいかない。物証さえなければ、後日、Kが電子書簡の内容を確認したとしても、"魔術師に謀られたのだろう"で突っぱねられる。裏切りに気付いても、Kには対抗手段はない。


同盟軍から追われる身となったKは、機構軍まで敵に回せば身の破滅である。上手く逃げ果せたとしても、行く先は化外ぐらいなもので、辺境暮らしに耐えられる男でもない。夢を見ながら献身的に働くか、走狗として渋々働くか、前者の方が飼い主としては理想的であったが、売り主の兵団としては、どちらでもいい事であった。


そんな事とは知らないKは、上機嫌で副官を室内に招き入れ、手にした偽物の玉璽に執務机から取り出した純金の鎖を取り付けて首から提げた。


「メリアドネ、僕はロッキンダム王国の客将として同盟軍と戦う事になった。まだ詳しくは話せないけれど、王国を取り戻す為の戦いが始まるんだ。」


「素晴らしいですわ。遂にK様の大願が…」


「今後、僕の事はカイル様と呼ぶように。"貴公子"カイルがバルボン朝の末裔、カイルベール・ル・ソレイユである事を聞いていたブリッジクルーには、絶対に口外しないように命じてくれ。いずれ明らかになる事だけれど、今は時期尚早だ。」


「はい、カイル様。御下知のままに。」


カイルが王になれば、自分は王妃として迎えられる。主も叶わぬ夢を見ていたが、副官は叶わぬ夢に自分の欲望を乗せている。"こんなお目出度い主従は見た事がありませんね"と魔術師は顔には出さずに、せせら笑った。


「ミス・メリアドネ、先程は大変失礼しました。まだ襟が乱れていますよ?」


アルハンブラは失笑を堪えながら、メリアドネの襟元からセンサーを回収した。電子書簡の内容を確かめさせないアイデアを思い付いた魔術師は早速、チョロいカモを騙しにかかる。


「カイル様、玉璽を起動出来るのは一度だけです。王国を復活させた日に、臣民の見守る前でご披露ください。肌身離さず大事にしている事は、周囲の者に伝えてくださった方がよろしいですが。」


丸きりの馬鹿より、少し知恵が回る馬鹿の方が騙し易い。こちらが言いたい事を、自分から口にしてくれるからだ。


「詔書の存在が明らかになった時に、ネヴィル陛下が祝賀の席にお見えになる。素晴らしい演出だね。」


自己中心的なカイルは、ネヴィルが"詔書の原本"を持って祝賀に訪れるはずだと信じ込んだが、なぜ、そんな回りくどい事をするのかを不審に思うべきであった。だが、欲しくて欲しくて堪らなかった"本物の王"からのお墨付きを得た達成感が、彼に疑念を持たせない。自分に都合のいい事だけを信じる性格が、ここでは災いした。


魔術師は悪趣味な男ではなかったが、"この男の末路は見てみたいものですね"と思った。碌な死に方はしないはずだが、カイルは死にゆく自分を慰める為に、玉璽を起動させるだろう。敗れはしたが、自分は正真正銘の公子だったと己を騙し切る為に……


だが、偽の玉璽に収められているものは電子詔書ではなく、冷ややかな電子音声である。



装飾だけは立派な機械に"おまえが王家の末裔だと? そんな訳あるか、馬鹿!"と告げられた時のケルビン・トボンが浮かべる絶望の表情は、悲劇であり喜劇である筈だった。

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