愛憎編39話 貴公子VS狂犬



※トガ・サイド


「壁の後ろに隠れても無駄だ。すぐに引きずり出してやる。」


Kを斃せば刑期を100年短縮すると持ち掛けられたマードックだったが、減刑を焦るつもりはない。なぜなら、たまに月龍を通じて仕事を依頼されるだけで、普段は自由に振る舞っているからだ。


頭蓋の中に爆弾のない、完全な自由を欲する気持ちは当然あったが、獄中で朧月セツナと交わした約定、"戦功と引き換えに自身とドーラ、コットスを減刑する"は守るつもりでいた。恩義を感じた訳ではなく、"法は守らないが約束は守り、違約と裏切りには死で報いる"のがマードックのポリシーなのである。


組織を持たないマードックを侮ったマフィアが報酬の支払いを渋ったり、契約を反故にしようとすれば皆殺し、度を過ぎた殺戮の結果が"懲役400年"であった。


「隠れている訳じゃない。下郎と交える剣を持たないだけさ。」


ゆっくりと歩み寄る巨漢に対し、Kは専用兵装"ドラゴンフライ"を差し向けて攻撃を開始する。先天的と後天的という違いはあっても、両者の念真強度は600万nで互角。狂犬の展開する厚みのある念真障壁を、ドラゴンフライの放つ念真砲は貫けない。


マードックは第一の障壁に向かって大戦斧を振るい、一撃で破壊はしたものの、間髪入れずに第二の障壁が迫り出して前進を阻んだ。Kの前には既に新たな第三の障壁が形成されている。


障壁を破壊しながら前進しようにも迫り出す壁の皮剥きを強いられるマードック、寄せさせないがダメージも与えられないK。膠着の打開を図るのはどちらだろうと、兵士達は固唾を飲んで見守った。


「猪口才な色白め!この程度で俺の前進を阻もうとは片腹痛いわ!」


前進しながら右手で振るった大戦斧で第一の障壁を粉砕し、間髪入れずに左手で放った念真砲で第二の障壁を吹き飛ばす。人外の膂力と膨大な念真強度があればこその力技、並の兵士が同じ事をしても、第一の障壁すら突破出来ないであろう。


肉塊ミンチに変わる覚悟は出来たか!」


超重量級とは思えないスピードで第三の障壁に肉薄したマードックは、大戦斧をKの脳天目がけて振り下ろした。障壁ごと頭蓋をかち割るかに見えた猛撃、しかしKは紙一重で横に躱し、切っ先に念真力を込めた突きで反撃する。障壁と固めた筋肉で突きを弾こうとしたマードックだったが、Kとて並の兵士ではない。


「へえ、キミみたいな男でも、血は赤いんだね。」


念真力と膂力を一点に集中した剣先は障壁と筋肉の鎧を貫き、マードックの左肩に突き刺さった。女性の腰回りほどの太さがある足での蹴りで反撃されたものの、深追いする気のないKは跳び退って距離を取っていた。追おうとするマードックの前に、瞬時に展開された三枚の壁が立ちはだかる。


「小癪な。逃げの剣術には長けているようだな。」


筋肉を締めて出血を止めたマードックは、動きを牽制しようとするドラゴンフライを特大の念真サイキック衝撃破エクスプロージョンで破壊する。


強襲タイプの超重量級兵士と、防御タイプの中軽量級兵士の一騎打ちの天秤は、まだ傾かない。


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真棒ジェンバン!真棒!これぞ頂点の戦いです!」


恍惚状態の月龍は滅多に上げない大声と歓喜の涙に咽びながら、両者の一騎打ちを見守っていた。月龍隊の面々は武器を構え、この日の為に雇ったプロカメラマンによる撮影チームを護衛している。


軍人というよりSM嬢と言った方がよい出で立ちの"イカレ女クレイジービッチ"ドーラは、月龍の股間が膨らんでいるのを見て嘆息する。


「月龍、アンタが変態なのはわかり切ってる事だけどさ。盛りのついた犬じゃないんだから、戦場でハァハァ言いながら小汚いモノをおっ勃たせるのはよしなよ。」


「放っておいてください。と言うか、話しかけないでもらえますか。」


囚人部隊"ヘル・ホーンズ"の幹部"凶獣"コットスと、監査役の"天才"もしくは"変態"ユエルンは不仲の極みであったが、ドーラとユエルンはそうでもない。暗黒街ではコットスとコンビを組み、軍に召集されてからはユエルンと共に雑事を請け負うドーラは、ドSで真正のマゾヒストではあったが、コミュニケーション能力と実務能力に長けた才女でもあった。


「やっぱよぉ、ハモンドじゃなくコイツが死ねば良かったんだぜ。」


地面に唾を吐いたコットスだったが、ハモンドの死を悼む気持ちなど微塵もない。自らの意志でヘル・ホーンズを抜けたハモンドは、コットスの価値観に照らし合わせれば"裏切り者"であり、無様に殺されて清々したぐらいである。


「いくつか手傷を負ったマードックに対し、整形野郎は未だ無傷とはね。なかなかやるじゃないか。」


ドーラはユエルンのように全身全霊で凝視している訳ではないが、一騎打ちをチラ見はしている。普段は戦局分析を手伝ってくれる拳法家が自分の趣味に浸り倒しているので、一人でやるしかないのだ。


「おいドーラ!おまえまさか、マードック様が負けるだなんて思ってないだろうな!」


かつて暗黒街で無敵無敗を誇った用心棒は、自分を完膚なきまでに叩きのめした暴君の忠臣であり、信奉者でもあった。コットスもまた、巨漢のパワーファイターであり、物事は暴力で解決する。ユエルンに"劣化マードック"などと揶揄される由縁である。


「怖い顔しなさんなって。そうでなくても怖い顔してんだからさ。マードックが負けるとは思わないけど、楽に勝たせてくれる相手じゃないのは確かだろ。アタシらだったら、まず間違いなく返り討ちだよ?」


「俺はマードック様以外の誰にも負けねえ!」


170センチの女は220センチの大男の肩に飛び乗り、そっと耳元で囁いた。


「コットス、それがアンタの悪い癖だ。願望と現実を一緒くたにするのはお止しよ。世間ってのはね、アタシらの都合で回っちゃいないのさ。」


そうでなければ、自分達が獄に繋がれる訳がない。ドーラはエキセントリックな見かけに反して、それなりの常識を持ち合わせていた。根っこにある狂気を覆い隠す為の外套のような概念ではあったが、機能しているのである。


「…………」


「アタシの相棒、"凶獣"コットスは強いよ。だけどアンタより上はマードックだけじゃない。マードックの次に強い男になりたいのなら、格上の存在を認めて、超えなきゃならないんだ。貴重な学びの場を無駄にしないでおくれよ。アタシの言ってる事がわかるよねえ?」


「……わかった。頭脳はドーラ、暴力は俺、だったよな。」


自分はドーラに上手く操縦されている、コットスにもそれはわかっていた。しかし、それで構わないとも思っている。主も相棒も自分で選んだ。どう使われようが、どう乗りこなされようが、それはそれ。コットスはまどろっこしい事が苦手で、シンプルに生き、シンプルに死にたい男であった。


行動様式に明快さを求める凶獣は、絶対的な服従を誓える男と、思考を依存していい女に会えた事は幸運だと考えていたのである。


────────────────────────


現役の犯罪者と元犯罪者が一騎打ちを繰り広げる中央では兵士は動いていなかったが、右翼と左翼では戦闘が継続されていた。右翼を指揮するのはホレイショ・ナバスクエスの息子、レアンドロ・ナバスクエス大佐。左翼を指揮するのは娘のマヌエラ・ナバスクエス中佐である。


渡河を終えた兄妹は陣頭指揮を執りながら、何度も中陣にいる父親に包囲陣形の構築を打診していたが、却下されていた。いつものホレイショなら包囲陣形の形成を許可し、左右からの挟撃を命じていたはずだが、今回は勝手が違う。旗艦には最後の兵団から送られてきたアドバイザー・双月アマラがいて、元帥閣下に戦略を授けていたのである。


「アマラよ、ゾンビが品切れになる前に、レアンとマヌエラを前進させた方が良いのではないか?」


アマラは不快感を与えないように細心の注意を払いながら、静かに首を振った。


「まだですわ。屍人兵を使い切る前に、敵兵の燃料が尽きます。」


射出装置を使って後衛に飛び込ませるだけでなく、歩兵として普通に運用すればもっと大量のゾンビを前線に送り込める。同盟軍は射出された棺桶を空中で撃墜する戦術に切り替え始めているし、このままでは戦う事なく破壊されるゾンビが増える。


「バッテリーの持続時間は推定なのだろう? なぜ自信満々に枯渇すると言い切れるのだ?」


押しては引き、引いては押すの繰り返しで臨戦態勢を継続させる戦術に疑念を抱いたナバスクエスを、アマラは穏やかに説得する。


「閣下、バッテリー切れよりも先に、敵兵の余裕が枯渇するのですわ。前線の様子を御覧ください。」


ナバスクエスがメインスクリーンに目をやると、後退したスケルトンがバックパック型の大型バッテリーを交換している姿が見えた。


「まだ戦闘が始まってから、一時間も経っていない。もうバッテリー切れを起こした兵士がいるのか。」


「炎素エンジンが開発されるまではガソリンエンジンが主流でした。人にもよりけりですが、荒野で燃料が半分を切れば、不安になるものです。ましてやここは、荒野より危険な戦場ですのよ。」


「なるほど。バッテリーが切れれば、遭難ではなく落命する。弱兵と新兵に"まだ半分もある"と考える豪胆さを期待する方が酷だろうよ。」


バッテリー切れを起こせば、技をアシストする補助関節は、我が身を縛る拘束具に変わる。バカでなければ枯渇前に除装するはずだが、頼みの外骨格を脱ぎ捨てれば、技術も経験もない弱兵に戻ってしまう。SESは個の力に劣る彼らの命綱なのだ。


「仰る通りです。それにセツナ様が読まれた通り、急拵えのスケルトンには粗悪品も混じっていると思われます。」


アマラの主、朧月セツナはトガ元帥の置かれた政治的状況を正確に把握していた。同盟内での孤立を余儀なくされた老人は戦功を焦るあまり、予定を前倒ししたに違いない。無理な納期は粗悪品の母、ザハトを捨て駒に使って奇襲を仕掛けた狙いは三つあった。


①電源車の破壊

②頭デッカチの優等生に"屍人兵を使い切った"と思わせる。

③募兵した後発部隊のデータ収集


アルハンブラから送られてきた戦闘記録に目を通したセツナは、ソリス師団と戦った本隊のデータと比較分析を行い、後続部隊の兵装品質が落ちている事を確認した。そしてアマラを通じてナバスクエスに助言、いや、指示を出していたのである。兵団から手柄を譲られるカタチで北エイジアに領土を獲得し、今も援助を受けているナバスクエスは、今のところはセツナの思い通りに軍を動かしている。


「狂犬はなかなかの豪の者のようだが、色白に手を焼いておるな。勝てると思うか?」


マードックは第二の障壁までは簡単に突破出来るが、最後の障壁を破壊しながらの攻撃では威力と速さが減衰し、Kを捉える事が出来ないでいる。だったら最後の障壁も破壊してから攻撃すれば良さそうなものだが、マードックは頑なに障壁と本体への同時攻撃を繰り返していた。意地もあるには違いなかったが、障壁ナシの状態ではスピードに勝るKは後退し、勝負してこないと知っているのだ。


「……保険がなければ至近距離クロスレンジで戦わない。慎重と言えば聞こえはよろしいですが、存外、臆病な男なのかもしれませんわね。」


「病的な肌の白さからして、痛がり屋なのだろうよ。狂犬が負けたら余が出よう。」


ホレイショ・ナバスクエスが余と称するのは、僭称ではない。彼の祖先は南アトラスにあった植民国で王号を所持していたからだ。移民貴族と現地王族の混血児、それがホレイショ・ナバスクエスであった。


「フフッ、狂犬が負ければ、閣下の"ジャガーの目"を拝見出来そうですわね。」


「煉獄は"豹眼"などと呼びおったが、豹とジャガーは似て異なるものだぞ。アトラス豹を現す覇人語がないゆえ、仕方のない事だがな。」


※メクス人最強の男と謳われる"獣人"ナバスクエスの目が翡翠のように輝く。息子と娘も豹眼の持ち主であったが色が違う。"翡翠の豹眼ジェイドアイ"は一族の長のみに顕現する王の証なのである。



失われた王国の末裔は、王家への妄想を抱く男と、暗黒街の暴君の戦いを興味深げに眺めながら、戦いの時を待っていた。


※メクス人

地球で言えばメキシコ人にあたります。

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