愛憎編46話 白璧の微瑕



※シノノメ・サイド


「東雲中将!頼む!すぐに救援に来てくれい!」


ここ数日の間、北エイジアに急行しながら兎足王に何度も入電していたが、全て拒否されていた。やっと通信が繋がったと思ったらこれか……


「トガ元帥、落ち着いてください。元帥の師団はナバスクエス師団との会戦に敗れたのですね?」


聞かずともわかっているが、状況報告の手始めはここからだ。土気色の顔と切迫した声音から虚勢を張る余裕もない事は察せられるが、最低限の情報も得ず、無闇矢鱈に動く訳にもいかない。


「……見るも無惨な惨敗を喫した。離脱した時には辛うじて師団の体裁は残っておったが、執拗な追撃を受けて撃破されるか逃亡するかで、もう兎足王を守る護衛艦は数隻しかおらん。僅かに残った兵士も疲労困憊、とても戦える状況にないのじゃ。」


……思った以上に酷い負け方をしたようだ。SESの弱点を突かれただけではなく、ナバスクエス師団が精強なのだと考えねばなるまい。


「五本指は健在ですか?」


「全員、討ち死にしおったわ。大言壮語を吐いておきながら、あの体たらく!彼奴らの甘言に乗ったのが間違いの元で…」


「元帥、お気持ちはわかりますが、彼らを登用したのも、重用されたのも閣下です。ノーブルホワイト連隊はどこに?」


兎我なら、頭でっかちの青年将校に惑わされる事も、危険な賭けに打って出る事もなかっただろう。いや、それ以前に自分が脚光を浴びようとはしなかったはずだ。己を知り、黒子に徹してきた男が黒衣を脱ぎ捨て、表舞台に立とうとしたのが誤りだったと気付いたはず……


「わからん!いつの間にか姿が消えておったのじゃ。……あの戦犯どもめ、戻ったら軍法違反で銃殺にしてやるわ!」


彼らは戦犯になる前から、札付きの犯罪者だったのだ。三者会談の時にあれほど彼らを信用するなと忠告しておいたのに……


甘言妄言を嫌い、地味で堅実な仕事師を好んだ能吏はどこへ行ったのだろう? 老いとはかくも残酷な……諦めるな!まだ間に合う。豪傑と論客はかつての輝きを取り戻したではないか!生きてさえいれば、きっと……


はて、忠春クンがブリッジにいないのはどういう訳だろう?


「兎我中佐の姿が見えませんが、兎足王に搭乗していないのですか?」


「……忠春は儂を逃がす為に自ら殿を引き受け、壮烈な戦死を遂げたよ……すまん、忠春……儂があの阿呆どもの進言通りに、旗艦から下ろしたせいで……ヒック……あ、あんな最後を……」


躁鬱が激しい。老境に入ってからその傾向が見え隠れしていたとはいえ、マトモに指揮を執れる状態ではないな。しかし、あの忠春クンが自ら殿を引き受け、身を挺して祖父を守るとは……


「……儂も……儂もここで死ぬのじゃろう……死を覚悟した忠春は"死にゆく兵の気持ちがわかった。幻影を侮辱した事を剣狼に詫びて欲しい"と言っておった。……刑部クン、儂が死んだら忠春の慚愧の念を剣狼に伝えてくれい……」


素行は目に余ったが、最後の最後で、窮地の同盟を救ってくれた英雄"一角兎"の息子である事を証明してくれたのか。英霊となった忠春クンは我が友、兎我忠秋の元へ向かえるはずだ。


「それはご自分でお伝えください。私が救出に向かい、必ず閣下を生還させてみせます。」


「ほ、本当に、本当に来てくれるのか!キミの忠告を聞かず、こんな有り様になった儂の為に……」


私がアスラ元帥に手をかけなければ、同盟が混乱する事も窮地に陥る事もなかった。軍神アスラが健在ならば、秋枝さんが暗殺され、忠秋クンが戦死する事もなかったはずだ。そしてトガ元帥は、残された最後の家族である孫の忠春クンまで失ってしまった。


……戦争を泥沼化させた責任は全てこの私にある。せめてもの償いとして、兎我忠冬だけは助け出さねばならない。


「イナバ艦長はいるか!」


最悪の事態だが、救いは友が育てた優秀な艦長が兎足王にいる事だ。


「ハッ!ここにおります!」


「誰かに命じて、元帥を医務室にお連れしてくれ。貴官は追撃部隊と散り散りになった友軍の情報、必要と思われるデータを全て瑞雲へ送信せよ。ガルガランダに駐屯している第二師団本隊へも救援を要請してあるな?」


「……ウタシロ大佐はトガ元帥からの救援要請に"小官は何度も自重を促したはずです。それをことごとく無視した挙げ句に、"二次目標を達成するまで、との通信も断絶する。貴官らは何もせんでいい"と仰ったのは誰だったのかお忘れか? 我々は東雲中将の命令があるまでは動きかねる"と申されまして……」


「わかった、ウタシロ大佐には私から通信を入れておこう。」


「ありがとうございます。閣下、今から戦闘録画を送りますが、ホレイショ・ナバスクエスは完全適合者ハンドレッドです。」


「なんだと!? それは確かなのかね!」


「間違いありません。※OMSESオムセスを装着したインデックス、ミドル、サムが三対一で奴に挑みましたが、まるで歯が立たずに惨殺されました。通信手の話では、奴が完全適合者であるとの情報は、カプラン師団から寄せられていたそうですが……」


1000体もの屍人兵を使役して消耗していたとはいえ、兵団の"不死身の"ザハトに完勝したインデックスを寄せ付けないとは……完全適合に至った可能性が高いな。


「それを知りながらナバスクエス師団に挑んだのか!無謀過ぎるだろう!どうしてKに相手をさせなかったのかね!」


……自由都市同盟軍を設立して間もない頃、破竹の進撃を続ける我々の前に現れた本格的な刺客。それがナバスクエス少将だった。若き日の私は、軍神アスラと獣人ナバスクエスの一騎打ちを目撃した。軍神は獣人の邪眼をコピーして同じ土俵に立ち、もう一つの切り札"サイキックバースト"を使い、勝利したのだ。


アスラ元帥に切り札二つを同時に使わせたのは、後にも先にもあの男だけだ。それ程の実力者に長きに渡って目立った動きがないのは不思議だったが、機が熟し、完全適合者になる日を待っていたのか。


「Kはマードックに敗れ、逐電しました。狂犬も深手を負ったようですから、もう戦域から離脱したと思われます。通信手の話では五本指から"他派閥が何を言ってきても取り合うに能わず。送られてきたデータも全て破棄せよ"との命令が出ていたそうで……」


「……なんと愚かな……」


ザハトの出現で嫌な予感はしていたが、やはりSESの弱点を見つけたのも、Kをリタイアさせたのも煉獄だったのか。あの危険極まりない男の筋書き通りに、事態は推移している。


「中将、私はどうすれば…」


「信頼出来る部下を五名選んでくれ。私が策を授ける。ただし…」


「わかっております。我が身を惜しむ気はありません。」


「必ず捕虜交換で帰国させる。クルーにもそう言い含めてくれ。以上だ。」


通信を終えて5分もしないうちに兎我王からデータが送られてきた。真っ先に旗艦の現在位置を確認した私は決断した。最も早く救援に向かえるのは我々だ。危険は百も承知だが、行かねばならん。


「10時の方角に転舵した後、全速前進。瑞雲と護衛艦六隻は直ちにトガ元帥の救出に向かう。オペレーター、白蓮と通信を繋ぎ、艦長室に回せ。御堂少将に事情を説明しておかねばならん。」


イスカはいい顔をするまい。いや、反対するに違いないが、この任務だけはどうしてもやり遂げねばならない。艦長室でゆっくり諭そう。アスラ派のトップとナンバー2が口論する姿をクルーには見せられんからな。


────────────────


「トガなど捨て置けばよろしい!叔父上が危険を冒してまで救う価値など、あの老いぼれにあるものか!」


反対されるのはわかっていたが、思った以上に激烈な反応だな。これは説得に難儀しそうだ。


「イスカ、よく聞いてくれ。トガ元帥はこの戦争で家族を全員、失ったのだ。せめて穏やかな余生を…」


「自業自得だ!叔父上もご存知の通り、私はトガ閥を乗っ取る準備を進めている。あの老いぼれには…」


「死んでもらった方が好都合などと言ってはならん!イスカ、兎我忠冬が同盟を腐敗させた元凶である事は間違いない。だが、同盟を躍進させた功労者でもあるのだ。」


苛烈さがなければ為政者は務まらない。だが苛烈なだけの王は、いずれ足を掬われる。完璧なおまえに唯一欠けているものがあるとすれば、"政敵に対する寛容さ"だけだ。


カナタ君は複製兵士培養計画を推進したザラゾフ元帥、風向きを読んで個利個略に走るカプラン元帥にかつての輝きを取り戻させ、手を結んだ。政敵だからと排除せず、味方に変えてみせたのだ。軍事を除けば、あらゆる才能でおまえはカナタ君を上回るだろう。だが人を惹き付け、輪と為す力においては彼が上だ。


苛烈さを際立たせれば、彼を囲む人の輪は、おまえではなく彼を時代の頂点に立たせようとするだろう。剣狼カナタにそんな気はなくとも関係ない。彼自身は"二代目軍神を新時代のリーダーにしたい"と思っていても、彼の仲間はそうは思わないのだ。


……誰を戴くかは己が決める、志士の生き様とはそういうものなのだから……


「引き抜きに成功した幹部と司法取引を行って、奴の罪状は明らかになった。無事に帰国出来ても兎我忠冬は投獄される。」


それがいかんのだ!雲水議長や、クシナダ総督はおまえのそういうところを警戒している!もうトガ元帥に復権の目はないのだから、余生を穏やかに過ごさせる位の温情をかけてもよかろう!そうしてこそ、アスラ派に入ったトガ元帥の部下を安心させ、敬意を勝ち取れるのだ!


「高齢と創設期の功労に配慮して、免責を与える事は出来るだろう!政敵だからといって地の果てまで追い詰めるつもりか!家族を失った挙げ句、長年に渡って築き上げた派閥も崩壊し、アスラ派に吸収合併される。罰はもう十分だろう!」


声を荒げたくないが、感情を抑え切れない。かつて同じ夢を見た同志の最後が、戦死や獄死であってたまるものか!心ならずも政敵となってしまったが、候補生だった頃から家族ぐるみで付き合ってきた男なのだ。


「不十分だ!私を擁立しなかったとは言わぬ!だが三元帥が団結して戦っていれば、もう戦争など終わっている!団結するどころか足を引っ張り合い、我欲を剥き出しにして、父の創った同盟軍を腐らせたのは誰だ!」


イスカはアスラ元帥を失った同盟軍が腐敗していく姿を目の当たりにしながら育った。三元帥への怒りは心の奥深くまで根を張ってしまっている。カナタ君が両元帥と手を結べたのは、からでもある。


「同盟を躍進させたのも三元帥なら、堕落させたのも三元帥だ。そして、堕落を止める事が出来なかったのはこの私だ。」


私におまえのような力があれば、こんな事にはならなかった。おまえをないがしろにする三元帥に対して、怒りや憎しみを抱いた事もある。だが、アスラ元帥の目指した世界は、怒りや憎しみの延長線上にある殺意を強制的に封じてしまう。科学の力で負の感情を抑制する理想郷、私はそれを人の世と認める事がどうしても出来なかった。


「……叔父上、私は"行くな"と言っているのです。」


「……わかってくれ、イスカ。行かねばならんのだ。私は…私には責任がある。」


「ほう。……どんな責任ですか?」


「……いずれわかる。」


喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込む。まだだ、まだイスカに教える訳にはいかない。戦争が終われば、イスカが真実を知れば、わかってしまう事だ。



……三元帥から太陽を奪い、対立させてしまったのは、この私なのだ、と……


※OMSES

オーダーメイド・サジェスティブ・スケルトンの略称。個人に合わせて調整された最上位機種、アルティメットとエースを指す。


※白璧の微瑕

タイトルは「はくへきのびか」と読みます。白璧の微瑕とは、ほとんど完璧なものに、ほんの僅かな欠点がある、の意。

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