愛憎編27話 機構軍元帥・傅彩明


※フー・サイド


機構軍元帥・傅彩明フーリンミンは、起床後すぐにスポーツウェアに着替え、拳法の型稽古をこなすのを日課にしている。応龍鉄指拳では暗器術も教えており、彼女は特に鉄扇の扱いに習熟していた。利き手の鉄扇で身を守りながら、もう片方の手で鉄爪を振るう。守りを重視するスタイルを身に付けたのは亡父の意向である。殺されない事を重視する名家の令嬢としては当然であろう。


大姐ダージェ、お電話が入っております。」


黒いスーツを纏った使用人が、銀盆にハンディコムを載せて主の前に運んできた。


ピアォ、元帥と呼びなさい。」


機構領のどの都市に行っても必ずあると言っていい央夏街、その総元締めがフーのもう一つの顔であった。軍務に就いている者は皆、元帥と読んでいるが、幼少期から仕えている使用人は昔の癖がなかなか抜けないものかもしれない。


「申し訳ありません、。」


彪はわざと間違えているとわかったフーだったが、咎めはしなかった。父の代からボディーガードを務める彪は、彼女が最も信頼する側近でもあったからだ。


「四十を過ぎた女にお嬢様もないでしょう。」


銀盆からハンディコムを取ったフーは相手が恩師であると気付き、一緒に載せられていた水で喉を潤してから電話に出た。


「師父、ご無沙汰しております。今も師父から習った拳法の稽古をしていましたのよ?」


「壮健そうで何よりじゃ。おっと、元帥閣下に気安い事を言ってはならんのう。」


"鉄拳"バクスウこと、武邈崇ウーバクスウが、彼女に拳法を教えた師匠であった。"結局のところ、最後の最後に身を守る者は、自分自身なのだ"と言った父は、娘を応龍鉄指拳継承者に預け、手加減せずに鍛えてくれと依頼した。厳しい修行を終えたフーは、夏僑を代表して軍に入り、父を亡くしてからは軍務と元締めの二足のわらじを履く事となった。出身母体のバックアップを受けながら、巧みに他の中小派閥と連携して元帥に上り詰めたのだから、かなりの才女と言えるだろう。


「師父、ご冗談はお止めください。私はもう十五の小娘ではありません。軍での序列など、公式の場だけで十分ですわ。」


「カッカッカッ、良き哉良き哉。姫から元帥がマウタウを訪れると聞いてのう。久しぶりに一緒に食事でもしようかと思うてな。」


姫……師父が見つけた"鳳凰の雛"か……


派閥間の力学に腐心してきたフーは、人物鑑定に自信を持っていた。直接会った事は一度しかないが、通信では何度か話している。師父が入れ込むだけあって、聡明な少女だと感じたが、本物かどうかはまだわからない。用心深くなければ生き残れない世界を渡ってきたフーは、彼女の真贋を確かめようと本格的な会談を申し入れたのだった。


「もちろん師父が料理を作ってくださるのでしょうね? それとも、拳と料理を受け継いでくれる弟子でも見つけられましたか?」


父を亡くした今となっては、師父はフーが甘えられる唯一の存在だった。


「仰ぐ蒼天は見つけたつもりじゃが、不器用で非才な弟子の方はまだじゃ。」


「師父、お言葉ですが、普通は器用で才気ある弟子を探すものです。」


「なまじ才気に恵まれると月龍ユエルンのような不道徳者になりかねん。小粒の金剛石ではなく、大粒の原石に全てを伝えたい。彼奴あやつほどではないが、今までの弟子は才に恵まれ過ぎておる。残念ながらフー・リンミンものう。」


あの天才肌の変態は特例中の特例ですよ、とフーは思ったが師の手前、言及はしなかった。拳と薬膳の全てを継承させるにあたわず、という師の評価を彼女は気にしない。師父バクスウも、師父の師ソンミンも若かりし頃は夏僑での評価は低く、応龍鉄指拳の継承者になる事も、夏僑一の薬膳料理人となる事も予想出来た者はいなかった。


「ふふっ、師父が凡夫に巡り会えますように。お会いするのが楽しみです。ではご機嫌よう。」


"拳膳大道"ソンミンの拳と膳を受け継いだのが"鉄拳"バクスウであったように、バクスウの拳と膳を受け継ぐ者も、大器晩成型でなくてはならないのだろう。才がなくとも諦めずに、愚直に、真摯に、大道を歩む者。それは天才を見つけるよりも困難な事に違いない。


師父が"天才を超える凡夫"を欲している事を愛弟子のフーはよく知っていた。小器用な自分は、そうはなれない事も含めて、である。


────────────────────────


薔薇十字の力を借りて北エイジアに領土を得たフー、彼女には若き日から胸に秘めていた大願があった。度重なる戦火によって世界各地にばらけてしまった夏人に故郷を、安息の地を与えたいという壮大な願いが。その実現に向けた足掛かり、まとまった領土は得た。であれば、足掛かりを踏み台に次の段階に進むのが常道。しかしフーの選択は違った。彼女はまず、足掛かりを確固たる物とする道を選んだのだ。この慎重さこそが、彼女を元帥たらしめたのである。


麾下の部隊を率いてマウタウを訪れたフーは、到着後に赤銅騎士団との合同演習を命じ、自身は市街中枢にある薔薇十字本部を訪れた。伴った随員は彪だけである。マウタウの治安は安定しており、出迎えに来たのが"守護神"アシェスとなれば、余計な随員は邪魔なだけであったからだ。


守護神に案内された本部の応接室には少女総帥と、その指南役が待っていた。元帥を出迎えた少女総帥の所作は儀礼に則ったものだったが、髑髏マスクの男は着座したままだった。起立も敬礼もしないどころか、頬杖をついたまま、足まで組んでいる。


「死神!元帥閣下の御前だ、無礼は許さん!」


ツカツカと歩み出た彪が怒鳴りつけても、髑髏マスクは意に介さなかった。


「彪、※小さな虎が大きな虎に吠えるのは滑稽です。お下がりなさい。」


この人喰い虎は私の器を試そうとしている、噂通り油断ならない男だ。武力は彪に及ばないが、知力は彪に勝る女主人は指南役兼参謀の意図を読んだ。


「フー元帥、指南役の無礼をお許しください。少佐待遇といっても民間人なので、軍での所作には疎いのです。」


この台詞も謝罪ではない。"階級に恐れ入る男ではありませんよ"と自慢しているのだ。フーは少女総帥の言葉の裏も読み取った。


「宝刀武雷を操る放蕩無頼の男、その武勇と人となりは師父から聞いている。評判倒れではなく、安堵したと言っておこうかしら。」


「私も老師からフー閣下の人となりをお伺いしております。器も大きく、聡明な方と確信しましたので、早速本題に入らせて頂きますね。御所望なのは"八岐大蛇の設計図"でよろしいですか?」


お茶を出す前どころか、着座する前に訪問した目的を言い当てられ、流石にフーも動揺した。フーより腹芸の下手な彪は動揺ではなく、狼狽してしまっている。


元帥である彼女が、大佐に過ぎない薔薇十字総帥を呼びつけずに自ら訪ねたのは、真贋の見極めだけではなく、軽くはない頼み事があったからなのだ。頼み事の内容を知っていたのは、発案者のフーと側近の彪のみ。


彪は屋敷の機密保持体制に手抜かりがあったと早合点してしまったのだ。


正是如此その通り。……お茶の前に本題を切り出すのがガルム式かしら?」


私とした事が動揺を顔に出してしまうとは。18の小娘と侮ってはならない。この皇女は海千山千の長老衆より老獪な相手だ。……違う、いくらなんでも老獪が過ぎる。若きリーダーに知恵を付けた誰かがいるのだ。


フーはチラリと人喰い虎を見やった。龍ノ島出身という噂があるが、顔も素性も謎の男が、少女総帥の知恵袋なのだと確信する。


「すぐにお茶をお持ちします。まずはお掛けください。」


豪華な肘掛け椅子に座ったフーは、ソファーにキチンと座る皇女と頬杖をついたままの指南役に向き合った。彪はいつものように女主人の斜め後ろに佇立している。三人分の茶と一人分の酒が運ばれ、フーが彪に着座を命じてから会談が始まった。


「重要拠点を防衛する為に八岐大蛇を運用したい。私の来訪目的は確かにそれだが、先ほどの対応から見て"提供する意志はある"と考えても良いのかな?」


言葉は少女総帥に向けて発しながら、視線は指南役に向ける。"おまえが黒幕なのはわかっているぞ"と、さらに視線に力を込めると、仮面の男は答えた。


「フー元帥、設計図だけでは役に立たんぞ?」


「どういう意味だ?」


「超大型曲射砲"八岐大蛇"が極めて高い防衛能力を持っている事は、誰でもわかっている。同盟軍はフォート・ミラー要塞を攻略したが、八岐大蛇を真正面から打ち破った訳じゃあない。機略を用いて要塞内に工作兵を送り込み、レールを破壊し、無力化させた。」


「陥落の経緯は知っている。正攻法では攻略不可能な列車砲、だからこそ欲しい。死神、私は妙な事を言っているのか?」


「元帥閣下、クイズの時間だ。八岐大蛇を設計・製造したのは機構軍御用達のスペック社だ。真似したくても出来なかった同盟の連中は、念願の現物を手に入れた。なのに何故、両軍揃って要衝に配備せず、稼働しているのはフォート・ミラーにある一つだけなのか?」


フーは天井を見上げながらクイズに答えた。


「なるほど。性能は申し分ないが、費用対効果が悪い、という訳か。」


「そういう事だ。八岐大蛇は金食い虫なのさ。予算の目処がついたとしても、製造するには超高度かつ超大型の専用工場と、最高レベルの技術チームが1個大隊は必要だ。八岐大蛇を一つ造る予算があれば、1ダースの拠点に十二分な曲射砲を設置出来る。」


「同盟軍を威嚇しながら、機構軍の技術を誇る為の試作品だった。そういう情報は軍内で共有して欲しいものだ。」


フーは慨嘆したが、階級は同じながらも格上の存在であるゴッドハルトが、情報の共有など考えない男である事は承知している。


「理由はもう一つある。金食い虫とわかっていても製造に踏み切ったのは"ここさえ抜かれなきゃ、後方地帯全ての安全が担保される"って地理的条件が満たされるからだ。空路が使えない以上、険しい山脈の間にある僅かな平地、そのど真ん中にあるフォート・ミラーを抑えない限りは、兵站路が確保出来ん。」


「逆の事は同盟軍にも言えるわね。フォート・ミラー要塞を"不屈の闘将"ヒンクリーに守らせておけば、後方のグラドサル地方は安全。多くの駐屯兵を配備する必要もなく、浮いた兵力は他方面に回せる。だからグラドサル総督の東雲は、第二師団のほとんどを副官の"ソードダンサー"雅楽代玄蕃に預け、遊撃師団として活用しているのね。」


「フー元帥、八岐大蛇に頼らずとも領土を守る方法はあります。具体的な方策について、お話しませんか?」


入れ知恵された通りに会話を誘導する。振付師が優秀でも女優がヘボでは意味を為さない。この新人は将来有望なのだろうなと思ったフーだったが、目を擦りたくなった。少女の背中に輝く翼が見えたような気がしたからだ。


「どうかしましたか?」


穏やかな笑顔で問われたフーは、スティンローゼ・リングヴォルトが"鳳凰の雛"ではない事を悟った。この娘は既に"鳳凰"なのだ。


非常愉快とてもゆかいよ死神スシェン、ここからは口を出さない。そういう理解でいいのですね?」


死神は"俺の仕事はここまで"とばかりに瞑目し、ソファーに深々と身を沈めた。優秀なブレーンが同席しているのに、"野薔薇の姫"はサシでこの私と話をつけようとしている。


"頼りにしているが、依存はしない"


その心意気や、良し。フーは心身共に真っ直ぐに、野薔薇の姫と向き合った。



薔薇十字を率いて二年の少女と、夏僑を率いて二十年の女は、参謀と側近が見守る前で駆け引きを開始する。虚と実を織り交ぜながら、相手の真意を探り、共通の利益を得る為に……


※小さな虎

彪という文字には"小さい虎"という意味もあります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る