愛憎編28話 面従腹背の征服者
※フー・サイド
「リンミン、久しぶりじゃのう。実り多き会談だったかな?」
テーブルの上には調度品こそ質素ながら、美しい料理が輪を為していた。老拳法家は愛弟子の為に、師から伝授された秘伝料理の腕を振るったらしい。
「はい。ここに来る前に本宅のバーンスタイン少将とも会談し、軍事協力の詳細についても話し合って参りました。」
"鉄拳"バクスウは五十年来の友である"
バクスウは老人らしく博識ではあったが、占星術の心得はない。人の運命は星の動きではなく、自らの手で切り拓くものだと考え、学ばなかったのだ。使われなくなった天体望遠鏡は近日中に、マウタウの中学校に寄贈される予定である。
「それは良かった。夏僑の元締めだけあって、頑固爺の扱いには慣れておるようじゃな。」
「会談を終えた辺境伯も、同じ事を仰っていました。"頑固爺が料理をこしらえて待っておるはずだ"と。」
無二の親友でありながら、老人二人はいつも皮肉を言い合っている。戦友で碁敵の二人は、弟子や兵士から声望を集める老雄だったが、友達付き合いに関してはかなり大人げない。遊戯盤を挟んで向き合えば、自分が勝つまで勝負しようとするので、いつも誰かが止める事になる。
「フン!儂はバーンズほど頑固でもないし、子供でもないぞ。あの爺ときたら、孫が嫁取りを考える歳になっても、気性は若い頃のままじゃからのう。老成、という言葉が西域にはないらしいわい。」
「老いてなお盛ん…いえ、今も昔も血気盛んなお方ですわね。あの皇帝が持て余す筈ですわ。古今東西、老骨を動かすのは威ではなく徳。ローゼ姫のような仁徳の君主でなくては、師父や辺境伯のような骨のある老人を動かす事は叶わぬのでしょう。」
「世辞が上手くなったのう。骨のある女は、鶏骨煮でも食すとよい。」
央夏式テーブルを回した師は、鶏骨煮の皿を弟子の前に持ってきた。
「豚の唐揚げを頂きますわ。どうやらあのお姫様に"骨抜き"にされたようですから。」
「そんなタマではあるまいが。酒がまだだったのう。紹興酒でよいかの?」
「私には老酒を。まあ、綺麗。吹き抜けの上はガラス張り、下階からも星を愛でられる造りなのですね。」
酒瓶を手に戻ってきたバクスウは、頑固爺ではなく意地悪婆の台詞を吐いた。
「この屋敷を建てた貴族は夜空を見上げる前に、足下を見ておくべきじゃったのう。優遇税制の恩恵を受けておきながら脱税なぞしよるから、追徴課税として物納する羽目になる。」
「お目こぼし用の鼻薬は、野薔薇の姫には通用しない。まこと、君主の鑑ですわね。ですが老師、可愛い弟子に嘘をつくのは感心しませんわ。」
紹興酒に砂糖をひとさじ入れた老人は、トボけた顔で問い返した。
「ほう。儂がどんな嘘をついたと言うのじゃな?」
「あの姫君のどこが"鳳凰の雛"ですか。猛き翼を持った"鳳凰そのもの"でしょう。」
弟子の非難に師は破顔一笑した。
「カッカッカッ、姫とリンミンでは踏んだ場数が違い過ぎるからの。姉弟子として、そのぐらいのハンデはあってもよかろう。」
「ふふっ、野薔薇の姫も、師父から拳法を習っているそうですわね。」
紹興酒と老酒で乾杯してから、師は弟子に問うた。
「……出世を重ねたのに、なにゆえ儂を招聘せんかった? 師匠面する爺が傍におったら邪魔じゃったか?」
「まさか!……何度も招聘を考え、周囲からもそう進言されました。ですが……出来ませんでした。私は師父の教えに反し、他人を陥れてここまで上ってきたからです。」
フーは決して平坦な道のりを歩んで来た訳ではない。彼女の元帥杖は、権謀術数を駆使して手に入れたものだ。ライバルを陥れる策謀を巡らす自分の姿を、恩師にだけは見られたくなかった。フー・リンミンにとって師父との思い出は聖域なのである。穢す事など出来ようはずがない。
「人を欺かず、人から欺かれるな。いささか教条主義が過ぎたようじゃのう。おヌシが儂の教えを守っておれば、おそらく生きてはいなかった。酷な世界に生きねばならぬ弟子に、余計な教えを授けたものじゃ。※兵者詭道也、という先人の教えもあったというのに……」
権謀術数から縁遠い老人は深々と嘆息した。薔薇十字の相談役となったバクスウは、若き鳳凰を穢す事がなきよう、汚れ仕事を一手に引き受ける死神の献身を知り、内心では深く感謝していたのである。フーには死神のような存在がいなかった。ならば己の手を汚すしかない。
「※君子不立于危墙之下、も先人の教えですが、果たして真理でしょうか? 私はそうは思いません。必要であれば、茨の道であろうと怯まず歩む事が出来る者こそが君子である。そう理解しています。野薔薇の姫は、私が女狐である事を承知の上で共通の利益を模索していました。"ウー・バクスウが愛弟子と呼ぶ女が、根っからの悪人の筈はない"と信じて……」
「……その信頼に応えられそうか?」
相談役の自分がいくら肩入れしようが、姫と敵対すれば後見人のバーンズが、何より指南役の死神が動く。バクスウは弟子の身を案じて、会談を仲介したのである。
「……応えたいと思っています。上手く言えませんが、そう思わせるだけの何かを彼女は持っている。それに私が信義を悪意で返そうものなら、虎視眈々と様子を窺っていた大虎が黙っていないでしょう。」
「あの男は大虎よりも恐ろしいぞ。決して尾を踏んではならぬ。古来より"前門の虎、後門の狼"と言うじゃろう?」
帝に仇なす者は前後を死門に阻まれ、門より出でし守護獣のどちらかに噛み裂かれる。龍ノ島の双璧、心龍が誇る二つの牙こそ
「野薔薇の姫は万夫不当の守護獣を得ている、羨ましい話ですわね。ささ、師父。今宵は昔話などしながら、ゆっくり飲みましょう。」
遠回しに死神の正体を告げられたフーは、師への感謝の気持ちを込めながら、杯に酒を注いだ。
「※有朋自遠方来、不亦樂乎じゃな。」
「友ではなく弟子ですわ。元帥という肩書きは重すぎて、いささか肩が凝っていますの。たまには弟子に戻らせてください。」
領地に戻れば激務が、面従腹背の部下が待っている。中小派閥が二大派閥から黙殺されない為に担ぎ上げられた女には気苦労が多いのだった。
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※ローゼとフーの会談から二日後、北エイジア最前線の街・ガラガランダ
面従腹背の部下の一人に、"
領土を得るなら安全な場所が良い。しかしソリスは志願して最前線であるガラガランダに赴任してきた。常に緊張に晒される最前線にもメリットはある。敵の領土を奪い取るには最適だからだ。
彼好みに改修させた市庁舎最上階のVIPルームで、ガラガランダの博物館から接収した年代物の豪奢な椅子に腰掛け、街から奪える物がないかを探すのが都市総督であるソリスの仕事だった。民生を充実させて市場を活性化し、より多くの税収を得るという発想は彼にはない。
「コンキスタドール、フー元帥から暗号電文が入りました。」
ソリスは部下にも"中将閣下"ではなく、"コンキスタドール"と呼ばせている。政治力に欠け、搾取を統治の中心に据える彼には相応しい称号なのかもしれない。
「読んでみろ。
ソリスはフーを猩猩と呼んでいたが、物の怪呼ばわりされた元帥は政治力において彼を上回る。フーは夏僑をまとめ上げて中派閥として成立させていたが、ソリスはそれに失敗し、中規模だった派閥は分裂して小派閥に転落した。領袖の座を争ったライバルとは犬猿の仲であり、再結集は絶望的。政敵より資金調達力に劣るソリスは、フーの傘下に入る他なかったのだ。
「ハッ!"第五師団の動向に注意せよ。仕掛けてきても野戦は挑まず籠城し、増援を待つ事"との事です。」
「フン!小商いしか能がない中年女が知った風な事を。口など挟まず、金だけ出していればいいのだ。」
商売人が軍人に意見するなど片腹痛い、ソリスの価値観からすれば当然そうなる。カナタもカプランも一線は守り、トガ閥が開発を進めている強化外骨格の情報を薔薇十字には伝えていなかったが、先の会談でローゼとフーは"政争に敗れたトガ閥が起死回生を図る可能性がある"という見解で一致していた。
トガ閥は北エイジアにおける領土の8割を喪失したとはいえ、2割は健在。後方に待機し、無傷だった第五師団(トガ師団)を中核に、領土を追われた敗残兵と艦船は、残った都市を死守すべく最前線に展開している。奪還作戦を行おうとするのなら、すぐにも出来る態勢ではあるのだ。
「コンキスタドール、防衛計画を記したファイルも送付されてきましたが、如何致しますか?」
「削除しろ。"トガの弱兵"如きに籠城などしてみろ。コンキスタドールの名が泣くわ。」
"一角兎"と恐れられた兎我忠秋を失ってから、トガ閥はほとんど戦果を上げた事がない。数少ない戦果とて、全てルシア閥かアスラ派の勝ち戦に乗じたもので、単独で勝った事は十年以上ないのだから、ソリスが甘く見るのも無理はなかった。ローゼとフーの警戒も"完全適合者Kの招聘"に起因し、トガ閥そのものは弱兵と見做していた。ソリスより賢い二人は、"強力な個の力が戦局を変える危険性"を熟知していたからである。
ソリスが警戒していたのは、"災害ザラゾフか軍神イスカによる奪還作戦"であって、師団指揮官ではないKは軽んじていた。街を支配する準適合者は、完全適合者の強さを映像でしか知らない。配下を使って弱らせ、自分が仕留める。そんなプランを思い描いていた。
元帥からの命令書を破棄させたソリスは、財務局長に電話を入れた。総督官邸の造営は竣工中だが、別邸がまだである事に気付いたのである。0,5秒で電話に出た局長に、付加価値税の税率引き上げを検討するよう命令し、オフィスを後にする。彼には次の仕事があるのだ。
連日連夜に渡って催される贅を尽くしたパーティーへの出席。ソリスは征服者として充実した日々を過ごしていた。
※兵者詭道也
兵は詭道なり、孫子の兵法の一節。惑星テラにも同じ言葉を残した兵法の大家がいるようです。
※君子不立于危墙之下
君子危うきに近寄らず、の意。
※有朋自遠方来、不亦樂乎
遠方より友来たる、また楽しからずや、の意。
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