愛憎編49話 分水嶺に立つ女


※イスカ・サイド


戦地に向かう白蓮の艦長室には御堂イスカと鷲羽クランド、証拠を持ち帰ったマリー・ロール・デメルの姿があった。父の死の真相を知ったイスカも、半世紀に渡って御堂家の侍従長を務めたクランドも、真実を暴いたマリーも、半刻に渡って沈黙を続け、何も言えずにいた。それほど、この真実は重く、苦しいものだったのだ。


「……やはり叔父上が犯人だったのか。カナタは"誰がやったのか?"ではなく、"誰ならやれたのか?"と考え、真犯人を探り当てたという訳だ。」


沈黙を破ったイスカは震える手で煙草を取り出し、火を灯した。


「……そして彼奴あやつめは、それをイスカ様に隠しておった。腹に一物あるとしか考えられませんな。忠誠を疑われるどころか、これは裏切り行為ですぞ!」


侍従は憤慨したが、主は冷淡だった。


「最初から忠誠など期待していない。初めて会ったその日から、"この男は誰かに忠誠を誓うタマではない"とわかっていた。見込み違いがあったとすれば、あそこまでの傑物……いや、怪物だと思わなかった事だ。私は自分の手で"制御不能のモンスター"を育ててしまったようだな。」


剣狼カナタは先輩部隊長達から戦術と戦技を学んだが、戦略と政略、さらには謀略までも学ばせてしまったのは自分だ。成長した怪物は、師である彼女でさえ制御不能の域に到達してしまった。


天掛カナタ公爵は形式的にはドラグラント連邦のナンバー2だが、実質上の指導者と言っていい。いくら御堂イスカがアスラ派と御堂財閥のトップを兼任する天才でも、それに対抗出来るだけの才覚と背骨バックボーンを天掛カナタは持っている。万能の天才ではない男は、足らずを補う人材を集めたからだ。


連邦に要人は何人もいるが、結局のところは剣狼の意向に従う。設立の立役者に自覚はなくとも、権威ミコト権力カナタの分割に、ドラグラント連邦は先鞭をつけた。


「クランド大佐、裏切り者はカナタさんではなく東雲中将ですわ。司令、どう処断されるのですか?」


「表沙汰には出来ん。東雲刑部が御堂アスラを暗殺したと露見すれば、アスラ派は瓦解する。だが……」


イスカは言葉を続けられなかった。父を殺した犯人に、その血で以て贖わせると誓った彼女だったが、誓約を実行するのを躊躇っていたからだ。


「中将……いえ、東雲刑部に権力を簒奪する気はなかったでしょうな。元帥の遺志を継ぐ者は"軍神の右腕"だと申す者は当時は多かったですし、ワシらもイスカ様が成長されるまでの間、彼をアスラ派の指導者に推戴しようとしましたが、頑なに固辞されました。」


クランドが遠慮がちに事実を述べたが、擁護するつもりではない。彼もどうすべきか、決めかねていたのである。


「だから許せ、と言うのか?」


オイルライターを手にしたままのイスカは、揺れる炎を見つめている。氷のような眼差しが炎を映し、恐ろしくも美しい面影を際立たせていた。


「まさか!ワシは先祖代々、御堂家の侍従。大恩ある主家に仇なした者は許せませぬ!……ただ、東雲刑部が私心を捨て、イスカ様に尽くす姿も見てきましたゆえ……」


「父を殺したのなら、贖罪など当然だ。マリー、青鳩について他にわかった事はあるか?」


「いえ、青鳩なるものをザラゾフ、カプラン、東雲、御門の四者で共有している事までしか掴めていません。もし新兵器であれば、ナバスクエスとの会戦に投入されると思いますが……」


「私も同じ考えだ。カプランは出し惜しみをしていられる状況ではない。」


「新兵器が投入されなければ、青鳩は秘密協定である可能性が濃厚になりますわね。」


青鳩の正体を掴めないでいる事が三人の、とりわけイスカの心に強く引っ掛かっていた。


……カナタが私を謀り、権力を掌握するつもりとは思えん。だが、アイツを担ぎたがっている者は多い。ミコト姫も雲水も、櫛名多も士羽も鮫頭もそうだ。アスラ派の軍人を見回しても、ヒンクリーにジャダラン……ケクルだって怪しいものだ。もし、叔父上までが担ぎ手に加わったら……


イスカは頭によぎった推論を裏付けるべく、マリーに質問した。


「マリー、カナタが青鳩を共有しているのは確かなのか?」


「いえ、確実なのはザラゾフ、カプラン、東雲までで、御門家については確証を得られていません。モスは"剣狼も知っているはずだ"と報告したようですが、それは御門家をクロだと考えていて、ミコト姫が青鳩に加わっているなら、カナタさんに話さないはずがないという推測からでしょう。"工作員に推定無罪なんて甘い概念はない。疑わしきは全てクロだ"が、彼の口癖ですから。」


「モスの言いそうな事だな。マリー、おまえは首都に戻ってトガ閥の吸収合併を進めろ。」


「はい。リグリットには御門グループの本社がありますから、合併工作と並行して青鳩に関する追加調査も…」


「ダメだ。御門グループの影には"黒幕"がいる。モスほどの手練れに確証を掴ませなかったのは、教授プロフェッサーと呼ばれている影の男が、情報を隠蔽しているからに違いない。迂闊に探りを入れれば、黒幕は我々の動きを察知するぞ。」


モスは御鏡雲水に近い照京政府関係者から青鳩と思われる情報を得た。影の男は雲水ほど甘くない。グループ本社に探りを入れたら、黒幕の張った網にかかるに違いないとイスカは考え、その推察は当たっていた。


影の男、天掛光平は御堂イスカに匹敵する情報統制能力を持っている。世論操作や偽装情報の流布、さらには機密情報を餌にした罠を張るのもお手のもの。御堂イスカが"天才政治家"ならば、天掛光平は"天才官僚"なのだ。


「クランド、照京政府内の協力者に"しばらくは何もするな"と伝えろ。青鳩を含むあらゆる内部調査を中止する。」


アスラ派を揺るがす危機に直面した以上、連邦を刺激するのはマズい。外患への対応は、内憂を処してから。生まれながらのリーダーである彼女は、優先順位と取捨選択の判別にも優れている。


「ハッ!」


御堂イスカに弱点があるとすれば、全てを自分でやらねばならない事であろう。決断を下すのはリーダーの仕事だが、決断に至るまでの助言を行える者が周囲にいない。唯一無二の相談役を失ってしまった今となっては特にだ。


イスカの後見人であり、控え目ではあったが相談役と、他派閥とのパイプ役も担ってきた人格者、東雲刑部は事態の当事者となってしまった。腹心にして側近の鷲羽クランドも、その仲間入りを果たしたマリー・ロール・デメルも、彼女の相談役にはなり得ず、命令を受ける立場に過ぎない。


「……青鳩とやらにカナタが加わっているならいいが、そうではないなら問題だ……」


であるが故に、イスカの呟きの意味が二人にはわからない。


「イスカ様、逆ではないですかな? 彼奴まで加わっておる方が問題でしょう。」


「クランド、青鳩にカナタが加わっているのであれば、私の意向に反するかもしれないが、私を害するようなものではない。だが、カナタが加わっていないとすれば…」


生粋の武人であるクランドよりは参謀の資質を備えたマリーは、イスカの言わんとする事を理解した。


「!!…青鳩とは、カナタさんを同盟のトップに……"軍神アスラの再来"として祭り上げようとする秘密協定かもしれないのですわね!」


「マリー、それは考え過ぎじゃろう。彼奴はたまたま…」


たまたまそこに居合わせただけ、と言おうとしたクランドだったが、押し黙ってしまった。二年前に一兵卒として入隊した男が、今や元帥にまで影響力を及ぼす重要人物に成り上がった事実を思い出したからだ。


「たまたまそこに居合わせただけでも、運が良かっただけでもない。いや、幸運どころか、災難続きだったと言える。天掛カナタほど行く先々でトラブルに見舞われた男はいない。首都のテロ事件にリリスが巻き込まれ、解決に奔走した直後に魔女の森に突き落とされる。なんとか生還して休暇を取れば、クーデターの真っ只中だ。未熟な新兵を卒業した途端に死神と遭遇し、一流兵士になったらなったで、超一流の処刑人が刺客として送り込まれて来る。例を挙げればキリがないが、狙ってトラブルに飛び込もうとしても、ああはならんぞ。」


自信家のイスカでも断言は出来ない。"私が同じ立場でも生き残れていた"とまでは。それほど剣狼の巻き込まれた災難の数々は、過酷で熾烈だったのだ。彼女とて幾多の苦難、窮地を乗り切ってここまで来たのだが、少なくとも戦乱の荒波に乗り出す前から、世界有数の財閥を率いる総帥として手厚い支援を受け、兵士としての実力も、ほぼ完成されていた。


だが剣狼カナタは何の背景もなく、兵士としても未熟な状態で生き抜かねばならなかったのだ。成長するにつれ、雪だるま式に仲間や支援者が増えていった事も、幸運で片付けるには無理がある。


「……良く生きてますわね。私なら10回は死んでいますわ。」


艦長室に入ってから初めて、マリーは微笑んだ。災難続きの剣狼にとっては笑い話ではないが、あまりにも数奇の度が過ぎると、笑えてしまうものらしい。


「ワシでも死んでおるじゃろうな。確かに彼奴は不運すら糧に変え、恐ろしいほど成長しおった。素顔を知っておるだけに英雄とは思えんかったが、実績だけを見れば"軍神の再来"と思う者も出て来るじゃろう。じゃが、アスラ様の再来は彼奴ではなく、軍神の名を受け継いだイスカ様じゃ!イスカ様こそ、世界を導く指導者として、初代軍神の定めた後継者なのじゃぞ!」


「父は軍神と称えられたが、神ではない。壮大な夢を見た一人の男だ。私は、偉大な父の定めし後継者としてではなく、己の意志と実力で新世紀を創り上げる!それが生前に父と交わした約束であり、私の征くべき道だ!」


「ハッ!イスカ様の征かれる道にどこまでも付き従いまする!」 「司令こそが、新しい時代の指導者となるべきですわ!」


溢れる才能は麻薬のように、人を虜にしてしまう。意志決定を絶対的な誰かに委ねてしまいたいという欲求は、誰にでもあるのだから。民主主義国家から独裁者が生まれてしまうのは、人々が内なる欲求に身を委ねた結果なのだ。意志と思考を放棄せず、結果に対する責任を持ち、懊悩と共に生きようとする者こそ、少数派なのかもしれない。


「二人は自分の仕事に戻れ。……叔父上の事は私が決断する。」


万能の天才に従う道を選んだ二人は、一礼してから部屋を出て行った。御堂イスカは思考を誰かに委ねる事はない。自らが決定を下し、その責任から逃れる事もない。使命感を所有する権利は、自ら考え、決定し、責任を負う者にのみ、与えられる。



逃げる事を知らない女は、ここが自分にとっての分水嶺である事を悟っていた。同時にこの決断が、この星の運命を左右するであろう事も……

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