愛憎編40話 敗者の奸計
※トガ・サイド
Kはかすり傷すら負う事なく、マードックに流血を強いていたが、計算通りとまでは言えなかった。一定以上のレベルに達したパワーファイターが隆起した筋肉で出血を止めるのは常套手段であったが、マードックは出血を止めるだけではなく、目に見える早さで傷を塞いでゆく。
"……持っているだろうと思っていたが、やはり超再生持ちか。しかも再生速度がかなり早い。同盟最高の超再生能力を持つ"不屈の"ヒンクリーと同等と見なくてはならないらしい……"
ヒット&アウェイ、しかも万が一の被弾すら許さないステッピングを優先するKは、痛撃を与える事が困難であった。ノーブルホワイト連隊の兵士は、闘牛士が猛牛をいなすかのような戦い振りに歓声を上げていたが、歓声を浴びるKは神経を磨り減らしていた。
「フライ級のボクサーとヘビー級のボクサーが戦えば、手数と有効打はフライ級が圧倒するだろう。だが、ヘビー級のパンチを一発でも貰えばリングに沈む。」
嘯く巨漢の振るう大戦斧を、長剣の巧緻なパリングで受け流し、流麗な動きで斬り返す。巧緻な技は分厚い障壁を切り割き、切っ先が巨漢の脇腹を捉えたが、やはり浅い。あと一歩踏み込めば有効打になるのだが、Kはマードックが死角に位置する空いた手の裏に念真力を溜めている事を察知していた。踏み込めば、豪腕による剛擊を
貴公子Kと同じ中軽量級の完全適合者、剣狼カナタなら"豪腕の威力を見ておこうか"と、反撃覚悟で踏み込んでいただろう。中軽量級どころか、全兵士の中でもトップクラスのタフさを誇るからだ。しかし、Kにダメージの応酬は出来ない。
バイオメタル化によって飛躍的に耐久力が増した兵士同士の戦いは、ダメージコントロールの競い合いだとも言える。技量に大きな差がない限り、与えるダメージと受けるダメージに互いのタフさを勘案して戦いを構築する。それが異名兵士の戦闘だ。
「下賎の輩は"血と泥濘に塗れた辛勝"を、とかく有り難がる。才なき身の悲しさで"奮戦の証"だの、"闘志の結晶"とか言ってね。だけど真に高貴な者はそんな薄汚いものに価値など見出さない。なぜなら"完勝"しか知らないからね。」
異名兵士の中で唯一、当たり前の駆け引きが許されない男は、狂犬を揶揄しながら仕留める術を模索する。
"……筋肉隆々の巨漢は長距離走には不向きだ。出血もさせているし、まずはスタミナ切れを待ってみようか……"
長期戦を覚悟したKは、アウトボクサーのようにサークリングしながら攻撃の機会を窺う。その足捌きは羽根が生えているかのように軽やかで華麗、さらにリズム感も抜群だった。
虚弱な上に痛覚過敏、二つのハンデを背負いながら継承位級の技を身に付けられたのは、Kに"天性の戦闘センス"があったからに他ならない。本来なら血の滲むような修行(Kの場合、血が滲んだら骨折並に痛い)で身に付ける技を、見ただけで修得出来るセンスは、"コピー狼"とも呼ばれる天掛カナタ以上かもしれなかった。
「蚊蜻蛉らしく、跳ね回りだしたか。せいぜい逃げ回ってみせろ。」
狂犬マードックは相手が誰であろうと、ベタ足で制圧前進を狙うのみであった。
「羽虫に巨象は倒せないとでも言いたいのだろうけど、子豚は雀蜂に刺されたら死ぬんだよ?」
空振りを誘いながら100合以上打ち合ってなお、Kは無傷であったが、ここまで長い戦闘と出血を強いられた事がないマードックにスタミナ切れの兆候は見えない。息が上がるのを待っていれば、自分の集中力が先に切れるかもしれないと考えたKは、戦術の変更を決断した。
"……片目を潰して距離感を奪うか、喉笛か心臓を突いて即死させるか……目はダメだね。コイツがいくら筋肉バカでも眼球への突きは警戒しているだろうし、鈍重な大男でも首を捻るだけで突きを回避出来る。筋肉の鎧で覆えない喉笛も警戒されているだろうし、より的が大きく、逸れても肺に当たる心臓を狙おう……"
肺も心臓も異常に発達した大胸筋に守られているが、Kは筋肉の鎧を問題視していなかった。自分の突き技の精度に完全適合者の筋力が合わされば十分貫通出来る。心臓に命中しても即死しない、狙いが逸れて肺に当たった場合は反撃されるが、筋肉バカと相打ちなど馬鹿げている。
"……僕が突きを外すなんてあり得ないけど、コイツも完全適合者だけに反射神経が鋭い。僅かに身を捩って肺に当たるケースはあり得る。心貫流秘奥義"飛翔琉破"を使うべきだね……"
飛翔琉破とは、切っ先に念真力を込めた必殺の突き技"琉破真貫"に、突きの後に相手の胸板を蹴ってバク宙する奥義"飛翔真貫"を組み合わせたもので、心貫流でも素養のある大目録のみに伝授される秘奥義。この技を修得した者が継承位になると言われる程、難易度の高い技であった。
「キミと戦うのはもう飽きた。そろそろ……死ねよ!!」
三枚の障壁に守られながら猛ダッシュするK、一騎打ちが始まって初めて、マードックは受けて立つ側となった。
「やっと本性を現したな。いくら整形を重ねようが、その浅ましく醜いツラこそが……貴様には相応しい!!」
貴公子然とした(そういう風に整形したのだから当たり前だが)Kと、野獣のような顔立ちのマードック。だが、この瞬間だけは美醜が逆転していた。ありのままに生きる獣と、人の皮を被った獣ならば、前者の方が美しいのかもしれない。
「僕はこの星で最も高貴な男!高貴さこそ強さ!誰も僕には勝てないんだぁ!!」
狂気と妄想を猛らせるKに対し、絶対強者の自負を漲らせたマードックは、両手で大戦斧を振りかぶり、渾身の腕力に心の力を乗せて振り下ろした。
「断じて貴様を強者とは認めん!砕け散れィ!!」
暴君の繰り出した暴虐の刃は、三枚の障壁を一撃で粉砕した。しかし、Kの体には届かない。
「下郎の力がこの僕に届くとでも思ったのか!死ね!」
大振りの大戦斧を躱したKはお返しとばかりに渾身の突きを放ち、純白の軍用コートに返り血を浴びる。手応えはあった。しかし、胸板に突き立った刃は想定よりも浅く、狂犬は反撃を試みる。即死しない可能性も考慮していたKは淀みなく胸板蹴りを繰り出し、反動で距離を取ったが、着地と同時に膝を付いた。
「……心臓を狙って来ると思ったぞ。」
マードックは胸板と……左腕から激しく出血していた。天性の戦闘センスに恵まれたのはKだけではない。渾身の一撃でも届かないと本能に告げられたマードックは、咄嗟に左腕を
隙がないはずの秘奥義に、ごく僅かに生じたタイムラグ。千載一遇の好機を右手の大戦斧は逃さなかった。直撃こそしなかったものの、斧の先端が背面跳びで逃れるKの背中にかすっていたのである。
「あああああああああああああアアアァァァ!!」
絶叫するK。ギャラリーの目がなければ痛い痛いと叫び、地面を転がり回っていただろう。マードックは無意識でも武器に念真力を纏わせる事が出来る。当たったのは先端だけでも、傷はさらに深いのだ。
「やはり痛がり屋だったか。それしきの傷で悶え苦しむなら、頭蓋を叩き割られたら、さぞ痛かろうな?」
顔に汗をかかない体質に感謝しながら、Kは剣を杖代わりにして立ち上がり、虚勢を張った。
「フ…フフッ……ぬか喜びさせて悪かったね。この程度の傷なんて…ど、どうという事もないよ。」
言葉を発するだけで激痛に襲われる。軍服に仕込んだ痛み止めのモルヒネを最大限に注入しても、気休めにもならない。高貴さへの憧れ、いや、妄執がなければ気を失っていたかもしれなかった。貴人が蛮人に敗れる姿を見せるのは、プライドが許さない。
「安い演技だな。剣を杖代わりに立ち上がった時点で、何をほざいても無駄だ。」
「キミの方こそ、腕と胸から大出血だ。なんとか即死を免れただけじゃないか。」
言葉を詰まらせない懸命の努力が実を結び、違和感なく強がりを言えたKは、軍服に仕込んだもう一つの仕掛けを使った。銃声と共にKの軍服の腕と足が爆ぜ、純白の生地に赤いシミが広がってゆく。
「グッ!ひ、卑怯だぞ!不利になったからって狙撃手を使うなんて!」
遠のく意識をなんとか繋ぎ止めながら、Kは敗北を糊塗する大芝居を売った。
「誰が撃った!手を出すなと言ったはずだ!」
マードックは背後に向かって怒鳴ったが、誰も発砲などしていない。銃声は破壊を免れたドラゴンフライから発せられたのである。マードックは生粋の強者だけに、"劣勢になった時に、相手に責任を負わせて一騎打ちから逃れる"といった姑息な発想はない。しかし、Kにとって体面を保つ事は、存在意義にも等しいのだ。
「おのれ卑怯な!総員、K様を守り、あの卑劣漢を討ち取るのよ!」
事情を知らされていないノーブルホワイト連隊副長・メリアドネは憤り、部下に号令をかけた。突撃する同盟兵を迎え撃つ機構兵。たちまち怒号が渦巻き、両軍が入り乱れる乱戦が始まる。奸計がハマった事を確認したKは、肩を貸す副長相手に仕上げの演技を見せた。
「……すまないメリアドネ。残忍卑劣な狂犬が一騎打ちに応じた時点で、罠を疑うべきだった……」
苦しげな声は演技ではない。激痛が身を蝕み、呼吸をするのがやっとの状態なのだ。
「しっかりして!船に戻れば医療ポッドがあります!」
Kは頷きながら、"負けそうになった狂犬が卑劣な手段で、正々堂々と勝負に臨んだ貴公子から逃れた"と喧伝してもらう為に必要な工作資金、その捻出方法を考えていた。
"……いや、帰投後の世論工作よりも、まず
Kは王国建設の野望を実現する為に、吝嗇兎に寵愛されている一葉を籠絡しただけで、彼女が開発したSESには懐疑的であった。戦闘のみならず、戦争の天才でもある自分が指揮を執ればなんとかなるだろうとは思っていたが、しばらくは前線に立てない。Kは傷の治りが遅く、軽傷であっても完治までにはかなりの時間を要するのだ。指揮を執るだけなら可能だったが、戦えない状態で戦場に留まるのは危険過ぎる。
つまるところKは、SESだけではなく五本指の作戦遂行能力にも懐疑的だったのである。
そして都合よく記憶を改竄するKは、医療ポッドに入る前には"あのまま戦っていたら殺されていた"という認めたくない事実を心の奥底に封印していた。
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