愛憎編24話 軍法会議・後編



アスラ派とルシア閥の軍人は、ドジョウ髭の賢人がいつ反撃を開始するのかと固唾を飲んで見守っていたが、防戦一方で一向に攻めに転じる気配がない。


……違和感を感じるのは弁護法務官のオレへの呼称だ。被告人、もしくはカナタ君と呼んでいるのは、何か意味があるんだろうか? 被告人はいいとしても、カナタ君って呼び方は法廷じゃ適切じゃないよなぁ。


ヒムノン室長は不利を悟ったのか、有罪無罪を争うのではなく、量刑について論じ始めた。加重事由と軽減事由の駆け引きは、弁護側の部分的敗退を意味する。撤退戦を指揮するヒムノン室長に、傍聴席のマリカさんがブチ切れた。閣下よりも気が短いとは、参ったね。


「おヒム!任せておきたまえなんて大見得を切った挙げ句がこれかい!」


「マリカ君、静かにしたまえ。ここは法廷だ。」


慌てる様子もなく、淡々とした室長の姿は、炎の女の怒りに油を注いだ。


「なンだと!カナタが罰せられたら、タダじゃ済まさないよ!」


「ここまで不利な物証が揃っていては、手の打ちようがない。量刑を争うしかないのだよ。」


丹波中佐は事件の直後に、オレと閣下がジビエ料理店を訪れた事まで調べ上げていた。要するに、まるで反省していないと言いたい訳だ。実際、反省なんざしちゃいないのだが……


「被告人は事件直後に訪れたジビエ料理店・マタギで飲酒しましたか?」


オレは検察法務官の質問に正直に答えた。あの店主がベラベラ喋ったとは思えないが、隠し立てすれば店に迷惑がかかるかもしれん。


「はい。食前酒は桂花陳酒だったと思いますが、詳しくはわかりません。その後に地ビールとウォッカをオーダーしました。甘いお酒は食前に1杯飲むのはいいですが、量があっては困りますね。オレは辛党なので。」


「被告人の好みは訊いていません。お酒のオーダーは天掛少尉が行ったのですね?」


酒の嗜好は大事な事だぞ。少なくともガーデンではな。


「酒を頼んだのはワシだ!文句あるのか!」


閣下と争うつもりはない検察法務官は、慇懃に答えた。


「元帥閣下は事件とは無関係であらせられます。何をなさろうとも問題にはなりません。」


加工された映像には残っていないが、兎場隊のほとんどを病院送りにしたのは閣下だぞ。ついでに言えば、忠春の襟首を掴んで恫喝もしてた。"小便漏らしの忠春"の名付け親でもある。ま、検察法務官の矛先は、こっちに向けてもらおうか。見てるだけじゃあ退屈なんでね。


「あ、そうだ。赤ワインも追加したはずです。」


ほら、エサに食い付いてこい。格好の攻めどころだろ?


「ワインは天掛少尉がオーダーしたのですね?」


「ええ。閣下はあまりワインがお好きではありませんから。」


真実を証言すると宣誓してっから、これも嘘じゃねえぞ。災害閣下はビールとウォッカの愛好家だ。観艦式で初めて会った時は、ワイン党に見せかけようとしてたっけな。いかつさを極めた強面の閣下にも、可愛い一面があったもんだ。


「かなり飲酒したようですが、事件を反省しなかったのですか?」


「思うところはありました。」


検察法務官は大袈裟な身振りで傍聴席にアピールしながら、追求を続ける。


「社会的な常識からすれば、反省していたとは思えませんね。事件の直後に酒宴を開いていたのでしょう?」


ああ、盛大に飲んだね。閣下の昔話が面白かったんで、忠春の事なんざ忘れてたよ。


「検察法務官、オレは反省していたなんて言っていません。ざまぁみろ、と思っただけですよ。ビビりの兎が漏らした小便の臭いにゃ閉口させられたんでね。何を飲んだらあんなクセえ小便になるんだか、不思議でしょうがない。トガ家じゃドブ川から汲んできた水を飲料水にしてるのかもな。腐った芋で作った焼酎をドブ水で割るのがトガ流って訳だ。」


右翼席からドッと笑い声が上がった。よしよし、ウケたウケた。爺さんのこめかみがピキッとなったぜ。


「黙れ!忠春は下戸じゃ!酒など飲め…」


血相を変えて怒鳴り散らそうが、オレの能書きは止まらねえ。こちとら"毒舌世界チャンピオン"のスパーリングパートナーをやってんだぜ? 可愛い王者様リリスがリングサイドで観戦中だ、張り切って行こうか。


「スカンクだろうがカメムシだろうが、裸足で逃げ出すド悪臭だ。開発部に命じて、兵器運用を考えるべきだな。あの臭さなら、泥沼の戦局を打開出来るかもしれん。同盟の最終兵器が鮮烈デビュー、その名も"小便漏らしの"忠春ってキャッチフレーズはどうだい?」


目尻に涙を浮かべながら爆笑していた災害閣下が、腹を抱えたまま乗っかってくる。


「それはいい!機構兵が笑い死にして戦争が終わるだろう!トガ、よかったな。おまえの孫は"救国の英雄"になれそうだぞ!ガッハッハッハッハッ!」


弁護席の資料台をバンバン叩いて(案の定というか、やっぱりというか)破砕した閣下は、なおも笑い続ける。どんだけツボにはまったんだよ……


「笑い過ぎじゃ、ザラゾフ!剣狼、貴様は法廷侮辱罪も追加されたいのか!ガードナー裁判判士、この態度を見たじゃろう!罪状が明白になったからには、サッサと判決を下せ!」


「異議あり!弁護側はまだ…」


ヒムノン室長が異議を申し立てたが、裁判判士は取り合わなかった。


「異議は認めません。十分に審理は尽くされました。よって当法廷は、天掛少尉に判決を申し渡します。本来ならば不名誉除隊を命じ、懲役刑を科すのに十分な違法行為でしたが、天掛少尉のこれまでの戦功を鑑み、またザインジャルガ総督とザドガド市長から当法廷に送付された減刑嘆願書、及びザドガド市民が現在も署名活動を行っている事実を踏まえ、二階級降格処分で留めるのが妥当と判断します。犯した罪に真摯に向き合い、猛省するように!」


やなこった。降格なんざ、屁でもねえよ。


「天掛少尉は同盟軍軍法の規定に則り、上告審を争う権利があります。判決に対して異議申し立てを行いますか?」 「上告は時間の無駄だと、忠告しておこう。」


アンタらは勝ち誇る前に、弁護法務官の落ち着き払った姿でも見やがれ。あの顔、室長は何か企んでるな?


オルブリッヒ・ヒムノンはアスラコマンドだ。勝ったと思わせておいて逆襲する。常識に囚われた連中の予想もつかない領域から、な。……筋書きが見えたぞ。


「判決を受け入れ、異議申し立ては行いません。」


室長の描いたシナリオ通り、土俵を割って見せなければならない。これは相撲だと思っている連中に、カウンターパンチを放つ為にな。


「しかと聞いたぞ!剣狼、わかっておるのじゃな!曹長に降格した貴様は大隊指揮権を喪失した!案山子軍団は解散じゃ!」


年甲斐もなく、はしゃぎやがって。面子が保ててホッとしたのはわかるが、浮かれ過ぎだ。


「喚くな、ジジィ!結審したんだから病院に行って、孫に付け鼻でも手配してやれよ。」


「被告人は不規則発言をやめなさい!これにて閉廷!」


怒号と歓声が渦巻く法廷を鎮めようと、ガードナー大佐は何度も木槌を打ち鳴らした。


「ちょっといいかね? 私から言っておく事があってね。」


散歩のついでに立ち寄りましたって感じで法廷に現れたのは、カプラン元帥だった。


「カプラン!貴様よくも裏切りおったな!」


軍服の襟首を摑まれ、宙吊りにされた論客は、巨漢の肩をポンポンと叩いて降ろすように合図する。


「制裁は後にしてくれたまえ。先に裁判判士と検察法務官の誤りを訂正しておく必要がある。」


「誤りだと!? 判決そのものが不当だろうが!」


床に足は着いたが、襟首は摑まれたままのカプラン元帥は、静かに首を振った。


「いや、判決は正当だ。訂正すべきはカナタ君の階級だよ。裁判判士も検察法務官も、天掛と呼んでいたが、それは正しくない。天掛彼方はなのだ。」


「お言葉ですがカプラン元帥、特命任務制度はあくまで"特命任務に従事している間のみ、当該軍人に二階級高い権限を付与するもの"であって、軍法会議においては本来の階級で裁かれます。天掛彼方は大尉であるというご指摘は間違っています。あくまで、特命任務によって大尉待遇を受けている"少尉"なのですから。」


丹波中佐は得意気に講釈を垂れたが、カプラン元帥はすぐに反論した。


「そんな事は知っているとも。事件のあった日、カナタ君が私のオフィスを訪れたのは知っているだろう。」


「存じ上げております。その帰りに違法行為が行われたのですから。」


「私とカナタ君の間で、どんな話があったかも存じ上げているのかね? 少なくとも、私のところに聞き取り調査には来なかったはずだ。」


皮肉っぽい口調で確認するカプラン元帥に、当惑気味の中佐が返答する。


「話の内容は存じ上げておりませんが、今回の事件には無関係…」


「多いに関係があるのだよ。天掛少尉が私のオフィスを訪れたのは13:17だ。私は13:30に天掛少尉に昇進令状を発行し、帰る間際の16:30に再度昇進令状を発行した。事件が起こったのは16:42、つまり事件のあった時、天掛彼方は大尉だったのだ。」


降格処分を受けるなら、昇格していた事にすればいい、か。脱衣麻雀が始まってから、重ね着するみたいな裏技だな。


「そ、そんなバカな!私は自分のオフィスでしっかり確認しました!同盟法務部のデータベースでは階級の変更はなかった!間違いありません!」


「昇進の通達が遅れるのは、これまでにもあった。丹波検察法務官、それにガードナー裁判判士もだ、キミ達は統合作戦本部への答申を行ったのかね?」


意図的に通知しなかった癖によく言うよ。カプラン元帥は裁判判士と検察法務官が、法務部のデータしか閲覧しないと知っていたんだ。


「そ、それは……」 「し、しかし……」


「私の耳には入っていないし、本部の職員もそんな答申は受けていないと証言している。データセクション全職員が署名した宣誓供述書も持ってきた。ザラゾフ、いい加減手を離してくれたまえ。宣誓書が出せないじゃないか。」


「お、おう。なんだかよくわからんが、剣狼は無罪でいいんだな?」


まだ事情が飲み込めない閣下は頓珍漢な事を言い、カプラン元帥は呆れ顔で答えた。


「同盟元帥ともあろうものが、それじゃあ困るよ。天掛大尉は有罪だ。二階級降格されて、たった今、少尉になった。特命任務は課されたままだから、昇進前と同様に大尉待遇を受ける事になる。実に残念だよ、カナタ君のこれまでの功績に報いる為に、御堂少将と相談した上で、中佐待遇を与えるつもりでいたのに。」


司令が"何も問題ないから、黙って軍法会議に出てこい"とメールしてきたのは、それでか。裏でカプラン元帥と談合してた訳だ。


「カプラン!嘘をつくな!そんな都合のいい話があるものか!」


爺さん、泡吹く気持ちはわからんでもないが"元帥"が抜けてるぜ。


「事実なのだから、どうしようもないね。担当職員には"辞令の通達はしっかり行うように"と訓戒しておいた。今回の件は単純なヒューマンエラーだったが、再発防止に尽力しよう。トガ元帥もたまには本部を訪れて、綱紀粛正に協力してくれたまえ。」


「何がヒューマンエラーじゃ!いけしゃあしゃあと大嘘を並べ立ておって!そんな話を誰が信じるのじゃ!」


息巻きながら凄む老人に対し、論客は淡々と反論した。


「仮にだ、100歩譲って私が虚偽を述べているとしても、立証責任はそちらにある。昇進令状を発行した時にペリエ少佐とコックス大尉、それにカプラン少尉も同席していたから、彼らの証言を聞いてみたまえ。」


「三人とも、貴様の身内じゃろうが!身内の証言など信用ならん!」


「さっきも言ったが、"立証責任はそちらにある"のだよ。嘘だと思うなら、査察チームでも送ればいい。ただし!……何も出なかった場合は覚悟したまえよ? 根も葉もない疑いをかけられた私は、非常に不愉快な気分になるのだからね。」


凄むってのはこうやるのだとばかりに、鋭い目付きになったカプラン元帥の言葉がトドメを刺した。負けを悟ったトガは歯噛みするしかない。


「……儂を……この儂を……たばかりおったのじゃな!!」


「人聞きの悪い事を言わないで欲しいね。都合のいい事に、その手の調査が得意な丹波中佐がいる。私と一緒にオフィスに行こうか。」


ハッタリなのか、調べられてもボロが出ないと確信しているのかを読み切れない丹波中佐は口ごもった。


「い、いえ……私は……その……」


優秀な検察法務官なのだろうが、こういう場面で腹を括れない。秀才官僚の限界を露呈したな。うなだれる先輩に、腹の据わった後輩は声をかけた。


「丹波、有利な時しか法廷に立たなかったせいで、切れ味が鈍りましたね。この法廷で私は一度も"天掛少尉"と呼ばなかった。ゼミにいた頃の先輩なら、罠に気付いていたでしょう。……"ぬるま湯に浸らず、逆境を楽しみなさい"……秋枝先生からそう教わったはずですが、どうやらお忘れのようで。」


法廷で勝つのではなく、結審してから前提を覆し、逆転する。ヒムノン室長とカプラン元帥は、奇想天外な筋書きを描いていたんだ。


「そんな…そんなバカな……この儂が知的空間で敗れるなど……ありえん……」


「……私は悪くない……私は悪くない……私には何の瑕疵もないのだ……ただ判決を下しただけ……ただ判決を下しただけ……」


まさかの結末に呆然とするトガと、放心したままブツブツと呟くガードナー大佐。


「……こ、後輩を相手に……負けた……法廷でヒントまで与えられて……手玉に取られるとは……」


後輩にしてやられた丹波中佐がよろめきながら椅子に倒れ込む。


「カプラン、四半世紀以上見てきたそのツラが、初めて格好よく見えたぞ。」


豪傑からお褒めの言葉を賜った論客は、皮肉で応じた。


「それはそれは。しかしね、ザラゾフ。私が格好よく見えるだなんて、キミもとうとう老眼が始まったのかもしれんよ?」


「やかましい!緋眼も雷霆も小娘どもも、飲みに行くから一緒に来い!年寄りの前であまりイチャつくな!」


「わかったわかった。緋眼のアタイが、老眼の閣下に酌でもしてやンよ。野郎ども!閣下の奢りで飲みに行くよ!アタイについて来な!」


真っ先に被告席にすっ飛んで来て、オレの背中におっぱいを押し付けていたマリカさんは、親友と妹分だけではなく、ゴロツキどもまで促した。シグレさんが右手を、シオンが左手を握り、首にはナツメが巻き付いてて、腹にはリリスがしがみついているオレは身動き出来ない。


「お館様の勝利を祝して~!御一同、お手を拝借!」


身動き出来ないのだから、傍聴席で三三七拍子をやってるシズルさん(襷と鉢巻きは装着済み)を止める事も出来ないのだ。……もう軍服じゃなくて学ランでも着てこいよ。


「閣下のご好意に甘えましょう。でもカナタ、鼻をもぎ取るなんて、ちょっとやりすぎよ。あまり心配させないでね。」


笑顔のホタルに人差し指で鼻を弾かれる。みんなには心配かけちまったよなぁ。


「悪いな。お灸を据えるにしても、他にやりようがあったはずだが…」


「でも嬉しかったわ。……ありがとう、カナタ。」


この一言でオレは報われた。とはいえ、トガ閥は終戦後に排除するという、カプラン元帥の計画は修正を余儀なくされたに違いない。両元帥には、大きな借りが出来ちまったな。


「ホタル、小物が歴史を創る事はない。だけど、小物が歴史を動かす事はあるんだ。」


忠春の腹立ちまぎれの行為が、祖父の命取りになった。日和見をやめたカプラン元帥も、トガ閥の弱体化を狙っていた司令も、この機を逃さないだろう。老いた兎を仕留めるのは、猛禽かハイエナか……


ハイエナ呼ばわりはカプラン元帥に失礼かな? だけど鷹匠でもある司令や、獅子を自負する災害閣下が仕留めた獲物のおこぼれに預かってきたのも事実だからなぁ。


「……そうみたいね。かつては時代をリードした狡兎こうとの群れ、その終わりが始まったんだわ。」


お通夜みたいな空気を醸し出す左翼席のインテリどもと、酒が飲める飲めるぞーとばかりにはしゃぐ右翼席のゴロツキどもが織り成すのは一枚のモノクローム。



……白黒写真のようにハッキリと分かれた明暗は、同盟の今後を示している。

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