愛憎編47話 和を以て貴しとなす
※シノノメ・サイド
「中将、オレも反対です。」 「私もだ。危険過ぎる。」
眼旗魚と人狼との通信には青鳩を使える。安全が担保されているから、作戦の詳細についても話せるが、まずは説得から始めなければならんな。
「カプラン元帥が協力してくだされば、危険度は下がります。アリングハム公はカナタ君の怖さを知っていますから、打って出ようとは思わないでしょう。」
アリングハム公は薔薇十字に近い人物で、ナバスクエス元帥は最後の兵団に近い人物だ。薔薇十字と兵団は表向きには友好関係を保っているが、提携は事実上、解消されている。そしてアリングハム派と兵団は対立こそ避けているが、不仲なのは間違いない。ネヴィル元帥と蜜月関係にある兵団は、ロンダル閥で非主流派となったアリングハム公にとっては、煙たい存在なのだ。
潜在的であろうが、敵の味方はやはり敵。アリングハム公とナバスクエス元帥が手を組んで、カプラン師団を挟撃する可能性はまずないだろう。
「ああ。アリングハム公は動かないよ。ここにそう記してあるからね。」
カプラン元帥はそう言って、協定書を見せてくれた。
……列侯が集まって秘密協定を結んだのか!この
……智将サイラス……思った以上に器の大きい人物のようだ。自分を負かしたカナタ君に雪辱を果たそうとするどころか、"話せる人物"と考えて直接交渉に乗り出すとは……
「アリングハム領の安全を確約する代わりに、切り取った領土の安全を誓わせたのですね。では直ぐにでも…」
スクリーンの右端に二つの顔が移動し、地形図にカプラン師団の現在位置が表示される。
「既に東進を開始しています。ナバスクエスにもこちらの動きは伝わっているでしょう。」
カナタ君はアリングハム公は"約束を守る男"だと信じ、アリングハム公も"剣狼に違約はない"と考えた。苦杯を舐めたはずの敵手にさえ、そう思わせるのがカナタ君の不思議な魅力だ。
"あの若いのは欠点だらけじゃから、自分が力になってやらねば、と思ってしまうのじゃろう。マリカやストリンガーが好例じゃの。中将、人間というのは面白いもんでの、欠点なんぞない方が良いに決まっておるのに、欠点こそが魅力に繋がったりもする。まったく不思議じゃよ。帝に頼まれるまでもなく、儂も剣狼カナタの力になってやらねばと思うておる。あの狼に勝てる奴などいないと知っておるのに、じゃよ?"
グラドサルを視察に訪れたオプケクル准将と会食した時に、彼はそんな事を言っていた。アスラ派に属してはいるが、イスカとは一定の距離を保っていた人喰い熊は、龍と狼には好意的だ。
「カプラン師団が接近しているとなれば、トガ元帥にばかり構ってはいられまい。不敬の極みではあるが、兎我忠冬が軍事的脅威にならない事は明白だからね。」
トガ元帥が聞いたら気を悪くするだろうが、こればかりは変えようがない事実だ。
さりとて三元帥の一角ではあり、機構軍としても捕らえたいのは山々だろうが、剣狼を擁する三個師団が接近中とあれば、迎撃態勢を取らねばなるまい。戦慣れしたナバスクエス元帥は、カナタ君の戦巧者振りをよくわかっているはずだ。
「つまり自力で逃げ延びるチャンスはある訳です。中将がウタシロ大佐と合流し、ナバスクエス師団を挟撃する構えを見せれば、獣人は東雲師団を撃破した後、カプラン師団と決戦しようと考えるでしょう。カプラン師団が西から、東雲師団は南から戦域に向かっているのだから、トガ元帥は手薄な東に向かって逃げればいいんです。逃亡者がトガ元帥じゃなきゃ、北上してテムル師団に収容してもらう手も面白いんですけどね。」
カナタ君は理路整然と持論を述べ、最後に奇策を付け加えた。敗残兵を敵中に向かって逃亡させるなんてアイデアはカナタ君ならではだな。ナバスクエス元帥もまさか自分の勢力圏を突っ切って逃亡するとは思うまい。師団から離れて行く前提で、捜索網を敷いているだろう。望遠鏡を覗いていれば、手近にある物は見えないものだ。
これだけはない、と考えた相手に生じる心理の死角を狼は突く。カナタ君と戦った敵の多くは"まさか!"と驚愕しながら敗れ去ったのだ。
「私も同じ事を考え、逃亡を確実にする為の策も講じておいた。」
今回は奇策は使えない。敵中突破には胆力が必要で、それはトガ元帥に最も欠けている資質だ。
「東雲中将、どうしても行くのかね? 瑞雲と数隻の護衛艦では、何かあれば危険だ。」
カプラン元帥も反対の構えを崩さないが、この策は少数精鋭だからこそ可能なのだ。索敵部隊程度は容易に撥ねのけ、かつ大部隊ではない師団分隊なら、すみやかに任務を遂行出来る。
「敵にピンポイントで位置を特定されない限り、問題はありません。カプラン元帥、私も"軍神の右腕"と呼ばれる兵士ですから、上手くやります。イナバ艦長に授けた策というのは…」
私が講じた策を説明し、快諾とまでは言えないが二人の承諾を得た直後に、もう一人の青鳩を持つ男が会話に加わった。
「なんだ、刑部もおったのか。」
ザラゾフ元帥は、散歩中に知己に会ったかのような気軽さでそんな事を言った。軍用コートを纏った災害からすれば、戦場に行くのも散策に行くのも同じ感覚なのだろう。
「たまにはお仲間に入れてもらおうかと。」
期せずして、青鳩を共有する四者が集った訳だ。平常運転だったザラゾフ元帥の顔が巌のように険しくなり、カプラン元帥に重要な情報を伝える。
「カプラン、頼まれていた調査だが、あまり愉快な結果とは言えんぞ。斥候部隊にジェダの庵を調べさせたが姿がない。近くで戦った形跡があり、焦げた草木と鋭利な傷のある岩が発見された。さらに"J"の文字が刻まれた墓標じみた石もだ。何が起こったかわかり切っておるから、墓を掘り返したりせんかったが、"成就者"ジェダは何者かに殺されたと見てよい。」
成就者が死んだだと!?……カプラン元帥が本気で軍事行動を起こす際に、ジェダ・クリシュナーダを呼び寄せない訳がない。召集に応じないのを訝しんだカプラン元帥が、ザラゾフ元帥に調査を依頼した、というところか。
「カプラン元帥、サイラスと世間話をしていた時に…」
「うむ。"何があったか知らないが、
……ジェダ・クリシュナーダはロドニー・ロードリックと戦い、敗れたのか。
「あの青二才は"強者への礼節"は弁えておる。雄敵を晒し者にするような真似はすまいよ。」
戦場の伝説は肉食獣の笑みを浮かべながら敵手の心意気を称えたが、笑っている場合ではないように思う。
「閣下、完全適合者を下した彼は、完全適合に至った可能性が高い。そして、熱風公が雪辱を果たしたい相手とは、間違いなく閣下ですぞ?」
「面白いではないか。奴が挑んで来るなら、受けて立つまでだ。だいたい、おまえこそ危険な真似をしようとしておるのではないか? ケチ兎を救う為にそこまでする事もあるまい。」
途中から話に加わったが、私のやろうとする事などお見通しらしい。戦場におけるザラゾフ元帥の勘はズバ抜けている。
「トガ元帥の不景気な顔を拝んでおくのも一興かと思いまして。ジェダ・クリシュナーダとは少しだけですが交遊がありました。顔を合わせる度に"懊悩を抱え込むのも程々にするがよい"などと忠告されましたな。いささか説教臭い老人ではありましたが、立派な人物でした。彼の冥福を祈って黙祷しましょう。」
「うむ。アレはアレなりの生き方を全うした。悔いはあるまいよ。」
ザラゾフ元帥がそう言うと、カプラン元帥とカナタ君は頷き、瞑目した。
「老人の見事な生き様に……」 「師の朋友に安らぎがあらん事を……」
私も目を瞑って人知を超えた老人の為に祈りを捧げた。
「祈りの時間はここまでにして、画面越しに酒でも酌み交わす事にしよう。ザラゾフは手元にウォッカがあるのだろう?」
「フン!気取り屋のおまえは艦長室に小型のワインセラーを設えさせているそうではないか。」
両元帥の打ち解けた姿が私を和ませてくれる。お二人とも、兵学校の問題児と貴族学院の問題児に立ち戻ったかのようだ。問題児三人と万年中尉に私と段蔵さんを加えた六人組は、場末の酒場で酒を酌み交わしながら夢を語った。
アスラ先輩と後の三元帥にはそれぞれに夢があり、私と段蔵さんの夢は御堂アスラだった。アスラ先輩さえ生きていれば、今でもあの頃のまま…
「刑部クンも酒を持って来たまえよ。カナタ君は仕事があるので退出するがね。」
カプラン元帥から退出を促されたカナタ君は不服そうだった。
「カプラン元帥、オレをハブるつもりですか?」
「激突する戦地の予想と会戦のシミュレートはキミの仕事だ。シモン少将と相談しながら勝てる戦術を練り上げてくれたまえ。もちろん、成功の果実は美味しく頂くよ。」
カプラン元帥のムシの良すぎる発言にザラゾフ元帥は呆れ顔になった。
「おまえ、剣狼に勝たせてもらって、戦果は横取りするつもりか。セコいにも程があるぞ。」
「カナタ君はバーゲンセールが開けるぐらい戦果を上げているのだから、たまにはお裾分けしてもいいだろう。では大人の酒宴を始めようか。若人よ、ここから先は五十歳未満は参加不可だ。」
「やれやれ、いくら呑む蔵クンがあるからって飲み過ぎないでくださいよ。ここは一応、戦地なんですからね。それではまた。」
カナタ君の顔が画面から消え、キャビネットからブランデーを取り出した私は久しぶりに両元帥と歓談する。
「刑部クン、この戦役が終わったら、四人で一席設けようじゃないか。トガ元帥の免責が主な話題だから、彼はいい顔をしないだろうが、来ない訳にもいかないだろう。」
カプラン元帥はこれから起こる事を正確に予測し、手を打とうとしている。どうやら論客は完全復活したらしい。イスカは日和見主義のカプラン元帥しか知らない。認識の齟齬を改めさせないと、マズい事になりそうだ。……いや、認識の齟齬を改めるのではなく、三元帥との溝を埋めるべきなのだ。
戦役後の三元帥との会談にイスカも出席させて、同盟の未来について話し合ってみよう。帝とカナタ君の助力を仰ぎ、三元帥にイスカを次世代の指導者と認めさせるのが、私の最後の仕事だ。
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