愛憎編26話 始まる前から頓挫した野望


※K・サイド(某日某所のシティホテル)


「待って。少し休ませて頂戴。」


女は一息入れたがったが、男は己が肉欲を優先させた。


「ダメだね。もっと喘ぐ顔を見たいんだ。」


Kと一葉、同僚となった二人は仕事を終えた後にホテルで密会し、何度も体を重ねていた。生身の頃から性欲の強かったKだったが、超人兵士培養計画の副産物で、現在は色情狂と評するに相応しい。Kは剣狼ほどタフではなかったが、クドく、しつこく、道具を用いてでも、本能の命じるままに女体を漁る。完全適合によって増したスタミナが尽きるまでは……


一葉は"何度も求めてくるのは愛されているがゆえ"と思っていたが、Kは"そういう生き物、もしくはケダモノ"なだけである。もちろん一葉の思い違いはKにとっては都合がよく、またそう思うように仕向けたものでもあったが。病的な性欲を処理しながらKは思った。


……どうして女は"キミだけだ"という台詞にこんなにも弱いのか。冷静に考えれば"僕ほどの男を一人の女が独占していい訳がない"と気付くだろうに……


Kはノーブルホワイト連隊副長のメリアドネ・ルプスには一葉と関係を持った事を話している。もちろん"愛しているのはキミだけだ"を枕言葉に、トガ元帥の寵愛を受ける女の利用計画を打ち明けたのだ。


メリアドネの犯歴が"結婚詐欺"であれば、Kの嘘を見抜けたかもしれない。しかし彼女の罪状は"銀行へのハッキング"であった。整形美人のメリアドネは刑務所に入るまで、ディスプレイ越しにしか他人と付き合った事がない。女を騙す事を生業にしてきた整形美男にとってはチョロいカモであった。


何度目かの情事を終えた二人が絡み合ったままベッドの上で小休止していると、サイドテーブルのハンディコムが鳴った。


「出ないでいい。僕だけを見ていればいいんだ。」


Kはそう言ったが、一葉は汗で濡れた体を起こした。


「出ない訳にはいかないわ。この着信音は狒々爺ひひじじいだもの。」


一葉はトガ元帥を吝嗇兎ではなく狒々爺と呼んでいた。潤沢な開発資金と十分な給与、兎我忠冬は彼女に対してはケチではなかったからだ。いつもは心の中で呼ぶだけだが、ここなら遠慮する必要はない。


「あの爺様に爪と牙があるとは思えないね。」


興を削がれたKはワインを取りに冷蔵庫へ向かったが、すぐに会話の内容に耳を傾ける。愛人の様子から極めて不都合な事態が生じたのがわかったからである。


「……はい……そうですか。状況は飲み込めました。大丈夫です、閣下。五本指と彼らの部下が引き抜かれる心配はありません。もちろん、私もすぐに動きます。」


慌てて衣服を身に付け始めた一葉にKは問いかけた。


「緊急事態のようだね。軍法会議で何かあったのかい?」


「ええ。剣狼が降格を免れたのよ。これじゃあ狒々爺の面子は丸潰れだわ。」


「密約を交わしていたはずの風見鶏が裏切った、という事かい?」


これからすべき事を考えながら、一葉は怒りを爆発させる。


「そうよ!何が"儂に任せておけ"よ!風見鶏に手玉に取られたんじゃない!あの爺ィの面子なんかどうなってもいいけど、剣狼が無罪放免になった事で"軍法会議を支配するのはトガ閥"という図式は崩れ去ったわ。」


「それがそんなに問題なのか? トガ閥の勝率は高かったとはいえ、負けた事もあったし、妥協した事もあったはずだ。」


Kにとっては忌々しい事だが、天掛カナタは公爵位を有する完全適合者なのだ。この世界では、高い身分か強い能力を持っていれば、法を捻じ曲げられる。ましてや剣狼はその両方を備えているのだ。いずれ立場を逆転させるつもりではいるが、今の段階では剣狼のバックボーンはKを遥かに凌いでいる。ゆえに違法を合法に変えるのは造作もないだろうとKは思っていた。もちろん、高貴なる強者である自分にも、それは許されているのである。いや、それどころかKは"自分自身が法"になるべきだと考えている男であった。


「数少ない負けや妥協は、それなりに理由があったし、相手も大物だったわ。影響が予算編成権にまで波及したら、トガ閥は終わりよ。」


「強運と偶然によって得た地位とはいえ、剣狼だって大物の範疇には入るだろう。今回の件では災害が肩入れしているのだしね。」


もし剣狼のような強運が自分にあれば、今頃は公爵どころか、この星の王になっている。Kは歯ぎしりを堪えながら、認めたくない事実を口にした。Kとカナタは不倶戴天としか言い様がない。


「今回の事件は領袖の血縁者どころか、孫のバカ春が被害者なのよ。降格処分でも最大限に妥協した結果だったのに、あろうことか事実上の無罪放免。何より、災害と風見鶏が剣狼を介して軍神と手を結んだ。これは大問題だわ。」


まさかの動向を聞かされたKの余裕が吹き飛んだ。


「それは本当か!? あの三人が手を結ぶなんてあり得ないはずだ!特に風見鶏にとっては不都合極まりない!奴の強味は、派閥間のバランサーを務められる事だけなんだぞ!あの男が最大の武器を手放すはずがない!」


ルシア閥とフラム閥が共闘するだけでも同盟の勢力バランスは大きく揺らぐ。近年の同盟軍は三大派閥の綱引きによって営まれてきたと言っても過言ではないからだ。そこに急速に勢力を拡大してきたアスラ派が加わればトガ閥は完全に孤立し、下手をすれば雲散霧消の憂き目に遭うだろう。


Kにしてみれば一葉と示し合わせて切符を入手し、なんとか乗り込んだばかりの大船が、実は泥船でしたと言われたに等しく、落ち着いていられる訳がない。


「あの場にいた誰かが、隠し撮りした軍法会議の映像をマスコミにリークしたの。犯人が誰であれ、マスコミ業界を牛耳る風見鶏の許可がなければ、放送なんて出来ないわ。……いえ、隠し撮りも風見鶏の差し金ね。軍神の引き抜き工作をアシストする為に仕掛けた罠だったに違いない……」


遅きに逸したとはいえ、一葉は事態を正しく分析した。士官学校を首席卒業した鋭才ならば、当然かもしれなかったが。


「御堂イスカは後方任務の手腕にも定評がある。トガ閥から乗り換えるならアスラ派だと考える者が出て来るんじゃないか?」


"あの女の美貌と才能はズバ抜けている。年増というにはまだ早いし、我の強さがなければ愛人筆頭にしても良いぐらいだ"と心中で最大級の賛辞を送ったKだったが、軍神イスカが実際に耳にしていたら殺されていただろう。超が付くほどの痛覚過敏で、痛みに弱いKの天敵とも言える"狼眼"を御堂イスカはコピーしているのだ。


Kは将来に備え、一葉に邪眼に対抗する戦術アプリの開発を依頼していたが、まだ芳しい成果は得られていない。


「今、まさに切り崩されてる最中よ。目端が利く連中は"トガ閥包囲網が完成した"と考えて身の振り方を考えるでしょう。今回の件がなくても"負け続き"な上に"派閥の後継者がバカ春"と思われていて、引き締めに苦労してるっていうのに!」


シャワーを浴びる事も出来ず軍装を整えた一葉は部屋を出て行こうとしたが、Kは軍服の肩を掴んで振り向かせる。


「後継者はバカ春ではなく、キミだ。栗落花一葉こそが、派閥の長に相応しい。」


「そうね。……K、私を支えてくれる?」


「もちろんだとも。僕はいつでも、世紀を隔てようと、例えこの身が死して生まれ変わろうとも、キミの味方だ。」


剣狼は涼しい顔でハッタリをかませる男であったが、Kは眉一つ動かさず歯の浮きそうな台詞を言える男だった。ベクトルは違うが"嘘が上手い"のは二人の共通項である。


「嬉しいわ。私達の物になる派閥を瓦解させる訳にはいかないから、もう行くわね。」


愛する男と口吻を交わした女は部屋を出た。ドアが閉まった後、Kの顔には酷薄な笑みが浮かぶ。一葉がトガ元帥に持ち掛けた"新たな後継者としての子作り"はKが発案したプランだった。


SESを実戦に投入し、Kと一葉は戦争の英雄となる。名声と広大な領土を得た後に、後妻と離婚したトガ元帥に一葉が嫁ぎ、折りを見て暗殺。老元帥に重用され、白兵戦にも長けたエリートが新妻となれば、非力な夫を事故死させるのは容易い。孫の忠春は先んじて戦死させるか謀殺しておけば、一葉が派閥を引き継ぐのに何の支障もないのだ。これが計画であった。


計画は違う。派閥を継承した彼女を利用し尽くし、用済みになれば殺して全てを奪う。"貴公子"Kにとっては栗落花一葉など、自分の高貴さを全世界に認めさせ、世界中の美女をコレクションする為の道具に過ぎないのだ。


「……一葉、キミには高貴なる子胤を宿す資格はない。才能はまあまあだけど、美貌が足りないからね。最高の美貌と才能を兼備する女だけが、神に等しい存在である僕の寵愛を受け、下賎な愚民を導く"王の母"になる資格があるんだ。」


機構軍最強の兵と謳われる朧月セツナの野望は"新世紀を統べる神"になる事であったが、Kも同じような野心を抱いているらしかった。しかし、煉獄と貴公子の野望には決定的な違いがある。"新世紀の神として永遠にこの星を支配する"のも"神に等しい自分が、選ばれし美女に高貴なる子胤を授け、産まれた子を各地を統べる王とする"のも、中身としては大差ないかもしれない。違うのは実現性の有無である。


Kのプランは始まる前から頓挫が確定していた。なぜならば……



K自身も知らない事であったが、超人兵士培養計画は彼からメラニン色素だけではなく、生殖能力も奪っていた。タネを蒔く事は出来るが、子を為す事は叶わないのである。

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