愛憎編48話 軋む歯車


※モス・サイド


シェーファー・モスにとってオズワルト・オルセンはとっくの昔に捨てた名である。しかし、まさか自分の過去を知る女がカウンターパートになるとは思ってもいなかった。


「オズワルト、談合の件は了解よ。」


とある中立都市のスラム街にある地下酒場。この店は最後の兵団とアスラ部隊が秘密折衝を行う場所だった。看板すら掲げられていない酒場にいる客は男と女だけ。店主やバーテンの姿も見えない。


「昔の名で呼ぶのはよせ。おまえだって、アマンダ・ローレンではなくなったはずだ。」


骸骨戦役が勃発後、兵団の秘密工作を行う"ハートの"クィーンと、アスラ部隊で裏仕事に従事する"錆び付いたラスティ"モスはこの酒場で落ち合い、双方の損耗を避ける話し合いを行って同意に至った。


「……そうね。だけど貴方も私も、好きで名前や過去を捨てた訳じゃない。そうでしょ?」


女は男のグラスに酒を注ぎながら嘆息し、男は煙草に火を点けながら答えた。


「……ああ。アスラ元帥が健在ならば、オズワルト・オルセンとアマンダ・ローレンは過去を捨てる事もなく、同じ軍服を着て、同じ旗を仰いでいたかもしれんな。」


オズワルトの父親とアマンダの父親は、旧一角兎連隊の隊員で幼馴染みの戦友だった。アマンダの父は兎我忠秋と共に壮烈な戦死を遂げ、オズワルトの父は重傷を負いながらも辛うじて生還したが、息子の死に怒り狂った兎我元帥によって軍から追放されてしまったのだ。


「きっとそうなっていたでしょうね。"強欲"オルセンはどうだかわからないけれど。……同盟を裏切って機構軍に走り、その機構軍でも背任を働くなんて碌でもない異母弟ね。貴方とは大違いだわ。」


「出来が悪いのはわかっていたが、可愛がってやったつもりでいたんだがな。念真強度が低いのは生まれつきだが、モラルの低さはアル中になった親父か、貧困に耐えかねて薬に手を出した母親の影響だろうよ。親父は酒に酔って列車に跳ねられ、継母は薬物の過剰摂取で突然死。異母弟はテロリストとして剣狼に殺された、か。……汚れ仕事に手を染めた俺も、碌な死に方はしないだろう。」


軍を追われたオズワルトの父親は軍務に未練があったのか、どの仕事も上手くゆかず、次第に酒浸りの生活を送るようになった。オズワルトは幼い頃に母親を亡くしており、父親が迎えた後妻との間に生まれたのが異母弟の"強欲グリード"オルセンである。アル中の父親と薬物依存の継母に代わって守り育てた異母弟に裏切られ、汚れ仕事に従事させられた苦い思い出は、今もオズワルトを苦しめている。


「貴方は何も悪くない。私達の運命を狂わせた誰かが悪いのよ。」


「おまえのところは父子家庭だったな。あれから、どうしていたんだ?」


工作員は昔話をしてはならない。自分や相手の過去については特にだ。しかし、幸せだった幼少の頃を共有する女に対し、男は鉄則を忘れていた。


「貴方よりは少しマシかしらね。孤児になった私は親戚をたらい回しにされて…」


「ガルシアパーラ・サーカスに拾われた。モランがやった事は耳にしたよ。災難だったな。」


「災難!? やっと掴んだかけがえのない仲間を!父に劣らぬ愛情を注いでくれた恩人をモランに奪われたのよ!仇を殺したって団長や仲間は帰って来ないわ!」


工作員は感情を露わにしてはならない。女の方も鉄則を忘れていた。


「俺とした事がつまらんお喋りをしたようだ。では今回の戦役において、アスラ部隊と兵団は対峙はすれど、交戦はしない。双方のボスにそう伝えよう。」


「ええ。それで任務完了ね。」


数年前に一度だけ、全面対決を行った兵団とアスラ部隊は双方の力量を認め、それ以降は睨み合うだけで本格的な交戦を避けていた。あえて捕虜となった"魔術師"アルハンブラが"軍神"イスカに彼の上官である"煉獄"セツナの意向を伝え、こうして秘密会合を持つに至ったのである。会合の目的は戦地における談合と、情報のバーター取引であった。


─────────────────────────


スラム街から高級住宅街にある隠れ家セーフハウスに戻ったモス待っていたのは、極秘任務の遂行を命じられたパートナー、マリー・ロール・デメルだった。


「交渉は上手くいったの?」


「失敗する訳がない。アスラ部隊と兵団が潰し合って得をするのは他派閥だけだ。中将の顧問弁護士の調査は上手くいったのか?」


ソファーに寝そべったモスに立ったままのマリーが突き当たった難題について報告する。


「中将が遺書を託した相手が誰かはわかったわ。」


東雲刑部が遺書を託した相手は第二師団の法務顧問ではなく、極秘に任命した顧問弁護士であろうと二人は睨んでいたが、それが誰であるかを掴み切れてはいなかった。特定に成功したなら、大きな前進である。


「だったら何故、遺書を入手しないんだ?」


「まず話を聞いてもらえるかしら? 中将は自分の伝手ではなく、最も信頼する部下であるウタシロ大佐の伝手を頼ったと思われるわ。大佐の従兄弟が阿南で法律事務所を経営しているのだけど、そこのベテラン弁護士五人が自分でも中身がわからない小包を貸金庫に預けている事までは掴めた。そしてその貸金庫は、五つとも御堂財閥の系列銀行ではないのよ。怪しいと思わない?」


「怪しいどころか、まっ黒だな。なるほど、読めた。大佐の従兄弟とやらが訃報を聞けば、五人全員に小包を持って来させるという訳か。」


「そういう事よ。たぶん、従兄弟の所長も誰が当たりを持っているのか知らないんだわ。何らかの方法でシャッフルしてから、五人に渡したんでしょう。」


身を起こしたモスは遺書の入手法を考えたが良い手は思い付かない。まず、銀行の貸金庫への潜入が困難で、さらに五つの貸金庫から同時に小包を入手しなくてならないのだ。


「人手が足りんな。いくら俺でも、一晩に五つの貸金庫から小包を入手するのは無理だ。だからといって…」


「日を跨いだら、銀行が異変に気付くかもしれない。そうなれば残りの小包は引き揚げられ、別の場所に隠されてしまうでしょう。一度目で当たりを引く確率は20%だけど、やってみる?」


「羅候の連中なら"20%もあれば十分だ"と言うだろうが、あいにく俺は工作員で博徒じゃない。弁護士を脅迫して小包を持って来させるとか…」


「弁護士五人の家族を拉致でもするつもりなの? そんなの司令の許可が下りる訳ないでしょう!仮に許可が下りたってダメ!彼らは善良な同盟市民なのよ!」


マリーは良識で反対したが、モスは別な視点から脅迫を断念した。


「ああ、脅迫も拷問もナシだ。関わってる奴らの口封じが可能だとしても、変死や失踪といった情報はウタシロの耳に入る。ウタシロの耳は中将の耳だ。遺書を狙っている人間がいる事がバレたら、面倒な事になるだろう。プランBで行くしかないな。」


「プランB?」


「どんな任務にもバックアッププランは用意しておくものだ。グラドサルの私室に盗聴器を仕掛けておいた。電波式だと屋敷の警護班に即座に発見されるから、盗聴器ではなく録音器だな。」


「中将は用心深いわ。気付かれてなければいいけれど……」


任務には思い入れを持たず、機械的に淡々とこなす。モスはこれまでもそうしてきたし、今回もそのつもりだった。精密機械のような男、シェーファー・モスは心の歯車が軋むのを感じる。


「気付くものか。中将は絶対に疑わない。写真立てに、そんな仕掛けが施されているなんてな。」


心の軋みに気付いたモスはマリーに背を向け、憎悪に満ちた顔を見られないようにした。


「中将が出撃している間に回収しないといけないわね。」


「ああ。すぐにグラドサルへ向かうぞ。録音器の回収はおまえに任せる。00番隊の副隊長なら、警護班も警戒しないだろう。」


隠れ家を出た二人はヘリを飛ばしてグラドサルへ向かった。


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真新しい写真立てには、父親になったばかり御堂アスラと盟友の火隠段蔵、おくるみに包まれた可愛い赤ん坊を抱いた東雲刑部の写真が飾られていた。写真立てをすり替えたマリーはすぐにホテルへ戻り、モスと二人で録音内容を確認する。真実が判明するのに、時間は掛からなかった。


"……アスラ元帥、この戦争にも終わりが見えてきました。イスカが真実を知った時、私は元帥の御許へ向かう事になるのかもしれません。いえ、私が死んでも元帥と段蔵さんの元へは行けませんね。罪を背負って、冥府を彷徨う。それが戦争を泥沼化させ、多くの犠牲者を出した男に相応しい末路なのでしょう……"


出撃前に写真に向かって漏らした呟きを聞いたモスとマリーの背中に冷や汗が流れる。東雲刑部を疑い、証拠を掴む為に奔走していたといっても、"軍神の右腕"と呼ばれた男が"軍神アスラ"を殺めた事が決定的になれば、驚かざるを得ない。


「……ま、まさか本当に……東雲中将が犯人だったなんて……」


マリーは震えながらモスを顧みた。モスも驚いてはいたが、マリーより遥かに早く、冷静さを取り戻している。


「おまえはこのテープを持って、司令の元へ急げ。」


「わかったわ。あなたはどうするの?」


「この街で情報提供者に会う。ルシア閥とフラム閥、両者を仲介したドラグラント連邦の三者で結ばれた密約"青鳩"に、中将も加担しているかもしれん。」


「モス、"青鳩"は秘密協定とは限らないわ。彼らが青鳩と呼ばれる何かを共有しているかもしれないだけよ。」


クリスタルウィドウを使えれば、もっと確度の高い情報が手に入るに違いないのだが、頭目のマリカが身内を嗅ぎ回るのを良しとしない。アスラ派の情報収集能力の高さを支えているのは火隠衆なのだ。


「ザラゾフとカプランはいいとしても、剣狼まで司令に隠し事をしているのは確かだ。懸念があるなら報告するのが当たり前だろう。」


「手足はモノを考えない。あなたのポリシーはどこに行ったのかしら?」


「頭が危ないんだぞ。四の五の言ってられるか。急げ。」


マリーを送り出した後、手足だったはずの男は自らの頭で考えを巡らせ始めた。かつて行った汚れ仕事の数々が脳裏をよぎる。モスにとっての最大のトラウマ、赤ん坊を抱いた母親を焼き殺してしまった時に聞いた悲鳴と絶望感が、激しい怒りとなって甦った。


"……俺があんな事をする羽目になったのは誰のせいだ? 親父がアル中になって事故死したのも、継母が薬に手を出したのも、弟に裏切られたのも……アスラ元帥を暗殺した奴のせいだ!軍神アスラが健在だったら、こんな事にはなってない!"


機械を辞めて人間に戻ったモス、いや、オズワルトは決意した。


ボスが裏切り者を始末するならそれでいい。そうしてくれるなら、これまでと変わらず生涯の恩人として忠誠を捧げよう。



……だが、奴を許したり、復讐の途中で心変わりするようならその時は……

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