愛憎編25話 鮮明な旗幟



「つまりこういう事かい。風見鶏の旦那は密約で吝嗇兎を油断させておいて、土壇場で裏切った。」


マリカさんはカペリンではない本シシャモを煙草みたいに咥えたまま、カプラン元帥に確認する。海鮮居酒屋"わだつみ"で開催された祝勝会。奥座敷にいるのはオレと両元帥、シグマリと三人娘にホタルさんだ。


卓上コンロの火で紙巻き煙草に火を点けたカプラン元帥は、吊り下げ式の排煙口に向かって紫煙を吐きながら答える。


「密約通りに二階級降格の処分が下されたのだから、裏切りか否かは解釈の問題だよ。トガ元帥も馬鹿ではないから手付金は微々たるものだったが、私の主目的は"不良債権の処理"だったからね。元はと言えば、ルシア発の債権なのだが。」


カプラン元帥は意味ありげな視線をこちらに向けた。オレとザラゾフ元帥が共謀してKを押し付けた事にもう気付いているのだ。


「人材だって資源ですからリサイクルはしませんと。チャティスマガオ防衛戦ではそれなりに役に立ったじゃないですか。」


カプラン元帥は苦笑しながら皮肉混じりの取説を行う。


「毒饅頭を食わせた張本人がヌケヌケと。Kはババ抜きのババではなく、七並べのババだ。必要な局面で使った後は、誰かに押し付けるのが正しい用法。ババ抜きでも七並べでも、ババを最後まで持っていた者が敗者ルーザーとなるのだからね。」


用済みになった毒饅頭は、熨斗を付けてトガ元帥に譲渡した、か。転んでもタダでは起きないのがジョルジュ・カプランという男だ。


「今後は毒なしの饅頭を送りますよ。借りも出来ましたからね。」


毒饅頭を食わせた時は、潜在的な敵だと思ってたからなぁ。最初は災害閣下も打倒すべき黒幕だと思ってたし、オレも見る目がない。


「どの派閥にいようが、色白はいずれ始末せねばならん。しかし旗幟を鮮明にせん主義のおまえが、どういう風の吹き回しだ?」


もう一人の元帥が強引に話題を変えた。閣下は話術も力技なのだ。何時いかなる時も力任せ、このシンプルさこそ、災害ザラゾフの真骨頂だ。


「落馬のリスクを負ってでも、勝ち馬に乗る。あの夜に、そう言ったはずだ。トガ元帥はいずれ失脚させるつもりでいたのだから、予定を前倒ししても問題あるまいよ。」


やはり両元帥の間で何らかの合意事項があったようだな。おそらく、オレが主催した夜会に同席した二人は、サシで話をした。カプラン元帥は腕を怪我していたから、体を張って閣下を説得したんだろう……


日和見だの風見鶏だのと揶揄されるバランサーを変えたのは……やはり愛娘のジゼルさんだろうか?


「ですがカプラン元帥、トガ閥が混乱すれば兵站業務に支障が出ますよ?」


事実上のお咎めなしにしてもらったオレが言うのは憚られるが、兵站と後方支援が混乱するのは望ましくない。トガにとっても同盟の衰退は不都合だから、そこんとこは手を抜かなかったんだよな。


「混乱は最小限に留まる。トガ元帥と同等の能力を持つ人間が、官僚組織を引き継ぐまでの間だけの事だよ。」


「カプラン元帥が官僚組織を引き継がれるのですか?」


弟子が世話になったお礼なのか、師匠はカプラン元帥のお酌に回っている。本物のワイン通は、赤ワインで喉を潤してから首を振った。


「まさか!私にトガ元帥のような実務能力はないよ。引き継ぐのは……薔薇園の首領ボスさ。」


あ!そんな事を考えていた、いや、根回し済みだったのか!


得心したホタルが、この場にいない二人の暗躍を推察した。


「ガタついたトガ閥からアスラ派に人材を引き抜く手筈なのですね。今頃、司令とヒムノン室長は大忙しでしょう。」


兵站畑と法務畑の新たな農場主は御堂イスカ、カプラン元帥は全て計算尽くでトガを嵌めたのだ。


「はん!それでイスカの奴は顔を出さなかったのか。おヒムにブン投げして何もやらねえってンなら、文句の一つも言ってやろうかと思ってたンだが、そういう事なら目を瞑ってやっか。」


「うむ。そういう事情なら致し方あるまい。」


マリカさんと師匠は、今回の件で動きを見せなかった司令に不満を持っていたようだ。司令も引き抜き工作の根回しに忙しかったのだろうが、身内への根回しもやっておくべきだぜ。災害閣下は気にも留めちゃいないが、カプラン元帥は一瞬だけだが、視線を二人に向けた。間違いなく、アスラ派のボスとエース&盟友の歯車に潤滑油が足りていないと思っただろう。


「司令には深慮遠謀があったんですよ。そもそも、今回の件は司令が出張る程の事じゃ…」


取りなそうとするオレを遮るかのように、カプラン元帥はハンディコムを卓上に置いた。登場したホログラムのキャスターがニュースを読み上げている。


「視聴者の皆様、当番組・ニュース8は軍法会議の映像を極秘に入手しました。本来、軍法会議は非公開で行われ、撮影も禁止されています。これは当番組のディレクターが進退を賭けてでも放映しようと決断した貴重な映像なのです。それでは、ご覧ください。」


重々しい表情と口調のキャスターから、極秘映像とやらに画面が切り替わる。カメラのアングルからして、傍聴席のから隠し撮りされたものだ。


「おやおや、撮影禁止の軍法会議の様子を隠し撮りした挙げ句、民放に横流しするとはね。とんだ不心得者もいたものだな。」


他人事のように論評したカプラン元帥が咥えた葉巻に、指先に灯した火を近付けるマリカさん。火を点けてやった女も、点けてもらった男も悪い顔してんなぁ。


「煙草好きの旦那、首都の民放を抑えてるのは、確かフラム閥だったよねえ?」


「筆頭株主は我々だが、言論の自由には介入しないよ。」


嘘つけ。閣下の差し金に決まってんじゃん。……ご丁寧な事に、加工する前の監視カメラの映像まで番組に渡していたのか。当然ながら、証拠品の改竄は軍法会議でも立派な違法行為。検察法務官は大ピンチだな。


「あらあら、これで丹波中佐は追及する側から、される側になったわね。いい気味だわ。」


卓下で本物のビールをグラスに注ごうとしていたリリスだったが、共犯のナツメと一緒にシオンに検挙された。


ん?……室長からメールだ。


"丹波中佐から弁護を依頼されたら引き受けようと思っているが、構わないかね?"と来たか。オレに異存はないが、両元帥の了承も得ておこう。


「両元帥、お願いがあります。たった今、室長からメールがありまして…」


「その件については軍法会議の前に相談されていた。ぬるま湯に浸らず、逆境を楽しむ。ヒムノン法務室長のスタンスを尊重しよう。見た目はアレだが、男気のある辣腕家だね。」


室長は窮地に陥った先輩に手を差し伸べる事まで考え、根回し済みだったのか。さすが法務のスペシャリスト、先の先まで見通していたんだな。


「よくわからんが、ドジョウ髭のやりたいようにやらせてやれ。胸板は薄いが、知恵と度胸には厚みがある男のようだ。」


わかっている男と、わかってない男から了承を得たので、ドジョウ髭の男前に"問題ありません"と返答しておく。


「失礼致します。ご注文の品をお持ちしました。」


店員さんが三宝に載せた生鯛と盛り塩を運んで来た。当然ながら、両元帥は怪訝そうな顔になる。


「なんじゃ、これは。活き造りかと思ったら、包丁が入っておらんではないか。この場で調理するのか?」


「災害閣下、これは儀礼用です。カウンター席にいる雪豹を呼んでください。カプラン元帥は隣の焼き鳥屋にいるタンタンと…」


「コックス大尉を呼ぼう。諍いのタネは芽のうちに摘んでおくべきだ。」


雪豹と紅孔雀の間で一悶着あった事を知っているカプラン元帥は、すぐにタンタンに電話を入れた。


「また※鯛合わせかい!カナタ、何もしち面倒くさい儀式までやる必要はないだろ。サンピンに毒され過ぎだ。」


マリカさんから咎められたが、オレは様式美を重んずる男なのだ。博打の師であるサンピンさんに教わった儀式は何度でもやってみたいだもん。


先に座敷にやって来た雪豹から本部での諍いを聞いた閣下は"紅孔雀はなかなかのツワモノだ。ペリエも腕力はないが、胆力はあるのだろう。剣狼の顔を立てて手打ちにせい"と命じ、人間災害の熱烈な信者は素直に応じた。雪豹フィオドラにとって災害ザラゾフの言葉は神の啓示に等しいのだ。


気っ風のいい姐御肌の孔雀先輩と温厚なタンタンも手打ちに異存はなく、豪華な立会人の下で無事に手打ち式は終了した。


「ザラゾフ閣下、コンスタンとパトリシアの為にご尽力を賜り、ありがとうございます。ささ、ご一献。」


タンタン&ピーコックと一緒に座敷に来たジゼルさんは、さっそく災害閣下の歓心を買い始める。買うべき株は迷わず買う、親子揃って如才ないねえ。


「ほう、カプランの娘とは思えん器量よしだな。きっと母親に似たのだろう。ペリエに紅孔雀、それにフィオドラよ、手打ちは終わった。遺恨という程の事ではないにせよ、つまらんささくれは水に流せ。」


身内のように可愛がっている強兵の気性の激しさを知る災害閣下は彼女の肩に手を置き、さらに説諭した。


「おまえは雪原を駆ける豹だ。野良犬の如く、誰彼構わず噛みつくのは改めい。」


ダーはいヂャーヂャー叔父様。」


頭を垂れた雪豹を満足げに見やった有翼獅子は、役目を終えた鯛を弔おうと考えたようだ。


「うむ、それで良い。腹を割って事を収めた功労者を、ワシらの腹に収めてやるとしようか。盛り塩もある事だし、塩焼きにでもするかのう。」


「ナツメ、厨房から包丁とバターを借りてきな。アタイが"真鯛のバター醤油焼き"を作ってやっから。」


「あいなの!」


シオンの膝の上に座っていたナツメが座敷を出ていった。……なんでシオンは顔を赤くして俯いてるんだろ。お酒に強い副官殿が赤くなる程、飲んじゃいないはずだが……


戻ってきた義妹から包丁とバター(醤油は卓上にあった)を受け取ったマリカさんは見事な手捌きで切り身にした鯛を皿に盛り付け、自前のバーナーでこんがりと焼き上げた。見るからに美味しそうな逸品は、さっきまで大人の対応を見せていた閣下が大人げなく独り占めしてしまい、皆の口には入らなかったのだが……


サイコキネシスでブロックしてまで独占するとは、呆れて物も言えん。今度会った時に、賢夫人に言い付けてやっからな。食い物の恨みは恐ろしいんだぞ!


「マリカにばっかりいい顔をさせるのも癪だわ。私が頭と骨を使って"鯛の骨蒸し"を作ってあげる。残り物を美味しく食べさせてこそ、真の料理人ってものよ。」


あ、閣下が野獣の……いや、欠食児童の顔になってる。まーた独り占めする気だよ。どんだけ食いしん坊なんだよ。アンタ、同盟の元帥だよな?


リリスが席を外したのを見たマリカさんがテレパス通信を送ってきた。


(カナタ、鯛合わせの後は※貝合わせをやっからね。無罪放免のお祝いだ。)


(オレは貴族の子女じゃないですよ。)


(そっちじゃなくて、貝合わせさ。アタイとシオンの、な。)


大人の貝合わせってひょっとして……あ!それでシオンは顔を赤らめてたのか!



ヤバい。宴席の最中だってのに、自前の至宝刀が元気になってきちまったぞ。


※鯛合わせ

任侠の世界で行われる手打ちの儀式。今作の侵攻編1話を参照。


※貝合わせ

貝合わせとは、蒔絵や金箔で装飾されたハマグリの貝殻を使用する貴族子女の遊戯。日本では平安時代から伝わっています。二枚貝は、対となる貝殻としか組み合わせることができないので、神経衰弱のように裏返した貝殻のペアの的中を競います。大人の貝合わせについては……調べてみてください。

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